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雑誌目次

雑誌文献

生体の科学24巻4号

1973年08月発行

雑誌目次

巻頭言

研究の独創性

著者: 山田博

ページ範囲:P.157 - P.157

 日本における医学の研究は,昔から独創的なものが少ないといわれてきた。私は昭和11年に京都府立医大を卒業したが,そのころはいま以上に独創的なものが少なかつた。それは,指導者の多くが,外国の研究から得た知識や技術に多くを頼つていたからであつた。これに強い反発を感じた私は,逆に外国から見学にこさせるような独創的な研究をやつてみたいと,心に誓つた。そして,昭和13年9月に解剖学の講師になつたとき,私は材料力学の解剖学への導入を考えた。人体建築学である人体解剖学において,人体構成材料の強さも知らずに,その設計を理解できるはずはないと考えたからである。顕微鏡を最大の武器としてきた解剖学においては,まさにユニークなものであつた。こうして,私の生物強弱学の研究ははじまつた。
 研究は硬組織からはじまつて軟組織へ移り,昭和36年ごろには,からだ中の大部分の器官組織の強度がわかつてきた。ことに,各種器官組織の強度の年齢的変化の成績は,世界の誰もが二度と得難いような貴重なものとして,私の前に展開してきた。そこで,私は,これを一冊の本にして外国から出版し,広く世界中に知らせようと考えた。昭和38年に欧米に出張したとき,この方面に関心をもつ,とくに工学畑の人々が,私に出版を強く勧めた。そのころ,工学の分野では,生物,とくに人体を対象とする研究が,しだいに盛んになる傾向にあつたからである。

総説

神経分泌

著者: 石田絢子

ページ範囲:P.158 - P.174

 はじめに
 榎並1)によれば神経分泌の定義は,1953年ナポリにおいて開催された第1回国際神経分泌シンポジウムにおいてなされたのが最初であるという。当時の記録によると,ニューロンが光学顕微鏡で見得る程度に顕著な形態の変化を伴いつつ分泌活動を行なうこと,つまり分泌物質の存在が光学顕微鏡で確認され,分泌が行なわれたときはその消失が確認されるような状態と規定している。しかし神経分泌現象そのものについてはそれより先,1928年にScharrer2)により硬骨魚の一種において観察されており,彼はそのときすでにNeurosecretionという用語を用いていたという。その後Bargmann3)はGomoriのクローム明ばんヘマトキシリン法による神経分泌物の選択的染色法を導入して,分泌物の生産から放出に至る一連の現象の観察は可能となり,実験形態学的な研究は進展の緒についていた。したがつて当初は一般の神経終末からのアセチルコリンやアドレナリンなどの放出はこのカテゴリーからは除外されていた。しかしその後電子顕微鏡による研究が盛んに行なわれ,光学顕微鏡では認められなかつた形態が認められるようになり,さらに低いオーダーまで観察が進むことになると,一般の神経物質の分泌の場合,形態的に認められないがゆえに神経分泌のカテゴリーから除外されていた現象もそこに含められることになる。

松果腺の生理

著者: 森田之大

ページ範囲:P.175 - P.188

 はじめに
 松果腺の機能については,近年多くの新知見が報告されているが,動物の種類によつていちじるしい相異があることに気づく。また比較生理学的立場から松果腺の形態をみると二つの点に強く注意を惹かれる。第一は松果腺を特徴づける構成単位として,下等脊椎動物では光受容細胞があること,哺乳動物になると分泌細胞が主となることである。第二は松果腺と周囲の脳組織との神経連絡である。両生類,は虫類などでは松果体の光受容細胞とシナプスした神経節細胞は神経線維を後交連,あるいは手綱核へ送るが,哺乳動物では松果体柄を介する間脳近傍との神経連絡はなく,上頸神経節からの交感神経線維がNn.conariiを介して松果腺に分布している(Kappers29))。側眼網膜からの光環境についての情報が上頸神経節を介して松果腺に至るのである(Wurtman73))。これらの形態学的特徴は当然,松果腺の機能を理解するうえでの基盤となるわけであるが,本論文では比較生理学的観点から,下等脊椎動物では光受容を中心に,哺乳類では内分泌に焦点を合わせて松果腺の生理機能をまとめてみたい。
 名称について:「松果腺」(pineal gland)と「松果体」(pineal body)の使い方であるが,この器官の特徴の一つが後述のように系統発生的に機能の変遷があることであり,したがつて呼び方も動物によつて変わるのが自然で統一される必要はないかも知れない。

研究の想い出

研究の想い出二,三

著者: 平澤興

ページ範囲:P.189 - P.197

 Ⅰ.京大解剖学教室に入るまで
 私は明治33年(1900年)10月5日新潟から20キロばかりの農村に生れた。今は新潟の一部かと思われるくらい便利になつたが,昔は道がわるく,交通不便のまつたくの片田舎で,私の字には医師もなく,病気の時などはほんとうに困つたものである。そんなことで,医師になつて村人を助けようということは,父子ともにすでに小学校のときから決めていたことである。大きくなるにつれ,私自身は医師になる以上は,二,三代かかつてもこの故里をどこにも負けないユートピアにしてみたいなどと考えるようになつた。ところが高校,大学へ進み,次第に自己についての鋭い観察が進むにつれ,この乏しい人間に果たしてこうした夢の実現ができるか否かについて大きな疑問が起こり,これは大学の卒業が近づくにつれ,いよいよ大きくなつた。そこで最後的にはついに意を決して,好きでもあり,努力さえすれば何とかやれそうに思われる基礎医学の研究に生涯を捧げることとし,とくに解剖学を選ぶことになつた。この決定は,今から考えてもまことに私自身にもふさわしく無理のない決定であつたと思われる。
 私が四高をへて京都大学医学部へ入学したのは大正9年(1920)であるが,私はまずこの大学1年に大きな試練に出会つたのである。

学会印象記

生体系におけるダイナミックスと制御の国際シンポジウム

著者: 熊田衛

ページ範囲:P.199 - P.202

 はじめに
 International Symposium On Dynamics And Controls In Physiological Systemsは,1973年8月23日〜25日の3日間,オンタリオ湖をわたる涼風の心地よいロチェスター市(ニューヨーク州)ロチェスター大学で開かれた。この会は米国生理学会秋の大会と同時に開かれ,私はその両方に参加したので,そこで見聞したことをレポートしたい。
 この会は,Systems Committee of the International Federation of Autonomic Controlがつぎの二つの質問を提出し,これに対する1973年現在のStage of artsをまとめようといいだしたことにはじまる。これに対して,エンジニアのグループであるAmerican Autonomic Control Council of U. S. A. が会の組織を申し出,生理学者の集まりであるAmerican Physiological SocietyとInternational Union of Physiological Scienceに協力を頼んだ。その二つの質問とは,①生体系は生理学者にどのように理解されているか? 生体系のより深い理解をはばんでいるのは何か?
 ②エンジニアは生理学者の当面しているこれらの問題にどのような解決法を提供できるか?

第12回生物物理学会年会から

著者: 岩崎静子

ページ範囲:P.203 - P.206

 日本に生物物理学会が誕生したのは,1960年のことであつた。まことに多くの分野の人々が各々の望みをいだいてその発会の時に集まつたのである。私もその一人であつた。その多くの望みの故に"生物物理学とは","生物物理学会とは"という根本の問題について,多くのそして激しい議論をしながら各々の内にある"生命現象の基本的理解"をこの学会の目的にしようという結論に達したのであつた。いま,1973年になつて,生物物理学会第12回年会に出席してみて,この目的に向かつていくつかの分野の人達がともに歩いているという実感をもつことができたのは非常にうれしいことであつた。いくつかの学会発表には生理学サイドにある私の心を躍らせるようなものがあつたからであろう。何年か前には,同じような材料を使い同じtechnical termを使いながらどうにも通じ合わぬものが同じ会場の中にあつて苛立たしいものを感じさせられたものであつた。もちろん現在でもこういう場合に遭遇する場合がないわけではないが,ともかく,同じテーブルに坐つて同じ問題について考え討論することができそうな気がしてきたと思える。それが今回私にとつて一番の収穫であつたといえよう。
 第12回生物物理学会年会は東京大学理学部物理学教室,和田昭允研究室においてorganizeされ,東京国立教育会館で昭和48年10月5,6.7日の3日間にわたつて開催された。

基本情報

生体の科学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1883-5503

印刷版ISSN 0370-9531

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