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雑誌目次

雑誌文献

生体の科学27巻1号

1976年02月発行

雑誌目次

特集 光受容 総説

進化からみた光受容

著者: 吉田正夫

ページ範囲:P.1 - P.10

 脊椎動物の光受容器は,その光学系や網膜の神経要素はもちろん,視細胞の構成に関してまで,細部の点では種類により多少の差異はあるものの,基本的にはいわば同一構想の設計図に基づいて組み上げられた構造物といつてよい。しかしながら,動物界の大部分を占める無脊椎動物では,器官としての集光機構,受容細胞の配列様式,情報の伝達方式のみならず,受容細胞における受容部位と考えられる表層の微細構造についてもまことに驚くべき多様性がみられる1〜6)。呼吸系にせよ神経系にせよ,動物の諸器官について比較形態学的に考察する場合,それらの動物の系統発生的位置づけが主要な因子となることが多いが,そのような画一的なアプローチは光受容器の示す多様性の前には通用しない。むしろ,おのおのの動物が現在もつている末端感覚器である光受容器の形態は,それぞれの動物の生活様式やそれを取り巻く環境に適するようそれぞれに合目的的に作り上げられた(evolve)ものらしいのである。したがつて,"evolution"(進化)をその本来的意味からとらえ,環境の光条件からもたらされる諸情報,すなわち対象のもつ時間的,形態的,あるいは振動数や振動方向に関する諸情報を,光受容器がどのような形態をとることにより,どれだけ多くかつ正確にとらえることができるようになつてゆくかということを指標として考えるならば,"進化"という名の下にある程度の系統だても可能となる。

光受容膜における視物質

著者: 吉沢透 ,   河村悟

ページ範囲:P.11 - P.23

 はじめに
 視覚の研究のうちで,もつとも興味深い問題の一つは,光信号がどのようにして神経系の電気的信号に変換されるかである。光の信号を受容するのは視物質であるから,視覚の初期過程を理解するには,視物質がどのようなもので,光を受容するとどう変化するかを明らかにすることが必要である。従来,視物質の研究は,可溶化された試料を用いて行なわれ,数々の事実が明らかにされてきた。しかし,視興奮のメカニズムを解明するには,視物質を膜系の機能蛋白質としてとらえなければならない。つまり,膜の興奮に膜蛋白質がどのような役割を演じているかを明らかにしなければならない。もともと視物質には,発色団というintrinsicなprobeがあるので,その蛋白質部分を容易に調べることができる。したがつて,視物質を含む膜は,興奮性と膜蛋白質との関係を調べるのに非常に好都合な系であるといえる。以下では視物質と視物質をとりまく膜系について,最近得られた結果を中心に概説したい。なお,不備な点については他の成書・総説を参照されたい1〜7)

脊椎動物の光受容細胞

著者: 山田英智

ページ範囲:P.24 - P.40

 脊椎動物の光受容器としての網膜の微細構造については,本紙をも含めていくつかの雑誌に総説を書いたことがあるので1〜3),この小文では少し見方を変え,光受容細胞の形態を,比較組織学的に述べてみることにする。
 よく知られているように,脊椎動物の光受容細胞には2種類,すなわち錐(状)体視細胞cone visual cellと杆(状)体視細胞rod visual cellとが区別されている。この区別は全く形態学的な知見に基づいたものであることはいうまでもないが,多数の動物種の網膜の構造を精査したMax Schultzeは,すでに100年以上前にこの両者の機能的分担を推測し,錐体視細胞が白昼視に,杆体視細胞が薄明視に関与するものと考えたのである。視細胞の形態学を光学顕微鏡を用いて脊椎動物の全般を通じて詳しく観察したWalls4)は,視細胞の分化を系統解剖学的に考察して多くの新しい考え方を提唱した。彼はまた,coneまたはrodという名称で統一することの矛盾を感じ,photocyteとscotocyteという名前を考えている。

光受容の生理学—とくに視細胞電位について

著者: 村上元彦

ページ範囲:P.41 - P.51

 Brownら1)により温血動物のERGの中から視細胞電位が分離され,ついでMurakami & Kaneko2)により,冷血動物のPⅢが視細胞層から発生するdistal PⅢと,それよりも中枢側で発生するproximal PⅢとに分離されたのは,かれこれ10年ほども前のことになる。distal PⅢは,もちろん多くの視細胞の電気活動を細胞外で記録したmass responseである。それまで脊椎動物の視細胞も,無脊椎動物の大多数の光受容細胞と同様に,光によつて外節部が脱分極するものと漠然と考えられていた。もしそうならば視細胞電位の細胞外誘導記録の極性は外節末端側が負となるはずであるのに,事実はこれと全く逆で,distal PⅢの極性は外節末端側が正であつた。これは脊椎動物なら冷血でも温血でも同じである。この極性の矛盾を説明しようとしてずいぶん奇妙な仮説が提出されたりしたが,根本的理解を得るには,ぜひとも細胞内誘導をしてみて,光によつて果たして脱分極するものか,あるいは過分極するのかを直接観察する必要があつた。この試みは多くの研究者によつて相続いで行なわれ,実験された動物では例外なく,視細胞は光によつて過分極することがわかつた。それ以後の視細胞の機能に関する研究はめざましく発展し,視細胞電位発生のイオン機構,明暗順応機構,色覚機構等々の知識は急速に集積されつつある。これから最近の研究の成果を追つてみる。

座談会

基礎医学教育の新しい方向

著者: 飯島宗一 ,   佐野豊 ,   伊藤正男

ページ範囲:P.52 - P.65

 伊藤(司会) 近年基礎医学教育が大きな変化の波にさらされ混迷しているように思います。その理由はいくつかあると思いますが,一つには,医学に対する社会的な要請が,以前とは比較にならないほど強くなつており,同時にまた,日本における高等教育全般が非常に一般化してきたことが重要に思われます。そのため医科大学が多数創設され,医学生の数が急激に増加しております。しかし,それに伴う教官数の増加,大学の設備の充実ということが伴わないために,必然的に教育の質が低下してきているのではないかとのおそれがあります。
 第2の理由として基礎医学の各分野における最近の発展が非常に激しいことをあげることができます。次々と新しい知識を吸収し,それをよく整理して学生に教育するということは,簡単なことではありません。さりとて生の新しい情報をどんどん学生にぶつけますと,学生のほうが消化不良を起こしてしまいます。いわゆる情報時代の一つの性格がここに出てきております。

解説

神経線維の興奮と複屈折性変化

著者: 渡辺昭 ,   寺川進

ページ範囲:P.66 - P.78

 はじめに
 神経線維の興奮性膜は,厚さが100Åしかないので,電子顕微鏡でみても,興奮性の機構の手がかりとなるような構造41)を発見することは容易ではない。化学分析のために十分な量の膜物質を集めるのも難しい。そのうえ,膜の興奮性は,ニューロンの表面に少しの傷がついても,不可逆的に破壊される。したがつて,興奮性を研究するためには,生きたままの神経線維をていねいに剖出し,生理的塩類溶液の中で微小電極によつて膜電位を調べる,という方法がとられる。このような制限された実験条件のもとでは,興奮の分子機構についての研究も十分な進歩が許されないが,近年になつて,新しい実験方法の導入とともに,この分野にも新しい知見がもたらされるようになつた。中でも特筆すべきものは,細胞内灌流法3,39)と,光学的方法とである12)。細胞内灌流法は,方法の完成から,すでに10年以上を経過し,その結果も整理されてきた54,55)。光学的方法は,発足からまだ日も浅く,実験事実もまだ十分に集積されていない。しかし,従来,電気生理学的方法のみが主役を演じてきたこの分野に,これと比較しうる時間的解析力をもつ方法が登場したことの意義は大きい。光学的方法には,螢光法57)をはじめ種々の方法が細分されるが,ここでは,われわれがこの数年間行なつてきた複屈折性変化について述べる。その他の方法については綜説を参照されたい9,58,59)

実験講座

電子顕微鏡所見の定量化

著者: 黒住一昌

ページ範囲:P.79 - P.87

 形態学が生物学の他の分野に比べて,とかく時代遅れの名人芸のように見なされるのは,常人にはとうてい作れないような精巧な標本や,美しく仕上げられた電子顕微鏡写真などが珍重され,そのような写真や標本が,生物のどのような機能を反映しているかを度外視して,とにかく優れた研究であると称せられている事情から当然の帰結であるように思われる。形態学が生体の形を問題とする以上,試料の作成技術が悪くて,その形が著しく変形したり,消失してしまつたような材料をもとにした議論はもちろん無意味である。しかし優れた形態学的技術によつて,よく保存された試料について,生体の機能を類推し,議論するならば,大へん意味の深い結論が導き出されるであろうし,そのような研究は生理,生化学領域の学者にとつても,非常に有力な証拠を提供するものとなろう。そしてそのような研究成果は,単にきれいな写真などを提示するだけにとどまらず,そこに現われている事象を正確に記録し,異なつた実験条件下に現われる結果と比較検討することを可能にするために,その所見を数値をもつて表現することが望ましい。しかし,このような形態学的所見の定量化はかなり困難である。
 そこで形態学的所見の定量化(計測)にあたつて,何を測るかがまず問題になる。これを決めるためには,現在使用可能な方法で,何が測れるか,つぎにその形態(構造)を特徴づけるものは何か。

話題

わが「解剖学」のゆくえ—第10回国際解剖学会議の印象

著者: 外崎昭

ページ範囲:P.88 - P.91

 国際解剖学会議を開くまで
 「日本解剖学会」は,同学会還暦史(1956年)によると,1893年(明治26年)7月20日,東京帝大の田口和美教授ほか12名の先達が,「解剖学会」として創立したものである。2年後の第3回会合において,「深在股動脈の破格」(田口)ほか4題の学術発表がはじめて行なわれた。その創立は,わが国での基礎医学会中最も古いのみならずドイツ解剖学会の創立にも先んじたという。1928年創刊の機関紙「解剖学雑誌」は,今日50巻を数える。また年次総会は,戦争末期の1944,45両年に休止したほかは,毎年全国の医科系大学を会場として行なわれ,今年の80回総会が,表題の第10回国際解剖学会議を兼ねることとなつた。「日本解剖学会」は,もともと解剖学教師の研究集会の性格が強く,学術研究上の特定のテーマを絆とする今様の学会とは,やや主旨が異なる。学歴50年に余る長老の説に新進が耳傾けるという場面が,この学会に関するかぎり,きわめて自然に見られるのである。

Cold Spring Harbor Symposium

著者: 小沢瀞司

ページ範囲:P.92 - P.97

 第40回Cold Spring Harbor Symposium on Quan-titative Biologyは1975年6月3日から10日までの8日間にわたつて行なわれた。このsymposiumは毎年1回,この時期に生物学の最も中心的な問題をテーマとして,New York郊外のCold Spring Harbor Laboratoryで行なわれ,今年のテーマは,The Synapseであつた。参考までに過去3年間のテーマをあげると,1972年The Mechanism of Muscle Contraction,1973年Chromosome Structure and Function,1974年Tumor Virusesであり,戦後neurobiologyの領域が対象になつたのは,1952年のThe Neuron,1965年のSensory Receptorについで,今回が3回目である。主催者はCold Spring Harbor Laboratoryの責任者であり,DNAの二重らせん構造を提起して,分子生物学のパイオニアとなつた,J. D. Watsonであるが,Harvard Medical SchoolのS. W. Kufflerがchief advisorとして,実際的にこの会合をとりしきつた。

Gordon Conference「筋収縮の分子生理」に出席して

著者: 松原一郎

ページ範囲:P.98 - P.100

 Cold Spring Harbourで筋肉に関する大規模なシンポジウムがあつたのは,1972年の春であつた。広汎な題材について,じゅうぶんな討論がなされ,まさに画期的な会合であつたらしい。参加者の満足感も大きく,シンポジウムの出版物は,それまでの筋研究の集大成であり,将来の研究への最良の入門書であると評されている。
 今回のGordonコンファレンスは,Cold Spring Harbourの続篇として企画されたものである—少なくとも会頭のPodolskyは,そのような意図でコンファレンスを企画したといつている。ただし,Gordonコンファレンスのほうが規模が小さいから,内容を限定する必要があつた。そこで,筋収縮のクロスブリッジ機構に焦点を絞つて,1972年から現在までの3年間,つまりpost Cold Spring Harbour時代の研究について討論が行なわれた。このなかから三つのトピックスをひろつてみよう。

マックスプランク精神医学研究所

著者: 佐藤公道

ページ範囲:P.101 - P.103

 1973年8月から1975年5月までの1年10カ月間,私は西ドイツのミュンヘン(München)にあるMax-Planck-Institut für Psychiatrleの神経薬理部門のAlbert Herz教授のもとで研究生活を送る機会に恵まれました。この留学は私の恩師である高木博司教授がHerz教授とはかねてよりInternational Narcotic Research Clubの実行委員同士としてお知り合いであつた関係から高木教授の御推薦によつて実現したのでした。アレキサンダー・フォン・フンボルト(Alexander von Humboldt)財団が私の西ドイツでの滞在費を支給してくれることになりましたので,同財団の規定に従い,ミュンヘンでの研究奨学期間に先立つ2カ月間ゲーテ研究所でドイツ語研修を受けるため,西ドイツの西南端の美しい都市フライブルク(Freiburg im Breisgau)に滞在しましたから,都合丸2年間西ドイツで過ごしたわけです。この間には中東紛争によつて引き起こされたいわゆるオイル・ショックの時期もありました。

基本情報

生体の科学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1883-5503

印刷版ISSN 0370-9531

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