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雑誌目次

雑誌文献

生体の科学61巻2号

2010年04月発行

雑誌目次

特集 糖鎖のかかわる病気:発症機構,診断,治療に向けて

特集に寄せて

著者: 谷口直之

ページ範囲:P.96 - P.96

 糖鎖は,第3の生命鎖として,ライフサイエンスの領域でも注目を集めるようになっている。その理由のひとつには,タンパク質の半分以上には糖鎖が付加されているという事実がある。一方,タンパク質に比べて糖鎖は多様性があり,また構造が複雑なため,その解析が難解であることからこれまでは多くの研究者から糖鎖研究が敬遠されてきた。

 しかし,質量分析などの糖鎖の解析法の著しい進歩や糖鎖を合成する糖鎖遺伝子などの遺伝子改変動物を用いた糖鎖の機能解析の成果により,糖鎖の研究が飛躍的に発展し,糖鎖が生体の中で,細胞の認識,発生,再生,分化,免疫,細胞膜受容体を介した情報伝達などの基本的な現象に重要な役割を果たしていることが明らかになってきた。また,同時にいろいろな病気の発症機構の解明や診断,治療に糖鎖研究が欠かせないことから多くの研究者がこの領域に参入するようになってきている。

がん転移とEMTにおける糖鎖の役割

著者: 顧建国

ページ範囲:P.97 - P.103

 上皮-間葉転換(epithelial-mesenchymal transition:EMT)とは,一定の極性を持って基底膜上に規則正しく配列した上皮系の細胞がその細胞極性を失い,間葉系細胞に変化することを指す1)。EMTは1980年代初めにElizabeth Hayらによって提唱された現象であり,個体発生において重要な役割を担っている。これまでに,初期胚発生における原腸陥入,神経冠細胞(neural crest cells)の発生,心臓,腎臓,口蓋などの器官形成過程におけるEMTの役割が明らかとなっている2)。また,生体のホメオスタシス維持において,分化した正常上皮細胞が炎症や外傷などの際にトランスフォーミング成長因子(TGF-β)などの刺激で容易にEMTを惹起することも知られている3)。一方,近年,上皮がん細胞の浸潤・転移能の獲得機構にEMTの関与が知られている4)。がん細胞は腫瘍の悪性化に伴ってその発生初期に明確な細胞極性を失い,上皮から間質への局所浸潤・増殖,さらに血行性あるいはリンパ性転移を経て遠隔転移という過程をたどる。すなわち,がん細胞のEMTを理解することはがんの浸潤・転移機構をより理解できるようになり,また,その制御因子の解明は抗がん剤の開発に役に立つことが期待される。本稿では,N-結合型糖鎖による細胞接着分子であるインテグリンの機能制御,およびがん転移やEMTへの関わりについて最新知見を交えて筆者らの研究を紹介する。

ウイルス感染と糖鎖

著者: 安形高志

ページ範囲:P.104 - P.110

 インフルエンザウイルスの感染に糖の一種であるシアル酸が関わる事実はよく知られている。インフルエンザウイルス粒子の表面にはヘマグルチニン(HA)とノイラミニダーゼ(NA)の2種類のスパイクタンパク質が存在し,ウイルス粒子が宿主細胞に付着する際にはHAが細胞表面のシアル酸に結合することが必須である。一方,宿主細胞内で増殖したウイルス粒子が放出される際には,NAがシアル酸を加水分解することで宿主細胞の表面にトラップされることを防ぐ。仮にこの事実を知らなくても,多くの人々はNAの特異的阻害剤であるタミフルやリレンザの恩恵を受けている1,2)。インフルエンザウイルスに限らず,感染に際して多種多様なウイルス・細菌・原虫の糖鎖認識タンパク質(レクチン)が宿主の糖鎖を利用しており,「病原体と宿主糖鎖の結合」は感染症治療薬の作用点として注目されている3,4)

 一方,宿主免疫系のレクチンが病原体表面の糖鎖を認識することも古くから知られている。最も古典的なのは血中のマンノース結合レクチン(マンナン結合タンパク質とも呼ばれる)が細菌・真菌・ウイルスなどの表面に露呈したマンノースやN-アセチルグルコサミンのクラスターを「異物」として認識し,補体カスケードを活性化することにより排除する「レクチン経路」であろう5,6)。近年の免疫学の発展により,特に自然免疫系細胞に発現する多様なレクチンがウイルス・細菌・真菌・原虫などの病原体を認識し,ある時は宿主に,ある時は病原体に有利な結果をもたらす仕組みが明らかにされつつある。

 本稿ではウイルス感染において,ウイルスのレクチンが宿主の糖鎖を認識するケースと,宿主のレクチンがウイルスの糖鎖を認識するケースについていくつかのトピックを紹介し,さらにウイルス感染における糖鎖のその他の役割について事実に基づく推測を交えながら考察する(図1)。なお,インフルエンザウイルス感染における糖鎖の役割に関しては優れた総説7,8)があるのでそれらをご参照頂きたい。

甲状腺癌とガレクチン-3

著者: 喜井正士 ,   猪原秀典

ページ範囲:P.111 - P.116

1 甲状腺癌の診断における問題点

 甲状腺癌は組織学的に濾胞細胞由来の乳頭癌,濾胞癌,低分化癌,未分化癌と傍濾胞細胞由来の髄様癌とその他の癌(悪性リンパ腫など)に分類される。乳頭癌と濾胞癌は分化癌と称され,全甲状腺癌に占める割合はそれぞれおよそ8割と1割である。低分化癌と未分化癌は乳頭癌と濾胞癌(分化癌)を発生母地として発生する。髄様癌は遺伝性のものと散発性のものに分類されるが,遺伝性の髄様癌に副腎褐色細胞腫などを合併する多発性内分泌腫瘍症2型(MEN type 2)の一部を構成する場合がある。これら甲状腺癌は内分泌系悪性腫瘍のうち最多のものであり,全悪性腫瘍のうち米国で2.5%,日本で1.3%を占めるが,全癌死に占める割合は米国で0.28%,日本で0.5%しかない1,2)。これは甲状腺癌が予後良好であることによると思われる。分化癌である乳頭癌と濾胞癌の10年生存率はそれぞれ93%と85%とされている3)

 甲状腺腫瘍における最も有用な診断法は穿刺吸引細胞診(FNAC)であり,乳頭癌,未分化癌,髄様癌では高い正診率が得られているためその診断は比較的容易である。しかし,濾胞癌と濾胞腺腫の診断は脈管侵襲あるいは被膜浸潤の有無によって規定されるため,転移巣が存在しない場合にはFNACでは診断できない。このため濾胞性結節性病変は良悪性の術前鑑別診断なしに手術されるが,濾胞癌と判明するのはそのうちの10-15%程度しかなく4,5),多くの不必要な手術が行われているのが現状である。また,FNACで乳頭癌が偽陰性とされることも少なくない5)。さらに,濾胞癌は微小浸潤型と広範浸潤型に分類されるが,微小浸潤型濾胞癌に関しては診断再現性が低く,いわゆるobserver variationが存在する6)。Observer variationは乳頭癌のバリアントである濾胞型乳頭癌の診断においても問題となっている7)

 これらの問題を解決しうる診断手法の確立が待望されており,ガレクチン-3をターゲットとした手法が注目されてきた。本稿では,甲状腺癌においてこれまでに得られたガレクチン-3に関する知見と今後の展望について述べる。

糖鎖と不妊症

著者: 姜松林 ,   本家孝一

ページ範囲:P.117 - P.121

 先進諸国では夫婦の10組に1組は不妊に悩まされているといわれている。深刻な社会問題となっている少子化問題への対処として,不妊症の克服は重要な医学的課題である。

糖鎖と炎症性腸疾患

著者: 新崎信一郎 ,   飯島英樹 ,   三善英知

ページ範囲:P.122 - P.127

 炎症性腸疾患(inflammatory bowel disease:IBD)は,慢性・再発性に腸管での発症を引き起こす原因不明の難治性疾患である。小腸・大腸を中心に全層性の炎症性変化を呈するクローン病(Crohn's disease:CD)と,主に大腸の表層粘膜を中心とした炎症像を認める潰瘍性大腸炎(ulcerative colitis:UC)とに大別され,いずれも厚生労働省の特定疾患に指定されている。IBDの原因は不明であるが,遺伝的背景1)や免疫学的異常2),食事抗原の影響などが複合して発症に関与すると考えられている。患者数は増加の一途を辿っており,また10~20代での発症が多いため,患者のQOLを長期的に損なうと同時に,社会的損失の大きい疾患である。近年の生物学的製剤の進歩により,抗TNF-α製剤であるインフリキシマブが誕生したことをきっかけに,特にクローン病において今世紀に入り治療のブレイクスルーが起こったが,無効例や再燃例も多く,IBDの自然史を変えたとはいいがたい。その病因を明らかにすること,そしてより有用な診断・治療法を開発することが喫緊の課題である。

 一方,近年の糖鎖解析技術の進歩により,糖鎖構造の変化がさまざまな疾患の病態生理に重要な役割を果たしていることが明らかにされてきている。本稿では,IBDをはじめとした慢性炎症性疾患における糖鎖の果たす役割を,特にわれわれが近年検討を行っている,IBDとIgG糖鎖変化に関する研究成果を中心に概説する。なお,IBDには広義には腸管ベーチェット病や腸結核などを含むこともあるが,本稿では狭義のIBDであるクローン病と潰瘍性大腸炎を対象とする。

糖鎖とCOPD

著者: 高叢笑 ,   顧建国 ,   谷口直之

ページ範囲:P.128 - P.134

 慢性閉塞性肺疾患(COPD:chronic obstructive pulmonary disease)は肺気腫と慢性気管支炎の総称であり,喫煙習慣などによるマトリクスメタロプロテイナーゼ(MMP)の活性化による肺間質の破壊を主因とし,さらに白血球の遊走・浸潤を伴う炎症である。COPDによる死亡者は増加の一途を辿っている中,その病因究明および治療法の開発が急務となる。われわれは糖タンパク質のN-結合型糖鎖の根元のGlcNAcにalpha 1,6フコースを転移する酵素(Fut8)の欠損マウスを作製し,Fut8と肺胞壁の破壊との関連を解析した。さらに,Fut8のヘテロ欠損マウスを用いた喫煙暴露実験を試みた。本稿はFut8欠損マウスを中心にその研究から得られた知見を紹介する。さらに,細胞外マトリクス成分であるグリコサミノグリカン(GAG)のMMPの阻害活性を概説したい。

 COPDは,肺胞壁の破壊による肺気腫と,粘液の過分泌を伴う中枢気道の慢性的な炎症による慢性気管支炎を基本病態とし,中高年の喫煙者に発症する慢性,持続性の閉塞性換気障害を呈する疾患群である。COPDの主な原因は長期喫煙である。そのほか,受動喫煙や大気汚染,粉塵など外的環境因子や,加齢,栄養失調,タンパク質分解酵素阻害物質の欠損(例えばα1-アンチトリプシン欠損症),細胞外マトリックス分解因子の増加などの内在因子に関係すると考えられる。他の主要疾患に比べてCOPDの患者数が急増しており,全世界におけるCOPD有病者は2.1億人,毎年の死亡者は300万人と見積もられており(世界保健機構,2008年),2020年には世界死因の第3位になると予想されている。COPD患者は感染症によって,容易に重篤な全身症状を引き起こし,非常に高い死亡率(5~14%)に繋がる。昨年,全世界で猛威を振った新型インフルエンザによる感染死者の1割はCOPDの罹患者である(厚生労働省統計,2009年)。一方,COPDにおいては,加齢あるいは慢性喫煙による肺胞中隔結合組織の破壊と修復機構の不均衡が疾患の発症に関与するという説がある。また,COPDは現時点では完治不能な疾患であり,その治療は禁煙・気管支拡張剤の投与を中心とした対症療法である。ターゲットを絞った治療法が確立されていない。本稿では,われわれの知見を中心に解説し,COPDの発症・治療における糖鎖の役割について触れたい。

糖鎖と難聴

著者: 郷慎司 ,   吉川弥里 ,   井ノ口仁一

ページ範囲:P.135 - P.141

 耳から入った音は,外耳から中耳・内耳を経て,聴神経を通り脳に伝えられる。この経路のどこかに障害が起こることで,音や声が聞こえにくく(聞こえなく)なる「難聴(hearing loss, deafness)」が引き起こされる。「難聴」と一口にいってもその原因は多数あり,症状も様々である。難聴には大きく分けて,音を伝える部分(外耳~中耳)の障害に起因する「伝音性難聴」と,音を感知し脳に伝える部分(内耳~神経)の障害に起因する「感音性難聴」,両難聴が合わさった「混合性難聴」の3種類がある(図1)。

 伝音性難聴は中耳炎や外耳道閉塞,鼓膜や耳小骨の損傷などによって引き起こされる。伝音性難聴の多くの場合においては薬物治療や外科治療が可能である。感音性難聴は難聴原因遺伝子の変異,加齢や薬物,ストレス,騒音など様々な要因によって引き起こされる。先天性の難聴は出生1000人あたりに1人の割合であり,もっとも頻度が高い先天性疾患の一つである。また,加齢性難聴は65歳以上の40%以上に生じるとされている。さらに,現代社会特有のストレスによる難聴や,携帯音楽プレイヤーなどの普及に伴う騒音性の難聴も増加してきており,各種難聴発症の分子機構・病態解明,治療法の開発は最重要課題の一つである。ここでは主に内耳に起因する難聴を中心に関して述べる。

膵臓β細胞の糖鎖と2型糖尿病発症機構

著者: 大坪和明

ページ範囲:P.142 - P.147

 糖尿病はインスリンの相対的・絶対的不足により引き起こされる糖質・脂質代謝疾患であり,その発症メカニズムにより分類される。糖尿病の約5%を占める1型糖尿病は自己免疫反応により膵臓β細胞が死滅することにより引き起こされ,その他95%を占める2型糖尿病は膵臓β細胞からのインスリン分泌障害と末梢組織におけるインスリン感受性低下により引き起こされる。2型糖尿病は一部の遺伝的素因を除けば生活習慣により引き起こされると考えられており,とりわけ食文化の欧米化が近年の糖尿病患者の急増を招いていると考えられている。現在,わが国の糖尿病患者数は237万1000人(2008年患者調査概況,厚生労働省)であり,その患者数は年々急速に増加していることからその予防と早期治療が重要な課題となっている。

 これまで2型糖尿病の発症に関連する遺伝子群の同定のため,患者およびその家族の遺伝子連鎖解析による2型糖尿病感受性遺伝子領域の解析が試みられてきた。その結果,ヒト染色体2q11.5の遺伝子領域が感受性遺伝子領域として同定された1,2)。この遺伝子領域にはMgat4a(mannosyl(α-1,3-)-glycoprotein β-1,4-N-acetylglucosaminyl-transferase, isoenzyme A)遺伝子が存在している。このMgat4a遺伝子によってコードされる糖転移酵素GnT-Ⅳaはタンパク質のアスパラギン残基に付加される糖鎖(N型糖鎖)の分岐構造を形成する酵素であり3,4)(図1),消化管および膵臓β細胞で高い発現が認められる5)。興味深いことに,マイクロアレイによる2型糖尿病患者の膵臓β細胞の遺伝子発現プロファイルの解析から,このMgat4a遺伝子の発現が非常に有意に低下していることが明らかになっている6)。このように,2型糖尿病の発症過程において糖転移酵素GnT-Ⅳaが何らかの機能を果たしていることが推測された。本論では,GnT-Ⅳa欠損マウスの解析結果5)を中心に紹介し,2型糖尿病発症メカニズムにおける膵臓β細胞の糖鎖の役割について解説する。

GPIアンカー異常症

著者: 村上良子 ,   木下タロウ

ページ範囲:P.148 - P.153

 GPIアンカー欠損症として古くから知られている発作性夜間血色素尿症(PNH)は,溶血性貧血,骨髄不全,深部静脈血栓症を3主徴とし,造血幹細胞のPIG-A遺伝子の後天的な突然変異によっておこる疾患である。一方,最近主症状として門脈血栓症とてんかん発作を呈し,劣性遺伝形式をもつ先天性GPI欠損症の2家系が見つかり,共にGPI生合成に必須な遺伝子PIG-Mのプロモーター部分の同じ変異によることがわかった1)。本総説では両者についてその発症機序を概説する。それとともに,まだ疾患としては見つかっていないが,GPIアンカーの脂質および糖鎖部分に異常を来す遺伝子変異が細胞レベルで明らかになっているので,その生理的意義と将来GPI異常症として発見される可能性についても考察する。

糖鎖と肝疾患

著者: 杉山真也 ,   田中靖人

ページ範囲:P.154 - P.159

 本邦ではウイルス性肝炎は国民病とも呼ばれており,B型肝炎,C型肝炎感染者はそれぞれ150万人,200万人程度であると推定されている。B型肝炎においては,成人での初感染では,急性化した後にウイルスが排除されることが大半であるが,一定の割合で肝炎の遷延化が起こる。C型肝炎では,そのほとんどが感染後慢性化することが知られており,治療によりウイルスの排除がされない限り,持続的な肝傷害が進んでいくと考えられている。慢性肝炎の診断・治療の過程において,肝炎ウイルスの持続感染により進行していく肝臓の線維化の程度を確定することは重要である。従来,この診断には肝臓の組織病理学的検査(生検:バイオプシー)が用いられ,実際に肝組織を観察することから,信頼度の高い検査系であるといえる。しかしながら,この肝生検は体外より肝臓に向けて針を差し込み,肝臓組織を直接採取する検査であるため侵襲性が高く,出血などのリスクもあり,身体的負担が大きい。加えて,検査に際しては1週間程度の入院を要するために,患者の社会生活上の負担を強いることにもなる(表1)。このようなことからも,肝線維化の進展度合いを簡便に,しかも正確に診断することは患者だけでなく,医療行為者の側にとっても望まれることである。

 本稿では,近年,われわれと多施設の共同研究により同定された血清中の糖鎖関連の肝線維化マーカーを中心に,糖鎖と肝疾患の関連について最近の知見を交えながら解説することとする。

糖鎖と統合失調症

著者: 佐藤ちひろ

ページ範囲:P.160 - P.166

 精神疾患とは,“ヒト”の高次脳機能を障害する疾患であり,“ヒト”における“脳”の研究が中心となる。しかし,そのような精神疾患を研究するにあたって,“ヒト”の“脳”という制約から,その疾患を生化学的に,生理学的に解剖することはつい最近まで容易でなかった。近年,ゲノム解析が容易かつ安価になってきたため,精神疾患の脆弱性遺伝子が次々と明らかになり,その遺伝子を基盤にした細胞や動物のモデルの作製が可能となり,精神疾患の研究が花開いた。精神疾患の場合,血液や体液以外に生体サンプルの入手が非常に困難なことから,他の分子と同様に糖鎖と精神疾患の関連性の検証はほとんど行われていなかった。しかしながら,最近の統合失調症の脆弱性遺伝子の報告の中に,糖鎖生合成に関わる遺伝子が報告され始めたこと,マウスにおける統合失調症様の診断基準が整い,遺伝子改変マウスの行動学的な解析が可能になり始めたことなどから,糖鎖と統合失調症の関連性の検証が行われる土壌が調ってきた。本稿では,糖鎖と統合失調症の関連性を示すこれまでの知見と,近年明らかになった知見をあわせて紹介する。

糖鎖合成異常症の診断法

著者: 和田芳直

ページ範囲:P.167 - P.172

1 先天性糖鎖合成異常症CDGの疾患概念

 糖鎖の合成に関わる疾患を総称して先天性糖鎖合成異常症Congenital Disorders of Glycosylation(CDG)と呼ぶ。その歴史は糖鎖や糖脂質の分解に関する疾患よりずっと新しく,1984年に原因不明の精神運動発達遅滞患者の血清トランスフェリンに健常人のそれよりも高い等電点をもつアイソフォームの存在が報告されたのが実質的な始まりである1)。電気泳動におけるこの変化は,トランスフェリンのN型糖鎖の非還元末端シアル酸(Nアセチルノイラミン酸)数の減少に由来し,また,他の糖タンパク質にも見られ,さらに同様の患者が見つかるに至って,この疾患群は糖タンパク質糖鎖欠損症候群Carbohydrate-Deficient Glycoprotein(CDG)syndromeと名付けられた2)。1992年,シアル酸数の変化をもたらす糖鎖構造がN結合型糖鎖単位の欠失であることが筆者らによって解明されたことで,疾患の原因が糖鎖の合成障害,しかも合成初期過程の異常であることが確実となった3)。そのことを契機に糖鎖合成初期過程に関わる酵素群の活性測定が行われ,数名の患者の培養線維芽細胞にホスホマンノムターゼ2(phosphomannomutase-2)の活性低下が見つかり4),遺伝子変異が同定された5)。1999年に“CDG”は現在の“Congenital Disorders of Glycosylation”の略となった6)

糖鎖関連物質の非侵襲的インビボイメージングによる診断法開発への展望

著者: 田中克典 ,   深瀬浩一

ページ範囲:P.173 - P.180

 本特集の他の稿で紹介されているように,糖鎖は細胞間相互作用,タンパク質品質管理におけるタグ分子,免疫応答におけるシグナル伝達など,様々な生物学的機能発現に深く関与しており,多くの病気発症機構にも密接に関わっていることが明らかとなってきた1)。可溶性タンパク質においては,その血中内安定性にも重要な役割を果たしていることが示されている2-4)。これらの成果はインビトロの実験から導き出されたものが多いが,様々な生物学的および臨床学的な知見を基に,インビボの研究から見出された重要な発見も知られている。例えば,エリスロポエチンは赤血球の産生を促進する糖タンパク質ホルモンとして貧血の治療に用いられているが,天然型の糖鎖が結合していることがインビボでの作用発現には不可欠である3)。そこで次なる興味は,インビトロで解明された糖鎖が関与する個々の相互作用が,実際に生体内(インビボ)でどのようなダイナミックなプロセスを経て機能発現に寄与するのかを明らかにし,さらには診断や臨床への展開を意図して,糖鎖を特定の臓器や癌組織,炎症部位に集積(ターゲティング)させることである。

 これを実現する一つの手段として,“生きている動物内で非侵襲的に可視化する”方法が挙げられるが,最近では低分子有機化合物にかかわらず,ペプチドや抗体などの生体高分子の標識体を用いることによって,マウスなどの小動物ではインビボイメージングが比較的容易に実施できるようになってきた5,6)。蛍光イメージングに加えて,常磁性元素や陽電子放出放射性原子を標識基とするMagnetic Resonance(MR)イメージングやPositron Emission Tomography(PET)イメージングも,高感度測定装置の開発・発展と共に盛んに検討されている7,8)。これらの最新インビボイメージング機器を活用し,既にその標的レセプターや相互作用する器官が明らかにされている糖鎖関連物質のイメージングを実施することによって,生体内でのダイナミクスを直接可視化することが可能である。また,機能が未知である糖鎖関連物質を生体内で可視化することにより,逆に個々の糖鎖が持つ生物学的意義を明らかにできる可能性を有する。細胞表層上では様々な糖鎖と種々の生体分子が生体分子社会を形成しているが,細胞間の認識では,それぞれの細胞の生体分子社会同士が互いにパターン認識を行うことにより,高度な選択的認識を可能にしている。これらを細胞上やリポソームあるいは複合体として再構成してイメージングを行うことで,生体分子社会における糖鎖の生物学的意義にもせまることができる。さらにこれらの知見を基盤にして,生体内で炎症部位や癌を特異的に認識する糖鎖,神経系やリンパ節,あるいは脾臓などの臓器に選択的に取り込まれる糖鎖構造を容易に探索することができよう。

オリゴマンノース被覆リポソームによる抗原提示細胞およびT細胞の活性化とワクチンへの展開

著者: 小島直也 ,   石井麻莉子

ページ範囲:P.181 - P.187

 健常生体では,病原性微生物などの「非自己」を認識した樹状細胞(DC)やマクロファージ(Mφ)などの抗原提示細胞(APC)が,獲得免疫応答である細胞性免疫応答と液性免疫応答を誘導するとともに様々なサイトカイン産生を通して自然免疫応答を活性化し,これら微生物の排除を適切に行っている。がんや感染症などの難治性疾患では,このような液性免疫応答と細胞性免疫応答のバランスが破綻することで病態が悪化すると考えられていることから,APCの細胞応答を人為的に制御し,適切な免疫応答を誘導することができれば疾患の予防や治療につながると考えられる。獲得免疫応答誘導にはAPCによる抗原の取り込みおよびAPCの活性化が必須であるが,これらの過程にパターン認識分子(pattern recognition molecule:PRR)が重要な役割を担っていることが過去15年の研究から明らかになってきた1)

 PRRは病原体でよく保存された特徴的な分子パターンを認識して病原体の侵入を感知する分子群であり,最もよく知られているPRRとしてToll-like receptor(TLR)ファミリーがある2,3)。TLRは微生物構成成分の分子パターンを認識し,自然免疫系を活性化させると同時に獲得免疫系を制御していることが明らかになっており,TLRを標的としたAPCの制御研究が活発に行われている4)。しかし,TLRは抗原の取り込みに関与しておらず,TLRを標的とした免疫誘導においては抗原送達の手段が別途必要である。

連載講座 老化を考える・2

細胞の老化と個体の老化

著者: 森谷純治 ,   南野徹 ,   小室一成

ページ範囲:P.188 - P.193

 個体の老化はすべての生物種において認められるが,その形式は生物種により様々である。さらに同一の生物種間,例えばヒトにおいても,その寿命の長さの相違が明らかである。このような多様性の存在にもかかわらず,個体の老化の過程は無秩序に生じるものであると考えられてきた。それに対して最近の研究では,老化は秩序ある制御機構をもった生物学的な過程であることが明らかとなりつつある。

 通常,ヒト正常体細胞の分裂回数は有限であり,ある一定期間増殖後,細胞老化と呼ばれる分裂停止状態となる。細胞老化はその形態変化のみならず,様々な遺伝子発現や機能の変化を伴うことが知られている。その寿命は培養細胞のドナーの年齢に相関すること,また早老症候群患者より得られた細胞の寿命は有意に短いことが報告されていることなどから,細胞老化のヒトの個体老化に対する関与が示唆されてきた。この「細胞レベルの老化が個体老化の病態生理に関与する」といういわゆる細胞老化仮説が,最近われわれを含めたいくつかのグループによって分子レベルで検討されている1,2)。本稿では,細胞老化のうち特に血管細胞,脂肪細胞の老化に焦点を当てて細胞老化仮説を支持するエビデンスを紹介し,さらに抗老化治療の可能性について検証してみたい。

実験講座

量子ドット1分子イメージングによる生体膜分子動態の解析

著者: 坂内博子 ,   御子柴克彦

ページ範囲:P.194 - P.200

 生体膜分子の動態は細胞内シグナル伝達,免疫応答,神経伝達など様々な生命現象を制御する重要な要素である。1分子イメージングは生体分子の動態を詳細に研究するための強力な手段である。本稿では,細胞膜上に存在する分子を半導体ナノ結晶「量子ドット」で標識し,その動態を蛍光顕微鏡で可視化する「量子ドット1分子イメージング」を紹介する。

 近年の顕微鏡,検出機,蛍光プローブなどのイメージング技術の目覚ましい進歩により,生きた細胞内で生体分子の1個1個の動きを高い時間・空間解像度で追跡することが可能になった。分子の1個の動きを生きた細胞の上で追跡することの最大の利点は,多分子の平均的な現象をとらえる従来の方法では決して得られない情報を得ることができることである。分子間相互作用やシグナル伝達のように確率論的に起こる事象は,多分子の集合体の中ではその瞬間を検出することができない。しかし,1分子に注目してその動きを追跡することにより,これらの現象が「いつ」「どこで」「どのように」起こるのかを,分子レベルで詳細に調べることができる。この利点を生かして,現在1分子イメージングは細胞内シグナル伝達,細胞内輸送,細胞膜の構造,免疫反応,シナプス伝達などの分子機構を解明するための強力なツールとして用いられている。

基本情報

生体の科学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1883-5503

印刷版ISSN 0370-9531

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