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べらどんな 豆電球
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ページ範囲:P.608 - P.608
文献購入ページに移動 漱石の『猫』や『三四郎』の文体と内容は,ほとんど現代的な感じである。都電(当時は市電)の警笛の音や路線図が今とは違うが,別に大した違和感はない。
ところが漱石がこれらの作品を書いたのは,100年以上も前である。「吾輩ハ猫デアル」は,まず正岡子規が主催する雑誌「ホトトギス」に連載されたのち,明治40年(1907)に単行本として出版された。『三四郎』は新聞小説ではなく,書き下ろしである。2か月で脱稿し,明治42年(1909)の5月に本になった。
ところが漱石がこれらの作品を書いたのは,100年以上も前である。「吾輩ハ猫デアル」は,まず正岡子規が主催する雑誌「ホトトギス」に連載されたのち,明治40年(1907)に単行本として出版された。『三四郎』は新聞小説ではなく,書き下ろしである。2か月で脱稿し,明治42年(1909)の5月に本になった。
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