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雑誌目次

雑誌文献

生体の科学35巻3号

1984年06月発行

雑誌目次

特集 神経科学の仮説

仮説のすすめ

著者: 村上陽一郎

ページ範囲:P.162 - P.166

 Ⅰ.我は仮説を造らず
 科学一般のなかで,"仮説"と聞くと誰でも思い出すのはニュートンの言葉だろう。"我は仮説を造らず"(hypotheses non fingo)という言葉は,科学が経験主義の上に立っていることの厳然たる表明であり,経験的科学のマニフェストとして永らく語りつがれてきた。
 しかし,多少歴史的な事情に立ち入ってみると,実はニュートンのあの言葉は,どうも必ずしも額面通りではないらしい,ということがわかってくる。そもそも,この言明が掲載されている『自然哲学の数学的原理』(Principia mathematica philosophiae naturalis)のなかには,実に数多くの仮説が使われているのだ。ニュートンは,「我は仮説を造らず」の言明の箇処で,「現象から導き出すことのできないもの」と定義した上で,それは「実験哲学においては所を得ることができない」と宣言する。しかし,例えば,この書物の中で提案されている有名な一つの概念,すなわち絶対時間(絶対空間)を取り上げてみよう。彼はその定義として,外の世界に全く関わりなく,一様に一方向に流れる時間という概念規定を与えている。これは何としたことか。

膜のチャネル仮説

著者: 松本元

ページ範囲:P.167 - P.175

 神経興奮の研究は極めて多角的なアプローチですすめられ,ようやく分子レベルでその実像を捉えようとするごく一歩手前の所まできているという感じがする。研究の進展に伴って,Hodgkin & Huxleyの電気的興奮性膜の存在形式に対する予言1)が次々と実験的に検証されるのに驚かされる。本稿では1章でHodgkin-Huxleyのチャネル仮説の概念とその実験的検証について概説する。2章でこのチャネル仮説の修正モデルについての問題提起を行う。3章で新しい興奮膜モデルを紹介し,新しいゲート機構を提案する。

シナプス小胞仮説

著者: 久野宗

ページ範囲:P.176 - P.181

 Ⅰ.歴史的背景
 シナプスを形成する神経末端の内部に直径20〜50nmの小胞が多数存在することは,1954年4月の米国解剖学会45,46)および生理学会14)において3グループの研究者によって独立的に報告された。その時,De Robertis & Bennett14)はこの構造をシナプス小胞(synaptic vesicle)と呼び,これらの小胞は時に神経終末端からシナプス間隙に突出する像を示すことを報告している。この3編の発表はシナプス小胞に関する学術報告としては最初のものである。しかし,シナプス小胞は1953年11月のPoconoの電顕学会で配布されたLKBマイクロトームの広告に掲載された電顕写真に偶然示されており,これは網膜のシナプス像でF. S. Sjöstrandによって得られたものと言われている(H. S. Bennett教授からの私信)。Sjöstrandはこの構造とシナプスとの関連に特に注目することなく,その時の学会抄録50)にも単に小顆粒(minutegranules)とだけ記載した。前述の3編の発表もシナプス小胞の機能的意義に関しては触れていないが,1954年5月に投稿されたDe Robertis & Bennett15)の論文には,シナプス小胞は神経終末端膜を貫通してその内容物(伝達物質)をシナプス間隙に放出するのであろうと示唆している。

神経回路網形成の化学的親和性仮説

著者: 藤沢肇

ページ範囲:P.182 - P.188

 動物の完成した神経系では,形の上でも,また機能の上でも多種多様な神経細胞が見られ,これらの神経細胞は互いに組み合さってシナプス結合し,総体として高度に複雑な神経回路網(neuron network)を形成している。動物の行動がこれらの神経回路網が示す生理機能に基づいて生ずることは疑いのないところである。したがって,個体発生の過程で,あるいは傷害をうけた後の修復の過程で神経回路網がどのようにして形成されてくるのかを明らかにする試みは,単に神経系の構造の成立機構のみならず,動物の行動の発現機構をも理解する最も有効なアプローチの一つであると考えられる。今世紀の当初より現在までに,神経回路網の形成機序を明らかにするために膨大な数の実験的な解析が行われてきており,これらの実験結果に基づいていくつかの仮説ないしは理論が提出されてきている。ここでは,これら神経回路網形成の仮説のうち最も広く受け入れられて来ているSperryが1963年に提唱した化学的親和性仮説を中心にとりあげ,この仮説が提出された歴史的な背景,この仮説の検証とこれに対する反証,この仮説の現在的な意義について述べる。

記憶の物質説とシナプス説

著者: 塚原仲晃

ページ範囲:P.189 - P.194

 生物科学において,われわれの仮説に対する評価は必ずしも一致しているとはいい難い。ある人は,ある仮説に対してこれは単なる"仮説"にすぎないと軽く扱った表現をとり,別の人は仮説が提出されていない問題に対して「まだ仮説も提出されていないような未発達の領域」と表現し,仮説の出現はある学問領域の成長の一つのバロメーターとみる。前者は事実の記述に終始した古典的生物学で一時的にみられる仮説に対する消極的位置づけであり,後者は研究に対する仮説の役割をより積極的に評価したものである。しかし,どちらの立場でも,まだ全き真実に到達していない途中の段階という認識では意見が一致している。
 村上陽一郎氏によると,仮説(仮設)とは「経験によって実際に確かめられていないが,それを仮に設けてみると,現象が整合的に説明できる場合,設けられたものを仮説という」と定義される。

認識細胞仮説

著者: 外山敬介

ページ範囲:P.195 - P.205

 Ⅰ.仮説の源流
 1)外界と脳の内的表象
 脳の認識機構への実験的なアプローチはDecartes6)に始まると言えよう。彼はウシの目の後の部分を切り取り,そこに半透明紙を置いて,外界の倒立した映像が投影されることを証明した。彼はこの実験観察に基づいて,次のような仮説を提案している。
 外界は両眼の網膜に倒立した映像として捉えられ,それが視神経を通して脳室の壁に投影される。この像が松果体により再び逆転して捉えられ,外界は正立した像として認識される(図1)。

脳内空間地図の仮説

著者: 笠井健

ページ範囲:P.206 - P.214

 射撃の名手は身体の各部が揺れ動く中でピストルだけは空間的にぴたりと静止させることができるといわれる1)。また体操の選手はムーンサルト(2回宙返り,1回ひねり)で着地するまでの間,常に大地がどこにあるかわかっているそうである。鉄棒の選手が手をはなし,空中で回転をしてから再び鉄棒をつかむシーンもよく見かける。人間はこのように運動しながら周囲の世界を正しく認識する能力と,周囲の空間に対して正確でかつ微妙な運動制御を行う能力をもっている。
 運動をしているとき,頭は平行移動と回転をあわせて6つの自由度で動く。TVカメラを6自由度でふりまわしたとき,モニターの画像がどれだけ乱れるかを考えると,激しく動く頭にとりつけた眼を使って周りの空間を1つの連続した世界としてとらえる能力は驚くばかりである。

心の創発仮説—創発主義的唯物論

著者: 黒崎宏

ページ範囲:P.215 - P.219

 Ⅰ.創発主義的唯物論(その1)
 神経科学における最終目標は,おそらく「心」に関する科学的解明であろう。しかし,現在の神経科学,特に脳生理学の現状は,心,特に人間の精神に関する科学的解明という目標に対し,やっとその緒についた,といった段階のように見うけられる。したがって研究者にとっては,精神というものを脳との関係においてどう捉えるか,という問題が,この段階では,自己の科学的研究とは別に,自己の科学的研究を位置づけ性格づける枠組として,特に重要であると思われる。即ち,そのような問題が,研究者にとっては,哲学的問題として重要になってくると思われる。
 精神というものを脳との関係においてどう捉えるか,というこの一般的・哲学的問題については,Descartes以来,哲学史上にさまざまな説が現われたことはすでによく知られていると思うが,Bunge1)によれば,それらは大きく,二元論(dualism)と一元論(monism)に分けられ,それぞれが更に5つの説に分けられる。図1を見てほしい2)。二元論とは,精神と脳──一般には物体──をそれぞれ別個の実体(独立存在)とみなすものであり,一元論とは,精神か脳──一般には物体──のどちらか一方のみを実体とみなすものである。

解説

DNA組換え技術の生体膜研究への応用

著者: 金沢浩 ,   二井将光

ページ範囲:P.221 - P.231

 能動輸送,エネルギー転換,情報の受容と応答といった生命現象の最も基本的な機構は生体膜にある。こうした機構を解明しようとする努力は,対象とする現象においてもまた研究素材や方法論の上でも多岐にわたっている。このうち生化学的研究の一つの中心課題は,各現象を支える生体膜蛋白質の分離・同定とその特徴を記述することである。Nelson & Robinsonによってまとめられた1982年までに精製された膜蛋白質の一覧表1)によれば,機能を異にする精製膜蛋白質の総数は170である。この数には,機能が同じである場合,対象とした生物種や器官の違いは考慮がなされていないので,実際の精製報告例はこれより若干多いであろう。しかし,この数を可溶性蛋白質の精製例と比較したとき,おそらく桁違いに少ないであろう。また可溶性蛋白質の精製の歴史が60年に及ぶのに対し,膜蛋白質のそれは1970年代からスタートしたにすぎない。したがって,膜蛋白質の精製とその構造と機能の解析は,今後とも生化学的研究の中心的課題の一つとして推移し発展するであろう。しかし,膜蛋白質の精製が技術的に難しいことはすでに良く知られた事実である。そのために界面活性剤の適用について各蛋白質の個別的な経験から一般原則を導こうとすることや,有用な新しい界面活性剤を見出そうとすることなどに努力が重ねられている2,3)
 前述の精製膜蛋白質のうち一次構造が決定されているものは59例である。

実験講座

サポニンモデルと細胞内運動機序—神経軸索輸送を中心にして

著者: 後藤秀機 ,   竹中敏文

ページ範囲:P.232 - P.239

 細胞内の現象やその機構を研究するためには,形質膜を越えて細胞内での薬理実験を実現したいところである。そのような目的から各種薬物を毛細管で細胞内注射したり,薬物を詰めたリポソームや赤血球ゴーストを細胞膜に融合させて薬物を細胞内に拡散させたりする手法がとられている。細胞内注射の欠点は,細胞内微小キャピラリーなどの特殊な技術と道具が必要で,巨大細胞はともかく,数十μm以下の一般の細胞への細胞内注入となると容易でない。しかも,注入した薬物が細胞内で必ずしも一様に分布せず,時には薬物が生理機能を現わす前に細胞内構造によって吸着されるためか,たびたび矛盾した結果を与えてきた1)。リボソーム法は,以上のようなmicromanipulationの難しさは無いものの,膜融合の細胞生物学的機構が不明で,その細胞の形質膜に応じてリボソームの脂質の種類を変える必要があるなど,任意の細胞に応用できるとは言えない現状である。
 一方,形質膜を化学的に除去したり孔を開けたりして膜障壁の無い細胞モデルを得る方法(chemical skinningor permeabilization)は,形質膜一般に応用でき,薬物の均一な分布が期待できる上に,小さな一般細胞にも使えるという利点もあるので,最近いろいろな細胞について発表されるようになった。ここでは,サポニン処理について解説する。

コミニケーション

友への手紙—アメリカNeuroscience学会の印象

著者: 塩井純一

ページ範囲:P.240 - P.242

 お元気ですか。先日は別刷送って下さり有難うございました。興味深く読ませていただきました。
 お礼に(?)11月6日から11日までボストンで開かれた神経科学会(Society for Neuroscienceの第13回年会)の報告をすることにします。学会の直前5日,6日に番外の"Molecular Approaches to the Nervous System"と銘打ったShort Courseがあり参加したのですが,五百人くらいの聴講者があり,数十人の規模を予想していた私には大きた驚きでした。Cold Spring Harbor Lab. のR. McKayが組織したもので,やはり彼が組織した3年前のCold Spring Harborでのワークショップ"Monoclonal Antibodies to Neural Antigens"(Cold Spring Harbor Lab. から本が出ている)の続編といった趣きがなきにしもあらずですが,遺伝子工学とモノクローン抗体法という二大技術の出現で,この分野が様変わりしつつあるのを感じました。大発展が始まったと言っていいのではないでしょうか。

基本情報

生体の科学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1883-5503

印刷版ISSN 0370-9531

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