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雑誌目次

雑誌文献

生体の科学60巻4号

2009年08月発行

雑誌目次

特集 睡眠と脳回路の可塑性

睡眠とシナプス可塑性との相互作用

著者: 宮本浩行 ,   ヘンシュ貴雄

ページ範囲:P.260 - P.268

 基本的な生理的欲求としての食欲,性欲,排泄欲などに比して睡眠についてはなぜそれが大切なのか自明とは言いがたい。脳との関係,なかでも睡眠と記憶との結び付きは近年の研究の進展も相まって注目されてきた。記憶は認知機能の基礎をなすものであり,ヒト・動物の心理学的研究,神経活動,シナプス可塑性,分子など多彩な観点から実験的にアプローチできる点や,記憶現象が内包する脳システム間の動的相互作用が研究者を魅入らせてきた理由ではないだろうか。

 睡眠がシナプス可塑性や記憶の固定・定着(consolidation)に積極的な役割を果たしているという考えを多くの実験的研究は支持している。シナプス可塑性とは広く神経細胞間の情報伝達の強さを変え維持する性質であり,神経活動によって神経細胞間の結合強度が変化して保存されるという特性から記憶・学習機構の基礎過程と想定されている。代表的なものに長期増強(long-term potentiation:LTP)や長期抑圧(long-term depression:LTD)が挙げられ,海馬,小脳,大脳皮質,線条体といった様々な脳領域の脳切片あるいは生体で詳しく調べられている。

睡眠と抑制性シナプス伝達

著者: 黒谷亨 ,   小松由紀夫

ページ範囲:P.269 - P.275

 ヒトは人生の約3分の1を眠って過ごす。しかし,ヒトを含めた多くの動物がなぜ眠るのか,眠らなければならないのか,という問いに対する明確な回答をわれわれはいまだ得ていない。睡眠の意義については古くから,エネルギーの節約のため,覚醒中の活動により高まった脳の温度を下げ,あるいは蓄積した老廃物の除去するため,など種々の仮説が提唱されてきた。近年,睡眠の脳の可塑性現象への関与が注目されており,例えば,睡眠中には覚醒時に体験した事柄の記憶の定着が起こること,また学習した内容が睡眠時に時間圧縮された状態でリプレイされていることなど,様々な事象が報告され1),睡眠が記憶・学習といった脳の高次機能に影響を与えうる,積極的な過程であることが示唆されている。実生活上でも,試験勉強などをした後に睡眠を取ると,覚えた事柄が整理されて想起しやすくなる,といった経験則を耳にする機会は多い。

 では,睡眠はどのようなメカニズムを通じて,これら可塑性現象など脳の情報処理過程に影響を与えるのだろうか。それを知るためには,睡眠・覚醒中に大脳皮質の個々の神経細胞に生じる変化をシナプスレベルで明らかにする必要がある。睡眠中の哺乳類の脳波パターンは,睡眠の種類に依存して変化する。睡眠には「REM(Rapid Eye Movement)睡眠」と,それ以外の「non REM(NREM)睡眠」があるが,REM睡眠時には覚醒時に近い,比較的周波数の高い低振幅の脳波が,またNREM睡眠時にはゆっくりとした振幅の大きな脳波が出現する。NREM睡眠は,ヒトにおいては脳波の周波数成分や振幅,また睡眠の深さの程度などから,さらにステージ1から4までに細分される。このうち,ステージ3と4は特に徐波睡眠(slow wave sleep:SWS)と呼ばれる深い睡眠であり,脳波にも大振幅徐波が現れる(図1)2)

ショウジョウバエを使った睡眠研究

著者: 粂和彦

ページ範囲:P.276 - P.284

 睡眠は,人間なら誰もが毎晩1日の3分の1近い時間を費やす身近な生理現象だが,その制御機構や生理的意義には,まだ未解明の部分が多い。睡眠は単に休息のためだけにある受動的なプロセスだというとらえ方から,睡眠中に記憶の整理・固定・消去などの積極的な意義を見出すというとらえ方まで,さまざまな考え方が提唱されてきた。その中で,本特集で取り上げるように,記憶・学習,その基盤にある脳の可塑性と睡眠の関係が最近,特に注目されるようになっている。

 睡眠は人間を代表とする高等脊椎動物の脳機能だと認識され,原則として脳波を元に定義される。そのため基礎研究にも哺乳動物が用いられることがほとんどであったが,昆虫などの無脊椎動物にも睡眠類似の行動が認められることは古くから知られていた。そして分子生物学の進歩から,脊椎動物と無脊椎動物の間にも保存された遺伝子が多数存在することが示されたこと,遺伝学と解析の容易さなどから人間の種々の疾患モデルとして使われるようになってきたこと,脳科学の進歩に伴い見た目や複雑さの多大な相違にかかわらず相同的な機能が多数見いだされてきたことなどから,睡眠という生物現象の神経基盤の解析にも古典的な哺乳類に加えて,新しいモデル動物を使った睡眠研究がこの数年で大きく発展してきた。その中には,ゴキブリ,ショジョウバエ,ザリガニ,ゼブラフィッシュ,線虫などが挙げられる1,2)

覚醒時の神経活動の睡眠中のリプレイ

著者: 龍野正実

ページ範囲:P.285 - P.294

 私たちは,一日のうちの四分の一から三分の一の時間を睡眠に費やしている。睡眠は疲労の回復に必須であり,十分に睡眠を取らないと翌日に眠くて仕事に集中できないという経験は誰もが持っているであろう。ところで,睡眠は疲労を回復する以外にも何か重要な機能を担っているのであろうか。近年の神経科学研究の発展はこの睡眠の機能に新しい光を投げかけつつあり,特に記憶との関係が注目を集めている。

 本稿ではまず,覚醒時に観察された神経活動がその後の睡眠中に再生される現象を紹介し,関連する話題として多電極記録技術や記憶固定化の仮説について解説する。また,睡眠はレム睡眠とノンレム睡眠という二つのステージに分類されるが,それぞれにおける海馬の神経活動の特徴を紹介し,リプレイの違いについて議論する。さらに,大脳皮質におけるリプレイについても最近の知見を簡単に紹介し,記憶の固定化に対するレム睡眠,ノンレム睡眠の役割について検討する。

睡眠時の振動的神経活動とその機能

著者: 辛島彰洋 ,   岩崎直穂子 ,   片山統裕 ,   中尾光之

ページ範囲:P.295 - P.302

 学習や記憶などの脳高次脳機能やその発達・維持への睡眠の寄与が明らかになってきている1)。睡眠時には振動的な神経活動が著明に現れる。睡眠が脳において機能を果たしているなら,これらの振動現象の意義を考えないわけにはいかないだろう。ノンレム睡眠時の7~14Hzの紡錘波や1~4Hzのδ波,およびレム睡眠時の5~8Hzのθ波などはその代表例である。このうち,紡錘波やδ波は,それを作り出すニューロンの周期的バースト発火とシナプス可塑性との関係が示唆されている2,3)。また,θ波は覚醒時には動物の探索行動に伴って現れ,海馬におけるシナプス可塑性への深い関わりが指摘されてきた4,5)。特にθ波の振動位相の持つ意味が明らかにされてきている5,6)

 本稿では,ノンレム睡眠およびレム睡眠の脳機能における役割をそれぞれの睡眠状態を特徴付ける振動的神経活動のダイナミクスを通して説明する。まず,ノンレム睡眠時δ波パワーをプローブとして,体性感覚遮断によって引き起こされる神経回路網の再編成と睡眠との関係について論じる。また,レム睡眠期に脳幹で生成されるスパイク状のPGO波と海馬および扁桃体のθ波との協同的な振舞いについて最近の知見を紹介する。それぞれの現象は学習や記憶への関わりが強く示唆されていることから,この協同性はレム睡眠の機能的意義を考える上で興味深い。

睡眠と学習機能

著者: 栗山健一

ページ範囲:P.303 - P.309

1 睡眠と学習


 睡眠脳波研究の創始期にAserinskyら1)によりREM(rapid eye movement)睡眠中に覚醒時と類似の皮質活動が起こっていることが発見され,その後Rechtschaffenら2)やDementら3)により,その他のnon-REM睡眠中にも比較的覚醒時に近い脳活動が混在していることが指摘された。これ以降,睡眠時の脳活動の意義に関して様々な議論が交わされ,睡眠と記憶の連関も推測されてきたが,決定的な証拠は見出されなかった。その間,1970年代以降,睡眠学習といったエビデンスの薄い民間信仰がトピックとなり,記憶枕などの商品が数多く販売され世間を賑せている中,睡眠と記憶の議論は急速に収束してしまった。最近の10年間でこの脳活動が学習機能と関連している決定的な証拠が多く見出され,睡眠中の脳活動には覚醒時に学習した内容を定着・強化する過程が含まれることはほぼコンセンサスを得るに至っている。REM睡眠中には夢の報告が多いことから,夢の意義に関して記憶・学習機能と関連付けて論じられることが多いが,その他の睡眠状態も記憶・学習機能に影響を与えている可能性が示唆されており,夢との関連はいまだ多くの研究者の興味の対象である。

 意味や知識,生活史などの言語的に再現可能な記憶を陳述記憶と呼ぶのに対し,手続き記憶とは,手作業や自転車・自動車の運転,スポーツのテクニックなど,言語的ではなく身体動作を伴い再現される記憶を意味する。手続き記憶はヒトに限らず全ての動物に必須の機能であり,これが優れている個体ほど,生存競争を勝ち抜くチャンスがより多いと考えられる。睡眠の主な役割である疲労回復・損傷修復といった脳・身体活動の恒常性維持とともに,睡眠は記憶・学習という積極的な適応行動にも重要な役割を果たしており,まさに覚醒中の活動をフルサポートしていると考えられている。

夢のメカニズムと役割

著者: 堀忠雄 ,   小川景子 ,   阿部高志

ページ範囲:P.310 - P.317

1 夢の理論

 レム睡眠中の夢は鮮明で物語性や怪奇性に富み,ノンレム睡眠(nonREM Sleep)や入眠期(Sleep Onset Period:SOP, hypnagogic state)の心像体験よりも記憶が鮮明であるところから,これまでの夢の理論はレム睡眠(REM Sleep)中の夢を対象として考えられてきた。その主なものを上げると以下の六つの夢理論になる。

連載講座 中枢神経系におけるモジュレーション・14

情動によって記憶が増強されるメカニズム

著者: 阿部和穂

ページ範囲:P.318 - P.322

 記憶は一様でない。われわれは,ありきたりの日常的な出来事よりも,特に嬉しかったことや怖かった体験などをよく覚えている。つまり感情は記憶を増強する。この事実は古くから知られているにもかかわらず,そのメカニズムは不明であった。脳の中で,海馬は記憶に関与し,扁桃体は感情を司っている。したがって,海馬と扁桃体の相互作用が「情動によって記憶が増強される仕組み」に深く関係していると考えられる。本稿では,近年明らかにされてきた海馬と扁桃体の相互作用に関する研究成果を紹介したい。

解説

音色で感じる聴覚の世界

著者: 難波精一郎

ページ範囲:P.323 - P.329

Ⅰ.音色を手がかりに外界を知る

 親しい知人であれば電話の声を聴いた瞬間に誰からの電話であるかわかる。環境の中には多くの音源が存在するが,それが何の音かの識別の手がかりとなるのが音色である。外界にどのような音源が存在し,それがどのような動きをしているか知ることは適応上重要である。現実の環境に混在しているいろいろな音源を分離し,それぞれの音源が空間のどの位置を占めているか明確にすることは決してやさしい仕事ではないはずだが,耳はそれをいとも簡単にやってのける。

 もちろんコンピュータを用いて複合音の周波数分析をすることは容易にできる。しかし,スペクトル構造を見ただけでそこにどのような音源からの音が含まれているのか識別することは困難である。音源識別の手がかりは周波数成分だけでなく音の時間的変化のパターンや,さらに物理量以外の多くの要因が音源の識別に貢献しているからである。各音源が持つ固有の音色,あるいは音源間の音色の相違が音源の識別の最大の手がかりといえる。

研究の戦略

境界形成とEph-Ephrinシグナル

著者: 渡邉忠由 ,   高橋淑子

ページ範囲:P.330 - P.336

 100兆以上もの細胞から成るわれわれの体が作られる過程においては,一つの受精卵から分裂によって細胞数が増えるだけでなく,それらの細胞がそれぞれ特定の性質を持つように分化をする。このとき多くの場合,先んじて細胞集団内に境界が形成される。この境界形成という体作りにおける戦略は,一定の細胞集団を物理的に別々の細胞集団に区分するという意義に加えて,発生を促すシグナルの発信源になることもある。ゆえに境界形成は,複数の組織や器官がバランスよく配置され,それぞれがともに調和のとれた生理機能を発揮するのに欠かせない現象といえる。中枢神経系の発生においても,大きな区分けがなされたのちに,それらをもとに細かい神経ネットワークが形作られていく。中枢神経以外にも小腸の柔毛のパターンや,脊椎骨および肋骨の繰り返しパターンも細胞集団内に仕切りができることによってできあがっている。これらの器官はそれぞれ独特な形態を取っているため,それぞれ異なるメカニズムで形成されているように思えるが,実はEph-Ephrin(膜結合型レセプターとリガンド)という共通した分子を介したシグナルによって,形作られている。今回はこれらの現象を例にとって,様々な組織や器官の形成の道標となり得る境界形成の機構について論じたい。

基本情報

生体の科学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1883-5503

印刷版ISSN 0370-9531

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