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雑誌目次

雑誌文献

生体の科学37巻1号

1986年02月発行

雑誌目次

特集 脳のモデル

序:脳のモデルを求めて

著者: 伊藤正男

ページ範囲:P.2 - P.3

 近年脳の研究は隆盛の一途を辿り華々しい進歩が見られる反面,その行先に立ちはだかっている大きな困難もまた次第に姿を明らかにしてきた。脳には複雑な物質系としての側面と膨大な情報系としての側面があるが,この二つの側面の間の空隙は現在むしろ広がる一方であり,両者を統合して,「機能し,心を生み出す脳」の実体を把握するには程遠い状況にある。
 このような困難な状況を打開するためには脳のモデル観の有無が重要な意味をもってくる。デカルトの時代にはパイプオルガンや時計が脳のモデルであった。これら金属でできた構造物が音を発し,時を刻むように,脳の構造は考え,悩み,実行するとなぞらえたのであろう。近年になって電話が普及するとそのスイッチボードに脳がたとえられ,テレビが普及するとその走査方式と脳波の発生機序との類似が論じられた。さらにコンピュータは真に迫った機能する脳の類似物としてわれわれに一種の安堵感を与えたのであるが,しかしやがて脳の実際の内部構造はコンピュータのそれとは類似点よりもかえって本質的な相違点を多くもつことが判明してきた。何かコンピュータのようなものであるが,現在のコンピュータとはひどく違った原理で働いており,現在のコンピュータが苦手とするような働きをやすやすとやってのける能力のある膨大な構造物,というのが現在の大方の脳のイメージであろう。ではそのアナロジーを与えるもっとも端的なモデルはないであろうか。

ニューロンのモデル

著者: 川人光男

ページ範囲:P.4 - P.12

 I.なぜ論理ニューロンではいけないか
 MarrはVisionのなかで脳研究には三つのレベルが可能であると述べている。
(i)(情報処理の)計算理論の研究
(ii)(i)を実行するためのアルゴリズムの研究
(iii)アルゴリズムを実行するハードウェアの構造に関する研究
 現在のフォン・ノイマン型の計算機では,ハードウェアを単純化し,あとはソフトウェアによって必要な機能の実現をはかる。したがって(i),(ii),(iii)のレベルがはっきり分かれている。しかし脳ではソフトウェアがニューロン回路の配線とニューロンの形態などのハードウェアによって実現されていて,しかもそれが学習とともに変化する。

神経回路網理論の行方

著者: 甘利俊一

ページ範囲:P.13 - P.20

 I.神経回路網理論とは何か
 神経細胞は多入力1出力の情報処理素子である。しかも,入出力信号はパルスであるから,これを0と1の2値で表わすことができる。入力信号の荷重和がある一定値を越えるかどうかで出力信号の値が決まるから,その動作はいわゆるしきい素子と考えてよい。McCullochとPittsはこのように考えて,形式ニューロンという神経細胞のモデルを提案し,これが論理系として完全であること,わかりやすくいえばどんなコンピュータも形式ニューロンを用いて構成できることを示した1)。こうして,脳が論理系として完全であることが示されたのである。この仕事は,神経回路網モデルの始まりとなったのみならず,オートマトンや言語など,その後のコンピュータサイエンスの発展に大きな影響を及ぼした。もちろん,現在の観点ではニューロンは,離散的な情報を処理する論理素子というよりは,アナログ情報を処理するアナログ素子と考えた方が自然である。しかし,多数の入力信号の荷重和を取ってこれらを総合し,その非線形関数として出力を出すというニューロンの特性に変わりはなく,今でも形式ニューロンを用いて神経回路網の動作を解析してよい場合も少なくない。
 神経回路網理論はMcCullochとPittsのこの仕事に始まるといってよい。

現代制御論と脳

著者: 伊藤正美

ページ範囲:P.21 - P.25

 図1のように,フィードバック・ループ内に,人がコントローラとして含まれている手動制御系(ManualControl System)では,制御量yを目標値rに追従させようとするとき,目標値の種類によって,人は次の二つの制御動作を示すことが知られている1-4)
 i)目標値の未来値を外挿(予測)しながら追従する予測(predictive)動作。
 ii)目標値の特徴を抽出し,その特性を利用しながら追従する予覚(precognitive)動作。予測動作は,不規則な信号を追従する場合のように,目標値の特徴を把握することが難しいときにあらわれ,人は刻々と変化する目標値に対して,微分予測程度の推定しかなし得ず,フイードバックによる修正動作に重きを置いている。これは,どのような目標値に対しても,ある程度追従できる制御動作で,フィードバック制御系でよく知られているP. I. D.(比例・積分・微分)動作に対応した制御方式である1)。一方,予覚動作は,正弦波信号のように,比較的簡単な目標値を追従するときに行われ,目標値の特性を完全に把握し,その特性を利用した追従方式が人の内部に確立された状態での追従動作である。この場合は,動作はフィードフォワード動作に近くなり,短時間であれば目をつぶっても(偏差eを観測しなくても)yをrにかなり忠実に追従させることができる。

大脳の情報原理とそのバイオコンピュータへの応用—ホロニックモデルの目指すところ

著者: 清水博 ,   山口陽子

ページ範囲:P.26 - P.40

 大脳は多数のニューロンからできた複雑なネットワークシステムである。この大脳の機能は三つの異なるレベルから総合的に研究しなければ解明できないというのが,わが国の伊藤正男教授と並んで小脳の研究で著名なDavid Marrの意見である1)。この三つのレベルとは,第一にモノとしての脳,すなわち,脳の構造あるいはニューロン間のトランスミッターなどのハード的仕掛けであり,第二にアルゴリズムの問題で,信号がニューロンのネットワークでどのような経路を通って次々と他のニューロンに伝わり,その興奮や抑制を引き起こしながら変化していくかという,いわば脳におけるシンボル(情報のキャリア)の生理的なレベルでの研究ともいえよう。第三に「計算理論」,すなわち認知心理学と密接に結びついたコトとしての脳の問題といっても良いかもしれない。それはどのような理論によって大脳が情報を処理しているかという脳のソフト的原理を問う問題である。
 これまでは第一のモノとしてのレベルから第二,第三の順に研究を積み上げながら大脳の解明が進むものと期待されて来たけれど,それで果たして正しいだろうか?脳を直接観察すると,そこでは多くのニューロンの興奮を知ることができるが,しかしそれからどのような情報がどのように処理されているかを直接伺い知ることはできない。

行動する機械

著者: 中野馨

ページ範囲:P.41 - P.48

 最近,脳の研究は多角的に行われている。生理学的知見をできるだけ取り入れて脳をモデル化することによって,脳の機能の本質に迫ろうとする構成的研究もその一つである。その際,脳全体のモデル化は不可能なので,脳の機能を細分化して,その一つ一つを実現するモデルを構成してゆくのであるが,段々進めてゆくと,全体の絡みが重要であることがわかってくる。つまり,脳において,受容,認識,概念形成,記憶,思考,行動などは一体となって全体の機能を発現させており,別々には論じられない面がある。しかも,その面の解明こそ概して重要度が高い。そして,それを行うためには,脳をシステムとしてモデル化してみる必要がある。
 構成的研究というのは,自動制御における「システム同定」のように,脳をブラックボックスとみなして,入出力関係が等しくなるようにモデルを構成し,それができたときブラックボックスの内容がモデルと同じ,または少なくとも類似していることを期待するのである。もちろんモデル化に際して生理学的にわかっていることを使うので,入出力関係だけからではないが,主に入出力関係から同定することになる。類似している可能性は,情報論的な必然性に導かれて,つまり等しい結果に到達する情報処理機構がそういくつもあるわけはないという意味で,思ったよりは高いはずである。

脳研究の方法としての人工知能の未来

著者: 安西祐一郎

ページ範囲:P.49 - P.54

 脳のはたらきの解明,これは今後,来世紀にかけての隆盛を約束された,広大な未踏の研究領域である。これまで,生理学をはじめとする諸分野で続けられてきた脳の構造と機能に関する研究が,最近の科学技術の急速な発展の上に立って,これからどのような方向に広がってゆくのか,その道の専門家だけでなく,世間一般の人々にとっても関心が深まってゆくことであろう。
 しかしながら,脳のはたらきの解明には,まだまだ多くの難問が横たわっている。とくに,これまでの伝統的な方法によってデータを積み重ねるばかりでなく,データに基づいてはたらき自体を説明し,またデータを収集するためのガイディング・プリンシプルとなりうるような作業仮説は,脳のはたらきの複雑さを考えると,どうしても必要になってこざるをえない。

連載講座 形態形成の分子生物学

ヒトの脳の形態形成とその進化—コンピュータ・グラフィックスによる研究

著者: 藤田晢也

ページ範囲:P.55 - P.68

 生物の形がどうしてできてくるのか,なぜ"そのような形"になるのか,という問題は多くのひとの興味を惹いてきたが,科学的な研究の対象とされることははなはだ少なかった。そのような研究は絶無ではないにしても,生物というシステムの中で形のもつ重要性に比べて著しく少ないことは事実であった。
 考えてみると,DNAが自己複製を行ったりRNAを介して情報を発現したりする過程はDNA分子の形に絶対的に依存している。DNAを修飾する蛋白分子やDNAと相互作用する分子はいずれも三次元的な形がDNAと完全にフィットすることが要求される。この方面の情報は最近の結晶解析技術の長足の進歩によってきわめて豊かになってきたのでコンピュータ・グラフィックスの描きだす三次元像を手がかりに私たちは具体的なイメージをもつことが可能になった。蛋白と蛋白の分子間の相互作用や,蛋白とその他の機能的分子の空間的な関係は,その結晶化が難しいようなので,核酸と比べて具体的なデータはまだ少ないものの,作用され作用する分子の間の形の適合性がどのように大きな意味をもつか,はっきりとわかる程度には提示されるようになった。

実験講座

ポジトロンCTの脳研究への応用

著者: 田崎京二

ページ範囲:P.69 - P.74

 ポジトロンCTというのは人体に適用した定量的オートラジオグラフィーということができる。ふつうのオートラジオグラフィーでは,3Hや14Cなどでラベルした生活活性物質を動物に投与して体内の局所に取り込ませ,放射線の写真作用を利用して放射線源を検出している。しかし3Hとか14Cなどから出る放射線は組織透過力が弱く,十分な感光作用をえるためには,感光膜を放射線源に密着させなければならない。したがって生体を薄い切片として用いることになる。
 オートラジォグラフィーをヒトにまで適用するには,組織透過力が大きく,半減期の短い放射性同位元素(RI)が必要である。短半減期は放射線被曝を少なくするための重要な条件である。これらの条件をみたすRIには,γ線を放出するものと陽電子(ポジトロン)を出すものの2種がある。このようなRIを人体に与えてから,体外で放射線を検出し,コンピュータ処理によって,人体の一つの横断面内のRI分布を再構成すれば,その面についてオートラジオグラムがえられたことになる。この方法を放射線コンピュータ断層法(emission computed tomography,ECT)という。γ線放出型のRIを用いるものを単一光子断層法(Single photon emission computed tomography,SPECT)という。このように呼ばれるのは,γ線は1度に1個の光子として放出されるからである。

話題

イノシトール3リン酸をめぐって

著者: 平田雅人

ページ範囲:P.75 - P.78

 Ca2+を細胞内情報伝達の媒介とするホルモンや神経伝達物質などの刺激に共通して見られる現象は,受容体活性化に伴い微量のリン脂質であるイノシトールリン脂質の代謝亢進(PIレスポンス)が生じることである1,2)。PIレスポンスがどのように細胞内遊雑Ca2+濃度上昇と関連しているかに関して,①PIレスポンスにより細胞膜のCa2+チャネルが開く,②PIレスポンスの結果,ジアシルグリセロールから生じるホスファチジン酸がCa2+イオノフォアとして作用するなどの仮説が提出されていた。最近この他に第三の機構として,細胞内Ca2+貯蔵部位からCa2+遊離がひき起こされることも報告されてきた。このCa2+遊離作用を有するのがイノシトール3リン酸(InsP3)である。
 細胞内Ca2+貯蔵部位からのCa2+遊離に関する研究は,これまで主に骨格筋小胞体を用いて行われ生理的に起こり得る機構としてCa2+によるCa2+遊離と"脱分極"によるCa2+遊離の二つが知られていた3)。しかし筋肉以外の組織では,細胞外からのCa2+流入にのみ重点がおかれ,上記二つの機構に関する研究はほとんどなく,Ca2+遊離については言及されていない現状であった。この意味においても生理的に生成され得るInsP3がCa2+遊離作用を有することは重要な現象であろう(もちろん,InsP3が真に生理的なCa2+遊離の媒介となり得るかどうかは問題であるが)。

基本情報

生体の科学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1883-5503

印刷版ISSN 0370-9531

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