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雑誌目次

雑誌文献

生体の科学21巻4号

1970年08月発行

雑誌目次

特集 代謝と機能

著者: 中尾真

ページ範囲:P.153 - P.154

 1969年,吉川春寿先生は定年によつて東大医学部教授を退官され名誉教授となられ,栄養女子大学に移られました。
 昭和8年東大医学部ご卒業,医学部生化学教室で故柿内教授に師事された後,公衆衛生院を経て東大医学部生化学の助教授として赴任されたのは戦争中の一番苦しい時期でありました。カーキー色の長いガウンをひきづる様に髪はぼさぼさのまま長身を持てあます様な格好で教壇にたたれた第1回の講義をよくおぼえております。

吉川春壽教授略歴

ページ範囲:P.155 - P.155

1909年1月25日 神奈川県生
1931年3月 東京大学医学部卒
1938年12月 国立公衆衛生院助教授(生化学)
1939年4月 医博
1945年1月 東京大学医学部助教授(生化学)
1952年11月 東京大学医学部教授(初代栄養学教室主任)
1965年4月—1967年5月 東京大学医学部長
1969年3月 東京大学医学部定年退職
現在 東京大学医学部名誉教授 女子栄養大学教授(生化学)

生体内ブローム

著者: 柳沢勇

ページ範囲:P.156 - P.162

 ハロゲン類の中で,クロール,ヨードについては,その生理学的意義が明らかになつているが,ブロームに関してはまつたく不明であつた。しかしながら,生体,ことに人体にあつては,ブロームは生理的成分であることは分つており,またブローム加里,ブロームナトリウムの服用によつて中枢神経に対して鎮静的に作用すること,その中毒量によつてはかえつて刺激的に作用することが経験的に知られている。しかし,その作用機構に致つてはまつたく不明である。不明ではあるが,中枢に対して何か密接なつながりをもつものであろうと考えるのは当然である。この実態を探ろうとして,1930年を中心として,主にドイツにおいて盛んに生体内ブロームの研究が行なわれた時代があつた。しかし,当時の分析法の不備,その他の事情から1935年頃をもつて途絶してしまつた。その後1950年頃から放射性ブロームを用いた実験など,二,三の報告があつて現在に至つている。
 最近になつて著者らは中枢神経から有機ブローム化合物を分離同定し,この物質が中枢神経に作用するものであることを明らかにした。このことは今まで不明であつたブロームの作用機序,ブローム代謝の研究に端緒を与えるものと考え,ここに昔からの生体内ブローム研究の足あとをたどつてみたいと思う。

脳リン脂質の高度不飽和脂肪酸(polyunsaturated fatty acids)について

著者: 宮本侃治

ページ範囲:P.163 - P.168

 吉川先生というと現在の三号館にあるきれいな栄養学教室より一号館の生化学教室の地下にあつた穴倉のような栄養学教室がまず頭に浮ぶ。その穴倉がだんだんきれいになつていつた時代の教室の主なテーマの一つがP32を用いた「リン酸代謝」であつた。
 私は1953年から先生の教えをうけるようになつた。当時の教室のテーマは1951年McElroy, Bentley Glassの編集した"Phosphorus Metabolism"の影響もあつたのかもしれないが,私もまず赤血球のヌクレオチドを,以後何らかの形でPがついた化合物が自然と側にあるような状態で過しているうちに先生が停年退職されることになつて感慨一入のものがある。現在は当時先生に止められた脳にはまり込んでいるが,いまだにリンのついた化合物からぬけきれないことで帳消にしていただくことにして,グリセロリン脂質に含まれている高度不飽和脂肪酸,特に脳で多いC22:6(docosahexaenoic acid)を中心にその周辺のことをまとめ,吉川先生に捧げる。

ヘモグロビンの円偏光二色性

著者: 杉田良樹

ページ範囲:P.169 - P.175

 ヘモグロビンはよく知られているようにその生理的機能である酸素との解離結合において平衡曲線はS字状を示す。これはヘモグロビン1分子は2本ずつのα鎖とβ鎖よりなる4量体で,その4個のヘムに酸素が結合するとき,タンパク部分の高次構造の変化を通して現われるヘム間相互作用に基づくものとされ,このためヘモグロビンはアロステリックタンパク質の典型的なものとされている。このような機能特性のもととなるタンパク質の高次構造は,種々の化学的および物理化学的な方法で研究されているが,われわれはヘモグロビンの円偏光二色性の測定により,グロビン部分の高次構造およびそのヘムへの反映について研究中であり,この方法は酸素平衡という機能をタンパク構造から説明するのに重要な知見を与え,理論的解析を行ないうる可能性を持つているのでこれについて述べる。

カタラーゼの構造と機能

著者: 阿南功一 ,   平賀正純 ,   阿部喜代司

ページ範囲:P.176 - P.187

 今日では多くの酵素が結晶化されているが,結晶化のさきがけはウレアーゼとともにカタラーゼもその一つであつた(Summer1),1937)。カタラーゼの反応がH2O2→1/2O2という比較的簡単な反応であるため,その反応様式の研究も旧くから行なわれ,すでに1936年Stern2)はカタラーゼがその基質であるH2O2と結合して酵素・基質複合物(enzyme-substrate complex compound),(略してES複合物)をつくるらしいことを反応の際の色調の変化の分光学的研究によつて示唆した。その後もTheorellほか数多くの研究がカタラーゼ反応のメカニズムに関してなされた。特にChanceらはrapid mixing装置やstop-flow装置を駆使してカタラーゼ反応におけるESにはESⅠ3),ESⅡ4)およびESⅢ5)6)があること,そしてこれらESの生成および相互間の転換の反応速度定数を求めた。George7)は1電子還元剤を用いることにより,カタラーゼにおいてもペルオキシダーゼの場合と同様にESⅠ+e→ESⅡ+e→Eなる反応を起こしうること,すなわちESⅠは2当量の,ESⅡは1当量の酸化力をもつことを示した。George7)およびChance8)は次の反応様式を提唱した。

呼吸酵素の研究

著者: 堀江滋夫

ページ範囲:P.188 - P.197

 太平洋戦争が敗戦に終つて間もない1948年の秋に,医学部2年の学生であつた私は,生化学教室で臨時の手伝いを募集するという掲示が学部の掲示板に出ているのをみた。学外のアルバイトとちがつて講義を聴くのに差支えが少ないと考えたので早速に児玉教授に希望を申し出たところ,運よく採用されて吉川春寿助教授の研究室に配属された。この思いがけない出来事が,私がその後ずつと生化学の分野で働くようになつたきつかけであり,また吉川先生やその門下生の方々と親しくなる端緒でもあつた。私に与えられた仕事は吉川先生のお仕事の直接の手伝いではなかつたが,約3年半同じ研究室かあるいは近くの研究室で先生の学風に接し,また読書会などにも傍聴者として出席させていただいた。D.E.GreenやV.R.Potterなどの論文をH.A.Lardyが編集したRespiratory Enzymesの輪読も傍聴したが,当時の私にはほとんど理解できなかつた。しかしそれでも何かの反応の議論のとき,酸化剤として酸化還元電位の高いフェリシアンカリを使うのがよいことを指摘された吉川先生の声が,不思議とつい昨日のことのように耳の底に残つている。
 1952年にインターンを終えてから,私は児玉先生から生化学教室入室のお許しを得たが,その年に児玉先生は停年退職され,吉川先生も間もなく栄養学教室に移つて初代の教授となられた。

卵リンタンパク質とそのリン酸代謝

著者: 真野嘉長

ページ範囲:P.198 - P.226

 Ⅰ.はしがき:本研究の生い立ち
 私と吉川先生との出合いは学生のころの講義であつたから,かれこれもう25年ちかくも前のことになる。先生は当時公衆衛生院から助教授として着任早々の新進気鋭で,何事もあけすけの気取らない講義ぶりにはなんらかの親しみを覚えた。元来暗記物と心得ていた化学は私の大嫌いな学科で,入学試験での化学はこれでもよくパスしたと思われるほどの惨憺たる成果であつた。その私が先生の講義を通して生化学こそ今後の生物科学の中心であり,主流たるべきを啓発されたのである。入学後なお雪辱の意味もあつて神田の古本屋で漁つた一冊の有機化学の本を手始めに入つたこの道が結局,一生を左右してしまつたのだから洗脳の程度も大したものであつた。生化学に入れ上げるようになると本来凝り性の私はもう医学の他のあらゆる分野の勉強は試験通過のための低空飛行術ときめこみ,卒業までの4年間は非合法的な自主カリキュラムに従つて,生化学の勉強だけしかしなかつたものである。こうして生化学に入れ上げはじめた1学年の後半から読みかじつた本をたよりにしきりと先生の研究室に出入りして小生意気な質問を発しては先生を困らせていた。当時私は大学の先生とはめつぽう偉くて,あらゆることに通暁しているものと思つていた。今その立場に自分が立つてみると誠に汗顔の至りである。

ミオシンATPaseの研究

著者: 関根隆光

ページ範囲:P.227 - P.234

 大学における研究と教育の在り方が,改めて問い直されつつある現在,特にわれわれにとつては医学研究の全体の中で基礎医学の一分野である生化学,ないし医化学をどう位置づけるかは,今後の日本の医学の進路を決定する主な因子の一つと考えられるほどに重要な課題である。
 このたび研究の第一線を退かれる吉川春寿先生に捧げる記念論文の筆を執り始めたときに,先生の御業績あるいけわれわれ弟子達に与えた影響を考えると,その一番大きなものは上述の本質的な課題に先生が身を挺して取り組まれたこと—その気慨と航跡にあるような気がする。

細胞膜におけるATPの役割と膜ATPase

著者: 中尾真 ,   中尾順子

ページ範囲:P.235 - P.247

 Ⅰ.発端
 栄養学教室が創設されて数年の頃,吉川教室では仕事のかなりの部分として赤血球のリン酸化がとりあげられていた1)2)。丁度その頃保存血の需要が急激に増加しており,私どもは保存血の保存期間を延長する試みの第一歩として血液の4℃における老化の過程を追いかける事になつた。教室の全員は多かれ少なかれ何かの測定項目をうけもつて赤血球の老化の時間変化を同じ材料について行なつたのである3)
 幸いにして8週間までの老化の過程から4),細胞内のATPの分解の経過をまとめることができた4)5)(第1図)。この図式を完全に証明するのは定量的な関係を明らかにする必要があり難事である。しかし要するに作業仮説は研究のつぎのステップの踏み台として役立てばよいし,それによつて予見された事実が実現されればよいし,それが生産に直結して無数の生産過程によつて検証されればよいのである。この図式に従つてもし細胞内のATPを増加させることができればもつともよろしい。周知のように細胞膜はリン酸エステルを通過しにくく,特にピロリン酸化合物はほとんど通過させない。このことが細胞内のヌクレオチドの生理的役割を追求する妨げになつているわけである。

フィブロインの生合成

著者: 三浦義彰 ,   須永清

ページ範囲:P.248 - P.255

 わが国のフィブロインの生合成の研究といえば,東北大の志村研究室,東大の丸尾研究室,蚕糸研の重松研究室の業績が有名である。
 いずれも農学系の研究室で,蚕の研究を行なう必然性があるが,私たちの研究室は医学部に属し,その必然性は一見ないようにみえる。私たちの研究室で蚕の研究をはじめたのは伊東広雄博士のご協力によるもので,これなくしては研究も始まらなければまた続きもしなかつたろう。

酵素反応速度論の利用

著者: 橋本隆

ページ範囲:P.256 - P.260

 どの生化学の教科書も,程度の差こそあれ酵素の定常状態での反応速度論を扱つている。酵素反応速度論は酵素学にとつて欠くことのできない方法論の一つである。今まで酵素反応速度論的解析は,比較的扱いにくい型式で紹介されてきたが,最近では新しい型式にまとめられ1)利用されやすくなつた。ところが,酵素反応機構を解明するために反応速度論を利用するということについてはいろいろ議論がかわされてきている。すなわち反応速度論は有用な方法論であるが,その有用性の程度の判定が研究者のなかでまちまちであるためである。ここでは,日本で反応速度論が今までどの程度利用されてきたか,また現在の立場からみてどの程度正確に使用されてきたかを調べ,反応速度論利用に関する考察の一助としたいと考えている。

鉄のヘムへの酵素的組み入れ—ヘム生合成の最終段階についての考察

著者: 米山良昌 ,   竹下正純 ,   杉田良樹

ページ範囲:P.261 - P.270

 生体内には種々のヘム化合物がヘム蛋白質として存在している。チトクロームと呼ばれる呼吸酵素の一群はそうであり,その他ペルオキシダーゼ,カタラーゼなどの酸化還元酵素もこのなかに含まれる。さらに主として高等動物に見出されるヘモグロビン,ミオグロビンという酸素の運搬,貯蔵にあたる蛋白質もそうである。これらのヘム蛋白質の補欠分子族のヘムには鉄がふくまれており,これらの化合物の機能の発現に重要な役割を演じている。
 さてこの小論ではヘムの中への鉄の組み入れについて記すわけてあるが,よく研究されているのはプロトヘムに関してのみである。すなわち次の反応
 プロトポルフィリン+Fe++→プロトヘム
を触媒する酵素,Iron-chelating enzyme,ferrcchelatase,protoheme ferro-lyase〔EC 4.99.1.1〕,ヘム合成酵素による反応を述べることになる。ヘムa,ヘムcなどはそのポルフィリン部分の生合成経路が確立していないので,これらのヘムへの鉄の組み入れについては,ほとんど知られていない。なお1964年までは吉川,米山1)が述べているので,それ以後の発展,特に私たちが最近くわしく検討しているこの反応に対する脂質の関与について記すことにしよう。

ピリミジン塩基生合成の調節をめぐつて

著者: 橘正道

ページ範囲:P.271 - P.281

 高等動物のそれぞれの組織あるいは細胞の間には機能面での依存関係があるが,栄養的にも依存しあう面が多い。この物質的な連絡がお互いの機能をどのように,またどの程度に規制しているかということに長く興味を持ち続けてきた。元来はこのような興味に出発して造血組織の核酸前駆体獲得の機構の研究に入り,ここからピリミジン合成の調節機構へと進んできた。これが当面の私どもの研究テーマであるが,ここから出発して少しずつ道をひらいていつかは再び最初の問題に立戻つてみたいと考えている。この小文はピリミジン生合成の調節についての研究の経過と現況を高等動物のみならずひろく一般生物界にわたつて眺め,比較生化学に近い立場からその一断面をまとめてみたものである。ピリミジンについての限られた研究のまとめではあるが,この考察を通じて将来の代謝調節研究一般に関する問題を考えてみたいというのが意図の一つである。
 ピリミジンのde novo合成はほぼ全生物を通じオロト酸径路により行なわれる(第1図)。ここでの最初の中間体がカルバミルリン酸NH2CO〜P(C-P)***である。C-Pについて注目したいことはこのものがアスパラギン酸との反応でカルバミルアスパラギン酸をつくり,これからピリミジンが導かれる一方,オルニチンとの反応でシトルリンをつくりこれからはアルギニン,ついで生物によつては尿素が導かれるという関係である。

赤血球の解糖

著者: 水上茂樹

ページ範囲:P.282 - P.288

 東大栄養学教室において吉川教授指導のもとにおける赤血球の研究は,たぶん昭和29年の秋から始まり1),ほぼ15年になり,教室にいた人々は程度の差はあれ,赤血球と縁があるといつても過言ではなさそうである。しかも教室を離れても多くの人はなんらかの形でその研究を発展させていることは,米山氏のヘム合成の研究や中尾氏の保存血から膜ATPアーゼへの発展はその例であろうし,橘氏のピリミジン合成系の研究も造血臓器である脾臓から出発したことからもうかがえる。
 私が研究を始めたのが丁度,昭和29年であるにもかかわらず,吉川教授の戦前の主要な研究であるチトクロームの問題にひかれていたので,呼吸をしない赤血球には"不満"を感じて,どちらかというとそつぽを向いていた。しかし,研究開始のころの周囲の熱気に影響を受けたのか,長いlagの後に赤血球の解糖の問題に取り組むようになり,遠く九州に離れて今でもこの問題を続けることになつてしまつた。もちろん15年のあいだに研究方法は変つてきてはいるが,解糖の中間産物の変化を追うという意味では,初期の目的および方法論をそのまま追求していることになる。

低血糖症の成因と発現機序について—リボースによる低血糖を中心にして

著者: 石渡和男

ページ範囲:P.289 - P.300

 筆者は昭和26年から東大医学部生化学教室第二研究室で,吉川先生のもとで精子の代謝の研究グループの一員として,昭和28年から31年春までは栄養学教室員として精子の運動と解糖系,焦性ブドウ酸の代謝,呼吸系,リン酸代謝などとの関連を研究した。その後内科に移り,約10年間,主として糖尿病の臨床に従事してきたが,昭和41年,たまたまカナダのトロント大学生理学教室に留学する機会をえて,リボースによる低血糖について少しばかり研究をする機会をえた。臨床家になりきつて,再び基礎的な研究を行なうなどとは思つてもみなかつたのに,運命とは不思議なものである。しかも,精子にいろいろな糖を食べさせてみたりしたのと同じことを,再び10年以上たつて,犬に繰り返すようになつたのには感慨無量であつた。考えてみれば働き場所はいろいろと変つたが,いつも糖の代謝と結びついた仕事をしてきたことになる。リボースは精子の嫌気的乳酸発生を促進せず,呼吸にも何の影響も示さなかつたが,どうしたことか運動を阻害した1)。このことは機会をえてもう一度確かめてみたいと思つているが,精子の運動阻害と低血糖作用が結びつく可能性をトロントで夢みたこともある。
 吉川先生のもとで自由な雰囲気で研究させて頂いた生化学教室,栄養学教室時代を回顧し,この小文を先生に捧げる。

糖質栄養の問題

著者: 細谷憲政

ページ範囲:P.301 - P.305

 在来の栄養学は個人を対象とし,一方摂取する食品の構成に重点が置かれていた。食品の構成素である糖質,脂質,蛋白質の代謝は,一般生化学の急速な進歩にともない,細胞内での代謝過程は十分に解明されmetabolic mapが画かれている。しかしながらmetabolic mapは細胞内における代謝路線の地図であつて,こねを持つて構造的にも複雑な人体の生理現象を直接的に説明しようとすることは危険なことであろう。
 細胞のより集つてできる組織は組織それ自身の固有な化学的組成と機能とを持つており,組織はさらに臓器を形成して生体における生理現象の一部を分担している。臓器の機能は臓器それ自身の代謝活性に依存するが,ある臓器と他の臓器との相互の代謝の様相は神経やホルモンの作用によつて調節され,生体が環境に順応するよう合目的に働いている。

血清化学検査の正常値をめぐる諸問題

著者: 北村元仕

ページ範囲:P.306 - P.314

 Ⅰ.臨床化学技術の信頼性
 「臨床検査室の目的は正しい検査成績を提供するにある。」このごく当り前な命題を筆者が真剣に考えるようになつたのは,検査部門の充実を病院開設の一路線とした現在の施設に移つてからのことである。当時すでに,現実の検査データ,とくに臨床化学分析の成績には大きなバラツキのあることが実態調査の結果によつて明らかにされていた1)-3)けれども,もし臨床医の信頼に足るデータが出せないとすれば,それは検査技師の訓練不足のためであり,指導によつて解決できる1)のが当然であると考えていた。
 その技術の訓練に,もつとも効果的だと思われたのは,1950年Levey-Jennings4)によつてはじめて検査室に導入された統計学的品質管理法である。この方法は,凍結保存した同一プール血清を2本,毎日の検査にそう入して,患者検体とまつたく同様に処理し,2本の差(R)と平均値(x)を追跡してその日のバラツキと日差変動を監視するx-R管理図法5)を中心とするものである。

臨床化学検査のその後の展開

著者: 斎藤正行

ページ範囲:P.315 - P.335

 現在,臨床検査は日常診療に必須のものとされているが,特に化学部門の医療への貢献は非常に大きい。もちろん戦前にも化学検査はあり幾つかの指導書があつた。たとえば藤井暢三先生の生化学実験法(定性・定量篇の2冊よりなる)は立派な内容で大変勉強になつたが日常診療の片手間に参考にするには難解すぎ,何となく高級という感じだつた。その点戦後いち早く,確か22年の暮にデビューした吉川春寿先生の臨床医化学実験篇は,俳人の作品にふさわくし親しみやすい文章で臨床家に新しい化学検査の魅力を与えた。戦後の臨床化学はこれを契機として発展したといえよう。この本はその後何度か改訂され今日でも店頭で入手できるが最後の改訂からすでに10年近く経過している関係で今日の臨床化学分析の内容といささかギャップがあるように感ぜられる。もちろん弟子のわれわれがこれを改訂しなければならないのであるが,成書の内容もいわゆる古典的標準法で新しく臨床化学分析を学ぶときに現在でも大切な指針であり,さらに愚弟子たちの拙文で改悪になるのを恐れる。そういう意味で今回のようなチャンスにこの名著にその後の発展を補足させて頂き,弟子としての義務をいささかでも果たさして頂きたいと思う。

基本情報

生体の科学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1883-5503

印刷版ISSN 0370-9531

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