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談話室
色盲表に就いて
著者: 馬島鏡三
所属機関:
ページ範囲:P.1200 - P.1201
文献購入ページに移動 色盲表については,古くはスチルリング氏表ナーゲル氏表等がある。日本に於ては明治43年頃森鴎外先生が陸軍省医務局長時代,医務局に居られた小口先生が,態々独逸からこれ等の色盲表を取り寄せられ,之を基本として改案され,平仮名記号の日本固有の色盲表を,陸軍衞生材料廠で印刷させられたのが,日本に於ける色盲表の始めである。此小口氏色盲表に就いて1言申し添えて置き度いことがある。それは従来色盲表が文字を記号として居るため,文字を解せざる者の色盲検査には,当時先生もほとほと手を焼かれた様子,そこで考えられたのが,花弁型の色標を使つて迂曲線を作り,コヨリでこれを辿らせる仮性同色表を作られたことで,其図案も面白く美術的に作られている。先生御所持の色盲表の間には,いつも此コヨリが23本宛はさんであつたことを,今も記憶して居る。此迂曲線の考案者が,小口先生であることは余り多く知られて居ないらしい。惜しむらくは,先生の色盲表は,長い年月の間,陸軍省で,例の極秘のいかめしいハンコが押され,凡そ民間人の吾々とは縁遠い存在に置かれてあつたもので,自然此色盲表も,軍関係者以外には知られて居なかつたものである。此色盲表が市販され出したのは,余程後々のことであつた様に記憶する(大正10年以後)。石原先生が色盲表を作り始められたのが大正5年頃の様子で,其の後に小口先生が色盲表を作られたように思われるのも無理のないことである。
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