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べらどんな AMD
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ページ範囲:P.1600 - P.1600
文献購入ページに移動 戦前のことであるが,ドイツには教授が何年かごとに大学を移る習慣があった。円盤状黄斑変性に名を残しているクーント(Hermann Kuhnt, 1850-1925)もその例である。
まずイエナ大学の眼科の教授になった(Jena, 1881-1902)。そのあと東プロイセンの首都にあるKönigsberg大学の教授になる(1902-1907)。それからボン大学に招聘され,70歳まで在任した(1907-1920)。
まずイエナ大学の眼科の教授になった(Jena, 1881-1902)。そのあと東プロイセンの首都にあるKönigsberg大学の教授になる(1902-1907)。それからボン大学に招聘され,70歳まで在任した(1907-1920)。
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