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研究の想い出
研究の想い出二,三
著者: 平澤興1
所属機関: 1京都大学
ページ範囲:P.189 - P.197
文献購入ページに移動 Ⅰ.京大解剖学教室に入るまで
私は明治33年(1900年)10月5日新潟から20キロばかりの農村に生れた。今は新潟の一部かと思われるくらい便利になつたが,昔は道がわるく,交通不便のまつたくの片田舎で,私の字には医師もなく,病気の時などはほんとうに困つたものである。そんなことで,医師になつて村人を助けようということは,父子ともにすでに小学校のときから決めていたことである。大きくなるにつれ,私自身は医師になる以上は,二,三代かかつてもこの故里をどこにも負けないユートピアにしてみたいなどと考えるようになつた。ところが高校,大学へ進み,次第に自己についての鋭い観察が進むにつれ,この乏しい人間に果たしてこうした夢の実現ができるか否かについて大きな疑問が起こり,これは大学の卒業が近づくにつれ,いよいよ大きくなつた。そこで最後的にはついに意を決して,好きでもあり,努力さえすれば何とかやれそうに思われる基礎医学の研究に生涯を捧げることとし,とくに解剖学を選ぶことになつた。この決定は,今から考えてもまことに私自身にもふさわしく無理のない決定であつたと思われる。
私が四高をへて京都大学医学部へ入学したのは大正9年(1920)であるが,私はまずこの大学1年に大きな試練に出会つたのである。
私は明治33年(1900年)10月5日新潟から20キロばかりの農村に生れた。今は新潟の一部かと思われるくらい便利になつたが,昔は道がわるく,交通不便のまつたくの片田舎で,私の字には医師もなく,病気の時などはほんとうに困つたものである。そんなことで,医師になつて村人を助けようということは,父子ともにすでに小学校のときから決めていたことである。大きくなるにつれ,私自身は医師になる以上は,二,三代かかつてもこの故里をどこにも負けないユートピアにしてみたいなどと考えるようになつた。ところが高校,大学へ進み,次第に自己についての鋭い観察が進むにつれ,この乏しい人間に果たしてこうした夢の実現ができるか否かについて大きな疑問が起こり,これは大学の卒業が近づくにつれ,いよいよ大きくなつた。そこで最後的にはついに意を決して,好きでもあり,努力さえすれば何とかやれそうに思われる基礎医学の研究に生涯を捧げることとし,とくに解剖学を選ぶことになつた。この決定は,今から考えてもまことに私自身にもふさわしく無理のない決定であつたと思われる。
私が四高をへて京都大学医学部へ入学したのは大正9年(1920)であるが,私はまずこの大学1年に大きな試練に出会つたのである。
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