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文献概要
研究の想い出
弟子の踏石
著者: 戸塚武彦12
所属機関: 1日本医科大学 2立正女子大学
ページ範囲:P.43 - P.48
文献購入ページに移動 生い立ち
私は上原六四郎の次男として神田淡路町に生れ小中学の大部分は本郷西片町で育つた。自分の話の前に少し父のことを語らして貰いたい。父は明治啓蒙時代の教育者として東京高等師範に教鞭をとつていたが,いくつかの後世に残る仕事をした。明治10年に風船を作つて始めて空に上つたのも父である。その一つは目本音楽の音響学を研究して「俗楽旋律考」という著書を出したこと,東京音響学校の前身の主事をつとめて西洋音楽を輸入し,そこでは死ぬまで音響学の講義もしていた。本業は高等師範に手工科という科を創設して,図画手工(工芸)の教育を導入したことなどである。
そんな家庭に育つた私は幼少の頃体が弱く「この子は育つでしようか」などといわれていたが,1年の半分近く病床にいて,手当たり次第に大人の本まで読んだりしていたので学校に行つても知つていることばかり教わるということになり,勉強などしたことがなく,それが習い性となつて今に続いているのである。もちろんある意味の凝り性でもあるので興味を覚えれば人一倍それに取りつかれるので,そんな場合は他目には大勉強家に見えることもあつたようだが,本質的には努力家ではない。何よりも悪いことは一般に凝り性の人がそうであるようにその興味は長続きしない。その結果種々のことを一通りはマスターすることになる。常にディレタントであり,つまらぬ物知りである。
私は上原六四郎の次男として神田淡路町に生れ小中学の大部分は本郷西片町で育つた。自分の話の前に少し父のことを語らして貰いたい。父は明治啓蒙時代の教育者として東京高等師範に教鞭をとつていたが,いくつかの後世に残る仕事をした。明治10年に風船を作つて始めて空に上つたのも父である。その一つは目本音楽の音響学を研究して「俗楽旋律考」という著書を出したこと,東京音響学校の前身の主事をつとめて西洋音楽を輸入し,そこでは死ぬまで音響学の講義もしていた。本業は高等師範に手工科という科を創設して,図画手工(工芸)の教育を導入したことなどである。
そんな家庭に育つた私は幼少の頃体が弱く「この子は育つでしようか」などといわれていたが,1年の半分近く病床にいて,手当たり次第に大人の本まで読んだりしていたので学校に行つても知つていることばかり教わるということになり,勉強などしたことがなく,それが習い性となつて今に続いているのである。もちろんある意味の凝り性でもあるので興味を覚えれば人一倍それに取りつかれるので,そんな場合は他目には大勉強家に見えることもあつたようだが,本質的には努力家ではない。何よりも悪いことは一般に凝り性の人がそうであるようにその興味は長続きしない。その結果種々のことを一通りはマスターすることになる。常にディレタントであり,つまらぬ物知りである。
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