文献詳細
文献概要
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Emil Bozler教授のこと
著者: 市河三太1
所属機関: 1横浜大学医学部生理学教室
ページ範囲:P.191 - P.192
文献購入ページに移動 Ohio State Universityの生理学教室で,Emil Bozler教授と初対面の握手を交したのは1952年7月9日の事であつた。同教授の御盡力によつてScholarshipを受ける事が出来,Chicagoを経てColumbusに着き直ぐ教室にとんで行つたのである。翌日から研究室を一部屋,私のために空けて下さり早速仕事にとりかかつた。
研究室に着いて驚ろいた事は,思つていたより余程貧弱な装置で,例えばGalvanometerの光源には空鑵を電球にかぶぜてそのslitからの光を用いていたの等日本と一寸も変らず,研究は人間がするのであつて装置がするのではないと云う分り切つた事を再認識し直した様なものである。Dr. Bozlerの使つて居られたkymographも亦学生実習のよりも不便な代物であつた。然し工作室も地下室に立派なものがありそこに頼めばすぐこしらえて貰う事が出来るのは,他の研究室とのチームワークが何のわだかまりもなく出来る事と共に非常に仕事を能率的にさせていた。
研究室に着いて驚ろいた事は,思つていたより余程貧弱な装置で,例えばGalvanometerの光源には空鑵を電球にかぶぜてそのslitからの光を用いていたの等日本と一寸も変らず,研究は人間がするのであつて装置がするのではないと云う分り切つた事を再認識し直した様なものである。Dr. Bozlerの使つて居られたkymographも亦学生実習のよりも不便な代物であつた。然し工作室も地下室に立派なものがありそこに頼めばすぐこしらえて貰う事が出来るのは,他の研究室とのチームワークが何のわだかまりもなく出来る事と共に非常に仕事を能率的にさせていた。
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