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研究の想い出
研究生活の想い出
著者: 木村廉123
所属機関: 1日本学士院 2京都大学 3名古屋市立大学
ページ範囲:P.295 - P.301
文献購入ページに移動私は明治26年7月17日,それは丁度あの有名な祇園祭の日にあたるのだが,洛東は黒谷の辺りで医師にして詩人でもあつた得善(号擇堂)の次男として生まれた。錦林小学校,第一高等小学校,府立第一中学校,第三高等学校,京都帝国大学医学部をへて,これを卒業したのが大正8年である。父祖3代が医家であつたために,私もただ何となく医者となるつもりだつたが,臨床家となるまえにまず基礎医学をある程度身につけておきたいとの希望から,医化学教室に籍をおくことにした。それがやがて一生を基礎医学者として過ごすこととなつてしまつたのである。
当時の京大医学部の医化学教室は,かの有名な荒木寅三郎先生が総長になられて,洋行帰りの新進気鋭の前田鼎先生が主宰されていた。まず1年間を物理化学や合成化学の実習に費したのちに,さらに半年あまりを理学部の大幸勇吉先生の下で物理化学の研究を続けている時に,松下禎二先生の退官後空席だつた微生物学の担任に病理学の助教授で生体染色の研究で有名だつた清野謙次先生が就任された機会に,請われて思いもよらず同教室の助教授ということになつた。時に大正11年2月のことである。大正15年1月から2カ年の在外研究を終つて帰国した昭和3年3月には教授に任ぜられ,昭和31年7月に定年で退官するまで微生物学教室に終始したものである。
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