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雑誌目次

雑誌文献

生体の科学38巻4号

1987年08月発行

雑誌目次

特集 視覚初期過程の分子機構

視物質の分子生物学

著者: 徳永史生 ,   岩佐達郎

ページ範囲:P.252 - P.260

 1876年Franz Bollの光による視紅の褪色現象の発見1),続く2年間に渡る大生理学者Kühneの見事な実験2)以来,100年の間に視物質の研究は生理学的,生化学的,分光学的,さらには物理学的なあらゆる手法が適用されて進んできた。しかし,タンパク質化学的に比較的容易にアミノ酸配列が決定され,また結晶化されてその立体構造が明らかにされた水溶性タンパク質とは異なり,視物質研究には,膜タンパク質であるがための幾つかの問題が残されていた。その重要な問題の一つはアミノ酸配列(一次構造)が明らかになっていなかったことである。
 1970年代後半より,遺伝子操作技術の発達が目ざましく,タンパク質の一次構造はDNAより決定するほうが正確かつ時間がかからなくなった。このようにして得られた一次構造から二次,三次構造までもが推測され,そのモデルを踏まえた実験が行われるようになった。また分子の特定な部位を認識する単クローン抗体作成技術の発達も合わせ,このような研究方法の変化は視物質の研究にも大きな進歩と新しい展望をもたらした。本論ではこのような新しい分子生物学的な方法を用いた視物質の研究について紹介する。

視物質の褪色過程

著者: 吉澤透 ,   吉田真平

ページ範囲:P.261 - P.268

 光の下で生活している動物にとって,視覚はもっとも重要な感覚の一つである。実際,私たちの眼は,単に光を感じるだけでなく,脳の助けを借りて色や形を認識し,さらに美しいとか大きいとかの判断を伴う高級な情報処理を行っている。これらすべての視覚情報は,外界の光量子の捕獲に始まる。視物質は網膜に存在する光捕獲物質で,この物質の光化学反応によって一連の視覚興奮過程が作動される。
 本稿ではウシのロドプシンの光褪色過程を中心にして概説する。

視細胞内の情報伝播—トランスデューシンからcGMPまで

著者: 河村悟

ページ範囲:P.269 - P.275

 視物質が光を吸収した結果,脊椎動物の視細胞には過分極性の電位が発生する1)。この光信号の電気的信号への変換機構の研究が開始されたのは約15年前であったが2,3),紆余曲折を経て最近,分子レベルでその枠組が明らかになってきた。これらの研究を通じて,視細胞における信号受容機構は単に視覚のみにとどまらず,他の感覚器における刺激受容の機構およびホルモン受容の機構とも類似していることも明らかになってきた。

桿体外節における光情報伝達機構の理論モデル

著者: 市川一寿

ページ範囲:P.276 - P.283

 外部環境の情報を獲得する機能としての視覚は,生物が持っている重要な感覚の一つである。脊椎動物の視覚に対して光刺激として入力された光量子は,桿体細胞の外節にある視物質によって吸収され,その発色団を光異性化する。この反応がトリガーとなり,一連の生化学反応に変化がひき起こされ,その結果として外節形質膜のナトリウムイオン透過性が減少し,過分極性の電位応答が発生する1-4)。桿体外節には,動物種によって若干異なるが約2,000枚の円板状の構造があり,この円板は外節の形質膜からは切り離されている。視物質ロドプシン(Rh)は円板膜に内在性タンパク質として存在するので,ロドプシンの光吸収という出来事を形質膜に伝えるには,何らかの伝達物質が必要である。その候補として,カルシウムィオン5)とcGMp6-8)が注目されてきた。最近,cGMPが直接外節形質膜のイオンチャネルの開閉を制御し,ナトリウムイオン透過性を変化させていることが実験的に示され9),cGMPが伝達物質としてほぼ認められつつあると言えよう。
 これまでに桿体外節における光情報伝達の分子機構に関する多くの実験データが蓄積され,定量的モデルを構築できるようになってきた。このようなモデル化により,光情報伝達機構の理解が一層進展することが期待される。本稿ではこれまでに発表されたモデルを概観し,今後の方向を展望する。

視細胞のイオンチャンネル

著者: 中村整

ページ範囲:P.284 - P.290

 脊椎動物の視細胞では視物質による光受容の情報は細胞内トランスミッター(第2メッセンジャー)を介して形質膜のNaチャンネルに伝えられると予想され1),視物質1個あたりの腿色に伴い最低100個の第2メッセンジャーが細胞質に放出され,それに対応するNaチャンネルが閉じると言われてきた2)。この第2メッセンジャーの同定は約15年にわたり視覚情報変換機構の中心的課題であったが,最近数年間で吸引電極やパッチ電極の導入により(図1)急速に研究が展開した。その結果視細胞外節の形質膜にcGMP感受性コンダクタンスが発見され3),cGMPの光による減少がメッセンジャーとして作用することが明らかとなった。一方非常に有力だったCaイオン=第2メッセンジャー説(Ca仮説)は否定されたが,CaイオンはcGMP感受性コンダクタンスと強い相互作用をすることが確かめられ,細胞内Caの重要さが再認識されようとしている。
 本稿ではまず手短に視細胞の光応答とそれに関わるいろいろのチャンネルなどについてふれ,その後現在もっともよく研究されているcGMP感受性チャンネルについてやや詳しく述べたい。しかし紙面の都合で第2メッセンジャーとチャンネルの関わりについて,あるいは内節のチャンネルなどについて重要な実験を十分紹介できないので,本特集の他の稿や,他の総説4-8)で補っていただければ幸いである。

視細胞興奮発生の分子機構

著者: 井上宏子 ,   吉岡亨

ページ範囲:P.291 - P.298

 視細胞が光を受容してから電位を発生するまでの分子機構の中で,以前から研究され,なおかつ現在でも未解決の問題は,細胞内セカンドメッセンジャーについてである。よく知られているように,脊椎動物の視細胞のうちの桿体ではディスク膜上にあるロドプシンが光を吸収した後,外節膜上にあるNaチャンネルが閉じて過分極応答を示す。したがって光情報をディスク膜から視細胞膜へ伝える細胞内情報伝達物質(メッセンジャー)が必要であることになる。また,脊椎動物の錐体や無脊椎動物の視細胞ではロドプシンとイオンチャンネルは近接しており,メッセンジャーは一見不必要に見える。しかしWong1)やBacigalupo & Lisman2)が示唆しているように,1フォトンは約1,000個のイオンチャンネルを開くと考えられており,そこでは明らかに情報の増幅が起こっている。したがって,たとえばロドプシン→細胞内膜系→イオンチャンネルという経路で光情報が伝達されるとすれば,メッセンジャーを考えることは妥当である。
 そこでこうした役割を担う物質をさがす試みがなされてきたわけであるが,その物質が細胞内メッセンジャー(いわゆるセカンドメッセンジャー)であるためには少なくとも次のような二つの条件を満足しなければならないと考えられる。(1)その物質の視細胞内濃度が光照射によって急速に変化し,光照射停止後元のレベルに戻る。

網膜における情報処理

著者: 金子章道

ページ範囲:P.299 - P.304

 視細胞でとらえた視覚情報は脳へもたらされて解読される。しかし,個々の視細胞と脳とは1対1の専用回線で結ばれているのではない。多くの動物において網膜と脳を結ぶ視神経の数は視細胞の数の約1/10にすぎない。視覚情報は網膜内の神経回路網で処理され,その結果が脳へ運ばれるのである。脊椎動物網膜は発生学的に見ても中枢神経系の一部であり,神経系における情報処理機構を研究するのにもっとも適した組織の一つである。網膜には6種類の神経細胞が3層に規則的に配列されており,細胞間にはフィードバックを含む複雑な連絡が存在する(図1)1)。細胞内記録法や細胞内染色法による知識の集積によって,現在では,各網膜細胞の特徴や神経ネットワークの中における役割の概略を理解することができるようになってきている。
 しかし,桿体視細胞が暗所視に寄与し,錐体視細胞が明所視に関与しているように,形状視,色受容,動きの受容など個々の機能に注目すると,それぞれサブタイプが異なった細胞の働きによるところが明らかである。網膜研究における目下最大の問題点は,こうした情報処理に関連した各サブタイプの細胞を同定すること,またそれぞれのネットワークを作動させる網膜ニューロンの伝達物質を同定することである。このような研究によって網膜内情報処理を単に現象としてだけでなく,その分子機構を知ることによってより深く理解することができる。

連載講座 脳の可塑性の物質的基礎

リセプター,Ca2+,細胞内伝達系の役割

著者: 久場健司

ページ範囲:P.305 - P.315

 学習や記憶の機序は,外界からの感覚入力により,脳内のある特定の神経回路の活動が永続的に変化したり,新しい神経回路が作られることによると考えられる。神経回路での情報伝達は,神経軸索や長い樹状突起でのインパルスの伝導と神経細胞間のシナプス後電位による伝達により行われるが,前者は全か無かの法則に従うので,神経回路の活動の調節はシナプスでなされることになる。したがって,学習や記憶の基礎過程は,シナプス伝達効率の永続的変化やシナプス結合の変化にあるといえる。前者をシナプス伝達の可塑性,後者をシナプス結合の可塑性という。ここでは前者について述べる。"可塑性"という言葉は,本来不可逆的に変化する事象を意味するが,シナプスの可塑性ではシナプス伝達の効率の変化が可逆的であってもそれが長く続く場合にも使われる。
 学習や記憶の研究は,長い間,心理学者や神経回路を研究する神経生理学者や解剖学者によりなされていたが,ここ10数年の間に研究方法の進歩とともにシナプスの可塑性を物質レベルで調べることが可能になり,神経系の基本単位である神経細胞膜やシナプスの研究を行う生理学者や,分子を扱う生化学者の大きな関心を引きはじめ,シナプスの可塑性の機序の研究に,数々の新しい展開がなされつつある1-3)

解説

松果体の光受容機構

著者: 森田之大 ,   内田勝久

ページ範囲:P.316 - P.321

 I.眼と松果体
 環境の明暗や形態などを詳しく観察し,判断・思考の重要なデータとするわれわれの眼と,脳の奥深く第3脳室の後上方にあり,脳脊髄液に洗われている松果体がなんらかの関係にあると想像することは,一見,常識的ではないかも知れない。しかし,発生学の教える所によれば眼球も松果体もともに前脳に由来しており,共通点があっても不思議ではない。
 最近,両者の間に共通の生理機能,生化学的反応過程,免疫組織化学的知見が次々と見出され,やはりという感を深めると同時に,まだ何か重要な事実がかくされているのではないかという期待を持たされる。

網膜変性症マウス(rds)の発育過程における視物質の生合成変化とその分布

著者: 臼倉治郎

ページ範囲:P.322 - P.331

 近交系マウス020/A系には進行性網膜変性症を引き起こすミュータントが存在する1)。変性の進行速度が遅いことから,従来より知られている網膜変性症マウス(rd)2)と区別して,rds(retinal degeneration slow)マウスと呼ばれている。これらの網膜はヒトの色素性網膜炎(retinitis pigmentosa)のモデル3-7)ともなるので,最近では眼科領域において広く研究対象となっている。rdsではrd同様網膜中の視細胞に著しい変性が起こるのが特徴であるが,病気の進行速度だけではなく,遺伝的,形態的,機能的にも差異が認められる。まず第一に,rdでは変性を引き起こす遺伝子が5番の染色体にのっているのに対し,rdsでは17番の染色体に異常が観察される1)。一方,形態的には発生初期のrdマウス視細胞は外節を派生させるが,rdsの視細胞は全発育過程を通して外節を形成しない8-11)。また,外節が派生しないにもかかわらず光に対し応答をし12),光照射により活性化された脱リン酸化酵素(cGMP-PDE)により細胞内cGMP濃度の低下が報告されている10)。視物質(ロドプシン)は分光学的には検出されていないが,そのアポ蛋白であるオプシンは免疫学的に存在が確認されている13)。そして,わずかでも光に対し応答することはrds視細胞内においてオプシンはロドプシンとして存在するものと考えられる。

ガングリオシド—その構造と新しい機能

著者: 鈴木康夫

ページ範囲:P.332 - P.339

 ガングリオシドは,疎水性セラミド部分と親水性シアル酸含有糖鎖からなるスフィンゴ糖脂質の一群である(図1)。ケルン大学のクレンク(E.Klenk)により,1935年脳で発見され1),神経節細胞(ganglial cells)に存在することからガングリオシド(ganglioside)と命名された(1942年)2)。現在,ガングリオシドは,新口動物(Deuterostomia)に含まれる各種動物の細胞に存在することが明らかとなっている。主として細胞膜脂質二重層の外層に分布しており,糖鎖を細胞の外側に配向している。その化学量はリン脂質に比べてはるかに微量であり,中枢神経系細胞を別にすれば,細胞の総脂質の数%を超えることはない。
 細胞表面は一般に陰性に荷電しているが,ガングリオシドに含まれるシアル酸のカルボキシル基(-COO⊖)がその一原因となっている。近年,各種クロマト法,高分解能NMR(核磁気共鳴吸収法),陰イオンFAB-MS(高速中性粒子衝撃質量分析法)などにより,ガングリオシド分子種の系統的分離法3)や分子種マッピング法4),さらに最近,免疫学的手法によるピコモル(10−12モル)レベルの極微量定量法(Immunostaining法)5-8)などが新開発され,少なくとも50種を越える分子種が明らかにされている。

基本情報

生体の科学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1883-5503

印刷版ISSN 0370-9531

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