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雑誌目次

雑誌文献

生体の科学44巻5号

1993年10月発行

雑誌目次

特集 現代医学・生物学の仮説・学説

序にかえて

著者: 「生体の科学」編集室

ページ範囲:P.404 - P.404

 世界の医学および関連生命科学における研究が現在のようにはやいスピードで前進している時代は,かつてありませんでした。毎日のように新しい発見・知見が飛び込んできます。一見関係の薄い分野のできごとと思っていたものが続く発見・知見によってじつは自分の専門とのっぴきならない関係をもつものであることがわかってくる,といった経験は多くの人に共通のものだと思われます。
 そのようなとき,現時点における学問体系全体をすばやく見通す必要に迫られます。そのさい役立つ見取図を読者に提供することが本企画の目的です。「生体の科学」編集室では,既成の分野における新しい進歩や最近開かれた分野における知見を仮説・学説あるいはキーワードといった単位で取りあげ,各分野の研究者に要領よく解説していただきました。各項目には簡単な概説をつけていただき,最近の知見を理解する近道といたしました。

1.細胞生物学

生体膜

著者: 藤田道也

ページ範囲:P.406 - P.409

概説
 生体膜は(真核細胞の場合)細胞表面の膜(細胞膜あるいは形質膜)と細胞内部の膜(小胞体膜,ゴルジ装置膜,核膜,ミトコンドリア膜,その他の細胞内膜)に分けられる。核膜(正確には核包nuclear envelope)とミトコンドリア膜は内外の二膜からなる。どの膜も骨格として脂質重層lipid bilayerをもつ。脂質重層をつくっている脂質の主成分はリン脂質(おもにグリセロリン脂質,ミエリン鞘ではスフィンゴリン脂質)であるが,少数成分として糖脂質(スフィンゴ糖脂質)が含まれる。また,細胞膜にかぎりコレステロールがリン脂質と1:1のモル比で存在し,膜の剛性を高めている。膜を構成するまたは膜と会合したタンパクを膜タンパクmembrane proteinとよぶ。温和な界面活性剤で膜から溶出できないものをインテグラルプロテインintegral protein,溶出しうるものをペリフェラルプロテインperipheral proteinとよぶ。これらは操作上の定義であり厳密なものではない。
 実体としてみれば,脂質層を貫通するタンパク(膜貫通タンパクmembrane-spanning protein:例,受容体,トロンスポータ,チャネル)はインテグラルプロテインとしてふるまう。

酸化的リン酸化

著者: 香川靖雄

ページ範囲:P.410 - P.411

概説
 酸化的リン酸化は呼吸(電子伝達)のエネルギーによってATPを合成する反応である。したがって人体のエネルギーの大部分はこの反応に依存している。△μHとATP合成酵素(F0F1)とミトコンドリアをキーワードとする3つの仮説を概説し,各々を実証した方法を図で説明する。ここで用いる電気化学ポテンシャル差(△μH)とは膜の両側の電位差△Ψの項と濃度差の項(-z△pH,zは定数△pHはpHの差)による仕事の合計である。

リソソームと食機能

著者: 西村行生 ,   姫野勝

ページ範囲:P.412 - P.413

概説
 リソソームは一重の限界膜に囲まれた小顆粒で,その内部は膜結合タンパク質であるv-ATPase(液胞型ATPase)によりpH4.5の酸性に保たれている。リソソーム内には強力なエンドプロテアーゼ活性を有するプロテアーゼ群(カテプシン)が存在しており,細胞内外より取り込まれた物質の分解を担っている。
 細胞内のタンパク質はそれぞれ固有の半寿命をもっており,たとえば代謝調節に関与する酵素や癌遺伝子産物の寿命は短いのに対して,細胞の構成タンパク質は一般に長寿命である。また細胞の構成成分であるタンパク質の寿命は,細胞の代謝の変化やホルモン,栄養バランスにより変動する1)。一般に,リソソーム内ではおもに長寿命のタンパク質が分解されることがこれまでの生化学的研究により明らかにされているが,これに対して短寿命のタンパク質は非リソソーム経路で分解反応が進むと予想されている。いずれの分解経路もATPの存在下で反応は進む。これまでに細胞内のタンパク質分解の80%以上はリソソーム経路で行われているという報告もあるが1),現在そのタンパク質分解の制御機構の全体像は明確でない点が多い。

膜のリサイクリング

著者: 門田朋子

ページ範囲:P.414 - P.415

概説
 膜のリサイクリングとは,再利用を含む膜の再循環(recycling)という現象をさしており,神経細胞,分泌細胞に広くみられる。この現象は1970年代はじめ,「シナプス小胞膜再循環仮説(synaptic vesicle membrane recycling hypothesis)」として,機能と密着した微細形態的現象として提示された1)。この後「膜再循環」はシナプス小胞のエクソサイトーシス・エンドサイトーシス現象の一環として各種のシナプスで広く検討されてきた2,3)。1980年代に入ってから[膜のリサイクリング」の研究は免疫細胞学的手法の導入によってさらに進展してきた。分泌細胞.神経細胞を通じて,Kellyらの提唱する調節性分泌経路5)のなかの共通の一過程として捉えられ,検討されるようになってきている。
 シナプス小胞膜再循環仮説

分泌

著者: 菅野富夫

ページ範囲:P.416 - P.419

概説
 分泌細胞が分泌物の素材を取り込み,分泌物を生合成し,細胞内を移動させ,貯蔵し,分泌刺激が受容体に結合して細胞内シグナルを介して分泌物が細胞外へ放出されるまでの一連の細胞反応を総称して分泌secretionと表現する。分泌は5形式に分類されているが1),本章ではこれらの中から現在もっとも研究が集中している開口放出(exocytosis)を中心に,考察する。
 開口放出は,蛋白質,ペプチド,ATP,アミンを分泌するニューロン,パラニューロン,腺房細胞,肥満細胞などの分泌細胞に共通する放出形式である。この際の開口放出は,刺激始動性あるいは調節性開口放出(stimulated or regulated exocytosis)と表現され,小胞が細胞膜に到着するやいなや進行して細胞膜に新しい構成要素を挿入する機構としての膜構成開口放出(constitutive exocytosis)とは区別される。調節性開口放出では,分泌果粒(secretory granule)あるいは小胞(vesicle)の限界膜と分泌細胞膜・放出部位内面とが接着し,両膜が融合し,融合部に小孔が生じ,この開口部を通って果粒あるいは小胞の内容だけが細胞外に放出される。Ca2+シグナルが開口放出をひきおこすまでの分子機構を概説した。

細胞骨格

著者: 石川春律

ページ範囲:P.420 - P.423

概説
 細胞骨格(cytoskeleton)の概念は漠然としたものであるが、細胞を内部から構造的に支持する細胞質線維系ということができよう。細胞の形が蛋白質性線維成分からなる骨組みによって支えられているという考えは以前からあった。この骨組みを表す「細胞骨格」は長い間,単なる概念にとどまっていた。電子顕微鏡技法の発展により,個々の線維成分が明瞭に可視化されるようになって,はじめて細胞骨格の実体が明らかになった。その後、構成蛋白質の生化学的分析も進み,細胞質の基本的要素としてとらえられ,その生理機能の重要性が認識されるようになった。細胞骨格の概念は以前考えられていたよりはるかに広くなっている。
 細胞はそれぞれ特徴的な外形を有し,内部でも,核をはじめミトコンドリア,小胞体、ゴルジ装置などの膜オルガネラがある一定の分布や配列をとっている。さらに,細胞内でオルガネラや顆粒などが方向をもって移動し,物質も輸送されている。細胞のそのような形態や活動を支えるためのおもな担い手が細胞骨格といえる。また,同じ細胞骨格要素が運動装置を作り,いろいろな動きの原動力発生の場となっている。

細胞運動:筋収縮

著者: 丸山工作

ページ範囲:P.424 - P.425

概説
 筋収縮の機構については,H. E. Huxley,J. HansonとA. F. Huxleyによる滑り説(1954)が長い間有力であった。すなわち,サルコメア内の中央に固定されたミオシンフィラメントにそってアクチンフィラメントが両側から滑り込むとする説である(図1)。電子顕微鏡像,X線解析,張力測定は,すべてこの方向性をもった2種類のフィラメント間の相対的滑りを支持した。しかし,このことが実証されたのは筋肉ではなく,植物のフラスモ細胞ゲル層に方向性をそろえて並んだアクチンフィラメント上をミオシン分子をつけたプラスチック小球がATPで滑走することによってであった(Spudichら,1985)。図1のように,もしミオシンフィラメントが固定されていないと,ミオシンはアクチンフィラメント上を反矢じり方向に移動する。滑りの方向は,アクチンフィラメントの方向性(ミオシン分子が結合してできる矢じり構造から判定される)によっている(図1)。
 問題は,滑走運動の仕組である。直接のエネルギー源がATPであり,ミオシン分子の頭部にATPase活性のあることから,ミオシンが化学エネルギーを機械エネルギーに変換することによって,アクチンフィラメントを動かすものと考えられた。A. F. Huxley(1957)は,ミオシン頭部が首振り運動してATP1分子の分解ごとにアクチン1分子を移動させる“首振り説”を提出した。

細胞質分裂

著者: 馬渕一誠

ページ範囲:P.426 - P.429

概説
 動物細胞は紡錘体のちょうど真ん中にあたる表層がくびれて分裂する。この現象は顕微鏡でよくみえる現象であるので古くから研究されている。しかし,なぜ紡錘体の真ん中でくびれるかはまだわかっていない。くびれ(分裂溝)の進行の機構の研究はそれに比べて進歩があった。1968年から1973年までの間に,いろいろな種類の細胞で分裂溝部分の細胞膜直下にアクチン繊維が平行に並んで細胞を取り巻く構造(収縮環)が発見された(図1)。最近ではこの構造は動物細胞に限らず、細胞性粘菌,単細胞藻類,分裂酵母でも観察されている。蛍光抗体法により,分裂溝部分にはミオシンも集まっていることがわかった。ヒトデ卵に卵ミオシンの抗体を注入すると核分裂は影響を受けなかったが,細胞質分裂は阻害されたのでアクチン-ミオシン相互作用が分裂溝の進行の原動力であることがわかった(Mabuchi & Okuno,1977)。また細胞性粘菌でミオシン遺伝子を破壊したり,アンチセンスDNAを導入したりしてミオシンの発現を抑えると細胞質分裂がおこらないことも報告された(DeLozanne & Spudich,1987;Knecht & Loomis,1987)。
 一方,分裂溝がどのようにして正しい位置に形成されるのかについては,いくつかのみごとな生理学的実驗がある。

細胞極性

著者: 山科正平

ページ範囲:P.430 - P.431

概説
 細胞の極性(cellular polarity)という概念は必ずしも明瞭には定義されていないが,一般には細胞の形態や構造が細胞の機能軸と合致した非対称性をもつという現象を極性とよんでいる。これは高度に組織化された上皮細胞や神経細胞でとくに顕著に認められる。上皮細胞はその一面で基底膜や隣接細胞と接着し,そこを経由して細胞相互あるいは結合組織側と物質の移動が行われるのに対し,反対側は自由表面として外界に直面させて外界との相互作用が営まれている。つまり細胞膜はtight junctionにより基底面と自由表面との大きく二つのdomainに区分され,それぞれの領域に分布する酵素をはじめとする膜蛋白は完全に異なり,両者が混じり合うことはない。また細胞内の小器官も核をはさんで基底側と自由表面側では大きく異なった分布をしている。神経細胞では細胞体をはさんで一方に樹状突起,反対側に軸索をもち,その方向にそって情報の伝導が行われている。
 細胞極性には,細胞小器官の非対称的な配置(細胞質極性cytoplasmic polarity)と細胞膜の局所的な不均一性(表面極性surface polarity)との二つの側面があるが,細胞内で合成された物質の方向性をもった輸送という観点から一元的にとらえる方向で研究が進められている。

細胞間結合装置

著者: 鈴木二美枝 ,   永野俊雄

ページ範囲:P.432 - P.433

概説
 多数の細胞が集合して機能する場合,隣接細胞間には相互間の結合維持や,間隙のシール,情報連絡などの機能をになう結合装置が形成される。脊椎動物の場合,閉鎖帯,接着帯,接着斑,ネキサスの4種類が通常認められる。構造的要素は,a)細胞膜,b)膜貫通分子,c)細胞膜裏打ち構造,d)細胞内線維である。a,bはすべてに共通してみられるが,c,dは細胞間の強固な結合に関与する接着帯や接着斑でよく発達する。
 これまでの知見では,4種類とも隣接細胞の膜貫通分子同士が細胞外の部位で同種分子間接着により結合しており,原則的に細胞外基質が接着に関与しない。他方,固着細胞の多くは基質との間に結合をもち,その発達した構造として接着斑や接着帯の半分の構造をもつヘミデスモソームや細胞-基質間接着結合(focal contact)が形成される。これらの場合は膜貫通分子と基質中の分子との間で異種分子間接着がおこる。細胞間結合装置では膜をのぞく構成要素の多くが蛋白質であり,現在これらの同定,局在,機能の解明が急速に進展している。それらのおもなものを表1に示す。紙面の関係上,本文では学説や特筆すべき点のみをのべる。

細胞間連絡

著者: 菅野義信

ページ範囲:P.434 - P.435

概説
 高等動物も無数に近い“細胞”から成りたち,前世紀末の生物の構成要素である“細胞”の発見はあまりに偉大であった。これがSchleiden,Schwannの細胞独立説に発展し,細胞間の統制や制御は液性調整(ホルモン)と神経統制によることが明らかになった。1本の軸索におこる興奮(活動電位)は平行に隣接する軸索に移ることはなく,その1本の軸索を縦に伝導する。一方,ホルモンは特定の細胞から分泌され血中を移動し,標的器官の細胞だけにはたらく。両者とも細胞独立説にたいへん都合がよい。
 1925年,病理学者Schnüdtmann女史は色素反応により,各種動物の正常,または疾病の唾液腺細胞の水素イオン濃度を測定した。膨大な論文中,細胞内に注入した色素が隣接細胞中に移動したことを一行記載した。細胞独立説に反する現象なのですぐ忘れ去られてしまった。

ストレス蛋白質

著者: 矢原一郎

ページ範囲:P.436 - P.437

概説
 Ritossaは,キイロショウジョウバエ幼虫を高温にさらすと,多糸染色体のパフの出現位置が著しく変わることを発見した(1962)。当時,新しい細胞学の研究者は染色体の遺伝子発現とパフの出現が関係あるものと考えていたので,この発見は注目された。やがて,キイロショウジョウバエをはじめとする生物で,個体,組織そして細胞を高温やエタノール,遷移金属などの有害な物質にさらすと,数種類の新しい蛋白質の合成が誘導されることが見いだされた。これらの蛋白質がストレス蛋白質であるが,当時の実験では高温処理つまり熱ショックがもっとも使われたので,熱ショック蛋白質といわれていた。ちなみに,ストレス蛋白質HSP70やHSP90というのは,それぞれ分子量70,000と90,000のheat shock proteinという意味である。
 やがて,それぞれのパフがどのストレス蛋白質に対応しているかも明らかにされた(1970年代後半)。次いで,ストレス蛋白質の遺伝子発現を支配するプロモーター領域にあるcis-acting element(HSE)と,それに結合する転写因子HSFの研究が非常に盛んになった。

細胞増殖

著者: 市原明

ページ範囲:P.438 - P.441

概説
 生物の基本単位は細胞であり,細胞が分裂増加することが生物と無生物との明確な違いであり,これで子孫を増加させるという生存の基本機構を営んでいる。またこれが成長,修復,分化そして癌化などと関連して,現在分子細胞生物学の中心研究課題となっている。しかしここでは,自分が経験した肝臓再生研究から考えたことを述べたい。またこの特集の趣旨からして独断と偏見に満ちていることもお許し願いたい1-3)
 細胞増殖機構の研究は大きく分けると,増殖分裂の形態的観察,増殖因子の同定,そのシグナル伝達経路,その遺伝子応答としての細胞分裂マシンの作用機構の研究などではないか。このうち形態変化の観察は顕微鏡の発明以来詳細に研究されているが,その分子機構研究の方は最近まで必ずしも大きく進歩したとはいえない状況である。

細胞周期

著者: 岸本健雄

ページ範囲:P.442 - P.445

概説
 細胞の複製にとっての細胞周期上のキーポイントは,G1期中でG0期ではなくS期に向かうことを決定するスタート(regstriction)点1),G1/S期移行点,およびG2/M期移行点である。これらの通過を制御する主因子群は,CDKs(cyclin-dependent[cdc 2-related]kinases,サイクリン依存性[cdc 2関連]キナーゼ群)であると最近判明してきている(図1)。これはM期制御因子であるサイクリンB・cdc 2複合体(cycB・cdc2;cdc2キナーゼ)に始まるが,その前には,歴史的には3つのまったく独立した研究の流れ―MPF,cdc2,サイクリン―があった2-4)
 MPF:カエルなどの動物卵の成熟誘起に際し、卵成熟誘起ホルモンの卵表での効果を卵細胞質中で核に仲介する活性として,MPF(maturation-promoting factor,卵成熟促進因子)は同定された(Y. Masui,1971)。その後1980年頃には,MPFは,分類上の門や減数分裂と体細胞型分裂との違いをこえて,全真核細胞に普遍的なM期誘起因子(M-phase promoting factor)であることが確かとなった。

減数分裂の機構

著者: 今井義幸 ,   山本正幸

ページ範囲:P.446 - P.447

概説
 減数分裂は,有性生殖に必要な配偶子の形成過程でみられる分裂様式であり、種の保存や進化に重要な役割を担っている。減数分裂は19世紀末にその存在が認識されるようになり,今世紀前半に細胞学的,遺伝学的な研究が始まつた。近年になって電子顕微鏡の発達によって超微構造に関する知見が深まり,さらに分子生物学などの新しい技術を用いることにより,その分子機構についての解析が行われている。減数分裂は,減数分裂前DNA合成,減数第一分裂,および減数第二分裂の3つの段階に分けることができる。2倍体の細胞は父方由来と母方由来のひと組の相同染色体をもつが,減数分裂前DNA合成によってそれぞれが複製し,これが連続した2回の分裂を経て1倍体の配偶子を形成する。減数第一分裂では,それぞれの相同染色体の複製によって生じた姉妹染色体が,一つのユニットとして一方の核へと分配される。これは体細胞分裂とは異なる,減数分裂に特異的な分裂様式である。これに対し,減数第二分裂では体細胞分裂と同様に,姉妹染色体が2つの核に均等に分配される。減数第一分裂の際には非常に高い頻度で相同的組み換えがおこり,遺伝情報の交換・再分配が行われる。この時期に染色体の示す複雑な挙動については,形態学的な知見が蓄積している。
 動植物細胞の減数分裂機構を研究する際には、培養細胞を用いて減数分裂を再現するのが困難であるなど,研究手法上の課題が残されている。

2.分子生物・遺伝学

DNA複製

著者: 岡崎恒子

ページ範囲:P.450 - P.455

概説
 DNAの二重らせんは,逆向き(5'→3',3'→5')に配向する二本の相補ポリヌクレオチド鎖が相補塩基間(AとT,GとC)の水素結合により対合した規則的らせん構造をもつ。WatsonとCrickはDNAの二重らせんモデルを提唱した際(1953年),特徴として複製に際し親相補鎖がほどけ,生ずる二本の親一本鎖のおのおのを鋳型として新しい相補鎖(娘鎖)を合成できることを指摘した。この機構は,次世代分子の片方の鎖に親鎖由来の分子が保存されるので半保存的複製とよばれる。MeselsonとStahlは,密度標識実験により大腸菌DNAが半保存的に複製されることをみごとに証明した(1958年)。
 DNA合成反応の主役はDNAポリメラーゼである。最初に発見されたのは大腸菌DNAポリメラーゼⅠで,Kornbergら(1956年)の研究により,合成反応に鋳型DNAを要求し,デオキシリボヌクレオチド5'三リン酸(dNT Ps)を基質として脱ピロリン酸反応によりdNMPを既存のDNA鎖にリン酸ジエステル結合により付加することが示された。合成される鎖の極性は鋳型鎖と逆平行である。以後さまざまな生物種からDNAポリメラーゼが分離され,また同一生物種にも役割の異なる複数種のDNAポリメラーゼが存在することが明らかとなった。これらすべてのDNAポリメラーゼに共通する性質としてさらに次の二点があげられる。

DNAの修復

著者: 関口睦夫

ページ範囲:P.456 - P.457

概説
 生物の遺伝情報はDNA分子の中に保持されているので,DNAの損傷は生物に致命的な結果をもたらす。放射線やアルキル化剤は生物に突然変異や癌をひきおこすが,それはそれらの作用源が細胞のDNAを傷つけるからである。
 このような危険から生物を護っているのが,細胞のDNA修復系である。この機構のはたらきによって,DNAにできた傷の大部分はなおされる。DNA修復能を欠く個体や細胞では,高い頻度で突然変異や発癌がおこる。

DNAの再編成(免疫系)

著者: 山岸秀夫

ページ範囲:P.458 - P.461

概説
 体細胞分化の過程で遺伝子DNAが再編成されて変化することが,1976年利根川らによって免疫系ではじめて証明された。つづいてその再編成のシグナル配列が明らかにされた。すなわち,パリンドローム配列(CACAGTG)の7塩基(ヘプタマー)とA,Tに富む配列(ACAAAAACCまたはGGTTTTTGT)の9塩基(ノナマー)が12または23のスペーサー塩基を挾んだ構造をしている。それぞれを12塩基シグナル,23塩基シグナルとよび,原則的には,組み換えはこの間にしか生じない。しかもそれぞれのシグナルのヘプタマー同士,ノナマー同士は逆向き相同配列になっているので,2つのシグナル配列の間に染色体からループアウトした構造が容易に想定され,この特異構造を認識する組換え酵素のはたらきとして,遺伝子再編成をひきおこす欠失や逆位が理解された。すなわち,この再編成によって多数の可変領域V(D)J組み合わせとその結合部での多様性が生成され,抗体の抗原特異性が理解された。
 抗原特異性を共有しながら,種々の生理活性の異なるクラスの抗体を産生する機構も遺伝子DNAの再編成であることが,1978年本庶らによって示された。その再編成のシグナルは,各クラスの定常(C)領域の上流に位置するスイッチ(S)領域に存在する反復塩基配列であって,(C/G) TG (A/G) G5塩基配列を基本単位とするものであった。

DNAの再編成(腫瘍系)

著者: 下方薫 ,   関戸好孝

ページ範囲:P.462 - P.463

概説
 プロトオンコジーンが発がん遺伝子に変化する機序には,遺伝子の増幅,点突然変異,挿入・欠失,転座があげられる。造血器腫瘍において,染色体の相互転座による遺伝子の再編成が発がんに重要な役割を果たしていることが明らかにされている。
 その代表例として慢性骨髄性白血病がある。この疾患では,第9染色体に存在するc-abl遺伝子が第22染色体上のbcr遺伝子部分に転座している。この転座に際して遺伝子の再編成がおこり融合遺伝子(bcr/abl)が形成され,チロシンキナーゼ活性の上昇につながる。しかし固形腫瘍における遺伝子の再編成がオンコジーンの活性につながるとの知見はいまだ少ない。固形腫瘍ではp53やRbなどのがん抑制遺伝子が主役を演じ,mycやrasなどのオンコジーンはむしろ従属的な役割をしていると考えられる。

一般的組換えの分子機構

著者: 藤田道也

ページ範囲:P.464 - P.467

概説
 一般的組換え(減数分裂にみられるような組換え)の分子機構は,まだ最終的に解明されてはいない。しかし,確かなのは相同DNA分子間のDNA単鎖の交換DNA strand exchangeと,生じた連結体の極性を同じくする2本の鎖(以下同極鎖とよぶ)の切断と再結合および分離によって組換えがおこることである。それがどのようにして行われるのかを説明するのに,不十分ではあるが,実験的観察に基づいて提出されたいくつかのモデルがある。代表的ないくつかを紹介するとともに,組換えの分子機構に関する新しい知見を追加したい1)

染色体異常

著者: 田中修

ページ範囲:P.468 - P.469

概説
 ヒトの染色体の形態学的研究は,メンデルの法則の再発見(1900)の前の1882年にFlem-mingが,角膜上皮の細胞分裂において22-28の染色体を示す細胞を記載したことに始まる。1903年,Suttonはバッタの研究により遺伝における染色体の重要性を示した。ヒトの核型に関する研究が進むとともに,ダウン症(1866,1959),ターナー症(1938),クラインフェルター症(1942)などのいわゆる染色体異常症候群が発見された。
 染色体異常の解析は,1970年前後に各種分染法が相次いで開発されたことにより,個々の染色体の詳細な分析が可能となり,転座,欠失,重複などの異常に関連した遺伝子の単離が行なわれるなど,いちじるしく進歩した。

ガン家系

著者: 馬塲正三 ,   小里俊幸 ,   落合秀人

ページ範囲:P.470 - P.471

概説
 ガンが家族内に集積する場合,同じような生活環境の影響もあるが,明らかに遺伝性を有するとされるときこの家系を一般的にはガン家系と称する。ガン家系は多くの種類の癌で認められており,古くは100年以上も前に乳癌の家系内集積が報告されている(Broka,1866)。癌の種類によって遺伝性の程度に強弱が認められる。たとえば遺伝性の強いものではretinoblastomaが,弱いものでは食道癌があげられる。現在までに疫学的調査により遺伝性が明らかであるとされる腫瘍は50種以上数えることができ,今後も新たに発見されるものと予想される1)。ガン家系の遺伝形式は,メンデルの優性遺伝と劣性遺伝によるものがあるが,外科的対象となるのはほとんど優性遺伝性疾患であり,代表的なものとしてはfamilial adenomatous polyposis(FAP),hereditary nonpolyposis colon cancer(HNPCC),neurofibromatosis,multiple endocrine neoplasmaなどがあげられる。図1にわれわれが調査追跡中の,本邦において最も家系調査が詳細に行われたと考えられるHNPCC(cancer family syndromer:Lyuch typeⅡ)の家系を示す。

中立説と進化

著者: 日下部眞一

ページ範囲:P.472 - P.473

概説
 ダーウィンの自然淘汰説は,メンデル遺伝学に裏づけられて,1950年代前半までにはネオ・ダーウィニズムまたは「進化の総合説」とよばれる,生物進化を説明する唯一の指導原理として広く認められるようになった。この説は,生物のいろいろな形質はすべて適応進化の産物であり,生物進化は,淘汰に有利な(生物の生存と繁殖に都合のよい)突然変異が累積的に集団内に蓄積されておこると主張する。
 このような生物進化の研究は,ほとんどが眼に見える表現型を対象として行われてきたものであるが,1950年代中頃からの分子生物学の発達によって,遺伝子の直接的産物であるタンパク質のアミノ酸配列を種間で比較して分子レベルでの進化を定量的に扱うことができるようになり,多くの新事実が得られてきた1)。その一つは,種間のタンパク質のアミノ酸置換数は,種が分かれてからの時間にほぼ比例するという「分子時計」の発見である。もう一つの発見は,集団内の遺伝的変異に関わることで,簡便な電気泳動法の適用によって,細菌からヒトにいたる各種生物で多量のタンパク質多型がみられたことである。これら2つの新事実を統一的に説明する理論として「分子進化の中立説」が,1968年,木村資生によって提唱された2)

ヒトゲノムの進化

著者: 植田信太郎

ページ範囲:P.474 - P.475

概説
 形態の比較を中心とした分類学研究により,ヒトは脊索動物門・哺乳綱・霊長目・真猿亜目・狹鼻類下目・ヒト上科・ヒト科の中に分類されている。現生霊長類は約200種ほど存在するとされているが,このうち類人猿とよばれる霊長類はチンパンジー・ゴリラ・オランウータン・テナガザルである。この前3者でオランウータン科(ショウジョウ科)を,後者でテナガザル科をなす。これに対し,ヒトは1種だけで1属1科を形成し,これらの3つの科でヒト上科を構成している。
 ところで,ヒト・ゲノムはおよそ30億塩基対,重量にして約3ピコグラムである。霊長類各種のゲノムDNA量を比較してみると,アジルテナガザルの2.4ピコグラムからフィリピンメガネザルの4.6ピコグラムまで若干のばらつきがみられる。大型類人猿においては,ヒトとほぼ同じ3.1-3.5ピコグラムの値が示されている。染色体数は原猿に属するイタチキツネザルや新世界ザルのエリマキティティにおける20本からメガネザル科の80本までの広い範囲にあるが,大部分は染色体数42~48の間におさまる。ヒトでは22対の常染色体と2本の性染色体の計46本の染色体からなるのに対し,チンパンジー・ゴリラ・オランウータンといった大型類人猿では48本である。染色体バンドを比較すると,大型類人猿の染色体2本をあわせるとヒトの第2番染色体にうまく対応する。

転写とその調節

著者: 広瀬進

ページ範囲:P.476 - P.479

概説
 1990年代に組換えDNA技術が開発されて以来,生物学,医学,薬学,農学にたずさわる研究者が多数の遺伝子をクローニングしてきた。現在でも次々と遺伝子がクローニングされているが,研究の流れはクローニングされた遺伝子の発現調節へと移っている。こうして蓄積された膨大な情報を整理すると,真核生物の転写とその調節に関して次のようなスキームを描くことができる(図1)。
 遺伝子のすぐ近傍には転写開始のためのシグナルが存在する。タンパクをコードする多くの遺伝子では転写開始の約30塩基上流に存在するTATAボックスと転写開始点附近に存在するイニシエーター配列がこれに相当し,コアプロモーターとよばれている。コアプロモーターを認識して基本転写因子とRNAポリメラーゼが結合し,転写開始前複合体を形成する。これにヌクレオチドを加えると基本レベルの転写が開始する1)。裸のDNAを用いたin vitroの転写ではこの基本レベルの転写を検出できるが,生体内ではDNAはクロマチン構造をとっており,基本レベルの転写は低いレベルに抑えられているか,ほとんど検出されない。そこでコアプロモーターの使用頻度は,上流配列やエンハンサーとよばれるDNA上のシグナルに塩基配列特異的に結合する転写調節因子によって調節されている2)。エンハンサーは遺伝子の上流だけでなく,下流やイントロン内に存在する場合もある。

翻訳とその調節

著者: 五十嵐一衛

ページ範囲:P.480 - P.481

概説
 1960年代に入り,mRNA(メッセンジャーRNA)がDNAからの遺伝情報を蛋白質に伝える仲介分子であることが明らかになると,蛋白質合成(翻訳)に関与する分子が次々と同定された。すなわち,翻訳装置はリボソーム,mRNA,アミノアシルtRNA,開始因子,ペプチド鎖伸長因子,終結因子などの多くの因子が関与する超分子システム(非共有結合的な相互作用にもとづく生体制御システム)より成り立っていることが明らかとなった。
 一般に遺伝情報発現の調節は翻訳レベルよりも転写レベルで行われることが多いが,翻訳レベルでの調節は転写を介しないために短時間で調節できる利点をもつため,近年真核細胞ではとくにその重要性がクローズアップされてきている。

細胞質遺伝

著者: 髙畑尚之

ページ範囲:P.482 - P.483

概説
 メンデル遺伝の法則(1865年)をド・フリース,コレンス,チェルマックの3人が独立に再発見し,広く世に伝えたのは1900年のことである。コレンスは,また数年後に植物の斑入りの実験から非メンデル性遺伝因子の発見をしているので,細胞質遺伝の歴史は,メンデル遺伝の歴史とほぼ同程度に古い。しかし,クロロプラスト内のDNAが検出されたのはずっと新しく,60年代になってからである。
 細胞質遺伝を示す形質は,雌配偶子特異的に発現する核遺伝子によることがある。この発現特異性は,両親由来の染色体を区別しないので,影響が長く後代まで及ぶことはない。これに反して,細胞内に共生するウイルスやスピロヘータは何世代にもわたり細胞質伝達をする。ソネボーンによって研究されたゾウリムシのカッパ粒子は,細胞質中の細菌である。このような共生関係がさらに進んだ形態が,高等動植物の細胞内小器官であるクロロプラスト(ch)やミトコンドリア(mt)である。共生説の考えは古いが,科学的仮説として受け入れられるようになったのは比較的新しい。

3.発生・分化・老化

生殖巣の発生

著者: 藤本十四秋

ページ範囲:P.486 - P.487

概説
 成体にみられる構造(完成型)からは,発生過程にあるそれらの姿をおよそ想像できないものがあるが,生殖巣―卵巣と精巣―もその一つであろう。ヒトでいえば胎生5~6週の胚において,体(腹)腔の後ろに縦長の大きな体積をもって現れる生殖巣原基―生殖堤―は,はじめ男女に共通ないわば中性的構造物で,次第に容積を減じつつ分化していき,性別も確定して精巣あるいは卵巣を形成していく。またその後,最終的には機能する場所へ引っ越して行って―生殖巣の下降―,成体にみられる形ができあがる。
 さて,生殖巣はその組織・細胞構成から大きく二つの要素に分けることができる。すなわち1)生殖細胞要素と2)支持ならびに構造要素とである。後者は,(A)精巣においては精細管壁で生殖細胞を支持するセルトリ細胞と,精細管の間を仕切りあるいは埋める間質組織とが属し,ここには男性ホルモンを分泌するライディヒ(間)細胞もある。一方,(B)卵巣においては卵子を取囲む卵胞の構成細胞と,卵胞の間を埋める間質組織とである。ここには女性ホルモンを分泌する細胞もある。

受精―先体反応

著者: 大浦親善

ページ範囲:P.488 - P.489

概説
 生命の営みの一つである生殖は,卵子と精子の合体により行われる。哺乳動物による受精の現象は,一般に生体内で行われることは周知の事実である。受精に関する形態学的,そして生理学的研究の結果は非常に多く報告されてきた。しかしながら,また不明の点もかなり多く残されている。本稿の説明の都合上,精子頭部と卵子について概略を述べ,次いで,精子が卵子に接近し,そして卵子透明帯を貫通し囲卵腔に進入するまでの過程で,とくに精子頭部に惹起される「先体反応」に注目したい。
 哺乳類の成熟精子頭部の形態は,種により相違するが,基本的には,核(nucleus)と先体(acrosome)と先体後域(postacrosomal region)から構成される。そのうちの先体はヒアルロニダーゼやアクロシンなどの酵素を含み,「先体反応」の際に放出される。先体は先体内膜と先体外膜で包まれ,これらの膜は先体赤道部の後縁で連続している。先体内膜は核膜に相対し,先体外膜は先体内膜とほぼ同じ領域の細胞膜の直下にある(図1A)。

胚葉の形成と分化

著者: 平光厲司

ページ範囲:P.490 - P.493

概説
 発生学といえば胚葉を思いおこす人が多いらしい。胚葉にはそれほど強い印象を残す響きがあるのだろうか。胚葉という語は,もちろんドイツ語Keimblattの訳である。ここに胚葉が認識された19世紀ドイツ形態学の名残がある。それは進化論の影響を受けて系統発生と結びつけられ,やがて20世紀の実験発生学に上つて各胚葉の運命,相互作用の解明という新しい展開をみせたのであつた。胚葉概念はいわば100年以上にわたって時代の流れにもまれ続けてきたのである1)。今日では胚葉の特異性は否定されているが,その形態学的意義が失われたわけではない。しかし誤解もある。ここであらためて、胚葉について考えてみたい。
 胚葉説:「細胞説」に匹敵するくらい重要である,とO. Hertwig(1910)が書いている「胚葉説」は,生物学,発生学の歴史には必ずといってよいほど言及されているので,詳細は省くとしても,主要点だけはメモしておきたい。すなわち,①胚葉説は後生説と不可分の関係がある。②両説の基盤はC. F. Wolff(1764)にあるとされる。ただしその影響はMeckel(1812)によつて翻訳されたWolffのラテンテキストで,胚葉概念を確立したのは,このテキストに触発されたC. Pander(1817)とその同門K. E. von Baer(1828-1837)である。

体節の形成

著者: 黒岩厚

ページ範囲:P.494 - P.495

概説
 体節という言葉は,セグメント(segment)とソーマイト(somite)のふたつの異なる分節的構造の共通の訳語として使われている。セグメントは,節足動物や環形動物の前後軸にそった体腔の周期的くり返し構造を意味する。ソーマイトは,脊椎動物の胚発生過程で一次的に現れる前後軸にそった中胚葉性のくり返し構造であり将来脊椎骨,筋肉および真皮を生じる。いずれにせよ発生初期で形成される体節というくり返し構造は,動物の進化過程で体制の複雑化,高度化を遂げるために採用された基本的なストラテジーである。
 発生過程における前後軸にそったくり返し構造の形成メカニズムは,節足動物のショウジョウバエで最もその解析が進んでいる。形態に異常をきたす突然変異はモルガンの時代から知られてはいたが,発生における形態形成をつかさどる遺伝子として系統的な解析がなされたのは比較的最近のことである。Nüsslein-Volhardに率いられたグループは,卵形成,胚発生において前後あるいは背腹の軸形成に関わる遺伝子群,また胚発生時に分節構造の形成をつかさどる遺伝子群の系統的探索を行った。彼らは前後軸と背腹軸の決定は独立して卵形成時から始まり,次いで受精後に前後軸に関する情報に基づいて分節構造形成をつかさどる分節遺伝子群の活性化がおきることを遺伝学的なレベルで明らかにした。

神経堤起源細胞

著者: 養老孟司

ページ範囲:P.496 - P.497

概説
 神経堤neural crestは,外胚葉のうち,将来の中枢神経系を形成する神経外胚葉neural ectodermと,表皮を形成する皮膚(表皮)外胚葉epidermal ectodermの中間に位置し,初期胚では,胚の表面に堤防状の隆起(神経隆起)を形成するので,この名がある。
 神経堤起源の細胞は,発生上いくつかの著明な特徴を示す。その第一は,移動能である。この細胞は,神経管の形成にともなって,上皮を離れ,間葉中を移動し,最終部位に落ち着いて分化する。第二に,この細胞は多分化能を示す。これが脊髄神経節などの末梢神経節,副腎髄質,シュワン細胞,メラノサイトなどに分化することは,十九世紀の後半から,つぎつぎに知られるようになった。最近では,胸腺のような内分泌器官についても,その関与が知られている。第三の特徴として,神経堤起源細胞は,それが起源する部位によって異なる分化能を示す。とくに頭部神経堤は,顔面および鰓弓領域の間葉細胞をつくり,鰓弓骨格や軟骨頭蓋の一部(trabecula craniiの前部)を形成する。こうした軟骨形成能は,頭部以外の神経堤細胞には認められていない。さらに皮骨の一部や歯の形成にも関わる。

組織分化:筋誘導

著者: 朝倉淳 ,   藤沢淳子 ,   鍋島陽一

ページ範囲:P.498 - P.499

概説
 脊椎動物の胚発生において,骨格筋細胞は中胚葉の体節の筋節に由来する。筋細胞に分化することが決定された筋芽細胞(myoblast)は,増殖をくり返した後に,骨格筋特異的な遺伝子を発現し(生化学的分化),互いに融合した後,多核の筋管細胞(myotube)を形成し(最終分化),さらに筋管細胞は横紋構造を有する筋線維に成熟し収縮を開始する。Taylorらは,マウス胚由来のC3H10T1/2細胞を脱メチル化試薬である5-azacytidineで処理したところ,筋管細胞,脂肪細胞,および軟骨細胞に分化することを発見した。1987年にDavisらは筋芽細胞で特異的に発現している遺伝子をサブトラクションハイブリダィゼーション法を用いてクローニングし,10T1/2細胞に導入したところ,骨格筋細胞に形質転換することのできるcDNAが得られ,Myo Dと名付けた。その後,myogenin,Myf 5,MRF 4がクローニングされ,脊椎動物には,4つのMyoDファミリーが存在することが明らかになった。

アポトーシス

著者: 帯刀益夫

ページ範囲:P.500 - P.503

概説
 アポトーシス(apoptosis,pは発音せずアポトージスともいう)は,生体内でおきる細胞死の一つである。細胞の死は,形態的に,necrosisとapoptosisに分けられる。一般に,necrosisは細胞膜の破壊が先行し,核の崩壊が後からおきるのに対し,apoptosisでは.核の変化が先行するのが特徴である。necrosisは生体の異常状態でおきるのに対し,apoptosisは,発生過程でおきる正常な細胞の死(予定細胞死,programmed cell death)で認められる。たとえば指の形成時には,手の水かきにあたる部分で細胞死がおきるし,神経細胞は発生過程でまず過剰に生産され,その後40-70%の細胞が脱落していくと考えられ,この自然におこる神経細胞死も予定細胞死である。また,線虫の発生過程でも細胞分裂後の特定の細胞が死ぬ運命にあり,その死を免れることのできる遺伝的変異株も得られている。ちなみに,この変異株では細胞は過剰のまま生育してしまい,とくに異常は認められない。最近,癌遺伝子のはたらきや細胞周期のメカニズムなど細胞増殖のメカニズムが明らかになるにつれて,細胞の死の研究が可能になり,このような細胞死のメカニズムにも注目が集まってきた。そして,よい日本語訳がないままに,apoptosisという言葉がそのまま使われている。

老化研究の諸問題

著者: 今堀和友

ページ範囲:P.504 - P.505

概説
 老化と加齢:老化も加齢もともに「Aging」の訳であるから,両者が同一義に使用されることが多い。しかし,語源が同一であっても,いったん訳されてしまうと両者の間にはかなりのニュアンスの差が生じる。加齢には幼児が成人になる過程も含まれてよいはずであるが,老化にはこの過程が含まれていないという違いがある。しかしそれだけではない。たとえ加齢を人生の後半の部分に限定したとしても,老化とは意味が異なるし,それによって研究態度にも違いを生じる可能性がある。そもそも「老」という字が,「長髪の老人が杖にすがってやっと立っている」形を示す象形文字から出発しているということからもわかるように,老とは単に齢を重ねるというだけではなく,それによって身心の機能の低下をも意味している。
 老化の研究には比較生物学的な立場で行なわれるものが多い。たとえば生後10ヶ月のラットと2ヶ月のラットにつき、それらの行動,生理的機能,組織,代謝などにつき比較し記述したものが多々みられる。これらは加齢的立場からの研究としてはすべて認められるのであるが,老化的立場からすれば,機能の低下とそれについての考察とが加えられなければならない。

細胞老化

著者: 飯島幹雄 ,   難波正義

ページ範囲:P.506 - P.507

概説
 細胞の老化研究は,HayflickとMoorhead1)が培養されたヒト正常細胞は一定の分裂寿命を示すことを報告してよりにわかに盛んになった。このin vitroでの細胞老化は,生体の老化現象の一面を反映しているデータも報告されている2)。そして.細胞のこの有限増殖性(細胞老化)は遺伝的にプログラムされているという考えが,下に述べる事実より現在は支配的である。すなわち,ウェルナー症候群のような早老症患者由来の線維芽細胞の分裂回数が少ないこと,老化細胞のmRNAを若い細胞にマイクロインジェクションすると若い細胞のDNA合成が阻害されること,老化細胞と若い細胞との融合細胞では老化形質が現われること,さらに特定のヒト染色体を不死化したヒト細胞へ導人すると老化形質が発現することなどは,ヒト細胞の老化が遺伝的に支配されていることを示している。

4.シグナル伝達系

シグナル伝達

著者: 小島至

ページ範囲:P.510 - P.513

概説
 ホルモン,神経伝達物質,増殖因子,サイトカインなど細胞間のコミュニケーションに関与する情報物質は,標的細胞に存在する受容体(レセプター)に結合することにより自身のもつ情報を細胞内へと伝達する。これらの受容体の多くは細胞膜に存在し,細胞外からの情報は受容体の存在する細胞膜内で変換され,その結果細胞内に新たなシグナルが産生される。この細胞内シグナル物質(セカンドメッセンジャー)が蛋白燐酸化などさまざまな反応を引き起こし,細胞応答が惹起される1)。このSotherlandにより提唱されたセカンドメッセンジャー説は,サイクリックAMP(cAMP)を増加させるホルモンにおいて確立されたものである。その後の検討から,アゴニストが受容体に結合するとそのシグナルはGTP結合蛋白(G蛋白)に伝達され,情報はそこで増幅され,アデニル酸シクラーゼが活性化され,cAMPが産生されることが明らかにされた(図1)。やがてホルモンの中には逆にcAMPを減少させるものもあることが知られ,その場合にはアデニル酸シクラーゼを抑制するG蛋白が活性化されることが明らかにされた。現在ではアデニル酸シクラーゼを活性化させるG蛋白はGs,逆に抑制するG蛋白はG1とよばれる。
 一方,アゴニストの中にはcAMPは増加させずに作用を発揮するものがあるが,これらの多くはカルシウムイオン(Ca2+)をセカンドメッセンジャーとしている。

一酸化窒素(NO)

著者: 戸田昇

ページ範囲:P.514 - P.516

概説
 大気中に放出される窒素酸化物(NOX)が大気汚染の原因の一つとして古くより問題視されてきた。また,ニトロ化合物(ニトログリセリンなど)は長い歴史の中で狭心症治療薬としての評価を確立している。しかし,NOが生理活性物質としていちじるしい注目を集めるようになったルーツは,Furchgott1)の血管内皮由来弛緩因子(EDRF)の偉大な発見に求めることができる。彼はウサギの大動脈条片標本におけるアセチルコリンの弛緩作用が,内皮を除去すると消失すること,内皮を除いた標本に内皮を有する標本を接着させると弛緩が回復することから,アセチルコリンが内皮より血管平滑筋を弛緩する物質を遊離することを結論した。アセチルコリン以外にも多くの血管拡張物質にEDRFを遊離する作用が認められている。
 その後の研究によって,EDRFは血管平滑筋を弛緩する以外に,(1)生物学的半減期は5秒程度ときわめて短いが,スーパーオキサイドディスムターゼ処置によって作用の持続は延長する,(2)酸性溶液中では安定であるが,アルカリになると速やかに失活する,(3)メチレンブルー(可溶性グアニール酸シクラーゼの阻害薬),ヘモグロビンおよび抗酸化剤の処置はその作用を消失する,(4)血小板凝集を阻害する,などが明らかにされた。非常に分解されやすいために,EDRFは化学的には同定されず,その定量には最近まで生物学的検定法に依存するしかなかった。

蛋白質燐酸化,脱燐酸化反応

著者: 宮本英七 ,   山本秀幸

ページ範囲:P.517 - P.521

概説
 蛋白質の中に燐酸が含まれていることは,すでに今世紀初めに知られていた。1930年代には,蛋白質のセリン残基が燐酸化を受けることが見出された。1950年代には、蛋白質を燐酸化するプロテインキナーゼ(PK)の存在に気づかれ,酵素学的研究に関する報告がなされている。1950年代後半から1960年代前半にかけて,F. Lipmann,R. Rodnightなどのグループによる報告がある。研究上大きな進展をみたのは,ホスホリラーゼbキナーゼの研究を長年にわたって行なっていたE. G. Krebsが,1968年にcAMP依存性PK(Aキナーゼ)を発見したことである。E. W. SutherlandによってcAMPが発見され,全身の多くのホルモン作用がcAMPを介して発揮されると考えられていた。Aキナービの発見は,cAMPの細胞内の作用機作を明らかにするものと考えられた。Aキナーゼが動物界に広く存在し,全身のすべての臓器に認められたことは,このことを裏付けた。Aキナーゼ発見以来,セカンドメッセンジャー依存性PKや非依存性PKが多数見出された1)
 蛋白質にATPのγ位の燐酸を転移させるのを触媒する酵素がPKであり,燐酸化蛋白質が生ずる。生じた燐酸化蛋白質は機能的活性が変化し,作用をもつに至る。生体内では物質の活性を消去する機構が必要であり,燐酸化蛋白質を脱燐酸化するプロテインホスファターゼ(PrP)が存在する。

Gプロテイン

著者: 堅田利明

ページ範囲:P.522 - P.523

概説
 一群のGTP結合タンパク質ファミリーのなかで,細胞膜受容体刺激を介する情報伝達に関与し,αβγサブユニットからなる三量体構造のものを,とくにGタンパク質と略称している。Gタンパク質はGTPまたはGDPを結合するが,GTP結合型は情報伝達系の下流にある効果器分子を認識してその活性を制御する。この活性型への転換(点灯反応)は受容体刺激によってもたらせるが,不活性型への復帰(消灯反応)はαサブユニットに存在するGTPaseの活性によって,結合したGTPがGDPとP1に加水分解されることによる1)
 最近,Gタンパク質によって調節される効果器分子の多様性が明らかにされ,Gタンパク質サブユニット分子を介する多彩な活性調節機構が解明されつつある。

セカンドメッセンジャーとしてのカルシウムイオン

著者: 御子柴克彦

ページ範囲:P.524 - P.527

概説
 細胞内での情報伝達分子としての地位をCa2+が得たのは,江橋による骨格筋の収縮・弛緩の研究以降である。骨格筋におけるCa2+結合蛋白質としてトロポニンCの発見は,重要なものであった。さらに垣内による脳組織中のフォスフォジエステラーゼ活性化因子としてカルモジュリンの発見を契機に,続々とCa2+結合蛋白質が発見され,Ca2+の重要性がますます注目されるようになってきた。Ca2+は細胞膜上のチャネルを介して細胞内へ流入するのみならず細胞内のCa2+貯蔵部位より,IP3依存的に,あるいはCa2+依存的に放出される機構が明らかになるに従って,Ca2+のダイナミックな動員のメカニズムが解明されつつある。

サイクリックGMP

著者: 出口武夫

ページ範囲:P.528 - P.529

概説
 脳切片や培養神経細胞にアセチールコリンを作用させると,細胞内cyclicGMP(以下cGMP)が増加することがはじめて報告されてから,すでに23年が経つ。
 その後,数多くの研究が行われ,最近になってようやく,guanylate cyclaseの活性調節機構と,cGMPの役割が明らかになってきた。

レセプター

著者: 春日雅人

ページ範囲:P.530 - P.533

概説
 各種の生物活性物質は,レセプター(受容体)とよばれる蛋白質と特異的に結合することにより,その作用を伝達し発現する。すなわちレセプターは,リガンドと特異的に結合しその情報を伝達するという機能を有する。形質膜(plasma membrane)を自由に通過することのできるステロイド,甲状腺ホルモンあるいはビタミンAやDなどは細胞内に存在する受容体と結合してその作用を発現する。一方,形質膜を自由に通過することのできないペプチドホルモンなどは形質膜上に存在する受容体に結合し,その作用を細胞内へ伝達する。
 レセプターという概念は1900年の初期から提唱されていたが,その実体が徐々に明らかにされるようになってきたのは,ラジオアイソトープを用いた技術が開発された1970年以降であった。すなわち,リガンドを各種のラジオアイソトープで標識して各種膜標本や細胞との特異的結合を測定し,ラジオアイソトープのカウントとしてレセプターの存在が捉えられるようになった。その後,このラジオアイソトープのカウントを指標としてレセプターのregulationや病的状態における変化が明らかとなった。このラジオアイソトープの特異的結合を指標として,レセプターの純化が試みられたが,可溶化の問題や量的問題があり成功までには時間を要した。

5.神経科学

イオンチャネル

著者: 赤池紀扶

ページ範囲:P.536 - P.537

概説
 イオンチャネルはNa,K,Ca2+やCl-チャネル,イオン選択性の少ない非特異的チャネルに分類され,ゲート開閉機能の違いにより電位依存性と化学刺激依存性に大別される。さらに後者は①化学物質が受容体に結合して賦活される受容体作動型,②受容体に共役したG蛋白による制御型,③細胞内活性物質による制御型に細分される。
 Naチャネルは活動電位による情報伝達を行い,電位依存性にチャネルを開(活性化)・閉(不活性化)し,Naを選択的に透過させる。分子構造上は,相同性の高い4つのユニットからなり,各ユニットは6つのセグメントで構成され,電位センサー部,フグ毒結合部,イオン透過孔部,イオンを選択するフィルター部や不活性化に関与する部位が同定されている。アミノ酸配列のわずかの違いで機能の違いがもたらされ,たとえば,哺乳動物心筋のNaチャネルは神経や骨格筋のそれとは異なり,フグ毒感受性が100~1000倍も低い。

シナプス伝達

著者: 久場健司

ページ範囲:P.538 - P.539

概説
 シナプスでの化学伝達は,シナプス前末端での活動電位→Ca2+チャネルの開口→Ca2+流入→開口分泌によるシナプス小胞よりの伝達物質の放出→シナプス下膜の受容体チャネルの活性化→シナプス後電位の発生,の一連の過程によりなされる。放出された伝達物質は,分解,拡散,末端内への取り込みにより瞬時に消失し,開口したシナプス小胞はendocytosisにより再構成される(図1)1)。以下,最近の知見と問題点について述べる。

シナプス可塑性

著者: 津本忠治

ページ範囲:P.540 - P.543

概説
 神経細胞同士の継ぎ目であるシナプスに一定の信号が通ったり,あるいは他と連合した信号が入るとそのシナプスの伝達効率が変化することがある。この現象をシナプス伝達の可塑性あるいは単にシナプス可塑性とよんでいる。とくに,この変化が長時間持続する場合はシナプス伝達の長期増強あるいは長期抑圧とよばれ,記憶・学習の素過程あるいは環境に対する適応的脳機能変化の基礎過程であろうと考えられている1,2)
 このような可塑性シナプスの概念を最初に明確な形で提唱したのはHebbである。彼は,シナプス前線維が興奮したときに一致してシナプス後細胞が反応すれば,そのシナプスの伝達効率は増強するとした(図1A)。このような可塑性シナプスをヘッブシナプスとよぶ。

シナプス発芽

著者: 小田洋一

ページ範囲:P.544 - P.545

概説
 シナプス発芽はsproutingから意訳されたものであり,正確には単に発芽と訳すべきである。しかし,神経軸索が発芽(axonal sprouting)したのち新しくシナプスが形成される(synapse formation)までを含めて,しばしばシナプス発芽とよばれる。シナプス発芽は,哺乳動物の運動神経と骨格筋の間の神経―筋接合部で発見された。神経切断による部分的な除神経のあと,切断を免れた神経のランビエ絞輪または神経終末から神経側枝(collateral nerve)がのび(発芽),除神経された筋細胞を支配する現象が見いだされた(図1)。中枢神経系では感覚神経から脊髄への支配ではじめて観察されたのち,中隔核や中脳赤核や海馬などさまざまの部位で明らかにされた。発芽は一般に成熟脳よりも未成熟脳で著しくおこる。

脳神経移植

著者: 西野仁雄

ページ範囲:P.546 - P.547

概説
 脳神経移植の目的は障害脳部位に神経細胞を補充し,機能修復をはかることである。一方,神経移植は発達,再生,伝達物質,受容体,栄養因子,神経回路,可塑性,遺伝子発現制御など,神経科学におけるホットなテーマを研究する有力な手段でもある。神経移植の歴史は古く,100年以前にさかのぼるが,大きな進歩はこの15年間にみられる。BjörklundとStenevi(1979)1)およびPerlowら(1979)はパーキンソン病モデルラットの線条体に胎仔ラットの脳幹ドーパミン(DA)細胞を移植すると運動症状が軽減することを見いだした。これは移植により機能改善がえられることを示した画期的な実験である。これらの報告が契機となって,現在では移植研究は脳内のいろいろな系で広く行われるようになったが(表1)2),その中で最も成果があがっているのは,パーキンソン病の治療に目標をおいたDA神経系の移植であろう。
 パーキンソン病への臨床応用は1985年にはじまり,1987年にはメキシコのグループが自家副腎髄質組織を移植し,運動症状が劇的に改善することを報告した。副腎髄質細胞は,①NGFや末梢神経と同時に移植すると生着がよいこと,②細胞を分散後,混入する線維芽細胞をとり除き精製し,移植すると生着がよくなることなどが明らかになり,成果をあげつつある。

脳と免疫系

著者: 堀哲郎 ,   武幸子

ページ範囲:P.548 - P.549

概説
 “病は気から”とよくいわれるように,精神状態が健康状態に影響を与えることは経験的には知られていた。しかしこれが本格的な研究対象になったのはごく最近のことである。脳と免疫系は共通の情報伝達物質と受容体機構をもっている。この共通語を基盤として,脳と免疫系が相互対話を行ない,生体の恒常性維持に貢献していることが明らかになってきた1,2)。この急速に進展しつつある“脳・免疫系連関調節機構”研究の現況を抄述する。

視交叉上核の日周リズム

著者: F. R. A. カガンパン ,   中山靖久 ,   井上慎一

ページ範囲:P.550 - P.551

概説
 人間をはじめとする哺乳動物から単細胞の植物にいたるまで,生物は24時間のリズムをもっている。このリズムはサーカディアンリズム(circadian rhythm:circa:約,die:一日,概日リズム)とよばれている。そして生物はその生体内に一日周期を生み出す振動機構をもっている。
 自然界において生物は正確な24時間の明暗条件にその振動機構を同調させ,24時間周期を生み出している。しかし恒常条件(たとえば恒暗条件など)下においても,ある一定の周期を生み出し続けている。

大脳の視覚情報処理機構

著者: 田中啓治

ページ範囲:P.552 - P.553

概説
 脳の中での視覚情報処理のようすが,大脳視覚領域がたくさんの領野に区分されたことをきっかけに,急速に解明されつつある(図1)。網膜からの情報は視床の外側膝状体核で中継された後,第一次視覚野(V1)へ伝えられる。第一次視覚野および第一次視覚野から強い線維投射を受けるV2野からは,木の枝分かれのように,MT野,V4野,V3野へ情報が伝えられる。そしてこれらの枝分かれした結合はさらにいくつかの別の領野を経た後,7a野,8野,TE野などの以前から連合野として知られる領野へつながっていく。

夢見

著者: 鳥居鎮夫

ページ範囲:P.554 - P.555

概説
 私たちの眠りの中に,夢を見る眠り(レム睡眠)があるとわかったことは,夢の研究では,精神分析に次ぐ大発見であるといわれている。まったく夢を見ないと確信していた人たちは,誰でも夜中に何回も夢を見ることを知ってたいへん驚いたのである。フロイトは夢を見ない睡眠が唯一最良のものであると述べているが,レム睡眠の発見によって,それが正しくないことがわかった。しかし,レム睡眠の発見は,科学者たちに脳過程と心理過程とを結びつけて研究することを可能にした。睡眠中の心の状態は睡眠中の脳の状態と対応していることが示されたからである。
 ここではいろいろな夢見理論のなかから,私が直接関与したものに焦点をあてて紹介しよう。

注意

著者: 三上章允

ページ範囲:P.556 - P.557

概説
 心理学においては,同時に存在するいくつかの認知や思考の対象のうち1つに意識の焦点を合わせ,それを明瞭にとらえることを「注意」と定義している(Willam James,1891)。われわれを取りまく環境の物理的要素は多種多様であり,しかも刻々と変化している。このような環境の物理条件の変化は,感覚系によってたえず受容されている。しかし,それらのうちで意識にのぼるのはほんの一部である。注意はこのような多くの情報から必要な情報を選択する過程にかかわっており,そのためしばしば選択的注意selective attention,あるいは焦中的注意focal attentionとよばれることもある。ここではまず,選択的注意についての心理学者の仮説をいくつか紹介し,生理学の立場からその問題点を指摘しよう。

意識

著者: 松本修文

ページ範囲:P.558 - P.559

概説
 意識(consciousness)とは何かを解明することは,今日の神経科学においても最も重要な課題のひとつである。意識はごく最近まで,自然科学はもちろん,心理学の対象としても考慮されてこなかった。それは,意識という概念があまりにも漠然としており,意識を客観的に測定する手法が確立されていないためであった。しかし,ようやくこの問題を限られた側面からではあるが,自然科学的に解明しようとする動きが出てきた1)
 かつて,アリストテレスは心は心臓に関係すると述べ,デカルトは意識の座は松果体であると考えたが,現在ではこれを信じる者はいない。現在では神経科学者達は,意識を含めた心のすべての面は脳の神経活動で説明できると考えるようになってきている。しかし,意識の概念は必ずしも厳密に定義されているわけではないので,研究にあたっては,意識のどのレベルを取り扱うかに注意しなければならない。意識には,(1)睡眠中ではなく目覚めている状態(vigilance),(2)感覚器で刺激を受容し,外界でおこっている事象をはっきりと「意識」している状態(awareness)および(3)自分が何をしているかを知っている自意識(self-consciousness)の3つのレベルが存在すると考えられる。(1)については,これまで生理学の成果が蓄積され,たとえば覚醒のメカニズムは脳幹にあるとされている。

脳の性差と性ホルモン

著者: 新井康允

ページ範囲:P.560 - P.561

概説
 性ホルモンが性ホルモン受容体含有ニューロン系のニューロン数,軸索や樹状突起の伸長,シナプス形成などを調節し,脳の発生過程における神経回路形成を制御していることが明らかになっている。このような性ホルモンのはたらきが,脳の機能的性分化や形態学的性差を生じさせる基礎になっている。
 行動や神経内分泌調節にみられる脳の機能的性分化については,ラットなどの多くの実験動物の結果から,周生期の精巣から分泌されるアンドロゲンが脳にはたらくことによって,性行動や攻撃行動のパターンや下垂体前葉からのゴナドトロピン分泌パターンの性分化の決め手となることが明らかになされている。しかし,脳の性分化におけるアンドロゲンの役割については,精巣が分泌したアンドロゲンはそのままの形では作用せずに,ニューロン内で芳香化酵素のはたらきによってエストロゲンに転化して作用する場合が多い。その場合,アンドロゲンは一種のプロホルモンということになる。

神経回路網理論

著者: 甘利俊一

ページ範囲:P.562 - P.563

概説
 脳のはたらきを理論的に理解しようとする試みは,McCullochとPitts(1943)による形式ニューロンのモデル化と,形式ニューロン回路がチューリング機械に示される計算万能性を有していることの指摘に始まる。この研究は情報科学の成立に大きな影響を与えたものの,脳の神経回路の研究に直ちに結びつかなかった。
 Rosenblattのパーセプトロン(1959)は,可塑性をもつニューロンモデルを用い,学習能力のあるパターン認識機構をモデル化して回路網を構成した。これは学習機構を工学の世界に導入したもので,1960年代の前半にこうしたモデルの研究がきわめて盛んになった。しかしMinsky-Papertの指摘(1968)をまつまでもなく,その能力は限られたものであり,研究は下火になっていた。しかしMarrはパーセプトロンの仕組みを小脳皮質の回路のアーキテクチャと比較し,小脳の情報処理の様式と学習機構とを予想した(小脳パーセプトロン説)。これは伊藤らの研究の道を拓き,プルキンエ細胞における長期減弱(1980)の発見に結びついた。

システム制御論と脳

著者: 伊藤宏司 ,   伊藤正美

ページ範囲:P.564 - P.565

概説
 制御工学は,さまざまなシステムに共通して現われてくる「制御」という概念を追求する学問である。N.ウィナーがその著「サイバネティクス」のなかで指摘しているように,生体システムにおける最も基本的な制御概念は「フィードバック制御」である。
 フィードバック制御の目的は,予測できない外乱のもとで,出力(制御量)を希望の値(目標値)に一致させることである。普通,外乱は直接測定できず,外乱の影響は制御量を観測してはじめて知ることができる。したがって,外乱の影響を制御するには,目標値と制御量の差(偏差)にもとづいて操作信号(制御指令)を調節し,それによって制御対象にはたらきかける必要がある。

6.免疫学

免疫系の進化

著者: 黒沢良和

ページ範囲:P.568 - P.569

概説
 免疫系は体液中を流れる物質(細胞を含む)を自己成分とそれ以外(非自己)の成分に見分けて,個体の生存にとって都合の悪いものを除去する生体防御機構である。この自己非自己識別に中心的役割を果すのは,抗体,T細胞レセプター,主要組織適合性抗原(MHC)分子である。
 抗体およびT細胞レセプターは,分子の中にアミノ酸配列の変異性に富む変異(V)領域と一定の構造をした定常(C)領域を含む。この多様性は,V領域をコードする遺伝子が,V,(D),Jといった断片化された2~3個のDNAに分れてコードされており,B細胞およびT細胞への分化途上,V-(D)-JというDNA再編成がおこることによって作り出される。一方,MHC分子は多型性に富む分子である。MHC分子にはクラスⅠとクラスⅡという2種類含まれるが,いずれも約9アミノ酸残基からなるオリゴペプチドを結合する能力があり,MHC分子が多型であることにより,その結合されるオリゴペプチドのアミノ酸配列がMHCの型ごとに異なることになる。オリゴペプチドを結合したMHC分子は細胞膜上に発現され,それをT細胞レセプターが認識するが,T細胞は胸腺中であらかじめ選別を受けており,その結果,自己非自己識別が成立する。以上のような免疫系は脊椎動物のみ有する生体防御機構であり,多様な分子集団である抗体とT細胞レセプター,さらに多型性を有するMHCの存在があってはじめて意味をもち得る。

クローン選択

著者: 矢田純一

ページ範囲:P.570 - P.571

概説
 生体内に異物が侵入してくると,それに対応する抗体が作られ,その異物を排除するようにはたらく。その抗体は当の異物とは反応するが,他の異物には反応しない。ひとつの抗体は特定の相手としか反応しないという現象を免疫学的特異性という。特定の相手(抗原)に対して,それとのみ反応する(噛み合う)抗体が作られてくるという現象を説明するのに,さまざまの学説がなされた。
 そのひとつは鋳型説とよばれるもので,抗体を作る細胞は侵入してきた抗原物質を鋳型にして,それと噛み合う抗体蛋白を合成するというものである。また側鎖説では,抗体産生細胞の表面にはありとあらゆる抗原と反応するレセプター(側鎖)が存在し,そのひとつに対応する抗原と反応すると,その刺激によって同一の側鎖(抗体)を産生し分泌すると考えるのである。

抗原提示

著者: 成内秀雄

ページ範囲:P.572 - P.573

概説
 主要組織適合性抗原クラスⅡ分子の重要性:外来抗原によるT細胞の活性化には,抗原提示細胞上に発現されたクラスⅡ主要組織適合性抗原と複合体を作った抗原ペプタイドとT細胞の抗原受容体との反応が必須であり,自己細胞内抗原に対してはクラスⅠ分子が主としてはたらいている。アクセッサリー細胞とよばれていたこの細胞の免疫制御遺伝子(Ir gene)の重要さを示し,アクセッサリー細胞がT細胞活性化には必須であることを示したのはRosenthalとShevachの実験(1973年)である。彼らは,合成ペプタイド抗原によるT細胞の活性化の成否がアクセッサリー細胞のクラスⅡのタイプによって決まることを示した。アクセッサリー細胞とT細胞との反応には両細胞はクラスⅡが同じタイプに属する個体に由来する必要があるとする,免疫反応におけるクラスⅡ拘束性の概念が確立した。その後,クラスⅡ分子は抗原提示細胞-T細胞反応に直接関与すると考えられるようになった。
 抗原提示細胞内の抗原処理機構:T細胞を抗原刺激するためには抗原が結合してから一定時間,ふつうには約1時間たった抗原提示細胞を用いる必要があることがGrey(1982年)やUnanue(1981年)などの実験で確かめられ,抗原はT細胞に認識されるためにはなんらかの処理(processing)を受ける可能性が指摘された。

抗原認識の機構

著者: 中島泉

ページ範囲:P.574 - P.575

概説
 Jenner(1798)やPasteur(1878)によって発見された生体による抗原認識の物質的な基盤(抗体)を最初に示したのはBehringと北里(1890)であった。続いて,細胞がつくる側鎖(抗体)によって抗原を鍵と鍵穴の関係で認識するモデルが仮説としてEhrlich(1901)により示された。抗体による抗原認識の分子機構が明らかとなったのは,PorterとEdelman(1959)によって抗体の一次構造が解明された時である。一次構造の解明に続いてX線結晶回折のデータの解析(Schiffler,1973)などから抗体の立体構造モデルが示され,抗体による抗原認識における鍵と鍵穴の関係が実証された。
 抗体による抗原認識の分子機序が明らかにされる一方,1960年代に発見された2種類のリンパ球のうち,Bリンパ球の抗原レセプターが抗体であることがまず知られた。Tリンパ球の抗原レセプター(TCR)の本態については長い間,諸説があったが,1984年にその遺伝子が分離されて結論が出された(Hedrik & Davis;柳 & Mak,1984)。これより前,T細胞による抗原認識に主要組織適合(MHC)抗原が関与することが,その遺伝調節(Benacerrafら,1963)とMHC拘束(Zinkernagelら,1974)により示された。

リンパ球のホーミング

著者: 横山三男

ページ範囲:P.576 - P.577

概説
 生物体を構成する体細胞の1つ1つは,細胞膜によって包まれており,細胞の形態,構造ならびに機能を維持するために,細胞外から酸素や栄養素を取り入れ,細胞内では核酸やタンパク質を産生し,それらのエネルギーによって細胞は内外の環境に順応しながら生命を保っている。生物は細胞の集合体であり,これら個々の細胞ならびに細胞集団によって構成された細胞社会として機能している。細胞の有機的な構築を機能化するためには,細胞と細胞とが互いに情報を交換し合いながら,細胞の機能を互いに調節し,細胞の集団社会をバランスよく,しかもリズミカルに活動させる必要がある。
 細胞膜は,それゆえに,多様化した分子を埋蔵しており,細胞は,その遺伝子背景や遺伝子の再編成によって多様化した形質を膜表面に発現している。それらの形質は,細胞の由来,細胞の分化段階,さらには細胞の機能を標示する機能分子でもある。そのほか,情報(リガンド)の受容体(レセプター)や接着分子として細胞の機能に関与する分子でもある。しかも,これらの細胞は,発生母体から分裂,増殖し,それぞれの細胞群として系統化される。それゆえ生体を構成する細胞は,その発生母体ごとに細胞集団として系統化されてゆく。無秩序に異なる系統の細胞が混在してゆくことはない。このような細胞の生物学的な行動は,細胞の膜表面に存在する接着分子によって調節され,制御されている。

サイトカイン

著者: 田中敏郎 ,   岸本忠三

ページ範囲:P.578 - P.581

概説
 生体は細胞間で情報伝達することによってそのホメオスターシスを維持している。異物が生体内に侵入すると,免疫担当細胞といわれる細胞間での膜間接触もしくは可溶性因子を介して情報が伝達・増幅され,異物を排除するための防御反応が惹起されることとなる。この細胞間情報伝達の中心的な役割を果たすものが,サイトカインと総称される液性因子である。
 1965年,活性化リンパ球の培養液中に,リンパ球の増殖を誘導する因子が存在することが報告され1,2),続いて抗体産生にT・B細胞の相互作用が必要であることが明らかとなり,T細胞の培養液中にB細胞の抗体産生細胞への分化を促す因子が存在することが示された3-5)。これらが,サイトカインの存在を示唆した最初の報告であるが,1970年代後半より,生物活性に基づく液性因子の生化学的な精製がなされ,種々の因子が種々の名称で報告された。1980年代に入ると,遺伝子工学の進歩にともない,ほとんどすべてのサイトカイン遺伝子がクローニングされ,その塩基配列が明らかとなった。そのことによってリコンビナント分子が大量に純度よく得ることが可能となり,それを用いた一連の研究により,後述するサイトカインの特徴である作用の多様性と重複性が明確に示された。

自己免疫

著者: 宮坂信之 ,   斎藤一郎

ページ範囲:P.582 - P.583

概説
 生体は自己に対して過剰な免疫応答をおこさない。このように調節している仕組みを免疫調節機構とよぶ。しかし,免疫調節機構に異常が生ずると,自己の成分に対して抗体を産生したり,あるいは感作リンパ球が出現することとなる。このような状態を自己免疫という。Ehrlichは自己免疫によって個体が滅びることを「Horror autotoxicus」とよんだ。そしてBurnetは有名なクローン選択説において,自己に反応するクローンは「禁止クローン」として消去されてしまう,とした。一方,自己免疫現象によって病的状態が生じた場合には,自己免疫疾患とよんだ。
 生体が自己の成分に対して無反応であることを『寛容』(トレランス)という。寛容が成立する機序として,自己反応性クローンの除去(clonal deletion),麻痺(paralysis,anergy)などがある。このような寛容状態が何らかの刺激により破綻すると,自己免疫がおこることになる。現在,寛容の形成機序については精力的に検討が行われており,この機序の解明は自己免疫疾患の予防,治療につながるものと思われる。

移植免疫

著者: 岡隆宏 ,   吉村了勇

ページ範囲:P.584 - P.585

概説
 主要組織適合抗原系:移植免疫の発現には組織適合抗原(histocompatibility antigen=移植抗原)が重要な役割を担っている。移植抗原を規定する組織適合遺伝子座は単一ではなく,マウスでは現在少なくとも30以上の遺伝子座があり,それぞれ移植抗原を支配している。さらに,このなかで強く移植抗原を支配する遺伝子座が1つだけ存在し,これを主要組織適合性抗原系(major histocompatibility system)といい,これを支配する遺伝子領域を主要組織適合遺伝子複合体(major histocompatibility complex:MHC)とよんでいる。
 ヒトのMHCであるHLA抗原は,白血球膜抗原として発見された。現在では,クラスⅠ,Ⅱ抗原に分類され,クラスⅠ抗原はキラーT細胞の誘導に,クラスⅡ抗原は細胞間相互作用,抗原認識の拘束分子として重要なはたらきを担っている。クラスⅠ抗原にはHLA-A,-B,-Cが,クラスⅡ抗原にはHLA-D,DR,DQ DPの各抗原が知られており,最近ではDNAタイピングなど遺伝子レベルでの検討がなされてきている。

補体

著者: 藤田禎三

ページ範囲:P.586 - P.587

概説
 補体系は,抗原抗体反応に引き続き,あるいは,単独で,生体防御にはたらく約30種類の血清蛋白と膜蛋白からなる反応系であり,感染防御において主要な役割をはたしている。補体は,1890年代に血清中の殺菌作用をもつ易熱性因子として発見され,その作用は,耐熱性の抗体が侵入した微生物を認識し結合した後に発揮される。1920年代までに,これらの易熱性の因子は,少なくとも血清中の4つの分画より構成されていることが判明したが,抗体が関与する古典的経路が11の血清蛋白質で構成されていることが判明したのは,蛋白質の精製法が確立した1960年代前半であった。抗体の関与しない第二の補体活性化経路,第二経路は,1950年代にPillemerによって提唱されたが,その存在が確認されたのは,1970年頃であった。これらの構成成分とその活性化を制御する因子の構造と機能に関する研究は,主として1970年代に遂行された。さらに1982年から1990年までに,補体系のすべての構成成分と制御因子および補体レセプターに関するcDNAレベルでの分子生物学的な性質が明らかにされた1)

線溶

著者: 高田明和 ,   高田由美子

ページ範囲:P.588 - P.589

概説
 線溶(fibrinolysis)は血中に存在するプラスミノーゲン(plasminogen:plg)から生成されたプラスミン(plasmin:pl)によりフィブリン(fibrin:fn)が分解される現象である。とくに心筋梗塞や脳梗塞の際に血管内に凝血塊ができ,これをすみやかに溶解することが有効な治療法であることが見出され,最近基礎,臨床の領域で線溶の研究は著しい進歩をみたことは衆知の事実である。
 しかし,一方,線溶系酵素のウロキナーゼ(u-PA)や,その阻害物質のplasminogen activator inhibitor-1(PAI-1)やPAI-2が腫瘍の増殖,転移に関係していることが見出され,近年むしろ細胞外基質(matrix)のタンパク分解の研究が線溶研究の主流になりつつある。

7.疾病

アルツハイマー病

著者: 平井俊策

ページ範囲:P.592 - P.593

概説
 アルツハイマー病は,ドイツの有名な精神科医で神経病理学者でもあったAlzheimerが1906年にはじめて学会で報告し,1911年に論文としてまとめた疾患で,進行する痴呆を主症状とし,病理学的には,アルツハイマー神経原線維変化(Neurofibrillary tangle以下NFT)と老人斑(Senile plaque以下SP)という2つの変化の著しい出現が特徴である。
 Alzheimerが最初に報告した症例は初老期の女性例であったが,まもなく同じ病理学的特徴は,より老年期の痴呆例にもみられることが明らかにされた。

神経難病

著者: 金澤一郎

ページ範囲:P.594 - P.597

概説
 ちょうど20年前,厚生省は,「一般的に治療法が確立しておらず患者もそれほど多くないために学術研究も盛んでない疾患」に対して難病という言葉を用いた。そして,それを特定疾患(難病)として指定し,研究費を出して研究を促進するとともに,国と地方自治体が医療費の面倒をみるというシステムを作った。この中に,神経系の疾患がいくつか含まれていた。たとえばパーキンソン病,多発性硬化症,筋萎縮性側索硬化症などである。すなわち今でいう神経難病が数多く含まれていたが,当時はそのように神経系のものだけを特殊に分離してよぶことはしなかったように思う。現在でも厚生省では,経済的な患者救済が可能なものに限る考えであるため,治療困難で厄介な病であるが患者がきわめて多い病気である癌やアルツハイマー病は難病とはよんでいない。
 厚生省に1~2年遅れて,文部省特定研究「難病の発症機構(冲中重雄班長)」が発足することになった。これが昭和49年のことで6年間続いた。その後しばらく間が開いて,昭和59年同じく文部省特定研究「神経難病の発症機構(豊倉康夫班長)」が発足することになる。このとき,この研究班のブレーンの人達が,「神経難病」というきわめて説得力のある言葉を発明したと理解している。そのときの神経難病の意味は厚生省の定義とは離れて,「学問的にわからないところのあるすべての神経疾患」を意味していたように思う。

精神分裂病

著者: 融道男 ,   青木淳一

ページ範囲:P.598 - P.599

概説
 精神分裂病は,一般成員中の発現率が0.85%ときわめて高く,青年期に発症し,約半数のものは自然の経過,あるいは抗精神病薬によく反応してほぼ元の人格に復するが,残る半数は再発を反復しているうちに人格に変化をきたしたり,あるいは病初期から進行性に推移し,難治性の慢性病像にいたる。
 前者は,たとえばCrowの第Ⅰ型(陽性症状を主とする)に対応し,抗精神病薬によく反応することから,最も有名な仮説「ドーパミン過剰仮説」が適用されよう。後者の陰性症状を主とする第Ⅱ型について,あとに述べるように,グルタミン酸が関与する仮説などが提案されている。

筋ジストロフィー

著者: 小沢鍈二郎

ページ範囲:P.600 - P.601

概説
 筋ジストロフィー(筋ジス)は約130年前に記載された骨格筋の進行性の変性萎縮をきたす疾患である。筋ジスとは,その遺伝形式,性差,好発部位,経過,臨床症状,検査所見などによって大まかに数種,細かくは20種をこえる疾患の集合名詞である。
 その中で最も頻度が高く(約2/3),激症のものにDuchenne型筋ジス(DMD)があり,その軽症型にBecker型筋ジス(BMD)がある。DMDは2~3歳頃に走れない,転びやすいなどの症状で気づかれるが,その後運動障害は進行性で,12歳頃までに車椅子生活となり,やがてベッド生活になり,20歳を少し過ぎた頃に呼吸不全または心不全で死亡する。BMDの症状はDMDと同じであるが経過はずっと緩慢である。これらの患者は原則として男子であり,X連鎖性劣性の遺伝形式を取る。

腫瘍抑制

著者: 野田亮

ページ範囲:P.602 - P.605

概説
 突然変異説:1970年代,がんの主要な原因として「放射線,化学発がん物質,がんウイルス」の3つが想定されていた。これらはいずれも,染色体DNAの構造変化を惹起する活性をもつことから,がんは体細胞における突然変異の結果生ずるものと考えられた。突然変異に関する当時の知識は,おもに細菌およびそれらを宿主とするウイルスやプラスミドの研究から得られたものであったが,遺伝学的な考察を行う場合,細菌と高等生物との間には2つの本質的な違いがある。
 すなわち,細菌は単細胞生物であり,その染色体数は一倍体であるのに対し,高等生物は多数の細胞の集合体であり,体細胞の染色体数は通常二倍体である。このため,細菌における「劣性変異」,すなわち遺伝子の不活化(破壊)がそのまま個体の形質として表現されるのに対し,高等生物における劣性変異は,いつどんな細胞におこったかによって個体レベルでの表現様式に大きな違いを生ずる。

エイズ

著者: 塩川優一

ページ範囲:P.606 - P.607

概説
 1983年,フランスのLuc Montagnierは,エイズの原因は,現在は「ヒト免疫不全ウイルス」(Human Immunodeficiency Virus, HIV)とよばれる一種のレトロウイルスであることを発見した。
 ただし,今なお,P.H.Duesbergのような,これについて疑問を呈する少数の学者もいる。しかし,多くの研究とくに疫学的な証拠に基づき,今のところHIVのエイズ原因説はほぼ確定したと考える1)

エイズウイルスのセカンドレセプター

著者: 星野洪郎

ページ範囲:P.608 - P.609

概説
 エイズウイルス(ヒト免疫不全ウイルス,Human immunodeficiency virus:HIV)には1型と2型(HIV-1とHIV-2)がある。細胞表面にあるHIVのおもなレセプターはCD4抗原であり,CD4抗原はTリンパ球,マクロファージなどに発現されている。また脳のミクログリアや,肝のKupfer細胞,皮膚のLangerhans細胞,胎盤のSyncytia trophoblast,巨核球,脳由来の線維芽細胞や胎児肺由来の線維芽細胞などにCD4抗原が発現されている。しかし,これらの細胞のHIV(とくにHIV-1)に対する感受性には,大きな差がみられることがある。HIV-1が細胞に吸着し侵入する過程には,CD4抗原以外の別の因子の存在が必須である。この因子違いがHIVの感染性や細胞の感受性を規定する可能性が考えられる。

プリン代謝異常

著者: 西岡久寿樹

ページ範囲:P.610 - P.611

概説
 プリン代謝異常は歴史的には,痛風および高尿酸血症の病因の過程に生じてきた一連の代謝異常である。
 しかしながら近年,図1に示すように,プリン代謝系の酵素変異症は種々の病態の成立に関与していることが明らかにされてきている。

代謝性疾患:糖尿病

著者: 武村次郎 ,   松倉茂

ページ範囲:P.612 - P.613

概説
 糖尿病はインスリン作用の相対的不足によりもたらされる病態であり,その成因はさまざまであるが,現象論的には慢性の高血糖という共通の表現型を呈する症候群である。
 インスリン作用の面からみれば,膵B細胞でインスリン遺伝子が翻訳されインスリン分子として血中に分泌され,標的細胞膜上のインスリン受容体に結合して,そのシグナルが正しく細胞内に伝えられることが必須であり,これらのステップのいずれが障害されても,糖尿病は発症しうる。

内分泌疾患

著者: 森昌朋

ページ範囲:P.614 - P.615

概説
 細胞の局在,細胞の形態は各組織ごとに異なっても,病態解明のために細胞内分子機構を眺めるとき,各細胞に共通な機構(receptor→signal transduction→gene transcription→secretion)が存在し,各細胞間での相同性の高い生命維持機構が存在する。これらの研究により内分泌学の進歩はなされた。

先天性遺伝子疾患

著者: 田中亀代次

ページ範囲:P.616 - P.617

概説
 McKusickの著書,Mendelian Inheritance in Man(第9版)には4937の遺伝疾患が記載されている。初版では1487種であり,1966年から1990年の24年間に遺伝疾患の研究がいかに進展したかを示唆している。さらに,このような明確な遺伝様式により発症する遺伝疾患以外にも,病気の発症には多かれ少なかれ遺伝的要因が関与していることは広く認められており,疾患の遺伝学的解析の重要性が示唆される。
 遺伝疾患の解明,診断,治療には,疾患の原因遺伝子の単離が不可欠である。最近の遺伝子工学技術の進展により,主要な遺伝疾患の原因遺伝子が次々と単離されている。疾患遺伝子がクローニングされることで,患者のみならず保因者の診断も確実,容易になり,発症の予防につながる道が開けつつある。また,疾患の分子病理の解明も進んでいる。

虚血性疾患

著者: 鎌田武信 ,   堀正二

ページ範囲:P.618 - P.619

概説
 生体はいずれの組織においても血液から酸素供給を受け,エネルギー源としている。なかでも脳や心臓はその酸素消費量が大きいため組織における酸素摂取率も高いが,エネルギー源としてのATPの貯蓄予備は小さく血液供給がなくなると脳では数秒,心臓では数十秒で機能を失い(失神,血圧低下),数分,十数分で不可逆的変化が始まる。したがって両臓器の虚血は短時間で致死的となるため,循環器疾患の中でもきわめて重要な位置を占めている。
 脳卒中・心筋梗塞が各々脳血管・冠動脈の病変に基づくことが明らかにされたのはいずれも19世紀であるが,虚血性変化は臓器の相違にかかわらず,共通の部分と臓器特異的な側面がある。共通の変化は虚血により,①高エネルギー燐酸(ATP,クレアチン燐酸)が減少する,②嫌気的代謝により乳酸が産生され,アシドーシスが生じる,③虚血早期の機能低下が生じるが,細胞死にいたるまでに血流(酸素)が再供給されると機能は回復する(一過性脳虚血発作,狭心症など),ことであるが,虚血に対する耐性は臓器や組織によって異なる。脳では視床下部は虚血耐性が比較的大きいが,海馬は虚血に脆弱である。心臓でも心内膜側は虚血に弱く,局在性が存在する。脳虚血では記憶障害が生じやすく,心筋虚血で心内膜下梗塞が生じやすい理由である。

ウイルス感染の成立機構

著者: 森良一 ,   皆川洋子

ページ範囲:P.620 - P.621

概説
 感染を考える場合(1)細胞レベル,(2)個体レベル,(3)集団レベルで考えるのが一般的である。本稿では細胞レベルの感染に重点を置いて考察する。
 ウイルスが細胞に感染し増殖する場合,次の各ステップを経る。(1)吸着,(2)侵入,(3)アンコーティング(uncoating),(4)合成(核酸の合成,転写,翻訳など),(5)粒子形成,(6)放出。

自己免疫疾患

著者: 狩野庄吾

ページ範囲:P.622 - P.623

概説
 自己免疫疾患は,臓器特異的自己免疫疾患と臓器非特異的自己免疫疾患とに分けられる。臓器特異的自己免疫疾患は,慢性甲状腺炎(橋本病)のようにある臓器に限局して病変がみられる疾患で,橋本病における抗サイログロブリン抗体や抗ミクロソーム抗体など臓器特異的自己抗体をともなう。臓器非特異的自己免疫疾患は,全身性エリテマトーデスに代表される全身の多くの臓器を侵す自己免疫疾患で,抗核抗体などの臓器非特異的自己抗体をともなう1)。臓器特異的自己免疫疾患は,臓器に特異的なホルモンその他の物質,あるいは細胞表面のホルモンレセプターなどに対する自己抗体をともなうことが多く,臓器非特異的自己免疫疾患は,膠原病で代表されるように細胞の核成分や血清蛋白に対する自己抗体をともなうことが多い。
 歴史的には,20世紀はじめのEhrlichのHorror autotoxicusという言葉で代表されるように,自己の身体構成成分に対しては抗体は作られないと考えられていた。しかし自己免疫性溶血性貧血では,自己の赤血球に対する抗体が溶血の原因として発症機序に関与することが示され,病的状態においては自己の細胞表面抗原に対する抗体が産生されることが明らかになった。さらに,橋本病患者でみられる抗サイログロブリン抗体が,健康人の血液中にも微量検出され,自己抗体の産生が必ずしも病的状態に限らず正常にもみられることが示された。

基本情報

生体の科学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1883-5503

印刷版ISSN 0370-9531

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