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追悼
熊谷 洋先生を偲んで
著者: 「生体の科学」編集委員
所属機関:
ページ範囲:P.639 - P.639
文献購入ページに移動 東京大学名誉教授,「生体の科学」編集顧問であられた熊谷洋先生は平成4年11月11日午後4時8分永眠されました。享年88歳でした。
先生は新潟県長岡のご出身で新潟高校を経て東京帝国大学医学部医学科を昭和5年に卒業されました。昭和18年薬理学教室講師のままジャカルタ医科大学教授として赴任され,インドネシアの若い人達への教育に熱情をそそがれたと伺っています。昭和21年復員して薬理学教室に戻られて,昭和22年同助教授,昭和29年薬理学第二講座教授に昇任されました。またこの年から32年まで薬学科薬品作用学教室の初代教授を兼任され,医学界,薬学界の薬理学領域の多くの人材を育てられました。昭和37年から39年まで医学部長を務められ,昭和40年退官,名誉教授となられました。昭和41年から51年まで日本医師会副会長として当時の武見会長を助け,国際的に日本医師会の地位を高める努力をなさいました。昭和51年より59年まで,日本医学会会長として日本医学会シンポジウムなどの日本医学会の学術的レベルの向上に努められました。
先生は新潟県長岡のご出身で新潟高校を経て東京帝国大学医学部医学科を昭和5年に卒業されました。昭和18年薬理学教室講師のままジャカルタ医科大学教授として赴任され,インドネシアの若い人達への教育に熱情をそそがれたと伺っています。昭和21年復員して薬理学教室に戻られて,昭和22年同助教授,昭和29年薬理学第二講座教授に昇任されました。またこの年から32年まで薬学科薬品作用学教室の初代教授を兼任され,医学界,薬学界の薬理学領域の多くの人材を育てられました。昭和37年から39年まで医学部長を務められ,昭和40年退官,名誉教授となられました。昭和41年から51年まで日本医師会副会長として当時の武見会長を助け,国際的に日本医師会の地位を高める努力をなさいました。昭和51年より59年まで,日本医学会会長として日本医学会シンポジウムなどの日本医学会の学術的レベルの向上に努められました。
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