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雑誌目次

雑誌文献

生体の科学43巻1号

1992年02月発行

雑誌目次

特集 意識と脳

意識とは―神経科学からのアプローチ

著者: 伊藤正男

ページ範囲:P.4 - P.6

 運動や認識などの脳機能の中で,意識は特異な地位を占めている。自然科学が主観を徹底的に排除して,客観に立脚しようとしたとき,意識の問題は必然的に自然科学の枠外におかれることとなった。心理学からさえも排除され,哲学ないし精神医学のなかでようやく生き延びてきた。最近Crickが述べていることであるが,10年前意識の問題を大学の教室で真面目に語ることは困難であった。そんな話しに耳を傾ける学生は先ずいなかったであろう。
 しかし,最近意識に対する科学界の態度は大きく変わってきたように見える。従来脳の機能全体があまりにも漠然として取りつきがたく,認知や運動の機能にアプローチするのがようやくであったのが,これらについての研究が進み,理解が深まると,今度は意識の問題がまだ手つかずの未知の領域として興味を引くようになってきた。脳と心,物質と精神,分子と情報の対立といった,現代科学に残された大きな謎を凝縮して表現している問題として注目を集めるようになったともいえる。デカルト以来,遠くにベールを被っていた自然科学の最終問題がいよいよ姿を表してきたとの観がある。

意識の進化:動物の意識

著者: 松沢哲郎

ページ範囲:P.7 - P.11

 実験室で,そしてアフリカの森で,チンパンジーの認識の研究をし,ヒトの認識と比較してきた。比較心理学的パースペクティブをもった認知科学,すなわち「比較認知科学」というのが,筆者の研究の視点である(Matsuzawa, 1985 ab;1989;1990)。
 成果を最近2冊の著書にまとめた。「チンパンジーから見た世界」,東京大学出版会(松沢,1991a)。もう一冊は,「チンパンジー・マインド」,岩波書店(松沢,1991b)と題した。前者は,チンパンジーに視覚性人工言語を教えた「アイ・プロジェクト」の13年間の全成果報告である。後者は,認知発達や社会的知能や野生での道具使用までを含めて,チンパンジーの認識の全体像を示している。

PETにみる意識

著者: 遠藤啓吾 ,   平野恒夫 ,   石原十三夫

ページ範囲:P.12 - P.19

 核医学検査では,ごく微量の化学物質を放射性同位元素(以下RI)で標識してトレーサーとして投与することにより生体の生きたままの状態で,生理・代謝系になんら影響を与えることなく,その動きを観察できる特徴がある。
 ポジトロン断層法(positron emission tomography:PET)の登場により,RIの体内分布を断層像として正確に測定することが可能となり,脳の血流や代謝機能を目でみることができるようになった1)

マグーンの網様体賦活系説のその後

著者: 川村浩

ページ範囲:P.20 - P.24

 まず意識について整理しておきたい。日常使われる意識という用語は,主観的体験としての自我意識を意味している。これに対して精神科をのぞき,多くの場合に医学で論じられる意識は脳波や刺激に対する反応など,客観的に観察される尺度を総合して現定された脳の活動水準のことである。
 睡眠は自我意識の,生理的な周期性をもつ喪失であり,この点からも睡眠・覚醒の機能系と意識との関係の研究は切り離せない。

40ヘルツ波による共鳴結合の仮説

著者: 松本修文

ページ範囲:P.25 - P.29

 最近,パターン認識を神経活動の同期的振動(共鳴)で説明しようとする理論と,それにひき続きこれを支持する実験結果が発表され,脳をめぐる研究者の間で議論の的となっている1)。ここでは,パターン認識における共鳴現象の意味と,実験結果の評価について述べる。

注意の心理学―視空間的注意を中心に

著者: 下條信輔 ,   彦坂興秀

ページ範囲:P.30 - P.36

I.「注意」とは?
 知覚・認知心理学でいう「注意」とは,なんらかの手がかりや意図的な努力などによる,局所的で一時的な感覚情報処理の選択と促進をさす。またその裏の意味で,選択されなかった情報の排除や抑制を含む場合もある。日常用語としての「注意」の意味からそれほどかけ離れているわけではないのに,実験的探究の対象としてみた場合つかみどころがなく,タブー視する人さえあるのは何故であろうか。一つには,注意が生体の内部状態と考えられ,客観的に観察可能な刺激変数や行動に直接還元しにくいために,行動主義的研究方法の伝統にそぐわなかったことを指摘できる。しかし最近になって,内部過程を重視する認知科学的アプローチの台頭,刺激とも反応とも直接随伴活動しない「注意関連」ニューロンの,高次皮質や基底脳における発見などに伴い,注意の行動学的研究の重要性が再認識されつつある。とりわけ注意が;a)高次認知系と低次感覚系との協応,b)異なる感覚モダリティ間での協応,c)感覚系と運動系の協応,d)自覚的な過程と無自覚的な過程との協応などにとって不可欠の役割を果たしていることから,今後ますます高次脳機能研究の中心的テーマとなることが予想される。
 注意の研究史は長く,そのすべてを展望することはできない。そこでここでは,主として視空間的注意に関する従来の方法と知見の要点を手短かにまとめた上で,最新の動向を重点的に紹介したい(他の総説1-6)を参照せよ。聴覚における注意や注意の非空間的側面などを含む総説もある7-9))。

夢見と意識

著者: 鳥居鎮夫

ページ範囲:P.37 - P.40

 夢を見ている人にとって,夢での体験は本当に現実に存在すると思われる。実際には,それは本当でなくて,夢を構成しているイメージと感覚は,その夢を見るずっと前に体験したことが記銘されたものなのだが。このような「幻覚」が起こるのは,夢見睡眠中に,感覚性皮質の興奮によって心像ができるためである。眠っている人は,その興奮を起こす刺激が脳のなかから来ていることを理解できないので,そのイメージが本当であると,すなわち,覚醒時のように,その刺激が外から来ていると解釈するしかない。この「幻覚」は,正常な夢見睡眠の一部分として毎晩規則正しく起こっている。もしこれが覚醒中に起こるならば,精神障害と見なされるだろう。
 こんな不思議なことが眠っている脳で起こっているのだが,最近の脳研究の進歩によって,そのメカニズムが少しずつ解きあかされつつある。ここでは,眠っている脳はどのようにして夢イメージを作りだすのかについての最近の知見を紹介しよう。

意識の水準

著者: 木谷泰治

ページ範囲:P.41 - P.48

 意識という言葉は,日常さまざまな定義のもとに用いられており,立場,観点を異にすると,その意味や内容に多少の違いがみられる.したがって意識の神経生理を論ずること自体に無理がある.しかし臨床的には,意識障害の有無や,その程度を問題にする場合には,意識水準のレベルを具体的に表現した分類が必要となってくる。そこで,ここでは,主観的体験を問題とせず,客観的に観察できる,刺激に対する行動応答の様式からの意識水準について述べることにする。このような意味での意識水準の変化としては,意識とは,自己および環境に対する認知や,働きかけが可能な心の状態であり,睡眠,覚醒の変動とその異常が大きな意味をもつ。とくに,脳波の発見以来,脳波のパターンを指標にしてさまざまな動物実験がなされ,ある程度客観的な意識水準の変化が把握されてきている。しかし,睡眠,覚醒の発現機構におけるさまざまな神経薬理学的な矛盾があらわれており,一言的に説明可能な意識水準の評価法がないことに留意する必要がある。

両半球と意識

著者: 杉下守弘

ページ範囲:P.49 - P.53

 われわれは通常は外界で起こっていることに気付いている。たとえば,100m先にビルが建っているとか,バスがこちらに向って走ってくるといったことに気付いており,それがどんな意味をもっているかも理解している。また,われわれは自分の内的世界で精神活動が起こっており,それに気付き,それを理解している。たとえば,ずっと会っていない友人に今日の午後に会えるのでうれしい気分であるとか,今,明日の予定を決めているところだといったことに気付いており,それを理解している。意識の定義には種々のものがあるが,外界で起こっている出来事および内界で生じている精神活動に気付きそれを理解している状態を「意識がある」と定義してほぼ間違いないと思われる。なお,内界で,「精神活動が行われる」ということも意識の定義に含意されている。
 意識は大脳と関連が深いとされ,意識と大脳は多くの人々によって論ぜられてきた。大脳と意識の問題を解明する重要な方法の一つは,大脳全体でなく大脳の各部分が意識とどういう関係にあるのかを検討することである。大脳は右半球と左半球から成り立っている。したがって,大脳の部分といえば,まず,右半球と左半球が問題になる。そして,右半球あるいは左半球だけで意識があるのかとか,右半球と左半球の間の連絡が断たれると意識はどうなるのかなど両半球と意識がテーマとなってくる。本稿ではこのテーマについて筆者の研究も含めて論じたい。

精神医学における意識障害

著者: 町山幸輝

ページ範囲:P.54 - P.58

 I.精神医学における意識の概念
 意識consciousness, Bewuβtseinという言葉はかなり多義的で,哲学,心理学,社会学,生物学,医学などの分野において様々の意味で用いられている。医学の分野においても精神医学とそれ以外の領域,たとえば神経学とでは意識の概念は異なり,また精神医学の中においても意見の相違がみられる。
 医学における意識のもっとも基本的な意味は《個体が外界に対して注意を向け,対象を認知し,それに対して応答しうる状態にあること》である。この意味での意識の対極にあるものは,一つには生理的な睡眠,もう一つには病理的意識消失であって,両極の中間には様々の程度に意識が減弱した意識混濁がある。このような意識はヒトと動物で同様に捉えうる行動的,生物学的な概念であり,覚醒arousalあるいはヴィジランス(覚性,覚醒性) vigilanceという神経生理学的概念と置き換えることができる。精神医学以外の領域で用いられる意識はもっぱらこのような意味でのもので,歴史的にはこれに対してconsciousnessよりはsensoriumの語が当てられていた。

意識障害―外因反応型と症状精神病

著者: 松下正明

ページ範囲:P.59 - P.63

 もっぱら本論で扱うのは臨床場面における意識障害の問題である。
 意識や意識障害の問題は精神医学における中心テーマの一つであり,いつの時代にあってもわれわれ精神科医を魅了してやまない。

脳と心の二元論の意義

著者: 養老孟司

ページ範囲:P.64 - P.66

I.二元論と社会
 「脳と心の二元論」の意義を論ぜよ,というのが私に与えられたテーマである。二元論の意義は社会的には明白であろう。トマス・ヘンリー・ハックスレーと,ウィルバフォース大司教の,進化に関する公開論争以降,西欧においては,教会は「心」,科学は「モノ」と,基本的に科学と教会とがその領域を分け,いわば「棲みわける」ことができたのである。
 もちろん,わが国では事情が違う。最近,私が調べたところでは,日本の哲学者はすべて,人によっては暗黙のうちに心身一元論をとっていると思われる。一元論の一方の極は唯物論であり,他方の極は唯心論である。この国では後者が優越する。

連載講座 新しい観点からみた器官

胎盤―胎盤機能と胎児発育

著者: 森山郁子 ,   飯岡秀晃 ,   斎藤滋 ,   島本太香子 ,   一條元彦

ページ範囲:P.67 - P.76

 胎盤は母体と胎児間に存在し,妊娠維持や胎児発育に必要な物質を産生し,また一方栄養素の輸送器官である。さらに妊娠は移植免疫学的には一種の同種移植であり,胎盤は母体の直接攻撃を防ぎ,免疫抑制因子の巧妙なバランスの上に成り立っている。
 ヒト胎児は分娩までに3,000gに発育し,胎盤自身も発育して500gに達する。胎盤は胎児にとっては呼吸器,腎臓,肝臓,消化器の役割を備え,内分泌産生臓器でもある。この多彩な胎盤の機能を十分発揮するためには,絨毛間腔を絶えず,循環する300mlの母体血流と胎児絨毛組織の発達が重要な役割を果たしている。母児物質交換の場である胎児絨毛上皮細胞の総表面積は15m2もあり,テニスコートの1/2に相当する。

実験講座

新しいステレオロジーによる神経細胞密度とシナプス密度の測定法

著者: 福井義浩

ページ範囲:P.77 - P.85

 細胞や組織の微細構造の研究には光学顕微鏡や電子顕微鏡が主要な役割を演じてきた。今日でもその重要性に変わりはない。もちろん光顕像や電顕像は薄い1枚の切片を見ているわけだから,そこからある組織に存在する全構造物をありのまま見ることは不可能である。経験豊かな形態学者は異なった角度や種々の面を通っての多数の切片を観察することで頭の中で立体像を組み立ててきたが,このようにして推定した形は主観的な立体像である。最近,顕微鏡像から立体像を得るのに,連続切片像からコンピュータの助けを借りた立体再構築の手法が用いられているが,この方法は,目的の構造物についての立体像・相互の位置関係を調べるには好都合ではあるが,本稿の目的とは異なる。
 医学・生物学の分野においての組織内構造物(以下“粒子”と呼ぶ)の定量化では,何枚かの二次元断面像(光顕像,透過型電顕像)から,実際の生体内での粒子の三次元的状況,すなわち数や大きさの推定を行ってきた。このような場面で,三次元の空間に存在する対象粒子についての種々の計測値をそれより次元の低い二次元像から幾何学的な確率論を用いて推定する方法が,ステレオロジーである。ステレオロジーは形態を定量的に扱う手段(morphometry)の一つであり,「三次元の形態についての幾何学的諸量を,より次元の低い面や線において得られる情報から統計数学を用いて推定する方法論」と定義することができる。

話題

Axonal Transport and the Cytoskeleton国際シンポジウムに出席して

著者: 田代朋子

ページ範囲:P.86 - P.87

 シドニーで開催された国際神経化学会議のサテライトの一つとして開かれたこのシンポジウムは,軸索内輸送に関する国際会議の第3回目であった。1981年にドイツで開かれた第1回,1986年にカナダで開かれた第2回とも,50~70人の小規模な集まりで,全員が会場に宿泊し,文字通り寝食をともにして話しあうことを特徴としていた。今回もこの伝統は忠実に守られており,ケアンズ近郊のキワラ・ビーチに隔離されて,楽しくかつ実りの多い二日半を過ごした。
 シンポジウムは,1)軸索細胞骨格,2)輸送モーターと輸送機構,3)順行性および逆行性輸送顆粒,4)軸索内輸送の生理的,薬理的変動,の四つのセッションに分れていたが,看板とは異なる内容の話に変身する人もいて,全体として遅い輸送,すなわち細胞骨格蛋白の輸送と,これに深く関連する神経再生に関する話題が多く,速い輸送に関しては一段落したという現況を表しているように思うので,これらのテーマを中心として以下に紹介したい。

基本情報

生体の科学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1883-5503

印刷版ISSN 0370-9531

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