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アメリカ生活十年
著者: 藤原敬己1
所属機関: 1ハーバード大学医学部解剖学教室
ページ範囲:P.290 - P.296
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1969年も夏の終りのある日,夕立で数十メートル先も見えないフィラデルフィア空港の玄関に立って,「流石,アメリカの夕立」と感心したのはもう十年も前のことになる。登山用のリュックサックに革の肩掛カバンを両肩から交互にかけ,それに大型のスーツケースとタイプライターをもつというすさまじい姿であった。
そもそもフィラデルフィアにきた由来は,現在,管島臨海実験所所長の佐藤英美博士が当時ペンシルバニア大学の生物学教室の教授でおられ,たまたま日本から同教室の大学院へ応募した筆者に,どういうおつもりでそうなさったのか,「自分の学生として取ってやってもいいが,来てみるか」とのことで,カリフォルニア大学に行くつもりでいたのを一夜のうちに変更したからだった。カリフォルニア大学の場合,入学するのは分子生物学教室の細胞遺伝だったが,こんなに早く自分の専門を限ってしまうことが不満だった矢先のことであったので,ペンシルバニア大の生物学教室に入ることは,もっと広い生物学の分野が学べる機会であろうと考え,こちらに来たのである。
1969年も夏の終りのある日,夕立で数十メートル先も見えないフィラデルフィア空港の玄関に立って,「流石,アメリカの夕立」と感心したのはもう十年も前のことになる。登山用のリュックサックに革の肩掛カバンを両肩から交互にかけ,それに大型のスーツケースとタイプライターをもつというすさまじい姿であった。
そもそもフィラデルフィアにきた由来は,現在,管島臨海実験所所長の佐藤英美博士が当時ペンシルバニア大学の生物学教室の教授でおられ,たまたま日本から同教室の大学院へ応募した筆者に,どういうおつもりでそうなさったのか,「自分の学生として取ってやってもいいが,来てみるか」とのことで,カリフォルニア大学に行くつもりでいたのを一夜のうちに変更したからだった。カリフォルニア大学の場合,入学するのは分子生物学教室の細胞遺伝だったが,こんなに早く自分の専門を限ってしまうことが不満だった矢先のことであったので,ペンシルバニア大の生物学教室に入ることは,もっと広い生物学の分野が学べる機会であろうと考え,こちらに来たのである。
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