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雑誌目次

雑誌文献

生体の科学49巻1号

1998年02月発行

雑誌目次

特集 言語の脳科学

特集によせて―言語の脳科学への誘い

著者: 伊藤正男

ページ範囲:P.2 - P.4

 本特集号では「脳と言語」という大胆な主題を取り上げた。まことに興味深いが,その一方,大変難しい主題で,通常のように大勢の著者による網羅的な問題の取り上げ方はできず,少数の著者にご自分の興味を中心にこの分野の現状を見渡し,将来の発展の方向性を探ることをお願いして特集を構成した。そのようにしてでき上がった貴重な号であるが,なぜ無理を承知でこの特集を企画したかというと,現在,国の規模で組織的,計画的に推進されようとしている脳科学にとって,言語の問題が大きな試金石ともいうべき意義を持つからである。

言語の脳科学をめざして

著者: 大津由紀雄

ページ範囲:P.5 - P.9

 脳の高次機能への関心の高まりの中で,わけても「言語の脳科学」が注目を集めている。周知のように,言語(後述する用語を用いれば「文法grammar」)は,その種固有性(species-specificity)および領域固有性(domain-specificity)により,以前から脳研究者の関心の対象であった。また,脳レベルにおける言語知識や言語処理に関心を寄せる言語理論研究者の数も少なくない。事実,Jakobson1)に代表される言語学的失語症学(linguistic aphasiology)の伝統は長く,その成果も多い。
 しかし,まさに言語の種固有性のゆえに,倫理的な理由から,統制された実験が不可能であったため,近年までの言語の脳科学は失語症などの症例から得られた資料にその経験的基盤を置くものが多かった2)。この事態に変化をもたらしたのが,さまざまな脳機能イメージング技法の開発である。一方,生成文法(generative grammar)と呼ばれる言語理論の研究も著しい成果をあげ,生物学的理由による言語(文法)の普遍性と許容される個別性についての多くの興味深い知見が得られている3)

言語の認知脳科学

著者: 酒井邦嘉

ページ範囲:P.10 - P.22

 言語の脳機能の解明は,科学にとって最後のフロンティアの一つである。言語は脳の最高次の機能であると同時に,他のさまざまな認知機能と密接に結びついている。実際,外界からの言語情報は,聴覚または視覚を通して知覚されるのであり,すでに記憶されている音声または文字のパターンに基づいて解釈される。また,意識のある状態では,絶えず言語を用いて,心の中で考えたり,考えたことを外界に表現したりしている。つまり,「聞く,読む,話す,書く」といった言語の認知行動は,「知覚―記憶―意識」という心のはたらきの一部として,脳のシステムに組み込まれている。

脳損傷と失語症

著者: 河内十郎

ページ範囲:P.23 - P.31

 人間の高次脳機能の研究は,1861年にフランスのP. Brocaが運動性失語症患者2例の臨床像と剖検の結果を相次いで報告した時に本格的にスタートしたといわれている。このことからも明らかなように,失語症研究は1世紀以上の間,人間の高次脳機能研究の先陣の役割を果たしてきた。その間,すでに1874年にドイツのC. Wernickeがさまざまなタイプの失語症の出現を説明するモデルを提唱し1),失語の古典論が確立されている。このモデルはその後多くの批判を受け,一時は消滅したかに見えた時期もあったが,1965年のN. Geschwind2)による復興の結果,100年以上も経過した今日でも,批判はあるものの失語症研究者の間でその基本的な考え方は広く支持されている。Wernickeのモデルは,単に言語の神経機構を説明するだけではなく,皮質機能局在論,連合説という,脳の働きの基本的な生理機構に関わる側面を持っており,言語以外の人間の高次機能の神経機構にも敷衍できるもので,事実,前世紀から今世紀の初頭にかけてH. Lissauerの失認論,J. Dejerineの失読論,H. Liepmannの失行論など,Wernickeの理論を他の高次機能障害に適用したモデルが次々に提唱されている。

音楽の機能画像

著者: 中田力

ページ範囲:P.32 - P.39

Ⅰ.Introductory review:言語と音楽の神経科学
 1957年に出版されたNoam ChomskyのSyntactic Structures1)は現代言語学の出発点といわれる。Harvard大学の若き研修生であったChomskyは,それまで「刺激と反応」という図柄の上でのみ語られていた言語機能を,ヒトが生まれながらに持つ抽象概念機能に基づく創造過程のひとつであると位置づけた。幼児は言語を教えられるのではなく獲得する。高度な知能に支えられた思考機能の発達の過程で,与えられた環境の中から自己の思考を伝える媒体となる言葉を見つけ出し,内在する普遍的文法universal grammarに従って言語機能を獲得するとの理論である。サルは調音器官を持つが,この「言語獲得機能」を持たないとされる。
 ドイツの音楽学者Heinrich ShenkerはSyntactic Structuresの発表される20年以上も前に,全く同じ理論を音楽学musicologyに展開していたといわれる2)。Shenkerの理論がChomskyの理論の原点であったかどうかは別として,言語と音楽とが高度の類似性を持った高次機能であることには異論の余地がない。ChomskyのLanguage and Mind3)に啓蒙されたBersteinが,音楽そのものを自然言語として位置づける努力を重ねたこともよく知られている4)

言語獲得の脳科学

著者: 酒井邦嘉

ページ範囲:P.40 - P.53

 言語学の歴史は古代ギリシャにまで遡ることができるが,今世紀中頃から,Chomskyによって革命的な発展を遂げることになった。Chicago Tribuneの調査によれば,Chomskyは古今東西で最も多く引用された10人の第8位に挙げられ,その10人のうちでただ一人健在である。今年70歳となるChomskyは,今なお現役でマサチューセッツ工科大学(MIT)の言語学科を中心に活躍を続けている。本稿では,Chomskyが影響を与えた言語獲得の考え方を中心に据えて,脳における言語情報処理について考えてみたい。

連載講座 個体の生と死・6

初期発生:卵割から胚葉形成まで

著者: 大谷浩

ページ範囲:P.54 - P.60

 受精(fertilization)により受精卵:接合子(zygote)が形成されると,単細胞生物でない限り,引き続いて起こる細胞分裂により,多細胞からなる成体への長い発生過程の道のりが始まる。発生の最も初期に起こる細胞分裂は,成体における一般的な細胞分裂とは異なるいくつかの特徴を持っている。動物個体中で最大の細胞体を持つ受精卵は,卵割(cleavage)と呼ばれる,この一連の急速で特徴的な細胞分裂により,おびただしい数のより小さな細胞:割球(blastomere)へと次々に分割されていく。
 その後の発生過程の様子には動物種により大きな差があるが,哺乳類を含む多くの動物では,割球からなる胚の中に胞胚腔(blastocoel)が形成され(胞胚blastula,哺乳類では胚盤胞blastocyst),さらに原始外胚葉:胚盤葉上層(primitive ectoderm;epiblast)と原始内胚葉:胚盤葉下層(primitive endoderm;hypoblast)の2層の胚葉が,ついでその2層の間に中胚葉(mesoderm)が分化する。

実験講座

GFPを用いたタンパク質の細胞内輸送の解析

著者: 矢野正人 ,   森正敬

ページ範囲:P.61 - P.67

 近年,細胞内でのタンパク質の発現と移行を観察するのに有用なマーカータンパク質として,発光クラゲ(Aequorea victoria)由来の蛍光タンパク質であるgreen fluorescent protein(GFP)が注目されている。これまでによく用いられているマーカータンパク質には,アルカリホスファターゼやルシフェラーゼなどがあるが,これらを用いる場合には,細胞の観察を行うために基質の添加が必要であり,その前に細胞を固定するなどの操作が必要である。これに対して,GFPはこれらのマーカータンパク質とは異なり,それ自体が蛍光を発するため,発光基質の添加やそのための固定を必要としない。それゆえ,GFPを融合したタンパク質を発現させた場合,そのタンパク質の細胞内局在や移行を生きたままの細胞内で観察することができる1,2)

解説

筋ジストロフィーに対する遺伝子治療の基礎的研究―アデノウイルスベクターを用いた骨格筋に対する遺伝子導入の有用性

著者: 武田伸一

ページ範囲:P.68 - P.74

 われわれは,筋ジストロフィーに対する遺伝子治療の基礎研究として,アデノウイルスベクターを用いた遺伝子導入を行い,その有効性と限界を明らかにしてきた。アデノウイルスベクターを用いた遺伝子導入法は,培養骨格筋細胞に対して有効であるばかりでなく,成熟マウスの骨格筋に対しても,短期間であれば効率の高い発現系として,遺伝子の発現研究や機能の検定に利用できることが明らかになった。本稿では,最初に筋ジストロフィーに対して遺伝子治療が考慮されるようになった背景について触れる。次に,われわれが実際にin vitroおよびin vivoで行った骨格筋細胞に対する遺伝子導入の結果を述べる。さらに,アデノウイルスベクターを用いた遺伝子導入法のin vitro,in vivo遺伝子発現系としての評価と遺伝子治療への利用の可能性について論じ,最後に筋ジストロフィーに対する遺伝子治療の将来像について触れることにする。

話題

「花房照子博士追悼シンポジウム」印象記―癌遺伝子Srcの興亡

著者: 松田道行

ページ範囲:P.75 - P.75

 昨年5月7日に,一昨年(平成8年)1月にお亡くなりになったロックフェラー大学の花房照子博士を追悼して,癌遺伝子と情報伝達に関するシンポジウムが行われた。花房照子博士は夫君の文化功労者花房秀三郎博士とともに,30年以上もRous肉腫ウイルスの発癌機構の解明に尽くしてこられた。両先生の仕事が癌遺伝子の概念の確立とSrc癌遺伝子の発見に大きく貢献したことは有名である。
 ロックフェラー大学は,野口英世の昔から今に至るまで医学研究のメッカであり続けている。そのロックフェラー大学構内の半球状の建物でひときわ目につくCaspary Hallでシンポジウムは行われた。演者は,長年のライバルで今やNIH総長を務めるノーベル賞受賞者Harold VarmusをはじめPeterVogt,Steve Martin,Joan Brugge,Ray EriksonといったSrc癌遺伝子研究の隆盛を築いてきた人々,Mount Sinai病院の癌研究所を率いるStuart Aaronson,RasやRBの発見で高名なRobert Weinbergら錚々たる面々である。このほかに,私を含む数名の花房研OBも話をする機会を与えられた。

基本情報

生体の科学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1883-5503

印刷版ISSN 0370-9531

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