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雑誌目次

雑誌文献

生体の科学52巻2号

2001年04月発行

雑誌目次

特集 情報伝達物質としてのATP

特集に寄せて

著者: 井上和秀

ページ範囲:P.92 - P.94

 ATPが神経伝達物質であるという概念はバーンシュトック先生により四半世紀前に提出されたにもかかわらず,1993年のATP受容体クローニング成功まではなかなか認知されなかった。クローニング成功以来世界では急速に研究者が増え,論文も毎年700報以上(2000年実績)掲載されるまでになったが,国内での研究基盤は脆弱の感を否めない。
 その理由を考えたとき,実にそれはATPの作用の多様性に行きつく。生体の中でATPおよび関連ヌクレオチドに反応しない細胞・組織を探すのが困難なほど,ATP受容体はあまねく多様な組織細胞に発現しており,それぞれで実に多様な反応を引き起こす。この多様さのために,対応する国内研究者は分散してしまい,かつ神経系にしても免疫系にしてもそれぞれの分野では関連した研究がすでに深化しており,その土俵でATPの独自性を強烈にアピールすることはかなり困難であった。ATPはその作用が多面にわたっていることから全体を把握するためには総合的な基礎研究が必要であるが,現段階ではATP研究の提案書は層の薄い総花的なものになってしまい,かつ研究費の全体規模(パイ)が小さいために,このタイプの研究にはなかなか研究費がまわらない。しかし,世界のATP受容体機能の研究は急速に発展しており,様々な病態との関連が時々刻々と明らかにされており,わが国の研究の立ち後れに危機感を募らせる日々であった。

神経系におけるプリン情報伝達系研究の過去と将来:序文にかえて

著者: ジェフリー・バーンシュトック

ページ範囲:P.95 - P.100

 私は本特集号に執筆させていただくことに誇りを感じる。また,日本の科学者がプリン情報伝達系への強い興味を保持し研究され続けておられることに感謝の意を表する。本特集号は全く時宜を得たものであり,多くの優れた日本の研究者とともに本特集号を組めることは実に喜ばしい。
 プリン神経系情報伝達の概念が提唱されて(Burnstock,1972)すでに25年以上が経過したが,ATPが神経伝達物質として認知され,末梢神経系や中枢神経系でのATPの役割が世界中の研究者により解明されるようになったのは,ここ数年の出来事にしかすぎない(Burnstock 1996a,1997,1999a)。この概念が初期にはなかなか認められなかった大きな理由は,ATPが細胞内で多くの重要な生理反応に関与していることがあまりにも熟知されていたためであり,その時にすでにATPを代謝分解する強力な酵素が細胞外で発見されていたにもかかわらず,普遍的に存在する単純な分子が細胞外で情報伝達に利用されようとは思いもよらなかったのである。

中枢神経系ネットワークとATP

著者: 小泉修一 ,   井上和秀

ページ範囲:P.101 - P.107

 各種ATP受容体mRNAおよび受容体蛋白質が脳および脊髄に存在していること,内因性ATPによる脳内シナプス伝達が明らかとなり,今や,中枢神経系情報伝達物質としてATPが機能していることは疑うべきもない。ところがATP受容体特異的作用薬および拮抗薬の開発の遅れやATPの細胞外での素早い代謝・分解が災いして,これらATPにより惹起される応答の脳内責任受容体はもとより,作用機序およびその生理的役割に関してはなかなかその実体に迫れないのが現状である。しかし最近,中枢神経系におけるATP研究は格段に進んだといえる。これは神経細胞そのものの研究というよりは,主にミクログリアおよびアストロサイトなど脳内グリア細胞におけるATP研究が急速に進んだためである。グリアは神経細胞骨格の物理的な支持,栄養因子供給あるいは障害を受けた神経の修復および排除など,主に神経細胞の生存・維持のために重要な役割を演じているが,実際にはそれ以外にもっと積極的にダイナミックな“神経伝達の制御”を行っていることが知られるようになってきた。特にアストロサイトは,液性因子放出により“神経伝達”をダイナミックに調節し得る。本稿では,神経およびグリア細胞を含めた“中枢神経系ネットワークにおける液性情報因子ATP”を切り口として,中枢神経系におけるATPの役割に関する最近の知見を概説する。

ATP受容体と中枢性自律機能制御

著者: 加藤総夫

ページ範囲:P.108 - P.115

 ATP受容体を介した細胞間情報伝達に関する知見の多くは,自律神経節後線維と効果器間のシナプス伝達や,副腎髄質・交感神経節後細胞由来の褐色細胞腫系細胞PC12などの末梢自律神経系に関与する細胞群を用いて得られてきた1)。93年以降に進んだATP受容体サブユニット分子のクローニングによって,中枢神経系においてもATP受容体が極めて広範な範囲に発現している事実が明らかにされ,特に,末梢自律神経系の活動を上位から制御し,体内環境の恒常性維持と最適化という使命を担う中枢性の自律機能ならびに呼吸運動制御に関与する下部脳幹諸種神経核の多くがATP受容体を発現することが示された2-5)
 一方,ATPが直接あるいは間接的に中枢神経系のニューロンの活動を修飾する事実は,ATP受容体サブユニット分子のクローニング以前から示されてきた。注目すべきことに,このような細胞外ATPの直接的作用やATP受容体を介したシナプス伝達が証明された脳内構造の多くは,青斑核6-9),孤束核10,11),迷走神経背側核12),あるいは内側手綱核13)など,中枢性の自律機能調節に直接,あるいは間接的に関与する神経核であった。しかもこれらの神経核は,いずれも脳室系に直接接するという共通点を持っており,脳脊髄液中のATP感知という機能からも興味深い。

自律神経系:心筋イオンチャネル制御

著者: 松浦博

ページ範囲:P.116 - P.123

 心臓自律神経による心機能の制御には,その神経伝達物質による種々の心筋イオンチャネル活性の修飾が重要な役割を果たしている。近年,中枢神経系および自律神経系の神経終末シナプス小胞には,主たる伝達物質とともに種々のペプチドやヌクレオチドが共存し,神経興奮時にともに放出(co-release)されることが明らかにされてきている1)。例えば,ATPは心臓交感神経終末や副腎髄質細胞のクロム親和性顆粒にノルアドレナリンやアドレナリンと共に含まれていて,神経興奮時に共放出され心機能の調節に関与していることが強く示唆されている2)。加えて,ATPは低酸素,虚血,過伸展などの障害を受けた心筋細胞から放出され,オートクリンもしくはパラクリンとして,すなわち自分自身や近傍の心筋細胞に作用してその膜興奮性に影響を与え,これらの病態に伴う心機能の変化の一端を担っていることも指摘されている3,4)
 1993年以降,多種の細胞膜のATP受容体(P2受容体)の分子構造が明らかにされ,ATP受容体は2ヵ所の膜貫通領域からなるサブユニットで構成されるイオンチャネル型受容体(P2X受容体)と,細胞膜を7回貫通する構造をもちG蛋白と共役する代謝調節型受容体(P2Y受容体)の二つのサブグループに大別されている5)

ATPの血管作用

著者: 多久和陽

ページ範囲:P.124 - P.130

 プリンヌクレオチドATPとその関連物質が,細胞外から作用して多彩な生物活性を発揮するというプリン受容体作動物質の概念の確立に与った実験成績は,心臓の抽出物中に含まれるAMPを主体とするアデニンヌクレオチドが心拍数減少などの心作用を持つことを初めて示した約70年前のDruryとSzent-Györgyiの報告1)にさかのぼる。この後,1950年代にはヌクレオチドの降圧作用,血管拡張作用が見出された。このように,ATPを初めとするヌクレオチドの心血管作用は,細胞外ATP作用の中でも最も早い時期に注目された作用である。ヌクレオチドの血管作用は大きく,1)血管拡張,2)血管収縮 3)血小板凝集・止血,4)白血球の遊走・接着の4点にまとめることができる。血管系では細胞外のヌクレオチドの供給源として,1)交感神経末端から神経伝達物質であるノルアドレナリン,ニューロペプチドYとともに放出されるATP,2)ずり応力刺激や低酸素刺激によって血管内皮から放出されるATP, UTP, 3)血小板凝集に際して放出されるADP, ATP, UTP, 4)血漿中のATP, UTP,5)白血球,血管平滑筋から放出されるATP,などが考えられる。
 近年の血管生物学の発展により,ヌクレオチドの血管作用の分子基盤の理解は大きく進んだ。

痛みとATP

著者: 津田誠 ,   小泉修一 ,   井上和秀

ページ範囲:P.131 - P.137

 痛みは生体にとって非常に重要な警告系としての役割を演じているが,一方で,末期癌や末梢神経変性などに伴う耐え難い痛みは逆に大きな負担となる。病態時の激烈な痛みは患者のQOLを極度に低下させるため,適切なペインコントロールが必要不可欠である。近年,痛みの基礎的研究が急速に進み,疼痛情報伝達および制御における分子機構が次々と明らかにされてきている。その中で最近,痛みの発生伝達機構において新しい役者が登場した。ATPである。ATPは細胞のエネルギー源としてのみならず,神経伝達物質として種々の生理反応に対して重要な役割を担っている。ATPが“痛み物質”であろうという可能性は今からおよそ20年前にヒトで報告されていたが,その疼痛発生機序や生理的意義に関しては長らく不明であった。しかし最近になって,細胞膜上に存在するATP受容体の発見や新規ATP受容体関連薬物の開発,さらにはATP受容体の遺伝子改変動物を用いた解析により,疼痛発現機構におけるATPの非常に特徴的な性質が次々と明らかにされてきている。
 そこで本稿では,最近の報告を中心に,末梢から脊髄後角へ痛み情報を伝達する一次求心性知覚神経およびその情報を脳へ伝える脊髄後角神経におけるATPと,その受容体であるP2XおよびP2Y受容体の役割について述べる。

ATPのオートクリン・パラクリン作用:乳汁分泌

著者: 古家喜四夫 ,   中野春男 ,   榎本浩一

ページ範囲:P.138 - P.144

 生体内の各組織は種類は限られているが数多くの細胞が集まってできており,中枢神経系からの制御がなくとも,それら細胞の協調によって組織は機能している。その組織内の細胞間情報伝達は,生体全体の制御に関わる神経系(シナプスを介した情報伝達)や内分泌(エンドクリン)系(ホルモンを介した情報伝達)ではなく,組織内あるいは近隣の細胞のみに作用するオートクリン・パラクリンが重要な働きをしている。特に肝臓や腎臓,骨など多くは興奮性を持たない細胞でできている組織においてその役割は大きい。オートクリン・パラクリンは,活性物質を放出した細胞の近辺の同種のあるいは異種の細胞にのみ作用する情報伝達様式であり,組織内のように同種の細胞が同期して活性物質を出すことにより,より強力なシグナルとなる。その活性物質としては各種のエイコサノイドやケモカインなどがあるが,ATPをはじめとするヌクレオチドがその働きをしていること,そしてそれがかなり普遍的であると考えられるようになってきた。本稿ではマウス乳腺でのATPの働きを例に,ATPのオートクリン・パラクリン作用について概説する。

網膜組織形成とATP受容体

著者: 杉岡美保 ,   山下勝幸

ページ範囲:P.145 - P.151

 ATPは成体の神経系で神経伝達物質,神経修飾物質(neuromodulator)として作用することが広く知られている1-3)。一方,発生過程の胚細胞や未分化細胞で,ATPが細胞間情報伝達物質として作用し,細胞内カルシウムイオン濃度を上昇させるという報告がある4-6)。細胞内カルシウムイオンは細胞増殖7-9),細胞の移動10),細胞分化11)など,発生期の神経組織の形成過程において重要な役割を果たしていることから,ATPに対するカルシウム応答も,神経発生期の細胞に特徴的な生理的応答である可能性がある。特に細胞増殖制御因子としてのATPの作用に関しては,非神経細胞ではすでに知られており12),発生過程の神経系の細胞でも検討が始められている13,14)
 本稿では,神経発生期の網膜神経層を対象として,ATPにより活性化される“カルシウム動員系(calcium mobilization systems)”15,16)(図1),すなわち,Gタンパク共役型受容体の活性化による細胞内カルシウムストアからのカルシウムイオンの放出(カルシウム動員,calcium mobilization),および細胞内カルシウムストアの枯渇により活性化される細胞外からのカルシウムイオンの流入(容量性カルシウム流入,capacitative calcium entry17))について,細胞増殖制御への関与を中心に,最近までに得られた知見を紹介する。

ATP受容体の構造と機能

著者: 中澤憲一

ページ範囲:P.152 - P.157

 ATPの受容体はP2XとP2Yに大別されるが,この2種類の受容体は全く構造が異なる。P2X受容体は独特な構造を有するイオンチャネル形成型受容体であり,その構造については主としてアミノ酸置換など人為的変異導入による構造―機能相関の研究が進められているが,三次元構造について決定的な情報はない。一方,P2Y受容体はGタンパク質結合受容体であり,類縁受容体を基にかなり確かと思われる三次元構造が推定されている。しかし,類縁受容体の構造―機能の研究成果が進んでいることもあって,P2Y受容体そのものに人為的変異を導入した研究はATP結合領域を除くとほとんど行われていない。

実験講座

生細胞のイメージング―タイムラプス画像収集とデコンボリューション演算

著者: 清末優子

ページ範囲:P.158 - P.163

 GFP(green fluorescent protein)の登場以来,GFP融合タンパク質として発現させた生体分子の挙動を活性を保った状態で観察することは,生物学の広い領域において欠かせない手法となった。特に,生きた細胞の中でのそれらのダイナミックな挙動は,細胞や細胞内構造に対するかつての静的なイメージを一新した。そして,ダイナミックに活動する細胞の現象を経時的に,より詳細に追跡することの重要性が広く認識されるようになった。
 その道具としての光学顕微鏡は,近年の,光学系および検出器やコンピュータなどの周辺機器の性能のめざましい進歩により,非常に多くの質の高い情報を提供する実験機器となった。それは単なる画質の改善のみではなく,コンピュータから周辺制御機器をリモートコントロールすることにより,多重染色試料のX-Y平面の2次元画像とそれらのZ軸(光軸)に沿った異なる深さの連続スライスの全自動収集を可能とした。そして,異なるタイムポイントごとにそれら一連の処理を行い,時間軸を加えた多次元の画像収集も容易にできるようになった。さらに,デジタル化されたデータは種々の演算処理による解析や3次元像構築などにも用いることもできる。

初耳事典

Asperger syndrome/他3件

著者: 山崎晃資

ページ範囲:P.164 - P.165

 平成12年5月,愛知県豊川市において高校3年生の男子生徒による主婦刺殺事件が発生した。調べに対して少年は,「人を殺す経験をしようと思った。若い未来のある人は(殺しては)いけないと思った」と述べたという。12月26日,名古屋家裁は,少年をアスペルガー症候群と判断して医療少年院送致とする保護処分を決定した。アスペルガー症候群がマスコミで取り上げられたのは初めてのことであり,一般にはほとんど知られていなかったために,さまざなま誤解と憶測が流れた。
 アスペルガー症候群(以下AS症候群)は,1944年,ウィーンの小児科教授Hans Aspergerによって「自閉的精神病質」として記載され,社会性の確立の困難さが特徴であるとされた。その後,Leo Kannerの早期幼児自閉症との差異が論じられ,一時期はあまり取り上げられなくなっていたが,1980年代に入ってLona WingがAS症候群として記載し,再び注目されるようになった。

基本情報

生体の科学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1883-5503

印刷版ISSN 0370-9531

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