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雑誌目次

雑誌文献

生体の科学41巻5号

1990年10月発行

雑誌目次

特集 LTPとLTD:その分子機構

LTPとLTD

著者: 伊藤正男

ページ範囲:P.450 - P.451

 1950年から1960年代にかけて,われわれは複雑極まりなく見える脳の内部で働くシナプスの作用に,興奮,シナプス後抑制,シナプス前抑制の3種しか見つからないのに驚嘆した。今同じ思いをシナプス可塑性について新たにしている。
 1966年Brindley2)が理論的に10種のシナプス可塑性の存在を予見したがその後実際に確立したのは長期増強(LTP),長期抑圧(LTD)と感作の3種に過ぎない。しかも感作は軟体動物の神経節でよく調べられているが,脊椎動物の神経系にはそのままのかたちのものは見つからない。したがって脊椎動物ではLTPとLTDの2種類になる。さらに,LTPは大脳に,LTDは小脳に特徴的に存在すると言う驚くべき単純な図式が成立するのである。

長期増強現象のCa依存性機構

著者: 工藤佳久

ページ範囲:P.452 - P.457

 “長期増強現象(LTP)”や“長期抑圧現象(LTD)”が端的に発現する海馬や小脳は,その神経回路が特徴的な層構造を持っており,数種のニューロンで構成された回路が整然と配置されている。これらの組織が記憶の成立に深く関わっていることはこれまでの生理学的また病理学的研究によって認められており,整然とした回路の層構造は,まさに記憶素子または記憶成立前駆素子としての機能を強く印象づける。これらの素子における回路強化現象としてのLTPやLTDが記憶メカニズムの解決の糸口を与えるものと期待されるのももっともなことである。この10年間の研究で,その回路強化のメカニズムに細胞内Ca濃度の上昇が関わっている可能性が示唆されてきたのである。Caの動態は電気生理学的に類推でき,生化学的にはCaを引金として活動する細胞内機能素子も多数示唆されてきているので,Caが電気生理学的研究と生化学的研究の橋渡しになることが期待されてきた。しかし,両者の解析の時間的な差が障害となって必ずしもすっきりとした相関性が得られていたわけではない。しかし,1983年に細胞内Ca濃度を容易に測定できる螢光Ca指示薬,fura-2が発表されて以来,生理現象と生化学現象との橋渡しとしてのCaの役割がより明確に論ぜられるようになった。この項では,海馬LTPの成立とCaの関係についてまとめてみたい。

PIレスポンスの役割

著者: 伊藤悦朗 ,   吉岡亨

ページ範囲:P.458 - P.463

 イノシトールリン脂質の一種ホスファチジルイノシトール4,5-2リン酸(PIP2)は,セカンドメッセンジャーとして有名なイノシトール3リン酸(IP3)とジアシルグリセロール(DG)を産生することはよく知られている。親水性のIP3は細胞内を拡散して細胞内小胞体(ER)に作用し,Ca2+の放出を引き起こす。また疎水性のDGは膜内に存在して,細胞質内をトランスロケートしてきたCキナーゼ(PKC)を活性化する。ここで最初に登場するPIP2を補給するのが,本章の主題であるイノシトールリン脂質の代謝回転(PIレスポンス)である。
 これまでのLTPおよびLTDの実験の多くは,それぞれ海馬および小脳において遂行されてきた。そして,その海馬や小脳のニューロンには,PIレスポンスの構成要素である脂質・酵素・受容体が存在していることが報告されている。さらには,PIレスポンスを駆動する興奮性アミノ酸(グルタミン酸)の受容体が,海馬ニューロンや小脳プルキンエ細胞に多く存在することもすでに明らかになっており,これらとLTP・LTDとの関係についても活発な研究が始まっている。

長期増強とCキナーゼ

著者: 山本長三郎

ページ範囲:P.464 - P.467

 I.長期増強とCキナーゼの関連を示す実験事実
 1.フォルボルエステルとオレイン酸の作用
 Cキナーゼは,Ca2+とリン脂質(とくにフォスファチジルセリン)に依存性の蛋白リン酸化酵素である1)。フォスフォリパーゼC(PLC)によって膜のフォスファチジルイノシトル4,5二リン酸(PLP2)が分解された時に生ずるジアシルグリセロール(DG)は,CキナーゼのCa2+要求濃度を著しく低下させ,Cキナーゼの活性調節因子として働く。Cキナーゼの基質は非常に広く,種々の受容体や膜結合蛋白もその中に含まれている。Cキナーゼを賦活する経路として,上記PLC経路以外にフォスフォリパーゼA2(PLA2)が提唱されている2)。PLA2が膜脂質を分解して生じた不飽和脂肪酸(オレイン酸など)がCキナーゼを賦活するという。
 Cキナーゼと長期増強との関連を支持する多くの根拠が提出されている。Malenkaらは,CA1野において連合・交連線維刺激に応ずる場の電位が,フォルボルエステル(Cキナーゼの賦活薬)の適用中に著明に増大し,同エステルを洗い去っても増大効果は長く持続することを見出した3)。また高濃度のフォルボルエステル(10μM)の作用下で電位が増大した後は,入力の高頻度刺激がもはや長期増強を誘発しないことから,薬物と高頻度刺激が同一の経路(Cキナーゼの賦活)を介するのであり,長期増強はCキナーゼの賦活によって生ずると考えた。

LTDの分子メカニズム:一酸化窒素の役割

著者: 渋木克栄 ,   岡田大助

ページ範囲:P.468 - P.472

 一酸化窒素(NO)という,あまり生理学とは縁のなさそうな物質が近年われわれの注目をあびるに至ったのは,NOが血管内皮細胞由来の弛緩因子(EDRF)の一つに他ならないというMoncadaらの報告による1)。さらに小脳細胞からもNOの発生がみられるとのGarthwaiteらの報告2)によって,興味は中枢神経系におけるNOの役割へと広がってきた。というのもNOはガスであり,組織内を素早く拡散して細胞膜も自由に通過するので,当初から細胞間メッセンジャーとしての機能が考えられていたからである。とくに細胞間の情報交換を通して成り立つシナプスの可塑的変化にNOが関与するかも知れないという期待があった3)
 NOの作用の一つは,可溶性のグアニレートサイクラーゼを活性化することである。小脳におけるNOの発生もcGMP産生をメルクマールとして捉えられた2)。ちなみに小脳では他の脳部位と比較して高濃度のcGMPが存在する4)。さらにこのcGMPは登上線維を刺激すると高まることが知られている5)

LTPにおけるペプチドの作用―ハチ毒MCDペプチドを中心に

著者: 池中一裕 ,   御子柴克彦

ページ範囲:P.473 - P.476

 シナプス伝達効率の長期増強(LTP:long term potentiation)は本特集の他の項で詳しく述べられているように,入力線維の高頻度電気刺激(テタヌス刺激)によりシナプスの伝達効率が長期にわたって増強する現象であり,記憶や学習と深く関連している可能性があるため注目されている。LTPもしくはLTP様の現象は電気刺激に限らずある種の物質を投与することによっても誘導されることが知られている。このような物質の代表としていろいろな神経伝達物質が挙げられるが,ハチ毒の一種であるMCD(mast cell degranulating)ペプチドもin vitroでラット海馬スライスの灌流液に加えるとLTPを誘導することが報告された1)。このMCDに対する高親和性結合部位が脳内に存在することが知られていた2)ので,われわれはMCDレセプターの性質を明らかにすることがLTPの分子機構を解明する上で有用な知見を与えるものと考えMCDを用いた実験を開始した。

アラキドン酸と海馬シナプスの長期増強

著者: 岡田大助 ,   杉山博之

ページ範囲:P.477 - P.482

 I.海馬シナプス長期増強のポスト説
 BlissとLφmoが最初に海馬歯状回でシナプス伝達の長期増強(long-term potentiation:LTP)を発見したとき,彼らはその機構として三つの可能性を挙げた1)。シナプス前終末(プレ)からの伝達物質放出の増加,シナプス後細胞(ポスト)の受容体の数の変化あるいは感受性の変化,シナプスの形状の変化である。その後LTPの分子メカニズムの研究は,CA1野における2アミノ5ホスホノ吉草酸(NMDA受容体の選択的拮抗薬)の抑制効果の発見以来加速度的に進んだ2)。歯状回の貫通線維と顆粒細胞の間のシナプスのLTP(以後単に歯状回のLTPという),およびCA1野の錐体細胞とシャッファー側枝または交連線維間のシナプスのLTP(以後単にCA1のLTPという)はNMDA受容体を含む機構でLTPが開始することが知られている。このNMDA型のLTPはポスト側で起こる現象であるとする考えが初めは有力であった。その理由となる実験を示そう。
 LTPはNMDA受容体チャネルを通じてカルシウムイオンが流入することで始まる。このことからNMDA型LTPのもつ共同性,連合性が説明されている。カルシウムの流入がポスト側であることをはっきりと示したのはケージドカルシウム(Nitr-5)を使った実験である3)。この物質はカルシウムをキレートするが特定波長の光を受容すればこれを放出する。

LTPのシナプス発芽への移行

著者: 村上富士夫

ページ範囲:P.483 - P.487

 LTPはその名の示すごとく非常に長期に亘ってシナプス増強が持続する現象であり,Blissらは無麻酔ウサギを用いて,16週に及ぶLTPをウサギの海馬で観察している1)。本特集でも詳しく述べられているように,その発生のメカニズムに関してはこの10年間の研究によって著しく理解が進んだ2-5)。しかしその長期に亘る維持の機構は明らかではない。一方,近年のシナプスの可塑性に関する形態学的・生理学的研究により,脳の発達期は言うまでもなく,成熟後もシナプスは形態学的変化を起こし得る柔らかい性質を備えたものであることが明らかになってきた6,7)。シナプスの形態学的変化はその伝達特性を変えるばかりか,非常に長期にわたってその変化は維持される。したがってLTPの維持のメカニズムとしてシナプスの形態学的変化(シナプス発芽)が関与しているとの考えは魅力ある仮説である。本稿では海馬を用いた研究を中心にこの仮説について様々な角度から検討を加えてみたい。

記憶の初期過程と維持における遺伝子の活性化・タンパク質合成―c-fosを中心に

著者: 藤田道也

ページ範囲:P.488 - P.495

 最近では脳も分子生物学の注目するところとなってきた。その一つとして,脳に対するなんらかの刺激による遺伝子の活性化が研究対象となっている。本稿では,ここ数年間に発表された関連研究を人為的に分類し,概観してみることにした。以下で「遺伝子の活性化」とはその遺伝子に含まれる遺伝情報を読み取り可能な状態にすることを指すが,転写・加工を含め,mRNAの生成までの過程を指すのにも用いたことをおことわりしておく。

LTPと老化

著者: 佐藤公道 ,   香月博志

ページ範囲:P.496 - P.500

 海馬の入力線維に刺激電極を刺入し,短時間高頻度の刺激(テタヌス刺激)を与えるとその後長時間にわたってシナプス伝達効率の増強が観察される。長期増強(Long-Term Potentiation;LTP)と呼ばれるこのシナプスの可塑性は,海馬のみならず大脳皮質・上丘など中枢神経系の他の部位でも観察されているが,最初の発見部位である海馬でもっとも容易かつ確実に発現し,生理的に起こり得る高頻度神経興奮によっても発現する可能性が指摘されている。海馬は臨床観察・動物での行動実験などの知見からある種の記憶・学習機能(空間記憶・作業記憶など)に深く関わっている脳部位であることが知られている。海馬でのLTPは持続が長時間(数日から数週間)に及び,またその性質に連合学習との共通性がみられることなどから,学習・記憶の基礎過程として注目されてきた。しかし,海馬におけるLTPと実際の学習行動との直接的な関連を調べた研究は意外に少ない。この面からのアプローチとして,ウサギの瞬膜反射条件付けとの対応性を示唆する一連の研究がよく知られている1)。しかし,この例にしても瞬膜反射をいかにして海馬が制御しているのかという点は明らかになっておらず,小脳における運動学習のように行動と神経回路網との明確な対応づけにまで至っていない。

実験講座

海馬の光生理学

著者: 松本元 ,   飯島敏夫 ,   市川道教 ,   松本芳男 ,   秋山修二

ページ範囲:P.501 - P.509

 脳の学習アルゴリズムを模倣して,学習で知識を蓄え情報処理を行うシステムを創出しようという工学努力が近年盛んである1,2)。この流れの根底には,情報化社会への進展に伴って人に関する情報をますます大量に高速に処理することが必要とされ,したがって人の情報を適切に処理することのできるコンピュータの出現が要望されていることによる3)。このために,脳での学習・記憶のメカニズムを知ることが重要であり,海馬が注目されている。とくに,海馬の神経回路が行う情報処理を細胞レベルで理解することが当面の重要な課題である。この結果,細胞の電気的活動を無侵襲に多点同時に計測する手法の開発が海馬神経回路の機能解析のために欠くべからざるもの,と判断した。ここでは,計測手法の開発努力とこの手法を海馬薄切片に適用した例について紹介する。

連載講座 新しい観点からみた器官

肝臓:その組織構築の重要性

著者: 市原明

ページ範囲:P.510 - P.512

 肝臓は生体の代謝の大部分を担っている臓器であり,たとえば血糖の調節,大部分の血液蛋白の合成分泌,解毒,尿素形成,胆汁分泌,ビタミンの活性化,グルタチオンやメタロチオネインの合成などその機能は実に多様である。またこれらの機能は食物,神経,ホルモンで多彩に調節されている。また肝臓は再生能力の強い臓器で実験的にも臨床的にも肝部分切除後の回復は速い。このような複雑な機能や再生機構を明らかにするのに従来用いられてきたインビボ,灌流,あるいは無細胞系,酵素系では実験系が複雑すぎたり,逆に単純すぎて肝臓の全体像を把握することは困難である。ことにホルモンの影響や肝再生機構の解明にはどうしても培養細胞レベルの研究が必要になってくる。しかし20年前まで培養肝細胞はすべて樹立株であり,機能も多く脱落し,ホルモン効果も欠損し,また無限増殖するような癌化細胞が主であった。これでは正常の肝機能の研究には適当でない。しかし1970年代の前半からコラゲナーゼで分離した肝細胞はこれらの欠点を除き最初に述べた多くの肝機能を維持し,また種々のホルモン(インスリン,グルカゴン,カテコラミン,ステロイドホルモンなど)にも応答する。さらに1980年代になってこのような分化型肝細胞が培養系で増殖する条件も明らかとなってきた。

肝臓―毛細胆管の収縮機能

著者: 織田正也 ,   横森弘昭 ,   石井完治 ,   金子博 ,   東俊文 ,   西崎泰弘

ページ範囲:P.513 - P.524

 肝臓で胆汁が生成され,胆道から十二指腸へ排泄されることは古くから知られていたが,その機構に関しては現在なお不明な点が多い。この胆汁の生成と排泄は,代謝の中心臓器としての肝臓が果たす諸機能のなかでもっとも基本的かつ重要な機能の一つである。
 最近,肝細胞内に新しい小器官(organelle)として細胞骨格(cytoskeleton)1)の存在が注目され,とくに胆道系の起始部である毛細胆管の周囲に豊富に見出されたアクチンフィラメント(マイクロフィラメント)2)は毛細胆管の律動的な収縮運動をひき起こし,毛細腔に分泌された胆汁を駆出する物理的要因として重要であることが指摘された。そして,この毛細胆管周囲性アクチンフィラメント(BCMF)の障害によって,肝臓内に胆汁が停滞する,いわゆる肝内胆汁うっ滞と呼ばれる黄疸が起こることが示され,新しい病因説の提唱に至った3)

解説

神経系の多様性,特異性形成の機構

著者: 山森哲雄

ページ範囲:P.525 - P.532

 高等動物の神経系は1011~1012の神経細胞からなる高度に複雑な系である。神経系の機能すなわちその中での情報伝達の機構を考える上で,この特異性,多様性がどのように形成されるかは一つの基本的な問題である。本稿では最近の末梢神経系,脊髄,後脳で得られた知見を整理した上で,この問題について考察してみた。

話題

第21回アメリカ神経化学会日米合同シンポジウム

著者: 大平敦彦

ページ範囲:P.533 - P.535

 〔フェニックスヘ〕
 1990年3月3日,桃の節句を祝う日本を後に,第21回アメリカ神経化学会年次総会日米合同シンポジウムに出席するため,開催地アリゾナ州フェニックスに赴いた。ロスアンジェルスからは,空路約1時間の地にあるフェニックスだが,目的地に近づくにつれ,空からの眺めは,荒涼たる砂漠とくすんだ岩山となった。“太陽の谷間(The Valley of the Sun)”と呼ばれるフェニックスは,年平均300日が晴天で,平均降水量も年7インチときわめて少ない。学会期間中も,もちろん連日晴天であった。ビールの大ジョッキを思わせるコップに,ナミナミと注がれたジュースも,普段ならあまりのボリュームに圧倒され飲む意欲をなくすところであるが,この乾燥した土地では,おいしく飲めた。

基本情報

生体の科学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1883-5503

印刷版ISSN 0370-9531

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