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雑誌目次

雑誌文献

生体の科学24巻2号

1973年04月発行

雑誌目次

巻頭言

生体の組織について—吉田富三先生のことなど

著者: 飯島宗一

ページ範囲:P.57 - P.57

 吉田富三先生の生涯最後の学問的作業の一つが「細胞病理学雑記帖」であることに私はいろいろの感慨をおぼえる。むろん吉田先生の主要な業績は癌研究の領域にあつたが,その全過程に病理総論的視野が一貫していたと思われ,そこに吉田腫瘍学の魅力がつねに感じられた。また私などは吉田先生の長崎時代の腫瘍以外の病理学的論文に啓発されるところが少なくない。「雑記帖」第14回は「正常新生と病的新生」の章で,骨の形成とその異型的新生が扱われている。そのなかに「骨の発達は,単に骨組織の形成に止まるのではなく,化骨期を越えて変形過程がさらに進行し,骨髄の生成にまで到ることを前提としているのである」という文章があり,また「細胞学説にとつて最も重要なのは,個々の軟骨細胞がそれぞれに骨細胞に転生する事実である。骨から骨髄への転形成もあり,また骨髄から骨の逆の転形成もある。これらをみれば,組織の新生とは,組織の置換,転換,変形(化生),転形成などの現象の連続であることが知られる。」という一節もある。生体におけるこの種の現象はつまるところ細胞の分化と組織の形成にかかわるのであり,組織病理学の原点的課題の一つである。原点的課題の一つではあるが,ウイルヒョウ以来満足すべく解明されたことがない。吉田先生があらためてウイルヒョウまでたちかえる必要を感じ,それを一種の「遺言」に残されたのは,もちろん単なる医学史的趣味のレベルの問題ではないといわなければならない。

総説

薬物受容体

著者: 高柳一成

ページ範囲:P.58 - P.79

 受容体なる概念は化学療法剤学に側鎖説としてEhlich1)によつて導入され,またLangley2)は骨格筋において,nicotincとcurareの作用の研究で,それらの作用点をrcceptive substanceと呼んだことにはじまるといえよう。しかし,受容体なる概念を近代薬理学に導入し,今日の薬物受容体機構の基礎を築いたのはイギリスのA.J.Clark3,4)である。ところで,現代薬理学においては薬物の作用,生理現象の説明に広く薬物受容体を用いている。このうち,本稿においては薬物受容体に関係ある比較的最近の話題について紹介する。

味受容物質と受容器電位発生機構

著者: 栗原堅三 ,   加茂直樹 ,   三宅教尚 ,   小畠陽之助

ページ範囲:P.80 - P.93

 はじめに
 味覚受容は,つぎのような諸過程よりなる。まず味物質が舌に与えられると,味物質は味細胞膜表面に吸着し,これに伴つて味細胞に受容器電位が発生する。この受容器電位は,味細胞に接続している味神経の末端に伝えられ,味神経にインパルスを引き起こす。味神経のインパルスは,大脳の味覚領に伝えられ,われわれははじめて味を感ずる。以上の諸過程のうち,受容器電位が味神経の末端に伝達されるまでの過程を味覚受容の初期過程と呼ぶ。
 本稿で筆者らは,とくに味覚受容の初期過程を中心に,分子レベルでの受容機構を論じてみたい。味覚受容の初期過程に関する研究の現状は,同じ感覚生現学の分野である視覚の研究に比べると,とくに分子的機構の研究面で著しく立ら遅れている。たとえば,視覚の分野では早くから光受容物質が同定されたのに対し,味覚の分野では味物質に対する受容体の探索がようやくはじめられた段階である。それだけにまた逆に,味覚受容のメカニズムの研究には,近い将来新しい何かが生まれるかもしれないという夢があるともいえる。

研究の想い出

私の歩んだ道

著者: 瀬尾愛三郎

ページ範囲:P.94 - P.102

 小児科学より生理学へ
 私は80年近くなつたのでやや老齢である。大正11年3月九州大学医学部の業を卒え,同年4月同学小児科教室に副手として入れてもらつた。当時,この教室の主長は伊東祐彦先生。助教授は箕田貢先生。しかし,翌大正12年10月に同学生理学教室に転じたので,私の小児科教室の生活は1年半には達しなかつたことになる。ここに小児科教室と私の縁について少し述べることにしよう。
 私の生国は静岡県伊豆の国で,伊東先生の令室,箕田先生は同郷の関係で学生の頃からいろいろお世話になつた。伊東先生は山形県米沢のお生まれで,天成の小児科医。ある時,私は先生に尋ねたことがある。"先生が患者を診られるのを眺めると,先生は一瞥して病態を理解されるようにみうけられるが,その通りですか?"

学会印象記

第4回 国際神経化学会議 見聞記—ならびに「シナプスに関する日米シンポジウム」に参加して

著者: 内薗耕二

ページ範囲:P.103 - P.106

 昭和48年8月26日から31日までの6日間,東京の千代田区平河町都市センターホールで行なわれた第4回国際神経化学会議は,盛会裡に幕を閉じた。門外漢としてこの学会に自山に参加して感じたことは,日本における国際学会もいまや名実ともに大人の領域に達したということである。一昔前東京で行なわれた1960年代の各種国際学会をふりかえつてみると,感慨深いものがある。当時は国際学会が日本にとつては珍しく,学会当事者にとつてはもちろん,日本側の一般参加者にとつてもそれは大変なことであつた。学会の主催者にとつて国際学会が大変な負担であることは,いまも10年昔も変わつたことはないわけであるが,国際学会の受取り方が大変に進歩したということは筆者のいつわらざる感慨であつた。神経化学会議の行なわれた平河町一帯は日本の一つの中心といつてよく,いろいろな政府機関やホテルなどの多い地域である。都市センターもその一つであつて,1,000人近い内外の参加者がすつぽりとその中に吸収されてしまうと,付近はもう全くふだんと変わりのない日常性をとりもどしてしまい,多数の外国人の参加している学会とは思えないような雰囲気にかえつてしまつていた。

基本情報

生体の科学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1883-5503

印刷版ISSN 0370-9531

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