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特集 染色体
ヒト染色体の微細構造
著者: 飯野晃啓1 稲賀すみれ1
所属機関: 1鳥取大学医学部解剖学第一教室
ページ範囲:P.214 - P.220
文献購入ページに移動 染色体の微細形態研究の始まりは,光顕の発達により,多くの動植物細胞の分裂動態が観察可能となった19世紀の後半にさかのぼることができる。細胞分裂の開始とともに,核内に糸状体が現れ,やがてそれが太く短くなり,生物の種により一定の構造を示す棒状体になることが,Strasburger(1875),Baranetzky(1880),Nägeli(1882)らにより確かめられた。染色体の形態学は当初,細胞分裂が観察しやすい根端細胞や花粉母細胞など,植物細胞を材料としたものが多く,植物学的研究が動物学的研究を一歩リードしていた。しかし20世紀に入るとSutton(1902)がバッタを,Boveri(1909)がウマの回虫を材料として使い,染色体の行動を観察しはじめた。
しかし,ヒト染色体については,材料が入手困難なため研究は遅れがちとなった。Winiwarter(1912)はヒト男子の染色体数を47と報告し,Painter(1923)は男女とも48であると発表した。それから30数年はヒト染色体に関して47説と48説をめぐる論争が続いた。パラフィン切片による光顕観察の時代であったので,確定的な結果は現れなかったのである。しかし,TjioとLevan(1956)は流産胎児の肺組織を培養して,それまでにすでに応用されていた低張液処理法による押しつぶし標本で,ヒト染色体数は男女とも46本であることを明らかにした。
しかし,ヒト染色体については,材料が入手困難なため研究は遅れがちとなった。Winiwarter(1912)はヒト男子の染色体数を47と報告し,Painter(1923)は男女とも48であると発表した。それから30数年はヒト染色体に関して47説と48説をめぐる論争が続いた。パラフィン切片による光顕観察の時代であったので,確定的な結果は現れなかったのである。しかし,TjioとLevan(1956)は流産胎児の肺組織を培養して,それまでにすでに応用されていた低張液処理法による押しつぶし標本で,ヒト染色体数は男女とも46本であることを明らかにした。
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