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雑誌目次

雑誌文献

生体の科学62巻4号

2011年08月発行

雑誌目次

特集 小脳研究の課題

特集「小脳研究の課題」に寄せて

著者: 伊藤正男

ページ範囲:P.266 - P.267

 1950年代から今日まで半世紀以上にわたり大きく発展した生命科学の広大な分野の中で,脳の研究は物質と情報の両面にかかわるという特異な面を持っている。脳は多数のニューロンが繋がり合った神経回路網からできているが,この回路網が特有の構造を持ち,情報を処理し,種々の特異的な機能を発揮する脳の本体である。現代の神経科学の研究は,このような脳の神経回路網について物質と情報との関係を解明することが脳を理解する道であるとの固い信念のうえに立って進められている。

 そのことを端的に表しているのが小脳の研究である。小脳に特徴的なニューロンの形態に始まり,シナプス作用,シナプス可塑性の解明,化学的シグナル伝達,その遺伝子制御へと,よりミクロに,より物質的な方向に解明が進む一方,古くから知られたその幾何学的な神経回路網構造を手がかりに比較的簡単な神経回路の情報処理メカニズム解明の先頭を進んできた。小脳の損傷によって特徴的な運動障害が現れることから,小脳の神経回路の機能がまずは運動の制御とその学習にあることが想定され,そのような機能を生み出す制御システムとしての小脳を中心とする脳の神経回路の解明が進んだ。この点で,小脳研究は計算論やロボット工学と結びついて,脳科学の中でもユニークな分野を拓いた。それらの成果のうえに立って,小脳の研究は今後どのように発展してゆくのかを占いたい,というのがこの特集「小脳研究の課題」の趣旨である。そのために小脳研究の各分野で活躍している方々に多様な観点から執筆をしていただいたので,読者の高覧に供する次第である。

霊長類における小脳の進化

著者: 俣野彰三

ページ範囲:P.268 - P.273

 生物は自らを取り巻く環境との相互干渉の結果として行動を展開する。この行動は種それぞれに特異的であり,このために長い時間をかけて身体の構造と機能を適応させてきた。

 これが生物の表現型における進化であって,小脳の進化もその一つにほかならない。この進化を証拠づけるものは時間軸に沿って発見された化石であるが,脳は化石を残さない。そこで間接的な方法として現生動物で種間比較を行うことになる。ただし行動がいかに類似していても系統が離れていると共通の祖先型をたどれないので,可能な限り近縁種間で比較しないと意味をなさない。ヒトを例にとれば類人猿(apes)と比較することになり,もしも互いに同じ構造を示せば,これはヒト上科(Hominoid)の属性であって,互いに分岐した時点よりさらに遡らなければならない。差異を認められてはじめてヒト科(Hominid)になってから進化したとみなされる。

小脳シナプス回路の発達とその分子機構

著者: 渡辺雅彦

ページ範囲:P.274 - P.280

 小脳はその回路構築が最もよくわかっている中枢領域の一つである。このためシナプスの動作原理から機能分子の役割まで,小脳はよい解析対象として利用される。本稿の前半では,まず小脳のシナプス回路網を概説する。後半では小脳情報処理系の統合的ニューロンであるプルキンエ細胞の興奮性シナプス回路の発達について,これまで明らかになっている分子機構について紹介する。

分子画像法:蛍光プローブを用いた小脳の分子イメージング

著者: 中井淳一

ページ範囲:P.281 - P.286

 イメージング技術は神経系の細胞の時空間活動パターンを解析できる測定方法として研究者の期待を集めている。イメージングが優れた研究手段となってきた背景には技術的進歩がある。つまり,高感度な蛍光色素やGreen Fluorescent Protein(GFP)を用いた分子プローブが開発され,神経系への導入法が開発されたこと,および,electron multiplying(EM)-CCDカメラなどの高感度なCCDカメラや二光子レーザー顕微鏡などの測定技術が進歩したことなどである。

 現在,分子イメージングの主力はカルシウムイオン(Ca2+)イメージングである。周知のごとくCa2+は細胞内セカンドメッセンジャーとして非常に重要であり,神経細胞やグリア細胞においても,その活動と関連して細胞内Ca2+濃度がダイナミックに変化する。小脳に関しても,Ca2+は遺伝性脊髄小脳失調症(SCA6)や長期抑圧(LTD)に関係することが知られている1,2)

下オリーブ核,プルキンエ細胞,小脳核が作る閉回路の学習における機能

著者: 川人光男

ページ範囲:P.287 - P.291

 脳における学習にせよ,コンピュータやロボットなどの人工機械による学習にせよ,最も困難な理論的課題は学習の汎化能力を確保することである。つまり,教師あり学習,強化学習,統計的なヘッブ学習則などを用いれば,学習アルゴリズムの学習・訓練用に準備した,いわゆる訓練データに対しては正しい学習が行える。しかし,訓練データに含まれていないテストデータについても正しい答を導くことができる性能を汎化能力と呼ぶが,これを担保することは容易ではない。数理統計,人工的神経回路学習,あるいは機械学習などの研究分野では,学習の汎化能力を高めるために,学習システムの自由度を制御する様々な手法がこれまで提案されてきた。しかし,脳の学習にも必須と考えられる,この自由度の制御に関する理論はこれまで提案されてこなかった。下オリーブ核,プルキンエ細胞,小脳核が作る閉回路の役割が,この学習システムの自由度の制御にあるという新しい理論とその背景を紹介する。

多様なニューロンにより精緻化される小脳神経回路

著者: 廣野守俊

ページ範囲:P.292 - P.297

 中枢神経の機能を理解するには神経回路を構成するニューロンの形態学的・生理学的性質を詳細に把握する必要がある。この還元論的なアプローチをより厳密に遂行するには少数派ニューロンの解明も求められる。これまで小脳皮質の神経回路は主に5種類のニューロン,すなわち,顆粒細胞,ゴルジ細胞,プルキンエ細胞,バスケット細胞,ステレート細胞で構成され,これらニューロンのかかわるシナプス可塑性が運動の記憶学習に寄与すると考えられてきた。しかし,実際には小脳顆粒細胞層にはルガロ細胞などの少数派の抑制性介在ニューロンが存在する。近年,ゴルジ細胞やルガロ細胞には多くのサブグループが存在することが形態学的にわかってきたが,その生理学的特性や役割はほとんど知られていない。本稿では,まず典型的なルガロ細胞である紡錘形ルガロ細胞について概説し,次に近年同定されたルガロ細胞のサブグループであるグロビュラー細胞について,筆者らの最新のデータを紹介しながら解説する。そして,ルガロ細胞を加えた小脳皮質回路の特徴について検討する。

小脳とBMI

著者: 平田豊

ページ範囲:P.298 - P.304

 BMI(Brain-Machine Interface)とは,その名のとおり,脳と機械をつなぐインタフェースのことである。今世紀に入り,BMIを介して脳活動により義手や義足,コンピュータのカーソルなどの外部機器を制御する技術や,逆に,人工網膜や人工蝸牛などの外部機器によりセンシングされた外界情報を脳に入力する技術が発展している。また,パーキンソン病などの症状を緩和するためにBMIを介して脳の深部に電気刺激を与える技術が実用化され,臨床にも応用されている。

 BMIのもう一つの重要な用途として,神経科学研究への応用がある。従来のシステム神経科学研究の方法では,運動などの身体出力とそれにかかわると考えられる神経細胞活動の間の相関を見ているだけにすぎず,直接的な因果関係を証明できないことが指摘されている1)。これに対し,BMI技術を応用することにより,神経細胞活動と身体応答の間の一対一の因果関係を評価できる可能性がある1)。本稿では,BMIの小脳神経科学研究への応用,特に,小脳皮質神経回路の出力を担う最小単位である単一Purkinje細胞が,運動の学習過程で果たす役割を直接証明するためのBMIの活用例について述べる。

サッケード適応における小脳の役割

著者: 角友起 ,   岩本義輝

ページ範囲:P.305 - P.311

 広義の運動制御には,時々刻々の制御(オンライン制御)と長期的な適応制御が含まれる。後者はある運動に誤差が生じた場合,誤差情報をもとに将来の運動をより正確にしていく可塑性の仕組みである。視覚目標に向かうサッケードは比較的単純な運動であり,脳幹の神経機構の解明が進んでいることから,随意運動学習のメカニズムを調べるうえで有利なシステムといえる。そして,サッケードのオンライン制御と適応制御の両者に深くかかわっているのが小脳である。本稿ではサッケード制御における小脳の役割を述べた後,サッケードの運動学習(サッケード適応)に小脳が果たす役割についての最近の知見を紹介する。

道具の使用と小脳の認知モジュール

著者: 今水寛

ページ範囲:P.312 - P.319

 多種多様な道具を器用に使いこなす点で,ヒトは他の動物と比較にならないほど高い能力を持っている。この能力の由来については,脳科学,心理学,文化人類学,動物行動学,考古学など多くの分野の研究者が関心を持っている。ヒトを対象とした脳科学では脳の損傷部位と患者の行動を調べる神経心理学が,道具使用についての多くの知見を蓄積してきた。神経心理学によると,ヒトの道具使用の能力は手や足で道具を器用に操作する能力と,道具の機能に関する意味概念(何のために使う道具かという知識)の二つの要素に分けられる1,2)。それぞれの要素を脳の場所と厳密に対応づけることは難しいが,最近,多数の脳機能イメージングの論文(35論文)を調べ,二つの要素に対応する脳の場所を総合的に調べた(メタ解析)研究が報告された3)。それによると運動前野と頭頂葉のネットワークは道具を操作する能力に関連し,下前頭回や中側頭回のネットワークは道具の意味概念に関連するという全体像がみえ,神経心理学で描かれてきた脳機能マップと概ね一致していた。また,サルに道具(熊手)を使ってエサを引き寄せることを長期的に訓練した研究では,訓練に伴い頭頂葉の神経細胞活動が変化することが確認されている(総説として文献4))。このような研究の流れの中で,大脳新皮質は常に脚光を浴びていたが,小脳はほとんど注目されることがなかった。しかし,小脳,特に外側部は道具の操作に必要とされる運動前野・頭頂葉と解剖的にも機能的にも密接な関係があり5-7),何らかの形で道具の使用に貢献していても不思議はないと考えられる。本稿では人間が新しい道具の使い方を学習するときの小脳活動を計測した研究を概説し,小脳がどのように道具使用に貢献しているのか考察する。

小脳変性症

著者: 石川欽也 ,   水澤英洋

ページ範囲:P.320 - P.328

 ヒトの小脳を侵す疾患には実に様々なものが存在する。例えば,脳梗塞や出血などの血管障害,ウイルスなどによる感染性小脳炎,奇形・発達異常,腫瘍,中毒や欠乏性疾患,代謝性疾患,ミトコンドリア異常,それに多発性硬化症などの脱髄性疾患や自己免疫疾患,あるいは肺がんなど小脳とは直接関連のない部位の腫瘍の発現が小脳の障害を起こす傍腫瘍性症候群など,多種類の疾患が小脳を障害しうる1,2)。また,小脳は大脳に比べて老人斑や神経原線維変化などの老年性変化は起きにくいにもかかわらず,老化によって脳の中で最も萎縮しやすい部位の一つであるともいわれている3)。低酸素状態に陥ると最初に障害を受けうる脆弱な部位としても知られる。

 このような多種類の疾患のうち,小脳の変性疾患は歴史的な経緯から脊髄小脳変性症(spinocerebellar degeneration;SCD)と呼ばれてきた。これは,「小脳またはその求心路,遠心路を中心とする神経系が系統的に変性に陥り,おもな症状として運動失調を呈する疾患の総称」と定義できる1)。SCDの中には小脳皮質のみに限局した変性をきたす疾患(病型)から,小脳だけでなく大脳,脊髄など広い範囲に障害をきたす疾患まで多種類の疾患が存在する。また,病因論的には遺伝性の疾患(わが国では全SCDの約40%)と非遺伝性(孤発性)疾患(約60%)4)があり,前者は常染色体優性遺伝型,常染色体劣性遺伝型,X染色体連鎖型に分けられる。

連載講座 老化を考える・7

老化による視床下部-下垂体-副腎系の機能障害

著者: 溝口和臣

ページ範囲:P.329 - P.334

 視床下部-下垂体に続く副腎,甲状腺,性腺の系(軸)は古くから内分泌ホルモン分泌調節機構として知られている。老化の影響についてはヒトや動物で血中の甲状腺ホルモン(特にT3)と性ホルモン濃度の低下が起こるため,一般的に老化とホルモンというとこれらのホルモンが連想される。事実,老化による基礎代謝量の低下や性機能の低下はこれらホルモン量の低下と相関する。一方,視床下部-下垂体-副腎系(HPA axis)は代表的なストレス反応系であり,生体がストレスに対処・適応していく際には非常に重要な役割を果たす。動物実験において過度なストレス時にHPA axisが働かないと死に至る場合さえある。また,血中の副腎皮質ホルモン(グルココルチコイド;ヒトではコルチゾール,ラットやマウスではコルチコステロン(CORT))の基礎濃度は老化の影響をあまり受けないとされているが,ストレス負荷後の一過性の血中グルココルチコイド濃度の上昇は高齢者や老齢動物においてより長時間持続する1,2)。よって,HPA axisも老化の影響を少なからず受ける。

 本稿では,われわれの基礎研究データを織り交ぜながら,老化がHPA axisに及ぼす影響と脳機能との関連を概説し,最後に薬物として漢方薬を取り上げてみたい。

解説

神経幹細胞の分化制御機構

著者: 野口浩史 ,   田中友規 ,   中島欽一

ページ範囲:P.335 - P.344

 ヒトの脳には約140億個のニューロンが存在すると考えられており,それらが複雑なネットワークを形成することで学習や記憶などの高次機能を発揮している。しかしながら,このような高次機能を発揮するためにはニューロンのみならず,ニューロンの神経活動を支えるアストロサイトやオリゴデンドロサイトといったグリア細胞の存在も必須である。脳-神経系を構成するこれらの細胞種は自己複製能と多分化能を保持した共通の神経幹細胞から分化・産生されるが1),神経幹細胞は胎生初期から多分化能を持っているわけではない。胎生初期において自己増殖を繰り返していた神経幹細胞は,胎生中期にまずニューロンのみへの分化能を,続いて後期にはアストロサイト,オリゴデンドロサイトへの分化能を獲得し,多分化能を保持した神経幹細胞へと成熟する2)

 このような段階的な分化能の獲得や各細胞種への分化は,サイトカインや増殖因子などの細胞外因子に加え,エピジェネティックな細胞内在性プログラムにより,時空間的に厳密な制御を受けていることが明らかになりつつある(図1)。エピジェネティクスとは「DNA塩基配列の変化を伴わずに子孫や娘細胞に伝達されるその遺伝子機能の変化」と定義され,DNAのメチル化やヒストンの化学修飾(アセチル化,メチル化,リン酸化など)に伴うクロマチンの構造変換によって遺伝子発現を制御する機構である。エピジェネティックな遺伝子発現制御機構と分化は密接にかかわっており,各細胞種特異的なクロマチン修飾パターンが形成されることにより,それぞれの細胞に特徴的な遺伝子発現を可能にしている。本稿では現在までに明らかとなっている神経幹細胞の分化制御にまつわる細胞外因子や,エピジェネティクス機構の代表的なものについて概説したい。

研究のあゆみ

哺乳類視交叉上核のサーカディアンリズム発振―その検出と移植によるリズム再現

著者: 川村浩

ページ範囲:P.345 - P.356

1.なぜ新設の無名民間研究所なのか

 1972年の春5月,私はまだ建物も存在しない,新設の三菱化成生命科学研究所に脳神経生理学研究室長として米国から着任した。理由は何か。

 戦後の日本はそれまでの六五三三制の教育制度が占領軍の命令により,一転してアメリカ流の六三三四制となった。ところで,米国の最高学府は学部ではなく,その上にある原則5年の大学院博士課程である。修士はビジネスのための学位で博士課程の前提ではない。実際に博士であることが研究者の条件であり,専門学会も一般に博士でなければ正会員として入会できない。しかし敗戦後,日本の文部省は形式的な制度変更以上の実質的な措置は何もとらなかった。このため日本の大学は,戦後も基本的に外国書を読んで教える戦前の帝国大学の体制から脱却できなかった。例えば基礎医学の標準的な講座の教官以外の定員が教務員または技官1で,それ以上の補助スタッフは全くないのが普通であった。私は医学部の新制大学院の第1回生として,その状況を実体験した。

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次号予告/財団だより

ページ範囲:P.358 - P.359

あとがき

著者: 伊藤正男

ページ範囲:P.360 - P.360

 生命科学のどの分野でもそうだと思いますが,ほっておくとどんどん分化が進んで,方法論や基礎になる仮説が少しずつ違う多くの小分野が分かれてきます。それをまた集めて同じ土俵にのせて纏めることが必要になります。そして違った観点,違った技術方法論によるアプローチを混合し,統合してゆくことがその後の発展の鍵になります。本号では小脳の神経科学について,そのような趣旨で特集を組みました。お蔭を以って,9篇の原稿を頂きました。執筆者の方々に厚く御礼申し上げます。

 折もおり,本年9月18日には東京で,第4回小脳研究学会の第4回国際シンポジュウム(辻省次会長)が開かれます。このたびの大震災のため開催が危ぶまれていましたが,予定通り開催されることになりました。小脳研究の発展のよい刺激になると期待しています。

基本情報

生体の科学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1883-5503

印刷版ISSN 0370-9531

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