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雑誌目次

雑誌文献

生体の科学51巻1号

2000年02月発行

雑誌目次

特集 脳を守る21世紀生命科学の展望

特集に寄せて

著者: 伊藤正男

ページ範囲:P.2 - P.3

 1999年冒頭の『生体の科学』50巻1号では,生命科学の目覚ましい発展から生まれつつある創薬,遺伝子治療,再生移植という画期的な三つの新戦略について連続座談会を行って,その大きな可能性を展望した。
 創薬とは,細胞の働きを支える化学的な信号伝達の仕組みについての新しい知識に基づいて,新たな薬を創造しようという試みである。第一メッセンジャ,受容体,イオンチャネル,トランスポータ,第二メッセンジャ,蛋白キナーゼ,リン蛋白などをつなぐ化学的な連鎖反応,さらにそれをあやつる遺伝子制御過程についての詳細な新知見を基に,これらを抑制したり促進して細胞機能の病的状態を改善する働きをもつ物質を新薬として計画的に作り出そうというものである。

脳血管障害の克服―虚血性神経細胞死の遺伝子治療

著者: 島崎久仁子 ,   川合述史

ページ範囲:P.4 - P.10

 遺伝子治療は,1990年9月のNIHにおけるADA欠損症に対しての治療を皮切りに臨床応用が開始された。開始当初は特殊な遺伝性疾患に対しての治療が主であったが,約10年を経て現在では癌やエイズなどもその対象になり,より広範な疾患の治療へと一般の期待と関心も高まってきている。脳虚血による神経細胞死に対する遺伝子治療は現在はまだ基礎研究の段階であるが,将来的には動脈硬化症,高血圧などを含むより広い領域の脳疾患にも遺伝子治療法の導入が予想されている。本稿では,まず虚血性神経細胞死について最近の知見を紹介し,続いてわれわれの行っているアデノ随伴ウイルス(AAV)ベクターを用いた実験結果を交えて遺伝子治療への展望を述べる。

脳卒中の克服―神経細胞保護因子の実用可能性

著者: 阪中雅広 ,   田中潤也 ,   前田信治 ,   佐藤康二

ページ範囲:P.11 - P.17

 わが国の脳卒中医療費は年間約3兆円であり,疾患別では癌の医療費を抜いて堂々の第一位である。また,入院加療を必要とする脳卒中患者の数は入院中の癌患者の数より多いのである。西暦2000年4月から介護保険制度が導入される予定であるが,介護の対象となる高齢者の多くが脳卒中患者であることを考慮に入れると,超高齢化社会を迎えつつあるわが国において,脳卒中の治療・予防・処置法の確立はまさに国家的使命であるといっても過言ではない。
 脳卒中の病型の中でも脳梗塞(脳血栓,脳塞栓)の症例が非常に多いことに鑑みて,最近は虚血性神経細胞死の分子機構もしくはメカニズムに的を絞った研究が精力的に実施されている。実は,脳卒中研究に限らず神経変性疾患研究においても,その原因ならびに責任遺伝子の解析が膨大な新知見をもたらしている。すなわち,神経疾患の原因・責任遺伝子あるいは神経細胞死の分子機構が解明されれば,将来治療法の開発につながるという前提のもとに,われわれは過去20年間分子生物学的手法を駆使してメカニズム解析志向型研究を実施してきたのである。しかし,「病気のメカニズム解明から治療へ」という一方向の研究を重ねてゆくだけで,難治性神経疾患に苦しむ数千万もの患者を来世紀に救うことはできるだろうか,という単純な疑問をわれわれは数年前より抱き始めていた。

アルツハイマー病の克服

著者: 山口晴保

ページ範囲:P.18 - P.24

 本稿ではアルツハイマー病(Alzheimer's disease;AD)を,老年痴呆を含めたアルツハイマー型痴呆の意で用いる。
 本邦では,ほかの先進国に類をみないほど急速に人口の高齢化が進んでおり,2020年には65歳以上の高齢者が人口の25%を占める。医療の進歩によって,がん,脳卒中,心筋梗塞など死因の上位を占める疾患の救命率が向上し,高齢者が急増を続ける中で,現在150万人ほどの痴呆患者数は今後も急速な増加が見込まれている。この老年期痴呆の成因は,脳血管性痴呆が減少し,ADが過半数に増加している。この傾向は高齢化の進行とともに今後ますます顕著になろう。核家族化や介護保険の導入など社会構造が変化し,痴呆老人の介護が大きな社会問題になる中で,ADの克服は火急の課題となっている。

神経変性疾患の克服―CAGリピート病

著者: 貫名信行

ページ範囲:P.25 - P.31

 一般に疾患の克服とは疾患の発症の予防,進行の阻止,症状の軽減といったこととなろう。遺伝性が明確でない疾患に関しては,発症の機序が不明で危険因子もわかっていない場合,発症予防は困難であり,結果的には症状の軽減をめざすことになる。パーキンソン病などはその例で,比較的変性する系が限局しているためにL-dopaによる症状の軽減が可能である。しかしながら進行は防げないので,神経変性の機序の解明によって危険因子の同定を行い,発症を防ぐ,あるいは発症後の進行を止める方法を見出すことが必要となる。
 遺伝性の明確な疾患に関しては様相が若干異なる。遺伝性神経変性疾患の発症者の遺伝子異常が同定された場合,もし発症予防法が確立されていれば,同胞の未発症者の発症予防が可能になる。この場合,未発症者の遺伝子診断は現在発症予防法のない疾患が多いため倫理的に問題とされているが,これもむしろ有用なものとして推奨されるようになるであろう。この数年の遺伝性神経変性疾患のポジショナルクローニングによる同定のめざましさは,必ずしも発症予防法の確立に直接つながらないため,臨床的にはむしろとまどいを引き起こしているといえる。

神経変性疾患の克服―Parkinson病

著者: 水野美邦 ,   服部信孝

ページ範囲:P.32 - P.38

 Parkinson病は黒質と青斑核神経細胞の変性を主病変とする変性疾患で,本邦における有病率は約1000人に1人といわれる1)。臨床的には振戦,固縮,動作緩慢,姿勢反射障害を四大症候とするが,その他にも自動運動の障害(まばたきの低下,arm swingの消失,自動的な唾液の飲み込み障害による流涎など),すくみ足,自律神経障害(便秘,脂漏性顔貌,低血圧,頻尿など)など広範な症状を呈しうる。責任病巣の小ささに比べて,実に多彩な臨床症候を呈する疾患として極めてユニークである。L-dopaの治療への導入以来,生命予後は著明に改善し,平均余命は一般人口とほぼ同じところまできている2)。しかし,患者の生活の質(QOL)という点になるとまだまだ現行の治療方法のみでは満足のゆくものではなく,原因究明の努力,根本的治療法の解明の努力が必要な領域である。

脳脊髄損傷と細胞移植―脊髄損傷

著者: 川口三郎

ページ範囲:P.39 - P.45

 脊髄損傷によって対麻痺や四肢麻痺が起こるとの記載は,古代エジプトのパピルス文書に遡ることができるという。外傷性脊髄損傷は人類の歴史が始まって以来,その活動に伴う不可避的な産物として起こり続けてきたものであり,その悲惨な症状の救済は古くから人々の切実な関心事であった。そうした関心を背景として,脊髄伝導路が再生するか否かということは古くから研究されてきた問題である。
 神経解剖学の巨星Ramón y Cajalはすでに1世紀近くも前に神経の変性と再生に関して詳細な研究を行い,この問題に対して否定的な解答を与えた。彼はその記念碑的な著書1)の中で,それを結論的に以下のように述べている。「いったん発達が終われば,軸索や樹状突起の成長と再生の泉は枯れてしまって元に戻らない。成熟した脳では神経の経路は固定されていて変更不能である。あらゆるものは死ぬことはあっても再生することはない」と。しかし,彼は中枢神経伝導路の潜在的な再生能力を否定したのではない。

脳脊髄損傷と細胞移植―大脳基底核

著者: 飛田秀樹 ,   西野仁雄

ページ範囲:P.46 - P.53

 大脳基底核は尾状核,被殻,側坐核,淡蒼球外節,淡蒼球内節,黒質網様部,黒質緻密部,視床下核および前障より構成される。広義には前有孔質(嗅結節)や扁桃体も含まれる。このうち,尾状核と被殻はまとめて線条体と呼ばれる。大脳基底核の機能は大脳皮質からの随意運動の出力シグナルを調節すること,また運動のプログラミングとプラニングに関与することが提唱されている。
 大脳基底核が障害されると,いわゆる神経変性疾患となって現れる。代表例としては,黒質のドパミン(DA)ニューロンの変性により黒質―線条体路が障害され,振戦,無動,固縮などの錐体外路症状が出現するパーキンソン病や,線条体が変性し舞踏病といわれる錐体外路症状が現れるハンチントン病がある。これらの疾患の原因遺伝子については,最近分子レベルの研究が大いに進み,parkinやhuntintinなどが発見された。しかし,これらの遺伝子障害が最終的にそれぞれの疾病として表出される過程についてはまだ不明な点が多い。一方,神経変性疾患に対する治療手段は残念ながら現在のところまだ確立されていない。ニューロンを含めた細胞死のメカニズムがかなり明らかになってきたので,近い将来は細胞死のカスケードを制御することによって新しい治療/予防法が開発されるかもしれない。本稿では,脳内に細胞を移植(補充)することによって,失われた機能を再生・再建させようという神経細胞移植の最近の進歩について概説する。

知的障害(精神遅滞)の克服

著者: 山形崇倫 ,   桃井真里子

ページ範囲:P.54 - P.60

 知的障害(精神遅滞,MR)は発症頻度が2-3%と発症頻度が高い疾患であるが,原因不明のものも多い。近年,MRの原因となる遺伝子異常が次々と明らかになっている。MRは多くの神経疾患,先天異常の一症候として合併するため,その原因は限りなく多様であるが,ほかの症候を呈さず,知的障害が主要の症候である病態(non-specific mental retardation)に焦点をあて,その中でも特に樹状突起形成,シナプス機能およびDNA不活化に関連する遺伝子を中心として最近の知見と研究の方向性を記す。ほかの特異的症候を除外した病態の原因遺伝子は,まさに,脳の高次機能のみに直接関与する遺伝子であり,これらの研究の進展は,高次脳機能へ医療が介入しうる糸口でもある。

言語障害の克服

著者: 森浩一

ページ範囲:P.61 - P.67

 言語は人間の社会生活に深く浸透しているので,言語のない生活が非常に困難なことは容易に想像できる。現状の医学レベルでは一度生じた脳損傷を修復することは困難なため,言語障害に対しては原因疾患に対する根本的治療よりは,言語聴覚士によるリハビリテーション訓練を主体とする治療に頼る部分が大きい。関連する領域は広く,神経内科,耳鼻咽喉科,口腔外科,整形外科,神経心理学,音声学,言語学,福祉工学などに加えて,小児では小児科,児童精神科,形成外科,学校や通園施設,保健所などとも連絡を密に取りながら治療する必要がある。本稿ではどちらかというと医師になじみの薄い言語治療の考え方を中心として,それに関連したいくつかの話題を紹介する。

精神疾患の克服

著者: 西川徹

ページ範囲:P.68 - P.73

 精神疾患は,精神分裂病(分裂病),気分障害(感情障害,躁うつ病),不安障害(ストレス性の精神障害を含む),睡眠・生体リズム障害,薬物・アルコール依存をはじめとする物質関連障害などに代表される。生物学的マーカーに乏しい精神機能の障害を含むだけに,いまだ原因不明であるばかりでなく分類においても困難な問題を抱えている。患者数が極めて多く,分裂病だけでもおよそ1000人に8人の高率で発症し,国内で20万人以上が入院を余儀なくされている事実に象徴されるように,速やかな原因究明と治療法開発を迫られている。
 不思議なことに,精神疾患は神経変性疾患と異なって,脳の障害でありながら現在の技術レベルでは脳にその形態的痕跡を探すことが難しい。これは精神疾患の生物学的確定診断を妨げ解明を後らせている最大要因のひとつであると同時に,精神疾患と神経変性疾患とでは,脳の障害の原理が全く異なることを示唆している。精神疾患の治療薬や精神異常発現薬が,様々な神経のシナプス伝達に直接影響することが知られるようになり,精神疾患では一般に,シナプスを中心とした神経情報処理過程を実行および調節する分子カスケードに異常が生じていると考えられている。神経変性疾患の原理である細胞死や細胞変性に対して「細胞変調」と呼べるかもしれない。

実験講座

マイクロアレイ技術を用いた発現プロファイルの解析

著者: 田中敏博 ,   中村祐輔

ページ範囲:P.74 - P.79

 ヒトのゲノムは30億塩基対からなり,総計10万種類に及ぶ遺伝子をコードしていると考えられている。この中で,機能解析の行われている遺伝子はせいぜい8千に過ぎず,残りの大半は全くキャラクタライズされていないのが現状である。一方,ヒトゲノム計画の進行につれ,機能未知の遺伝子もしくは遺伝子断片の塩基配列が数多く判明してきている。例えば,米国のNational Centerfor Biotechnology Information(NCBI)にUnigeneというデータベースがある(http://www.ncbi.nlm.nih.gov/UniGene/)。これは,Gen-Bank DNAデータベースに登録されている塩基配列のうちヒト由来のものだけを集めて,互いにホモロジー検索を行い,一致する部分を持つものを同一遺伝子と判断し,クラスター(群)を作るものである。このデータベースは日々更新されており,1999年10月現在,約8万のクラスターが存在している。多少の重複はあると思われるが,10万種類あるといわれている遺伝子のうちすでに8割のものについては,少なくともその一部の塩基配列が判明していることになる。
 このヒトゲノム計画の進行状況をふまえると,これからは状態の差異,例えば臓器の違い,刺激に対する反応の違いなどを,最終的には全ての遺伝子セットの発現量の変化の総和として記述することができるようになると思われる。

初耳事典

意識に関連した神経細胞活動/他7件

著者: 田中啓治

ページ範囲:P.80 - P.84

 Crick and Koch1)は,知覚および認知が意識的になるのは目の前の状況に対して統一した理解を作り行動をひとつにするためであると考えた。行動における競合を避けるためには感覚入力の統一的理解が必要であり,これこそが知覚における意識の機能上の起源であるとCrick and Kochは考えた。意識が行動の統一のためにあるのなら,意識的知覚に対応する細胞活動は行動の指令を発する前頭葉,特に前頭前野に向かって直接出力を送る脳部位に限局されると推定される。物体視経路についていえば,最終ステージである下側頭葉皮質からは前頭前野への強い結合があるが,経路の始まりである第一次視覚野から前頭葉への結合はない。Crick and Kochの予想に一致するいくつかの実験結果が最近2,3年の間に報告されている。
 ランダムドットステレオグラムでは,左右の目で点のコントラストを逆にする(左目で白点が右目で黒点,左目で黒点が右目で白点)と立体視が成立しないことが知られている。Cumming and Parker2)は,この刺激に対して第一次視覚野の細胞が左右眼視差依存性の反応を示すことを見出した。この実験結果は,第一次視覚野の細胞活動が意識的知覚に十分でないことを示している。

基本情報

生体の科学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1883-5503

印刷版ISSN 0370-9531

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