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雑誌目次

雑誌文献

生体の科学47巻1号

1996年02月発行

雑誌目次

特集 神経科学の最前線

「脳の世紀」序曲

著者: 外山敬介

ページ範囲:P.2 - P.3

 卵子と精子から出発して,精緻極まりない知能を産み出す脳の神経回路ができあがる過程は,自然の最大の謎といえよう。二つの細胞の遺伝子の情報量は109,それに対して脳の神経細胞の数は1011,シナプスの総数は1015,それによって形成される神経結合は天文学的な数となる。極めて限られた遺伝子の情報に基づいて,いかにして圧倒的に複雑で精緻な脳の神経回路を作り上げるか。その謎に挑戦する脳科学が21世紀の自然科学の主役として登場しようとしている。米国では1990年7月に,上院と下院の共同決議としてDecade of the Brain Proclamationが議決されている。その宣言の中で,当時の米国大統領ジョージ・ブッシュは脳科学に対する期待と重要性について次のように述べている。
 「ヒトの脳,わずか3ポンドの神経細胞のネットワークの塊,知能,感覚,運動の座であるこの器官は,これまで科学者だけでなく一般の人々も魅惑しつづけてきた。近年,脳の理解―それがどのように働き,その障害や病気がどのような機能を侵すかなどの知識―は劇的に増大した。しかしながら,なお,これから知らねばならないことははるかに多く,脳研究の必要性は圧倒的に重い。毎年数百万の米国市民がアルツハイマー病などの神経・精神疾患に侵されている。今や,これらの人々とその家族は新しい時代の到来に強い希望を抱いている。

神経分泌の機構とその制御

著者: 高橋正身 ,   西木禎一

ページ範囲:P.4 - P.10

 シナプス伝達を担う神経伝達物質はシナプス小胞に貯蔵され,シナプス小胞膜と前シナプス膜との結合,融合を伴ういわゆる開口放出機構によってシナプス間隙に放出される。その詳しい機構に関してはCa2+によって誘発されること以外,ほとんど何もわかっていなかったが,最近SNARE仮説が提唱され脚光を浴びている。本稿ではその最近の知見と問題点をまとめてみた。スペースの関係で引用文献は原則として94,95年に報告されたものに限ってあるので,その他のものについては最近の総説を参考にしていただきたい1-7)

グリア細胞の受容体と信号伝達

著者: 工藤佳久

ページ範囲:P.11 - P.14

 つい最近まではグリア細胞は神経系構築の支持体,神経から遊離された伝達物質やその代謝物の取り込み除去など比較的受身の役割が強調されており,神経系の情報処理という表舞台での役割はほとんど無視されていた。もちろん,血管から神経組織への物質の移動に介在し,血液脳関門として働いていることも,またさまざまな栄養因子など液性因子を遊離することなど,それなりにダイナミックな役割を果たしていることは認められていた。しかし,中枢神経系におけるグリアの占める割合からみて,これまでの研究の量は少なく,不当にも関心が薄いというべきであろう。ところが最近,少しずつではあるが神経研究関連ジャーナルにグリア細胞に関する研究報告の数が増えたように思われる。
 昨年(1995),京都で開催されたIBRO World Congress of Neurosceinceにおいても,51のシンポジウムの一つにアストロサイトにおける受容体と信号変換が取り上げられているし,40項目のポスターセッションの中にグリアもニューロンと並んで,場所を与えられていた。その内容はどれもグリア細胞がこれまで考えられていたより,積極的に神経機能に関わっているらしいというものである。なぜ,ここにきてこんなにグリア細胞が注目され始めたのであろうか。これは最近の研究方法の発達に負うところが大きい。

NO, COとシナプス伝達

著者: 渋木克栄

ページ範囲:P.15 - P.18

 80年代後半に,NOのような単純な物質が生理的な情報伝達物質として作用するということが示され,驚きをもって受け取られた。これに続いて,NOをめぐる論文数は年々増加する一方で,現在末梢臓器におけるNOの機能については確立されつつあるように見える。一方,昨年のIBRO大会では「NO,COとシナプス伝達」というトピックスはDebate Forumという形で扱われた。これはNOおよびCOが中枢神経系で果たす役割,特にシナプス可塑性における機能についてコンセンサスが得られていないという現状を端的に示すものである。本稿はIBRO大会のdebate forumからいくつかの焦点を絞り,研究の現状について紹介する。

酸素センサーによるイオンチャネルと遺伝子の調節

著者: 桑木共之 ,   熊田衛

ページ範囲:P.19 - P.22

I.酸素濃度のモニターと生体機能の調節
 大気は酸素の含有量が多いので,ヒトや肺呼吸をする陸性の動物が,生理的な状態で酸素不足になることは稀である。酸素不足が問題となるのは,高地滞在や心肺能力をこえた激しい運動などの特殊状況,呼吸麻痺や肺疾患による換気障害,閉塞性血管病変などによる血流障害,シアンなどによる組織中毒などの病態時である。
 頚動脈小体と大動脈体(あわせて動脈化学受容器arterial chemoreceptorとよぶ)は,動脈血の「酸素センサー」であり,生体全体の酸素供給状況をモニターする。動脈血の酸素濃度の正常値は100mmHg前後であるが,動脈化学受容器の活動は70mmHg以下になると急に盛んになり,呼吸反射などの調節系を駆動する。動脈化学受容器は酸素センサーではあるが,実際は酸素不足に対する警報機構である。

神経発生の分子制御

著者: 城所良明

ページ範囲:P.23 - P.27

 神経細胞は非常に特殊化した細胞で,その発生・分化は個体発生の初期に起こる。この総論においては,その初期の分化の過程を以下のように2段階に分けて記してみたい。
 Ⅰ.神経外胚葉細胞(neuroectodermal cells)から神経芽細胞(neuroblasts)への分化 Ⅱ.神経芽細胞から多様な神経細胞(neurons)への分化

脳におけるステロイドの役割

著者: 新井康允

ページ範囲:P.28 - P.32

 ステロイドホルモンは古典的なホルモンであるが,最近,中枢神経系に対していろいろな作用があることがわかってきた。ステロイドホルモンは大きく分けると二つの働きがある。一つは発生・発達過程における形成的な(organizational)働きと,もう一つは成体における活性化(activational)作用である。前者は不可逆的作用で,分化・誘導的な作用であり,後者は可逆的な作用である。
 性ステロイドは性ステロイド受容体含有ニューロン系のニューロン数,軸索や樹状突起の伸長,シナプス形成などを調節し,脳の発生過程における神経回路形成を制御しており,脳の機能的,形態的な性差を生じさせる基礎となっている。

脳における細胞死と生存

著者: 川合述史

ページ範囲:P.33 - P.38

 昨今,細胞死に関する研究は極めて広汎な分野で展開しており,神経科学の領域に限っても,遺伝子異常に基づく神経疾患,変性疾患などを含めて膨大な数の論文や研究発表が行われている。本稿では脳における細胞死に関して,現在最も関心を集めている分野である脳虚血後の細胞死に焦点を絞って解説する。第4回IBRO学会大会およびそれに前後して行われたサテライトシンポジウム『海馬と高次機能研究会』(7月15-16日,京都市国際交流会館),『興奮性アミノ酸シグナリング』(7月15-18日,けいはんなプラザ),『学習と記憶の細胞基盤』(7月17-19日,早稲田大学国際会議場)に参加した筆者が,各会場における関連する発表について得られた情報を交え,最近の国内外におけるこの分野の進展について展望する。

小脳の学習機能

著者: 永雄総一

ページ範囲:P.39 - P.43

 小脳が脳による運動を含めたさまざまな学習活動に深く関与していることは,周知の事実であるが,小脳の中で学習の原因になる可塑性変化が生じるという仮説と,学習のもとになるような神経活動は小脳以外のところにあり,小脳はそれに必要な情報を供給しているのに過ぎないという二つの対立する仮説が提出され,延べ10年以上にわたり,さまざまな実験系で論議されている。本稿では,小脳と運動との関わりを検討する実験系として,最もポピュラーな前庭動眼反射(Vestibulo-ocular reflex:VOR)の視覚環境による適応変化のパラダイムを中心に,小脳の運動学習の役割についての知見を解説する。なお,最近の小脳の一連の研究の詳細については,伊藤のモノグラフを参照されたい1,2)

大脳基底核のはたらき

著者: 木村實

ページ範囲:P.44 - P.49

 IBRO大会のDebate Forum“What are the basal ganglia doing?”は,7月13日にアトランタのM. DeLongがオーガナイザーとなって開催される予定であったが,直前になって来日できなくなり急遽MITのA. Graybielが座長となって開催された。講演者はアトランタのG. Alexander,ロンドンのD. Brooks,順天堂大学の彦坂,スイスのW. Schultzと私の5人であった。私はここ数年来のGraybiel氏との共同研究の成果を中心に発表した関係で共著で行った。演者一人30分の持ち時間内で講演を行い,討論時間を十分残すようにという座長の依頼であったが,最新の知見を織込んだ各演者の豊富な講演内容ゆえに,Debate Forumとはいえ十分な討論をするだけの時間が足りなかった点が残念であった。
 大脳基底核のはたらきについては近年いくつかの仮説が唱えられており,AlexanderやBrooksが講演の中で取り上げ,解説した。

前頭前野と記憶

著者: 二木宏明

ページ範囲:P.50 - P.53

 前頭前野はサル以上の霊長類では著しく発達しており,ヒトではその発達が頂点に達している。ヒトの前頭前野の損傷では,行動の企画・組織化の障害をはじめ多様な認知障害が生じることが知られているが,記憶機能の全般的な障害,いわゆる健忘は生じないといわれてきた。しかし,その後,記憶のある側面は阻害されることが種々のテストで明らかになってきている。サルを用いた破壊実験でも,ヒトで見いだされたのと同様な機能障害(反応抑制の障害,遅延反応の障害,順序づけ課題の障害)が明らかになっている。本稿では,前頭前野と記憶機能に関する知見をまとめ,研究者間の主張の違いを整理し,何がどう違うのかそれぞれの主張の根拠になっている知見や問題点に触れながら私見を交えて解説し,今後の課題についても言及したい。

大脳皮質と時間コード

著者: 力丸裕

ページ範囲:P.54 - P.60

 IBRO京都大会では,「大脳皮質は時間コーディングを用いるか(Does the cortex use temporalcoding?)」という討論会が設けられた。この討論会では,Fetz(Univ. of Washington,米国),Singer(Max Planck Inst.,ドイツ)の代理人,Abeles(Hebrew Univ.,イスラエル),Aertsen(Weizmann Inst.,イスラエル),Merzenich(Univ. California San Francisco,米国),Shadlen(Stanford Univ.,米国)の他数名の研究者が話題提供者となり,オシレーション(oscillation),同期(synchrony),同期発火(synfire),相互相関(cross-correlation),時空間概念(spatio-temporal concept),一致入力(coincidence inputs)といった用語が飛び交った。しかし,各々の講演者が自分の主張を一方的に発言しただけで,残念ながら深い討論には至らなかった。このセッションでのtemporal codingというのは,「時間的なコーディング」とでもいうのであろう。「時間情報のコーディング」という共通概念は参加者には根づいていないような印象をもった。

生物時計の分子生物学

著者: 仁木朋子 ,   石田直理雄

ページ範囲:P.61 - P.66

 時差ボケという現象がある。最近出張や旅行で海外へ行く人が多いので,これを体験したことのある人も多勢いるのではないかと思う。日本との時差が大きい外国へ行った人が訴える症状としては,不眠,だるさ,胃腸の調子がおかしいなどといったものが挙げられる。しかし時差ボケは人によって差があるが,大体1週間前後の時間をかけて徐々に解消する。これを比較的はやく治すには,毎朝一定の時間に太陽の光に当たるのがよいとされている。一体なぜ,このような時差ボケという現象が起こるのだろうか?これを説明するためにまず,生物の持つ約24時間周期のリズムの話から始めたいと思う。
 われわれ昼行性の動物である人間は,昼間に起きて活動し夜に眠るという約24時間ごとの営みを繰り返している。また行動だけではなく,体内においては体温,血中のホルモン濃度の上下,リンパ球の増減なども1日周期で現れることがわかっている1)。このように約24時間周期で見られる現象をサーカディアンリズム(サーカは大体,ディアンは1日を示すラテン語)と呼んでおり,もし,人を時間の手がかりのない,たとえば真っ暗な中に閉じこめたとしてもこのリズムは長期間継続する。これは体内に約24時間周期で時を刻む生物時計(体内時計)が存在しているからである。サーカディアンリズムはヒトだけではなく,ショウジョウバエ2),アカパンカビ3),原核生物であるらん藻4)にまで広く生物界にみられる重要な生理現象である。

脳損傷における免疫反応と変性疾患

著者: 秋山治彦

ページ範囲:P.67 - P.70

 脳の損傷や神経変性疾患に際して生じる免疫系の反応に関して,詳細な検討が行われるようになってからまだ10年を経過していない。以前は,脳は免疫学的に特権的な(immunologically privileged)部位であるとされ1),その背景として血液脳関門(BBB)による隔離,リンパ管や主要組織適合(MHC)抗原発現の欠如によりT cell surveillanceを免れていること,などが強調されてきた。しかし,十分高感度の免疫組織化学を使用すれば,MHC抗原はヒト剖検脳標本を含めてさまざまな脳病変で検出することができる。BBBについても最近では,脳を免疫機構から隔離するというよりは,脳固有の免疫環境を維持するために調節的な役割を果たしていると考えられるようになってきた2)。また,ミクログリアの,脳在住の単核貧食細胞系(mononuclear phagocyte system)細胞としての性格が明確にされ3),さらに免疫系を構成する多様な分子―補体蛋白,さまざまなサイトカインなど―の少なくとも一部が,脳で産生されていることも知られるようになった4,6)。これらはBBBの破綻~血液の侵入を伴わなくても,脳自体がnatural immune systemに属する免疫反応を引き起こすだけの能力を備えていることを示している。

連載講座 新しい観点からみた器官

心臓―心筋細胞の分化と増殖の分子機序

著者: 小室一成

ページ範囲:P.71 - P.76

 心臓は個体発生段階の非常に早期に,臓器としては最も早く,しかも最も頭側において決定される。心臓は決定されるとすぐに分化し,自律拍動を開始し,血液が循環するようになって初めて他の臓器の分化,成長が進む。したがって心臓の分化は,他の臓器の分化,成長にとって必須であり,個体の発生にとって極めて重要といえる。心筋と共通の遺伝子を多数発現している骨格筋が中胚葉より体節をへて分化するのに対し,心臓は直接外側中胚葉から体節よりも早い時期(原腸陥入の後期)に最も頭側において発生する。骨格筋が筋芽細胞から筋細胞へと分化すると同時に分裂能を喪失するのに対して,心筋は分化後も分裂能を維持し,胎生期は活発に分裂増殖を続ける。ところが,出生し胎児型の蛋白から成人型の蛋白に変換すると同時に心筋細胞はその分裂能を喪失する。一般に分化と増殖は相容れないものであることが知られているが,胎児心筋においてはこの法則は成り立たない。
 一般にある組織や器官が分化する際には,まずある種の細胞外因子(細胞増殖因子や細胞接着因子)が細胞膜の受容体に作用し,それがシグナルとして細胞質内を伝わり,核内で転写因子を活性化する。ある臓器を規定している(つまり心臓を心臓たらしめている)ものの中において,その臓器特異的な転写因子が重要な役割を果たしている。骨格筋特異的転写因子であるMyoDの発見以来,骨格筋の分化の機序について実に多くの知見が得られた1,2)

解説

予測制御:思想と研究法

著者: 細見弘

ページ範囲:P.77 - P.81

 実験科学が飛躍的に発展するときには,科学思想あるいは観測や制御の技術の発達がその契機となっていることが多い。21世紀を迎えようとする今,われわれは一度原点に立ち帰り,自らの科学始点と目的を確認し,その目的達成に必要な観測と制御の技術の開発ならびに科学思想の構築に努力しなければならない。
 19世紀後半,Claude Bernard1)は,生命維持にとって内部環境の恒常性(homeostasis)維持が重要な概念であると唱えた。その後,ホメオスタシスは,ネガティブフィードバック(negative feedback)調節機構によって維持されているとする考えが生まれた。その結果,多くのネガティブフィードバック調節機構が同定され,現在に至っている。しかし,最近ホメオスタシスの維持機構として,ネガティブフィードバック調節機構以外の新しい調節機構,すなわち未来の状態を予測して現在の状態を制御するいくつかの系が発見された。これらは,プログラム(program)制御,(狭義の)ネガティブフィードフォワード(negative feedforward)制御2),見込み制御3)などと呼ばれているが,いずれも予測制御(prospective controlあるいは(広義の)ネガティブフィードフォワード制御negative feedforward control)の範疇に入れることができる。

基本情報

生体の科学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1883-5503

印刷版ISSN 0370-9531

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