icon fsr

雑誌目次

雑誌文献

臨床眼科9巻4号

1955年04月発行

雑誌目次

特集 眼科臨床の進歩Ⅲ

視力ノート

著者: 小島克

ページ範囲:P.699 - P.717

 日本において視力として扱われて来たものは,主として試視力表,視標に関するものである。新美直氏がC環を試作され,Hessの万国視力表の発表を機として,以後石原忍氏の片仮名型,井上達二氏の井上鉤,中村康氏のひらがな型が行われる。この間,中川順一氏の対数試視力表と,山森昭氏の66環が独自の立場において存在するのは,試視力表学としては特記さるべきである。小児に対する試視力表や検査法は,大山信郞氏や山地良一氏等により究明され,光学系理論も山森,山地,中島(章)氏等の研究を生んだ。
 視力が1分角理論の下に我国に於ても行われているがそうした視角論では井上達二氏の40"説はHartridge (1947)が錐体径3μと仮定してco-ne-unit 41,236"をあげている点で注目される。

日本古代眼科略史

著者: 山賀勇

ページ範囲:P.718 - P.723

 日本の眼科が,どのような外国(支那,西洋)の影響をうけて今日に至つたかを述べるよう,編輯部の求めであるが,古くは朝鮮から,次で唐,宋,及び明の中国から,降つて近世に入りオランダ医学から学び,明治になつて急速にドイツをはじめ,欧米の眼科を吸收したことはすでにみなよく知られているのであるが,これを述べる前に,一応古代印度及び中国の医学について触れ,西洋医学輸入以前のことをあらまし述べたい。また最近日本眼科全書の第1巻「眼科史」が福島義一博士によつて著わされ,委細をつくして余す所なくこゝに附け加えるものはないので,本稿はむしろ研究に多忙な読者に対して日本眼科発展のbirdseye viewを提供するにすぎないことをお断りし詳しくは凡て福島博士の論著によられたい。

光覚増強の試みの最近の發展(図9,表1)

著者: 池田一三

ページ範囲:P.725 - P.732

 わが国が太平洋戦争に突入する少し前,植村1)は正常者の胆汁分泌を高度に促進させて,脂肪の分解,吸收を容易ならしめることによつて,暗順応機能を亢進させうることを発表した。同氏は後に本法を小口氏病及び網膜色素変性にも応用し,これらの疾患の光覚の回復にも,認むべき成果を挙げたと報告した2)。これに対して私共3)を始め,2,3の学者の追試が行われたが,美田4)等が網膜色素変性において効果を認めたほかは,みな大体陰性の成績をえるにとどまつた。
 敗戦後の日本は戦争を放棄し,又一時極度に悪化した電力事情が著しく好転して(少くとも見かけだけでも),停電のなくなつた今日,光覚増強の試みはあまりやかましくいわれなくなつたようであるが,夜盲の治療,光覚の機作の探究という面はもとより,運輸,交通,治安など各方面において,夜間光覚の増強を要することは,あえて戦争中におとらないように思われる。そこで私は最近この方面の研究がどうなつているかについて,少しばかり文献をさがしてみたので,次に簡単に述べてみたいと思う。

第17回国際眼科学会に出席して—見たり,聞いたり,喋つたり(VI),他

著者: 中村康

ページ範囲:P.733 - P.740

50)学会前奏曲
 〔モントリオールにて〕今迄の記事を見られて,読者は凡らく私が只あちこちと遊び廻つて,眼科に関する事柄を少しも見学していないではないかと,不審に思われるでしようし,又不満に思われるでしよう。然し此は私がNataf氏にも述べたのですが,国情を充分に味つて,日本の学問の進み方を批判して欲しいと述べたのでしたが,私は広く米国の生活を観察しながら,其欠陥長所を知ろうとしているのであります。此点から考えて,欧州の馳け足旅行は私には興味が薄いのであります。此米国で開催される前学会の奏曲として,今迄の記事を読んで戴ぎたい。

白内障

白内障の手術の選択

著者: 瀨戸糾

ページ範囲:P.541 - P.545

 白内障の手術を加うべき疾患には水晶体に異常のあるものと高度近視であろう。
 水晶体に異常のあるもの

白内障手術の予後

著者: 庄司義治

ページ範囲:P.546 - P.548

 白内障手術の予後は次の諸条件によつて左右される。
 1)白内障の種類2)手術前の合併症3)手術式4)手術中及び手術後の併発症5)後療法6)後発白内障手術7)眼鏡の選定

白内障全摘出術と角膜移植術

著者: 中村康

ページ範囲:P.549 - P.560

 此度欧米を巡遊し30に垂んとする大学クリニツクと大病院クリニツクを訪ねて,白内障全摘出術と角膜移植術を目のあたりに見て,此方面に於ける手技が本邦に於て充分に行きわたつていないのを知つたので,私の従来の経驗と欧米諸家の術式とを混ぜ合わせ,簡易であり且つ確実な術式の解説をしてみたいと思う。欧米に於て此二つの術式,がどうして現在の如く普及したのであるかを調べてみると,1950年ロンドン市で開かれた第16回国際眼科学会で,此等二つの術式が一つ一つ問題としてとりあげられ,多くの人から論議されているのであつて其後著しい進歩を見せたもののようである。本邦に於ては此学会にも出席せず,其報告書も亦紹介される処が尠なかつたために,欧米諸国の其に立ち遅れの形をとつたものと思われる。文字で書くよりも図で示した方が解り易いので図示することにするが,此方面の多数の療法をも加へて述べる必要もないと思うが,其手術中の誤りなどのことについては,多少の迫記をするけれども,省読者自身で経驗した手技の良否については専問書を飜いて自己批判して載きたい。

角膜疾患

結核性角膜疾患の治療

著者: 今泉龜撤 ,   二宮以敬

ページ範囲:P.561 - P.567

I.角膜結核の定義並に分類
 無血管組織である角膜の病変の治療が,甚だ困難であることは論を俟たない。而かも治癒には多くの場合瘢痕即ち角膜溷濁を貽し,多かれ少かれ視力を害し,その瞳孔領に存在する時は,患者に与える苦痛は甚大で,時に度重なる再発によつて遂に失明に到る場合のあることは,吾々の屡々経験することである。然し乍ら一面その病巣の位置的関係から病状を精細に観察し得る利点は,諸種藥剤の治効を論ずる上に,甚だ恰好の実驗台となり得る理である。
 結核性眼疾患の診断の根拠に関しては,1951年A.C.Woodsは次の4点をあげている。

角膜実質炎の療法

著者: 淸水新一

ページ範囲:P.568 - P.573

 周知の如く角膜実質炎には色々の原因があるが私は茲で梅毒性角膜実質炎に限定し,且臨床上眼底は免に角,前眼部では先ず角膜実質に病変を来したIgersheimerの謂う典型的角膜実質炎の療法に就て述べ度いと思う。
 昭和20年1月から昭和29年8月末迄に梅毒性角膜実質炎の陳旧なもの,新鮮なもの合せて202例を見,年令は3歳から60歳迄であつた。年度別には昭和20年21例,昭和21年23例,昭和22年31例,昭和23年26例,昭和24年25例,昭和25年15例,昭和26年16例,昭和27年15例,昭和28年19例,昭和29年12例である。

鞏膜短縮法

高度近視の鞏膜切除短縮術

著者: 大橋孝平

ページ範囲:P.574 - P.580

1.近視手術の文献概要
 高度近視の手術としては古くからFukala(1890〜1898)の手術として透明水晶体摘出法が知られているが,これは多く19D以上の近視に用い,主として若年者のみに応用される。その他,近年吾国では中等度までの近視手術として順天堂大学佐藤教授の角膜後面切開法があり,これは5〜8Dまでの近視に適するとされる。従つて,この両手術適応症範囲の中間に位する。10D前後のものの手術としては適応手術式がなかつたわけである。然し網膜剥離の手術として行われるLindner法による鞏膜切除短縮手術が近年は近視の乎術として応用出来るとする報告が2,3内外交献に見られるようになつた。
 外国では始めて鞏膜切除短縮術を行つたのはMuller (1903)であり,彼は高度近視で網膜剥離のある数例に鞏膜の小片を切除縫合して眼軸短縮を行つた結果,網膜剥離が治癒したと云う。この時は外直筋を切腱して,その後方1〜2mmより後方に角膜縁に平行して幅8〜10mm,長さ20mmの鞏膜全層を切除して高度近視が遠視か軽度近視になつたと報じた。その他Holth (1911)は赤道前部鞏膜管錐術として鞏膜の1部を管錐で切除して屈折が減弱することを報告し,11Dを減ずるものもあつたと。

網膜剥離

網膜剥離Diathermie法

著者: 桑原安治

ページ範囲:P.581 - P.588

 綱膜剥離は眼内腫瘍其の他の内眼疾患の為めに続発する続発性網膜剥離と何等先駆する疾患なしに突然惹起する特発性網膜剥離とがある。茲に網膜剥離手術の対象となるのは主として特発性網膜剥離である。此の特発性網膜剥離は従来難治の眼疾患の中に算えられ,其の療法としては僅に網膜下瀦溜液の漏出絶対安静等の姑息的療法が試みられ,従つて其の予後は悪く治癒率は15%内外に過ぎない為に網膜剥離と診断を下されるならば其れは不治を意味する程であつた。処が1919年にGonin氏が網膜剥離療法の劃期的手術法を発表し其の治癒率は50%を越え,従来の姑息的療法15%の内外に較べると格段の差が認められる。今日より見ればGraefe-aemisch眼科全書に於けるLenz氏の網膜剥離手術編の如きは,既に歴史的価値を有するに過ぎない。網膜剥離の眼底を詳細に観察すると三種の重要な変化が認められる即ち網膜が剥離して硝子体方向に突出して居る事,其の剥離部は特有な青色を呈して居る事,それと同時に青色と極めて対照的な真赤な網膜裂孔が認められる事である。このGonin氏手術に於いて最も重要な問題は網膜裂孔にある。此の網膜裂孔は既に古くde Weber, Leber氏等によつて指摘せられておつたものであるが,網膜剥離の発生と直接な因果関係に就ては深く注意せられておらなかつた。

脳疾患

脳水腫の外科的療法

著者: 植木幸明

ページ範囲:P.589 - P.599

 脳水腫は脳脊髄液の正常な循環が障害せられる為に脳室の拡張脳の圧迫萎縮を来たす疾患であって,これは髄液の産生から吸收まての経路の何れの部位に於ける障害であつても起り得る。大部分は脳室内に液が貯溜する内脳水腫であるが稀に脳の外に液のたまる外脳水腫もある。髄液の産生機転については,いまだ議論があり,脈絡膜叢の分泌か選択的透過かその見解が必ずしも一致して居らないし,又その吸收経路に於いても一通りの道でないことは確かである。然し乍らその大部分はDandy and Blackfan,1)Weed,2)Cushing3)並にSchaltenbrand4)等の研究により,脳室壁にある脈絡膜叢より産生せられ)金野53)によれば脈絡叢の分泌と血清からの透析によると云う),側脳室よりモンロー孔を経て,第3脳室に至り,更に中脳水道を通つて第4脳室に入り,Magendie氏孔並にLuschka氏孔より脳室系外に出で脊髄蜘網膜下腔並びに脳表蜘網膜下腔を充し,結局は静脈洞の血中に吸收されるというCushingのいわゆる第3循環が成立つことが証明せられた。

腦腫瘍の眼症状

著者: 柳田長子

ページ範囲:P.600 - P.605

 近年,脳神経外科学の発展に伴い,開頭手術により診断が確定した脳腫瘍の所見と,臨牀的諸症状との関係が明らかにされつゝあり,又眼症状との関連に就ても,明確にされた点が少くない。我が国に於ても,古くより臨牀的に脳腫瘍と見做された患者に就て,眼症状の観察を行つた報告は,少からず見られるのであるが,手術又は剖見により,脳腫瘍の診断が確定した多数の症例に関する文献は,未だ見られない現況である。
 私は東大第一外科に於て,最近約20年間の中,手術又は剖見を行い,脳腫瘍の診断が確定した患者に就き,腫瘍の局在による分類に従い,既に前頭部,視束交叉部附近(脳下垂体腫瘍,頭蓋咽頭腫,鞍上腫瘍,嗅神経窩腫瘍,蝶形骨縁腫瘍)頭頂葉附近都,側頭部,後頭部,松果体部,中脳水道周囲部,脳橋部,並に小脳橋角部等の脳腫瘍の患者に於ける眼症歌を報告したのであるが,今回はこれ等の観察を根拠として,主として開頭時に見られた脳腫瘍の所見と,眼症状の臨牀的変化との関係を総括してみたいと思う。

中樞神経系疾患の眼症状検査について

著者: 田村茂美

ページ範囲:P.606 - P.613

 中枢神経系疾患は直接眼に影響を及ぼすものが多い。逆に眼症状から中枢神経系障害の部位を診断することができるし,時には眼症状によつて中枢神経系疾患の種類まで決定できることすらあるのである。
 したがつて中枢神経系疾患の際には眼の診察,眼症状の検査はきわめて慎重精細に行われなくてはならないのである。

Marcus Gunn現象

著者: 佐野圭司 ,   竹内一夫

ページ範囲:P.614 - P.623

 1883年6月1日にFlorence J.——なる15歳の少女が下記の様な症欣を主訴としてThe North-West London Hospitalを訪れた。彼女を診察した眼科医Robert Marcus Gunn (1850〜1909)はその症状に非常な興味を感じて同じ年の7月6日の The Ophthalmological Society of theUnited Kingdomの集会で症例報告を行つた7)。彼女は出生時から左眼瞼下垂があり,下顎を右方あるいは前方に動かすと,ただちに下垂せる不全麻痺状態の左上瞼が挙上し,下顎がその位置にとどまつている間は挙上位を保持した。この現象は多大の関心をよせられ,同学会はW.R. Gowersを長とする4人の委員会(神経医3人,眼科医1人)を作つてこの症例の調査を命じた。その結論として下垂瞼の上瞼挙筋は同側の外翼状筋が收縮すると收縮する(しかしその逆はおこらない),すなわち外翼状筋と上瞼挙筋の連合運動(ptery-goid-Ievator synkinesis-Wartenberg24))であるということになつた。

色覚

色の調和に就て

著者: 松尾治亘

ページ範囲:P.624 - P.631

 近年我国に於てもColor dinamics或はColorconditioningという事が喧伝され,且つ一般に普及されつゝある。之は主に工場,車輌,船舶,病院,学校等の室内或は機械設備,標識等に一定の彩色を施して,それに依つて能率上昇,危害防止を計る事を目途とし,更に敷衍されて実際生活にも及ぼうとしているものである。
 元来,色彩調節は機能主義的であつて,作業能率の上昇,疲労感の減少等の生理的,心理的影響に基いたもので,その理論的,実際的発展は主として色彩工学,色彩科学の領域に於いてなされたものである。従つて,元来美術,芸術の分野から述べられる色の調和,美感というものは,色彩調節の領域では従のものとされ,その主要な部分を占めていない。薙に色彩調節と色彩調和の遊離が指摘されている。併し乍ら,色彩管理に於いて機能主義的或は機械主義的といつても,作業者に及ぼす影響は結局その作業者個々の主観に基く色彩配色の受取り方にのみ,その根本があるのであるから,その配色に依つて惹起される感覚として,視力,対比,順応等の問題と共に美しさという事が当然含まれるべきである。且つ,之が作業者の能率,疲労,その他に生理的心理的影響を及ぼすと考えられる。

偏光アノマロスコープに依る色神異常の検査

著者: 中村陽

ページ範囲:P.632 - P.639

 従来,色神検査のうちスペクトル分散光を用いる方法としては1907年にNagel氏が考案したアノマロスコープがあり,色神検査の基準として広く用いられて来たものであるが,東京大学工学部日置隆一助教授,及び日本医大中村康教授の共同研究によつて偏光アノマロスコープの考案がなされ,その試作機は既に日本医大初田講師が本誌に紹介した処である。
 これは後述の様にNagel氏のものが,コルリマートル細隙の開閉によつて波長や明度を変える時に同時に純度も低下すると云う欠点を除く為に混色には偏光を利用し又,一方にはスモークドウエツジを用いる新らしい構想によるものである。然し乍らここに用いる偏光板・偏光プリズム及びスモークウエツジには各選択吸收性があり尚2・3の問題を残してはいるが,臨牀実験に於ては色神異常者を類型的に分類し,アノマロスコープとしての目的を充分に達しているので此処に私が行つた臨牀使用を総括して見たいと考える。

アレルギーと眼

眼結核診断に於ける2,3の問題

著者: 鹿野信一

ページ範囲:P.640 - P.645

結核と梅毒について
 古来臨床医家の関心を強く広くひいている疾患は梅毒と結核にある事は誰も異論はあるまい。1900年前後に於ける種々の眼疾患の原因の統計はそのかなりの%を梅毒が占めている。それはその頃Wassermannの反応が発見された(1906)のであり,之により梅毒の診断が極めて確実に且つ容易に臨床的に下し得られるようになつたからであろうと思う。
 所が同じ様に慢性で古くから原因も判つている結核に於ては吾々は残念乍らワ氏反応の如き確実なin vitroの反応をもたない。最も安易な手段は患者の生体の一部である皮膚をかりてするツベルクリン反応である。

腎疾患・高血圧と眼

本態性高血圧症と眼底

著者: 藤井靜雄

ページ範囲:P.647 - P.656

 高血圧症は現今本邦医学界に於て重要視せられてる疾患である。蓋し本症に続発する脳卒中死が国民死亡率の第一位を占むるに至つたからである。
 恩師稲田龍吉先生は既に今より30余年前に本態性高血圧症essentielle Hypertonieを重要視せられ私に対して其の研究を命ぜられたのである。そこで私は先づ病理解剖から研究する事になり,其の当時最も剖検数が多かつた泉橋慈善病院病理部に於いて着手した。即ち大正10年(1921)より今日迄に高血圧症の剖検数85屍体に及んでいる。

高血圧と眼

著者: 中泉行正

ページ範囲:P.657 - P.661

 大正年間より昭和の始めにかけては,高血圧について論ずるものは,必ず腎硬化症,慢性腎炎,続発性萎縮腎,原発性萎縮腎などと云つたもので,其頃は眼疾患についても蛋白尿性網膜炎という名は,蛋白尿が原因ではないから腎炎性網膜炎と命名すべしなどと論じあつている時代であつた。其後本態性高血圧(Essential Hypertension)が論じられ,高血圧の原因となるものが不明で,腎疾患と因果関係なき慢性高血圧と云われていた。
 高血圧を起す原因は腎以外にも種々沢山あるけれども,そのいずれも原因不明のものが本態性高血圧である。但し,すべての本態性高血圧と錐も,其末期には腎疾患を起し,因となり果となり,其の主客が,にわかにわからぬ様になる事が展々である。

環境と眼

環境に支配される眼疾患の臨床

著者: 萩野鉚太郞

ページ範囲:P.662 - P.670

 独り眼疾患のみに限らず,総べての疾患が,その個体の内的及び外的環境条件によつてその消長を左右されることは,臨床家が日々の臨床に於て常に経験し感ずるところである。従来眼科学の領域に於ては,全身病と眼病との相互関係の重要性が強調されている。明治37年河本重次郞先生が"全身眼病論"を書かれて以来,この極の論文・著書は決して少なくない。Groenouwの大著の如きよく人の知るところである。然し之等の多くは個体の内的環境の変化と視器との関係から,視器に於ける病変の発見が,全身病の発見及びこの予後判定或は治療の上に迄重大な意義をもたらす点に特殊性を見出している。
 本文に述べんとするところは,この様な全身病と眼病との交渉に就ての事項に限られたものではない。かつて橋田邦彦先生は,生体の全機性論を提唱した。即ち生体の機能は生体を構成している各個の器官が主体となつて営まれる活動であるところの全的協調として現われるもので,個々の機能が個々独立なものとして現われることはない。各個の器官は常に協調して全一態活動の一部として活動しているものである。そして個体は絶えず外界(環境)に適応せしめ,外界を自己の環境として転換せしめつゝ,常に環境の中心として全としての生活を営みつゝ,個としての自己を維持するのであると説いている。

製鉄工場と眼

著者: 属將夫

ページ範囲:P.671 - P.687

 眼の傷害,疾病の発生は職業と密接な関係を有し,特殊な作業又は環境によつて差異のあることは論を俟たないところである。かゝる特定の事業場に奏ける眼の傷害,疾病の実態を正しく認識し,把握してこれらの予防並びに治療に当つて,適切な処置を講ずることは極めて重要なことゝ云わねばならない。
 製鉄工場と言うも,その成品,作業工程,作業環境等は各事業所により異つており,之を一律に論ずることは困難である。八幡製鉄所は本邦屈指の鉄鋼一貫メーカー工場であり,その主作業たる高炉,平炉,圧延の外に,副生産としてセメント,煉瓦工場及び硫安,ベンゾール,タール酸等の化学成品工場を有し,更に運輸関係の鉄道,船舶があり,従業員の職種も極めて広汎に亘る綜合産業工場であつて,製鉄工場としてのあらゆる面を代表し得ると云うも過言ではないと思われる。以下八幡製鉄所に於ける資料に基いて,眼の傷害,疾病,その他に就て統計的,文献的検討を試みてみたい。幸にこの小著によつて,製鉄工場という特殊事情場に於ける,眼障害の大略を御賢察願えれば著者の満足之に過ぐるものはない次第である。

急性春季カタルと花粉

著者: 小口昌美 ,   内木久郞

ページ範囲:P.688 - P.694

 所謂春季カタルは比較的稀な慢性の疾患とされ諸家の報告の如くに,その頻度は外来患者数の0.001%〜0.3%とされている。本病の原因及び本態に就ては種々の説があるが,未だに解決するに至つていない。その原因説の主なものは,迷走神経緊張説,体質的殊に内分泌に関係ありとするもの,及び結膜のアレルギー性炎症説である。此外結核殊に気管支の結核を重視するもの,或は物理的刺戟例えば光線,温熱に関係を求めんとするもの等枚挙に遑はないが,その何れも春季カタルの全般或は個々の症状を充分に説明し盡すものはない。併し乍ら上述の諸説のうち結膜のアレルギー性炎症説は最も多くの支持を得ている。且つその抗原に就ては花粉感作説が最も重視されている。
 飜つて文献の記載を見るに春季カタルの初発症状に就ては曖昧の点が多く,恰も始めより従来記載された結膜所見が発病し,且つそれが慢性に経過するが如き感じに打たれる。斯る初発症状の検索を忘却しているが如き点が本症の原因或は本態を不明とする原因の一つであろう。

結膜炎と体質

著者: 三井幸彦 ,   田中智惠 ,   山下喜一

ページ範囲:P.695 - P.698

 同じ病原体によつておこる結膜炎も,その個人の体質や境環によつて,症状や経過は千差万別である。その体質差は色々の角度から要約することが出来る。即ち人種差,年令差,性別差,個体差などである。
 或病気が人種によつて症状を異にする事は事実である。例えばトラコーマに就てみると,先天的にトラコーマに罹らない人種というものは知られていない。併し白人に於ける接種トラコーマは,異人に於けるものより重篤になり易く,又ユダヤ人がトラコーマに罹ると最も重篤な症状を呈するという。結膜上皮細胞に出現するProwazek封入体を見ると,メラニン色素を有する上皮細胞には決して封入体が出て来ない。こういう点から考えてみると,恐らく黒人より黄色人種,黄色人種より白色人種と,次第にトラコーマに対する親和性が強くなり,一度罹つた場合には重篤になり易い体質を持つている様である。地球上のトラコーマの分布は,一見これと矛盾している様に見えるが,それはトテコーマに対しては衞生環境の方がはるかに大きな影響を持つているからである。

基本情報

臨床眼科

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1308

印刷版ISSN 0370-5579

雑誌購入ページに移動

バックナンバー

icon up
あなたは医療従事者ですか?