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雑誌目次

雑誌文献

生体の科学56巻1号

2005年02月発行

雑誌目次

特集 情動―喜びと恐れの脳の仕組み

特集に寄せて

著者: 伊藤正男

ページ範囲:P.2 - P.2

 知情意と呼ばれるこころの3成分に対し,知は感覚,知覚,認知の面から,意は運動の面からアプローチされて大きな成功が収められたが,情の研究は動物行動と自律神経活動の面から進められてきた。認知系が大脳皮質の大きな領域を占め,運動系が大脳皮質,小脳,大脳基底核を含む大きな領域に広がるのに対し,情動系は脳幹の被蓋,側坐核,視床下部から大脳辺縁系,特に扁桃体や帯状回にかけての脳の深部を主要な舞台としている。最近,これらの領域における神経回路構造やニューロン活動についての研究が目覚ましく進歩した。

 情動は,感覚,知覚のように情報を処理する機能ではなくて,動物が受けた刺激のもつ情報に対する生物的な価値の判断を表現している。餌や異性のように自己の生存と子孫の維持にとって有利なものは報酬系に働きかけて喜びの快情動をおこし,不利になるものは嫌悪系に働きかけて恐れや怒りの不快情動をおこす。扁桃体が情動の価値を判断し,帯状回前部が報酬への予測によって行動への意欲を高める。そのような脳の価値判断や動機付けの仕組みは現在の機械にはないもので,類推がしにくく,研究が比較的困難であった。しかし,ロボットの進化もあって今後の進歩が待望される研究領域になりつつある。

扁桃体神経回路の機能制御メカニズム

著者: 湯浅茂樹

ページ範囲:P.3 - P.9

 高次脳機能は大きく認知機能と情動機能に分類しうる。このうち情動は快・不快,喜怒哀楽のような,広い意味で外界からの情報に対する価値判断とそれに伴う個体の防衛的反応を引き起こす脳の活動である。この情動機能には扁桃体が中心的役割を果たしている。Urbach-Wiethe症候群は非常に稀な遺伝性の疾患で,両側の扁桃体に限局した変性が認められる。この症例では短期記憶をはじめとした認知機能や悲惨な物語に対する情動反応にはほとんど障害が認められないにもかかわらず,情動的な事象に関連した記憶が選択的に障害されていた1)。また,扁桃体に限局した梗塞や損傷のある他の疾患でも,特定の対象の認知はできるにもかかわらずヒトの表情から感情表現を読み取ることができず,情動記憶と結びついた自律神経反応が起らないことが報告されている1)。さらに,情動記憶の代表的パラダイムである恐怖条件付けの過程で,ヒトでも扁桃体活動が亢進することが非侵襲的脳機能画像解析により明らかにされている2)。このような臨床的観察から,扁桃体を中心とした神経回路が情動に関連した情報の処理,記憶と情動表出に関わると考えられており,特に恐怖や嫌悪といった感情に関連性が強い3)

 このように恐怖情動に関わる扁桃体神経回路に関連した知見は,従来自然科学的研究の対象となりにくかった感情について生物学的観点から理解する道を開くとともに,情動障害のメカニズム解明にも貢献している。本総説では扁桃体を中心とする情動神経回路の制御機構について,システムと分子細胞生物学的メカニズムの両方の視点から考察する。

恐怖記憶の固定化・再固定化・消去の制御機構

著者: 喜田聡

ページ範囲:P.10 - P.16

 動物は本能的に恐怖記憶を形成する。これは,動物が危険を察知し,回避するためには必須なものである。しかし,過度の恐怖記憶はトラウマとなり,さらに症状が悪化すれば,心的外傷後ストレス障害(Post Traumatic Stress Disease;PTSD)となってしまう。従って,動物が本能的に行うこの恐怖記憶の形成機構やその性質を理解することは,認知機能のメカニズムが明らかになるばかりではなく,心理療法が中心である恐怖体験に基づく心的障害に対する新たな治療法の開発や創薬に繋がると考えられる。本レビューでは,この恐怖記憶の固定化,再固定化,消去のメカニズムに関してわれわれの実験結果も交えながら解説し,さらに,恐怖記憶とPTSDの関係に関しても考察したい。

報酬系としてのドーパミン神経細胞と強化学習

著者: 中原裕之

ページ範囲:P.17 - P.25

 本号は「情動―喜びと恐れの脳の仕組み」の特集である。その特集のもと,本章は,題目にあるようにドーパミン神経細胞の役割に焦点を当てている。もちろんその意図は,ドーパミン神経細胞が「情動」と深く関わると考えられているからである。では,どう関わるのだろうか。これは難しい。なぜならまず第一に,「情動」として観察される様々な現象は,たいていの場合,脳の様々な部位に関連し,そして,それらが互いに作用を及ぼしあった結果として現れてくるのが普通である。それゆえ,ドーパミン神経細胞の「情動」における役割は,本質的には,他の部位における神経活動に依存する。このことに留意しておくことは重要である。第二に,ドーパミン神経細胞の活動に焦点を絞って考えると,その情動における機能については諸説ある。さらには,ドーパミン神経細胞の機能は情動のみに関連するわけではなく,他の様々な生体の機能にも関連することもわかっている。つまり,「情動」として語るだけでは,ドーパミン神経細胞の生体における役割は十全には見えてこない。

 上記の二点を踏まえると,ドーパミン神経細胞は「情動のこれこれ」に関わりますと断言するのは,著者の理解する限りにおいては,現時点では難しすぎる。とはいえ,それでこの章を終わりにしてしまっては,身もふたもない。そこで,とりあえずは,(現時点で)著者が気に入っているドーパミン神経細胞の活動と情動に関わる概説論文をいくつか挙げておこう1-5)。現在の考え方の一端を知りたい方はこれらを参照されたい。これらには,ドーパミン神経細胞の情動における役割について有益な示唆が書いてある。

嫌悪系―苦痛の制御メカニズム

著者: 南雅文

ページ範囲:P.26 - P.31

 快情動と不快情動は,行動の動機づけあるいは選択・制御に関わる根本的な高次脳機能である。このうち快情動については,モルヒネ,コカインなどの依存性薬物や脳内自己刺激により惹起される報酬行動との関連から古くより精力的な研究がなされ,快情動生成に関与する脳領域,神経回路および神経伝達物質に関して多くの知見が集積されてきた。一方,不安や不快,恐怖といった負の情動(以下,不快情動と呼ぶ)の生成機構に関しては不明な点が多い。筆者らはこれまで,持続性疼痛1,2)および麻薬禁断3-5)により惹起される不快情動に関して,それらに関わる神経回路および神経伝達物質を,扁桃体に焦点をあて研究してきた。本稿では,持続性疼痛による不快情動生成に関して,体性痛と内臓痛では異なる神経回路が用いられている可能性を示唆する知見を紹介するとともに,体性痛による不快情動生成に関わる扁桃体内情報伝達機構とその制御メカニズムについて筆者らの研究を中心に述べたい。

側坐核における行動の情動的評価と行動計画

著者: 木村哲也

ページ範囲:P.32 - P.38

 動物における行動計画の内部表現を理解することは,その形成のメカニズムさらには動物の意思決定のメカニズムを知る上で重要な手掛かりとなる。しかしながら,行動計画はそれ自身階層的な構造を有していることもあり,その全体像を知ることは困難といわざるを得ない。これまでの研究によって,腕の軌道設計といった運動レベルでのメカニズムに関しては多くの知見やモデルが提案されてきている。ところが,より長期的で複雑な計画では余り多くの研究がなされていないというのが現状であろう。脳そのものの一般的な特性として,行動計画のような複雑な情報を生成する場合,要素から全体像を形成する方法(ボトムアップ)とおおまかな全体像より要素を規定する方法(トップダウン)を同時平行して行っていると考えた方がよく,巨視的な行動計画がどのように作られ,それが微細なものに分節化されるのかを知ることは意義深い知見となる。

 これらの観点から,故松本元博士とわれわれは側坐核の神経活動に関連した研究を行ってきた。本稿では,われわれの注目する側坐核の特徴をレビューし,最近得られたわれわれの研究成果の一部を紹介することによって,行動あるいは行動単位を情動的に評価し学習するシステムとしての側坐核の可能性を示したい。

帯状皮質における動機づけ・報酬期待の神経機構

著者: 設楽宗孝

ページ範囲:P.39 - P.44

 帯状皮質は脳梁の背側に位置する前後に長い皮質領域で,内側面の帯状回および帯状溝内部よりなり,情動や動機づけに深く関わっているとされており,歴史的にはPapezの提唱した情動回路(海馬体,乳頭体,視床前核群,帯状回,海馬傍回を結ぶ神経回路)の一部となっている。より詳細に見ると,帯状皮質は前部と後部では解剖学的な神経線維連絡が異なり,その役割も異なっているといわれている。また,前部帯状皮質は,情動・動機づけに深く関連した認知制御(cognitive control)に関わっていると考えられているが,これ自体かなり広い領野であり,ヒトでは機能的MRIなどを用いた研究報告から,その前半(吻側部)がより情動に直接的に関係するaffective division(情動部位)であるのに対し,後半(尾側部)はより認知制御に役割を果たすcognitive division(認知部位)と考えられている1)

 今回は,前部帯状皮質に関して,ヒト脳の機能的イメージングによる研究報告を簡単に述べた後に,前部帯状皮質(特に尾側部)の情動・動機づけに関する役割を,報酬期待という観点からニューロン活動のレベルでわかってきたことを中心に詳しく述べてみたい。

アルコールと麻薬と覚せい剤

著者: 池田和隆 ,   山本秀子

ページ範囲:P.45 - P.50

 情動は,生物が生物たる,人が人たる,個にとって根源的な機能である。記憶,学習,知覚,運動制御,予知など重要な脳機能は,コンピューターやロボットによってある程度代行させることができるが,情動の代行は不可能である。情動は,人や動物の行動を決める上で決定的な役割を担うものであるが,神秘的で科学的解明が難しいと考えられている。このような情動を科学的に研究して分子レベルで理解するためには,情動に影響する薬物の作用機序に注目することが有効であろう。アルコール,麻薬,覚せい剤などの物質は,様々な情動を惹起させるが,それ自体が分子であり,その構造も明らかである。つまり入口が分子,出口が情動であり,中がブラックボックスではあるが,脳であることは間違いない。また,これらの薬物は内在性の神経伝達物質の類似物であり,薬物がない状況下で内在性物質が作り出している自然な情動と類似した情動を作り出していると考えられる。しかも,これらの薬物は脳に無秩序に作用するわけではなく,それぞれ特異的な標的分子に作用する。薬物がどのような標的分子にどのように作用し,この標的分子が次の分子にどのように情報を伝えていくのか,その次は,その次は,と研究を進めていけば,薬物から情動に至る過程を全て分子レベルで理解することが可能かもしれない。本総説では,これらの薬物の作用機序に関する,動物行動解析結果を中心とした最近の知見を例に,快情動の分子メカニズムの一部を紹介したい。

パニック障害の病態とその生物学的基盤

著者: 中川伸 ,   井上猛 ,   泉剛 ,   李暁白 ,   北市雄士 ,   小山司

ページ範囲:P.51 - P.57

 「不安」(anxiety)は対処不決定の漠然とした恐れの感情であり,一般に対象のある「恐怖」(fear)に対して,対象を欠くものを指す。正常な不安としては,生きている限り避けることのできない病や死への恐れ,生活,経済,宗教上の諸々の不安がある。一方,病的な不安とは,刺激が主体の内部で歪曲・肥大化されるために,客観的な危険に比して不釣り合いに強く反復して現れ,その処理に神経症的防衛規制を要するとされるものである1)。現在国際的にも汎用されている米国精神医学会の診断基準であるDSM-Ⅳ(Diagnostic and statistical manual of mental disorders-Ⅳ)において,不安障害はパニック障害,パニック障害の既往歴のない広場恐怖,特定の恐怖症(以前は単一恐怖症),社会恐怖,強迫性障害,外傷後ストレス障害,急性ストレス障害,全般性不安障害,一般身体疾患による不安障害,物質誘発性不安障害,特定不能の不安障害に分類される2)。これら個々の疾患に対する脳内メカニズムは未だ明らかにされていないが,プレクリニカルスタディからは「不安」「恐怖」の共通したメカニズムが,クリニカルスタディからは疾患特異的な所見が徐々に明らかにされつつある。本稿では,不安障害の中でもパニック障害に焦点を当ててその病的状態の臨床研究所見,その根幹にあると思われる生物学的基盤の仮説などを紹介する。

ADHD-衝動制御のメカニズム

著者: 桑原斉 ,   加藤進昌

ページ範囲:P.58 - P.64

 注意欠陥/多動性障害(Attention Deficit Hyperactivity Disorder:ADHD)とは,不注意,多動性,衝動性が同年齢の子供たちと比べて著しく不相応であることを診断基準とする児童期の精神障害である1)。その頻度は学齢期の子供の4~12%にみられるとされ,男女比は4:1~9:1とされている2)。多動性は年齢を経るにつれ改善することが多いが,不注意は続き,忘れ物の多さ,指示された学習ができないなどの問題があり,知的レベルと学業成績の乖離が著しいために反抗的あるいは怠惰と評価されやすい。また,良好な友人関係を成立させることが難しく,集団に入ることができずに,からかい,いじめの対象になることもある3)

 近年では未成年者による重大犯罪の増加,いわゆる「切れる子供」の問題とADHDとの関連が指摘されており,社会的にもADHDに対する注目は増している4)。不注意,多動性,衝動性というADHDを特徴付ける三つの症状のうち社会,司法において問題になるのが衝動性だと考えられている5)。また,ADHDの根本にあるのが衝動的な反応を抑える能力の欠如だという考え方も提唱されている。これはつまり,ADHDの患者は,現在していることと無関係の合図や刺激,出来事などへの反応を抑えることが特に難しく,結果として不注意・多動性を生じているとする考え方である6)

連載講座 個体の生と死・33

高齢者の知的能力

著者: 中里克治

ページ範囲:P.65 - P.69

Ⅰ. 知能とは

 知能についてはさまざまな考え方があり,研究者ごとに定義が違うとさえいわれている。代表的な知能検査を作ったWechslerは,知能を「目的にあった行動をし,合理的に考え,環境からのはたらきかけに効果的に対処する能力」と定義している。

 知能は全体として一つの因子を構成するものとも考えられるが,同時に,いつくかの能力で構成されるものと考えることもできる。Cattell1)は,知能は流動性知能因子と結晶性知能因子という二つの一般因子で構成されるという説を提案した。流動性知能因子は,新しいことの学習や新しい環境に適応するために必要な問題解決能力である。大脳の生理的な面との結びつきが強く,加齢や脳の器質的障害の影響を受けやすい。これに対し,結晶性知能因子は蓄積した経験を生かす能力であり,学校教育や仕事などのさまざまな経験の蓄積によって育てられていく能力である。結晶性知能因子は加齢や脳の器質的障害の影響を受けにくい。WAIS-Rなどの知能検査では,おおよそ言語性検査が結晶性知能因子を,動作性検査が流動性知能因子を測ると考えられている2)

解説

アルツハイマー病の根本的予防・治療法開発の新しい展開

著者: 田平武

ページ範囲:P.70 - P.77

 アルツハイマー病(AD)は高齢者に多い痴呆疾患で,物忘れで始まり,徐々に痴呆が進行する。その病態の中核にはβアミロイドが存在し,βアミロイドの形成機序が分子レベルで急ピッチに進み,根本的な予防・治療法の開発と応用が目前に迫っている。ここでは根本的予防・治療法の新しい展開について解説する。

基本情報

生体の科学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1883-5503

印刷版ISSN 0370-9531

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