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雑誌目次

雑誌文献

生体の科学48巻1号

1997年02月発行

雑誌目次

特集 21世紀の脳科学

脳科学研究推進計画について

著者: 伊藤正男

ページ範囲:P.2 - P.4

 科学技術庁内部に設けられた「脳科学の推進に関する研究会」が平成8年6月発表した戦略研究計画「脳科学の時代」は,毎年1000億円ずつ20年間,合計2兆円の政府支出を見込んだ大型プロジェクト計画で,新聞紙上を賑わしたし,国際的にも大きな話題となった。「脳科学の時代」は「脳を知る」,「脳を守る」,「脳を創る」の三つの方向についての20年計画で,47プロジェクト案を含んでいる。計画を遂行するため,大きな脳科学研究グループを持つ全国の大学,研究所を基幹研究所群として,また,小さな研究グループは戦略研究プロジェクトチーム群として,それぞれネットワークを作り,さらに脳科学総合研究所を新設して,計画全体の総合的な推進の基盤とするよう提案している(図1)。また,脳科学の研究者を養成するためのポストドク,プレドクコースについても提案している。
 脳科学の推進に関する研究会の座長を務めた立場から,この「脳科学の時代」が発案されるに至った事情を説明しよう。脳は長い間こころの座として注目されてきたが,あまりの複雑さのため,その研究は自然科学の主流にはなかなかならないできた。しかし,戦後50年にわたる地道な研究の積み上げにより,多くの有効な方法と技術が生み出され,神経科学と呼ばれる基礎的な脳科学研究が脚光を浴びるようになった。

脳神経系の発生と分化

著者: 畠中寛

ページ範囲:P.5 - P.11

 脳神経系において主要な神経機能を担う細胞はニューロン(neuron)である。このニューロンという細胞は発生過程においてニューロブラスト(neuroblast)と呼ばれ,盛んに分裂し増殖することによって細胞数を整えてゆく。しかし,ある時期に分裂を停止し,ニューロンに分化する。ニューロンはこの後,標的組織の細胞(ニューロンの場合もあるし非ニューロン細胞の場合もある)を探して神経支配を行う。この過程がシナプス形成(synapse formation)期と呼ばれている時期である。神経系における最も重要な形態形成期である。
 これ以後,ニューロンは非分裂細胞として,一般には二度と分裂をしない。シナプス形成を経て形成された神経回路網は,その後個体の一生を通じて基本的には変わらず機能をし続ける。回路網の完成以後の成熟したニューロン間で,一部の神経回路網ではつなぎ換えが盛んに行われており,この現象はシナプス可塑性(synaptic plasticity)と呼ばれている。ニューロンの細胞分裂をしないという性質,神経回路網の安定性は,情報保持器官としての神経系の重要な性質である。それとともに,一部の回路網はシナプス可塑性によって回路が部分的につなぎ換えられているため,脳機能でも重要なものとされる記憶とか学習能力は担われ得るのである。

神経回路網の構造原理と機能原理

著者: 外山敬介

ページ範囲:P.12 - P.19

 20世紀の最後の10年を迎え,分子生物学的研究手法や神経細胞や脳活動のイメージングなどさまざまな新しい研究手法や方法論が生まれ,脳研究は21世紀に向けて大きな飛躍の時期を迎えようとしている。しかしながら,これらの革新的な研究手法により得られた実験観察はまだまだ断片的で,脳の情報処理に関する基本原理を明らかにするに至っていない。とはいえ,目を凝らして見れば,洪水のように生み出される実験観察の中から脳の情報処理の枠組がおぼろげながら浮かび上がってくるように思われる。

記憶と学習

著者: 野村正彦 ,   堀耕治

ページ範囲:P.20 - P.24

 ヒトが毎朝朝食を食べ,その当日は何を食べたかを克明に覚えているが,翌日にまたそのくり返しをして,1週間が経った後にはその日に何を食べたかなどと覚えていない。すなわち,脳は覚えることも得意であるが,忘れることもまた得意である。このように脳にしかない記憶と学習という働きを改めて考えてみたい。記憶と学習の,これまで確立されてきた実験方法の概略と経緯を述べ,現在話題の学習実験例を紹介する。

知情意の脳活動―脳波の双極子追跡法による解析を中心に

著者: 中島祥夫

ページ範囲:P.25 - P.30

 人間の人間であるゆえんの認知,記憶,思考,言語,感情,意志(知情意)などの高次精神機能はヒトの脳を研究の対象にすることではじめて可能になる。現在,脳の活動を客観的に計測することができるアプローチには,脳の興奮すなわちニューロンの脱分極に伴う電流を脳波として記録する方法(electroencephalography;EEG),その電流により発生する磁場を記録する方法(magn-etoencephalography;MEG),ニューロンの興奮に伴う代謝の変化,血流の変化を記録する方法などがある。いずれの方法もヒトの脳活動を三次元的に,非侵襲的に脳内に推定することを究極の目的としているが,一方,てんかん治療のために挿入された硬膜下電極による脳波記録からのアプローチも行われている1,2)

ヒトの思考機能―前頭葉機能を中心として

著者: 長濱康弘 ,   柴崎浩

ページ範囲:P.31 - P.34

 「我思う,ゆえに我あり」とデカルトが述べたように,物事を「考える」能力が備わっていることがヒトの最も重要な特徴のひとつである。ヒト以外の霊長類やその他の動物に思考機能があるか否かについては議論があるところと思うが,ヒトが他の動物と比べて最も複雑な思考機能を持っているであろうことには異論はないと思う。しかし,一口に「思考機能」といっても,その内容には,学習機能,推理,抽象化,企図能力などの実にさまざまな機能が含まれている。これらの「思考機能」の座としては,古くから前頭葉がその候補と考えられていた。これは前頭葉,特に前頭前野がサル以上の霊長類で著しく発達し,ヒトでは全大脳表面積の約30%を占めていることや,前頭前野の障害で行動の企画・組織化の障害をはじめ多様な認知行動障害が生じることなどが根拠となっている。前頭葉の重要性は古くから認められていたにもかかわらず,他の脳領野に関する知識の集積に比べて前頭葉機能についての確実なデータは少なく,“前頭葉の謎”といわれるほどであった。しかし,CT・MRIなどの画像診断の発達により前頭葉病変の局在と分布が正確に計測可能になり,さらにポジトロンCT(PET),ファンクショナルMRI(fMRI)など近年進歩の著しい画像的脳機能検査法の出現によって,ヒトの前頭葉機能についての知識が急速に深まっている。

脳の老化―神経細胞の機能形態とホルモン

著者: 河田光博

ページ範囲:P.35 - P.40

 老化によって身体がどのように変化していくかについては多くの報告があり,現象論的に整理されてきている。しかしながら,なぜ老化が起こるのかという老化の理論面に関しては,普遍的に証明するものはいまだない。その理由を遺伝子に求めたり,フリーラジカルや細胞寿命から老化のメカニズムを説明しようとする試みはある。ここに述べるものは,神経内分泌的観点から老化を考えてみようとするものである。

単一内因性脳障害の分子機構

著者: 辻省次

ページ範囲:P.41 - P.46

 われわれのかけがえのない「脳」を侵す疾患は数多く存在する。その多くについて病因が未解明であり,治療法も確立していないという状況から,これらの疾患が「神経難病」と呼ばれることが多い。このような神経難病の研究は,今までは神経難病で亡くなった方の脳を剖検し,光学顕微鏡や電子顕微鏡で観察する,あるいはその組織を生化学的に分析するという方法で行われてきた。たとえば脂質蓄積症のように,光学顕微鏡,電子顕微鏡により脂質が神経細胞内に大量に蓄積していることが明らかにされ,ついでその脂質の化学構造が解明され,その脂質の代謝に関わる酵素とその欠損が証明されるというような流れで進められ,疾患の発症機構が明快に解明された疾患もある。
 しかしながら,神経難病の中にはこのような研究によっても,頑としてその本態の解明を拒み続けた疾患も数多く存在する。このような疾患の多くは神経変性疾患と呼ばれるものであるが,その中に家族性にみられるものが存在する。このような家族性にみられる神経変性疾患の多くは,メンデル遺伝に従った遺伝形式を示し,特定の病因となっている遺伝子が存在し,この病因遺伝子の変異が原因となっていると考えられる。この10年余の神経難病の病態機序解明の飛躍的な発展は,最新の分子遺伝学,分子生物学を用いて,このような遺伝性疾患の病因遺伝子を解明するアプローチの方法が確立されたことによる。

複合内因性脳障害:アルツハイマー病

著者: 東海林幹夫

ページ範囲:P.47 - P.52

 アルツハイマー病(Alzheimer's disease:AD)は初老期に発症する進行性痴呆疾患である。先進各国ではいずれも高齢化社会の到来とともに痴呆患者の増加が問題となっており,65歳以上人口の約5%が痴呆患者といわれている。日本では現在,126万人と推定されており,ピークを迎える2035年には337万人となり,逆にこれを支える生産年齢人口は現在の痴呆老人1人に対して69人から21人に減少することから,痴呆疾患の解明と治療法は早急に解決すべき重要課題である。これらの患者の多くを占めるのがADである。この10年間の研究の進歩はAD大脳における蓄積物質を同定し,病像の進展過程の共通性(common pathway)を明らかにするとともに,家族性ADにおけるいくつかの異なる原因遺伝子を明らかにした。

パーキンソン病における細胞死

著者: 松峯宏人 ,   水野美邦

ページ範囲:P.53 - P.57

 パーキンソン病は筋固縮,振戦,無動,姿勢保持障害を主症状とし,60歳以上の老人の1から2%が罹患する。本症の病態は黒質のドーパミン産生細胞のLewy小体を伴う選択的細胞変性死であり,その結果,黒質線条体路にドーパミン欠乏が生じる。ここでは,本症のup-to-dateな研究成果を取り上げながら,その細胞死機構の研究の現況をまとめてみたい。

うつ病の病態をめぐって

著者: 中村彰治 ,   渡辺義文 ,   三国雅彦

ページ範囲:P.58 - P.61

 この総説では,うつ病の病態をめぐる研究の問題点と新しい観点からの研究について解説したい。うつ病には病型が多種あり,それぞれで病態が異なる可能性もあるために,その研究は広範囲にわたっている。従って,ここで,それらすべてを網羅することはできない。また,ここでは,最近の分子遺伝学的研究を含めた重要な研究についても全く触れていない。それらについては,他の総説を参照されるようにお願いしたい1)

脳型コンピュータとブレインウェア

著者: 松本元

ページ範囲:P.62 - P.66

 脳は情報処理の仕方(アルゴリズム)を自動獲得するシステムで,工学的にはメモリーベースアーキテクチャの非フォンノイマン型コンピュータである。脳型コンピュータがアルゴリズムを自動獲得する基本素子プロトタイプは,学習性と超並列性を兼ね備えたシリコン半導体LSIチップとして現在工学実現されつつある。さらに将来は,脳型コンピュータは従来のプロセッサベースアーキテクチャのフォンノイマン型コンピュータと同様に計算汎用性をもちながら,柔らかい情報処理を行うことができるようになるなど,従来のコンピュータと相補的に新しい情報世界を拓くだろう。
 ここでは,脳型コンピュータがアルゴリズムを自動獲得し,その獲得するアルゴリズムの目的・評価も自動決定できる戦略(ブレインウェア)を脳そのものの研究によっても明らかにすることにより,実用システムとしての脳型コンピュータを研究開発する努力とその過程について紹介する。

カオスニューラルネットワーク集積回路

著者: 堀尾喜彦 ,   合原一幸

ページ範囲:P.67 - P.71

 近年の生理学,解剖学,生化学,細胞生物学,遺伝子工学,生物物理学などの多角的実験研究により,脳の構造と機能の解明が着実に進展しつつある1)。一方,これらの研究から得られた知見を基に,脳の働きを工学的に再構築してその動きを詳しく調べることにより脳の情報処理の仕組みに迫ろうとする,いわゆる「合成による解析」あるいは「構成的研究」も脳研究の重要な方法の一つである2)。脳の構造や機能が詳しく解き明かされつつある現在においては,それらの豊富な知見を取り込んだ,より高度なニューラルネットワークモデルの構築が可能となってきている。
 脳は多数のニューロンが互いに結合した非線形ネットワークである。このネットワークは平衡状態に陥ることなく,常に変化を続ける非線形非平衡系である3)。さらに,脳は可塑性に基づいた適応的で自己組織的なネットワークでもある。このような複雑適応系としての脳における情報の表現や処理,記憶の仕組みを理解するためには,構成的研究が非常に有効であると思われる。すなわち,その本質を抽出した,できるだけ簡単なモデルを用いて脳を真似た大規模なネットワークを構築し,そのダイナミクスを観測し,それを数理的観点から解析するのである。以下では,この構成的研究の一例として,カオスニューラルネットワークを取り上げる。

連載講座 個体の生と死・1

哺乳類精子の形成・成熟・受精能獲得―細胞膜の変化を中心に

著者: 鈴木二美枝

ページ範囲:P.72 - P.79

 このシリーズの主題でもあるように個体は死を免れることができないが,種の生命は生殖細胞により連綿と引き継がれてゆく。配偶子とくに精子は,家畜で一般化しているように凍結保存後も機能を果たし得る。昨年の9月13日にマンモス再生計画が読売新聞の第一面を飾った。凍土に眠るシベリアのマンモスから精子を得てゾウに体外受精し,子孫を掛け合わせてマンモスを再生しようというのである。このジュラシックパークばりの計画が荒唐無稽と一笑に付されない背景として,体外受精技術の進歩があげられる。不完全な精子でも核さえ完全ならば卵細胞質内に直接注入することにより個体を発生させることが可能なのだ。この方法はintracytoplasmic sperm injection(ICSI,“イクシ”)と呼ばれている。精子形成の過程で極めて安定化した精子の核は,絶滅種さえ復活させられる可能性を秘めているわけである。最近では,減数分裂直後の精子細胞を成熟卵と電気的に融合させても正常個体を発生させ得ることがわかり1),男性側の不妊治療への応用が大いに期待されている。
 一方,自然での受精成立過程は非常に複雑である。哺乳類では胚外卵黄嚢に発生した始原生殖細胞が生殖巣に移動し,減数分裂を経た精子細胞がそれぞれの種に特異的な形の精子へと分化する(図1a)。

解説

ホメオボックス遺伝子の機能

著者: 川上泰彦 ,   野地澄晴 ,   濃野勉

ページ範囲:P.81 - P.87

 一つの受精卵から複雑な形態を持つ多細胞生物は,どのようにつくられていくのだろうか。形態形成のメカニズムがさまざまなモデル動物で調べられてきている。中でもショウジョウバエの研究の歴史は古く,形態異常を示す数多くの変異体が同定されている。その中には,頭部の触覚が脚に置き換わったAntennapedia変異体や,平行棍が翅に置き換わり4枚の翅を持つUltrabithorax変異体のように,体の一部が別の部位に置き換わった変異体がある。このような変異をホメオティック変異という。これらの変異の遺伝学的解析から,翅や触覚などの体節の特徴を決定する遺伝子が染色体上にかたまって存在することがわかり,Antennapediaに連関する遺伝子群をAntennapedia complex(ANT-C),Ultrabithoraxに連関する遺伝子群をbithorax complex(BX-C)と呼ぶ。ANT-CとBX-Cを総称してホメオティック複合体(HOM-C)と呼ぶ。これらの遺伝子群が単離され,構造が解析されると,そのコードするタンパク質には類似した60アミノ酸残基からなる配列が保存されていた。この領域をホメオドメインと呼び,それをコードする180塩基対からなるDNA領域をホメオボックスと呼ぶ。

基本情報

生体の科学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1883-5503

印刷版ISSN 0370-9531

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