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雑誌目次

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生体の科学66巻2号

2015年04月発行

雑誌目次

特集 使える最新ケミカルバイオロジー

特集「使える最新ケミカルバイオロジー」によせて

著者: 浦野泰照

ページ範囲:P.94 - P.94

 医学・生物学研究を遂行する際,化学物質はなくてはならない存在である。実際,ほぼすべての実験操作において,特定の目的を実現するために“機能性化合物”を活用している。例えば,生化学研究の基本中の基本であるタンパク質の定量に,単に試料を乾燥させて秤量する乾燥重量法を用いることはまずなく,biuret法,Lowry法,更に,現在ではBradford法,BCA法などが汎用されている。また,ごく一般的な技法として,特定の酵素活性,シグナル経路を止めるためには“阻害剤”が,細胞の培養にはペニシリン,ストレプトマイシンなどの“抗生物質”が用いられているが,いずれも純然たる“化学”に基づく方法である。
 このように,医学・生物学研究の進展に化学物質が大きな貢献をしていることは間違いないが,その大半は最初から自然界に存在している物ではなく,化学者が頭を捻って設計・開発した物である。このような生物学研究に資する新たな化学物質を創製する学問を“ケミカルバイオロジー”と呼び,現在では化学領域研究の一つの大きな柱となっている。本特集では,最新のケミカルバイオロジー研究のうち,特に生きている細胞の観察や操作に大きな寄与をする機能性化合物開発に関する最新の研究成果を紹介する。

A.細胞を操作する化合物

タンパク質の細胞内局在を操る化合物─局在性リガンド

著者: 築地真也

ページ範囲:P.95 - P.101

 小分子化合物を用いて細胞の機能を自在に操りたい。これは,ケミカルバイオロジーの究極のゴールの一つであろう。このような小分子化合物に基づいた細胞制御技術は,細胞内分子システムの仕組みを解明するための強力な研究ツールとなるばかりでなく,創薬や再生医療など,細胞・個体機能の治療を目指したメディカル分野への応用にも直結している。細胞を制御する化合物,すなわち生理活性化合物の探索・開発研究の歴史は長く,特定のタンパク質の機能を制御する化合物(リガンド)がこれまでに多数見いだされてきた。近年では,大規模な化合物ライブラリースクリーニングが世界中で行われており,タンパク質制御化合物のレパートリーは今後更に増えていくことは間違いない。しかし,ここで重要なことを指摘したい。従来の化合物開発では,タンパク質の“酵素活性”もしくは“他の分子との相互作用”を制御する化合物がその中心的対象となっている。また,そのほとんどは阻害剤である。言うまでもなく,“酵素活性”と“相互作用”というのはタンパク質の根幹となる機能であり,これらを制御する化合物の有用性について疑う余地はない。一方,タンパク質が本来働く場である細胞に目を向けると,ここではもう一つ考えなくてはならない重要な因子がある。それは“細胞内局在”である。細胞内でタンパク質はそれぞれが決められた場所やオルガネラ(細胞小器官)に局在している。また,シグナル伝達の過程では,非常に多くのタンパク質がその局在場所を変化させる。例えば,転写因子は核内で働き,核内に移行しなければ(たとえ活性のある状態でも)遺伝子発現は起こらない。ホスファチジルイノシトール-3-キナーゼ(phosphatidylinositol-3 kinase;PI3K)は,刺激依存的に細胞質から細胞膜インナーリーフレットへ移行し,そこで初めてホスファチジルイノシトール-3,4,5-三リン酸(phosphatidylinositol 3,4,5-trisphosphate;PIP3)を生成する。このほかにも,タンパク質のリン酸化,GTPaseの活性化,セカンドメッセンジャーの産生など,シグナル伝達の鍵となる様々な分子イベントがタンパク質の局在移行によって制御されている。したがって,小分子化合物を用いてタンパク質の細胞内局在を自在にコントロールする(局在場所を操る)ことができれば,従来の酵素活性や相互作用の制御化合物とは全く異なる原理に基づいた新しい細胞制御方法論・化合物体系を創出することができるであろう。特に,タンパク質の局在移行を引き起こす化合物は,生きた細胞内の情報伝達シグナルを細胞内の部位特異的に誘導・活性化する強力なケミカルバイオロジーツールや薬剤となるものと期待される。しかし,タンパク質に結合してその局在場所を変えることのできる化合物というのはこれまでその設計戦略自体がなく,化学,薬学,ケミカルバイオロジーの長年の未開拓領域であった。
 筆者のグループ1)では,この未開拓領域に対する一つのアプローチとして,“小分子リガンドに細胞内局在化能を付与する”ということを検討している。最近になり,細胞内局在化能を持たせたリガンド(局在性リガンド)を用いることで,その結合タンパク質の局在移行を誘導し,様々なシグナル伝達経路を活性化できることを実証した。本稿では,筆者らが考案した局在性リガンドの基本戦略と応用例について概説し,“タンパク質の細胞内局在を操る化合物”の展望について述べる。

環状化を用いたペプチド機能の光制御

著者: 梅澤直樹 ,   樋口恒彦

ページ範囲:P.102 - P.107

 生理活性物質の活性を“光”を用いて制御する方法が注目を集めている。細胞が生きた状態を保ったまま,望む時間・望む場所に“生理活性”という刺激を与えられるためである。光は高い空間・時間分解能を持つため,細胞機能の精密な制御が可能となる。光照射により生理活性が大きく変化する化合物は,一般に“ケージド化合物”と呼ばれる1,2)。ケージド化合物は,通常,生理活性に重要な官能基を光分解性保護基で保護して不活性化することで作製するが3),光照射により光分解性保護基が脱保護されることで本来の生理活性を取り戻す。現在までに多数のケージド化合物が報告されており,様々な重要な生命科学的知見を与えている。ケージド化合物を用いることで初めて可能となる研究は数多く,なかでも個体発生や疾患の進行などを研究するうえで非常に重要なツールになると期待されている4)
 ペプチドは,種々の酵素活性やタンパク質-タンパク質間相互作用の阻害,様々な受容体への結合能などの生理活性に加え,バイオミネラリゼーションやペプチドの自己集合を利用したナノ材料など,多彩な機能を持つ。これらの機能を光で制御できれば,幅広い領域の研究に役立つと期待される。光を用いて機能を制御できる“光応答性ペプチド”が幾つか報告されており5,6),その設計原理から二つのグループに大別できる(図1)。まず,ケージド化合物のように,活性に重要な官能基を光分解性保護基で保護する方法がある(図1A)。この方法は光応答性ペプチドにもよく用いられ,セリンやアスパラギン酸,リシン,リン酸化アミノ酸などの側鎖が光分解性保護基で保護されうる。しかし,幾つか問題点がある。まず,フェニルアラニンやロイシンなど,既存の光分解性保護基では保護できない官能基が活性に重要な場合,この戦略は適用できない。主鎖のアミド結合を光分解性保護基で保護した例もあるが,立体障害の少ないアミノ酸近傍に限られるなど,その適用は限定的である7)。また,ペプチドでは活性に重要な官能基の数が多く,複数存在していることも少なくない。その特定にかなりの労力が必要になると予想される。次に,適切な位置関係にある側鎖官能基を“光異性化する分子”でクロスリンクし,活性コンフォメーションを制御する方法がある(図1B)2,8)。この手法には,活性を可逆的に制御できるという大きなメリットがある。しかし,結晶構造解析などから活性コンフォメーションがあらかじめわかっており,どこにどの長さのクロスリンカーを入れればよいかの指針がある程度明らかになっている必要がある。また,“活性型”にも立体的にかさ高いクロスリンカーが存在しているため,標的タンパク質との相互作用様式によっては活性が大きく低下する可能性がある。以上のような問題点を抱えているが,“可逆的な活性制御”という魅力は大きく,現在活発に研究が進められている2,8)

材料科学で生体ガス分子を制御する

著者: 古川修平

ページ範囲:P.108 - P.113

 細胞は分子で構成された最も高度な構造であり,細胞内・外では分子による時空間的な情報伝達により機能制御が行われている。これら情報伝達を分子レベルで理解することは,難病治療・再生医療といった,人間の生活活動を豊かにするため必要不可欠な研究課題に,根本的かつ直接的に関連付けられる。一般に,分子レベルで細胞を理解しようとする試みは,分子生物学という学問により行われてきた(ここでいう分子は主にタンパク質である)。しかしながら,近年の学際融合的研究により分野間の境界は消滅しつつあり,材料科学者も積極的に細胞を用いた研究に取り組むことが可能になっている。
 様々な情報伝達物質の中でも最も小さい分子と考えられる一酸化窒素(NO)や一酸化炭素(CO)が近年注目を集めている1,2)。この二原子分子は室温・常圧でガス状であり,拡散速度が非常に大きい。一方で,反応性が高いため半減期は短く(NOは数秒間,COは数分間),高濃度になると毒性を有する。生体内では,基となる分子(NOはL-アルギニン,COはヘム)を必要に応じて酵素が分解することで,NOやCOを生産し利用している。特にNOに関しては研究が盛んに行われており,一酸化窒素合成酵素(nitric oxide synthase;NOS)は様々な細胞に存在していることがわかっている。神経細胞に発現しているnNOS(neuronal NOS)は細胞間情報伝達に,内皮細胞に発現しているeNOS(endothelial NOS)は血管拡張作用に,またエンドトキシンやサイトカインによって誘導されるiNOS(inducible NOS)は免疫系制御に関係しているとされている。生物学的アプローチとしては,これらNOSを活性化や阻害することで内因性NOを変化させる手法が取られているが,一方で,化学的アプローチを用いて外因性NOを系中に生成させることができれば,その生理作用を解明する研究は飛躍的に容易になる。実際に,合成化学的手法により外因性NOを放出可能な分子(NOドナー化合物)は,NOの関連する様々な生物学研究に応用されている。本稿では,分子化学を駆使したNOドナー化合物,そのNOドナー化合物を固体材料化したNOドナー材料,そして放出を光刺激で制御可能な光制御型NOドナー化合物とその材料化,これら材料のin vitroin vivoにおける生物応用研究を概説する。

選択的スプライシング・ネットワークを化合物で操作する

著者: 大江賢治 ,   萩原正敏

ページ範囲:P.114 - P.118

 選択的スプライシングでは,異なるエクソンの組み合わせにより一つの遺伝子から様々な成熟RNA(mRNA)が生じる。この過程は,限られた遺伝子数から莫大な蛋白質群(プロテオーム)を生み出す重要なプロセスである。ヒトゲノム計画から10年を経た今,ヒトにおいて95%以上の遺伝子が選択的スプライシングを受けると報告されており1,2),その分子ネットワーク解明が急がれる。様々な遺伝性疾患において,ゲノムの遺伝子変異によりこの選択的スプライシングに異常が生じ,病態との関連が言われている。
 選択的スプライシングの操作には,化合物とアンチセンスオリゴヌクレオチド(antisense oligonucleotide;AON)による二つの方法が研究されている。化合物による医薬品の創製は,古くはマラリア治療薬のメチレンブルーが知られている(1891年)が3),スプライシング異常を示す病気を標的とした最初の化合物の試みは,2001年の脊髄性筋萎縮症における酪酸ナトリウム,と比較的新しい4)。AONによる最初の試みは,1993年のサラセミアに対するものである5)。近年,RNA interference(RNAi)による医薬品開発が飛躍的に進んでおり,mRNAを標的にすることにより過剰な蛋白質を抑えるAON(ホモ接合型家族性高コレステロール血症に対して)が最近,米国食品医薬品局(food and drug administration;FDA)の承認を受けた6)。しかし,多くの遺伝病では遺伝子変異の結果,蛋白質の欠失が生じる。AONにより,このような蛋白質の欠失を是正するには,RNAiを惹起しないスプライス・スイッチAONを用い,選択的スプライシングにより遺伝子変異を回避する方法をとる必要がある7)。スプライス・スイッチAONの配列決定や化学修飾のデザインは難しく,毒性を考慮せずに患者へ投与することは現状では不可能である8)。本稿では,選択的スプライシングに影響を与える化合物が標的とする既知のスプライシング経路を挙げ,スクリーニング法,治療への可能性,異常スプライシングと化合物が作用する標的同定による分子ネットワーク解明の可能性について紹介したい。

創薬ケミカルバイオロジー─シード分子開発と分子プロファイリング

著者: 掛谷秀昭

ページ範囲:P.119 - P.125

 ヒトゲノム解読に続いて,疾患ゲノム解読や病原菌ゲノム解読などが次々に行われつつある現在,膨大なゲノム情報から様々な創薬標的が明らかになりつつある。製薬企業は言うまでもなく,アカデミアにおいてもこのような生命科学におけるビッグデータを創薬研究に活用するという“アカデミア創薬”の潮流が世界的にも押し寄せている。化学と生命科学(生物学)の学際融合研究領域であるケミカルバイオロジー研究は,このアカデミア創薬研究においても,創薬シード分子の探索・開発,創薬標的の探索・同定,分子(化合物)プロファイリングなどの観点から非常に重要な地位を占めている。そこで,本稿ではケミカルバイオロジー研究に必須なケミカルジェネティクス・ケミカルゲノミクスを概説し,アカデミア創薬を志向した筆者らのオリジナルな研究成果を中心に紹介する。

細胞内シグナル伝達と遺伝子発現を光制御するケージド化合物

著者: 鈴木商信 ,   古田寿昭

ページ範囲:P.126 - P.131

 ケージド化合物とは,光分解性保護基で保護することで,その機能を一時的にマスクした分子の総称である。機能がない状態で生きた細胞,組織,あるいはモデル生物個体内に導入して光照射すると,瞬時に元の活性を取り戻すことができる。顕微鏡や2光子励起を利用して光照射する領域を絞れば,様々な生理機能を高い時空間分解能で制御して解析する実験が可能になる。本稿では,われわれのグループの研究を中心に,細胞内シグナル伝達と遺伝子の機能発現制御に用いられるケージド化合物の例を紹介する。

可視光で細胞機能を操作する小分子プローブ群の開発

著者: 神谷真子 ,   高橋光規 ,   浦野泰照

ページ範囲:P.132 - P.136

 近年,生命現象の解析や病態要因の解明などにおいて,“生きている状態の生物試料”の中で起こっている現象を,リアルタイムに観測することが極めて重要であることが広く認識されるようになった。このような観測を実現する技法として現在,観測対象分子を高感度に可視化する蛍光プローブや,光照射により生理活性分子を放出するケージド化合物などが知られており,これらの化合物を用いることで細胞内現象を“生きたまま”観測・制御可能であることから,生物学的研究に欠かせない研究ツールとなっている。本稿では,最近われわれが開発に成功した“可視光で駆動するケージド化合物”と,“狙った細胞でのみ細胞死を誘導可能なactivatable光増感剤”といった,新たな光機能を示す小分子プローブを紹介する。

B.核酸のケミカルバイオロジー

DNAを中心としたケミカルバイオロジー

著者: 杉山弘

ページ範囲:P.137 - P.144

 ヒトゲノムの全塩基配列情報が解析され十年が過ぎ,われわれは様々な疾病の診断,治療に関連する膨大なゲノム,エピゲノム情報を手にするようになった。今後必要になるのは,得られたヒトゲノム情報を生かした応用技術である。また,DNAは塩基配列特異的な分子集合や,明確で周期的な構造などを併せ持つ優れた分子でもある。われわれはDNAの構造と反応性と機能を様々な角度から検討を行うことにより,核酸を中心としたケミカルバイオロジーの研究を推進してきた。ここでは,本研究領域において最近進歩が著しい二つのトピックスであるDNAオリガミ法の利用と人工遺伝子スイッチの設計について述べる。

新規人工核酸SNAを用いたRNAイメージング

著者: 樫田啓 ,   村山恵司 ,   浅沼浩之

ページ範囲:P.145 - P.150

 RNAはこれまで遺伝情報の単純な仲介役であると考えられてきたが,近年タンパク質に翻訳されない数多くのノンコーディングRNA(ncRNA)が存在していることが明らかとなった。現在では8万種を超えるncRNAが知られており,細胞分化や発生など幅広い機能を持つことが明らかとなっている1)。細胞内においてRNAを可視化することができれば,これらのRNAが細胞内において果たしている機能や,その作用機序の解明が期待できる。細胞内におけるRNAを可視化する手法としては,これまでに蛍光性タンパク質を用いる手法や蛍光ラベル化したRNAを用いる手法などが報告されている。それに対し,筆者らは人工核酸であるセリノール核酸(serinol nucleic acid;SNA)を用いたRNA検出について研究を行ってきた。本稿ではこのSNAの天然核酸認識能およびそれを利用したRNA検出プローブの開発について述べる。

C.化合物の標的同定法

生理活性天然物の作用メカニズム

著者: 上田実

ページ範囲:P.151 - P.155

 生理活性天然有機化合物に関する化学は,“日本のお家芸”と言われている。わが国の有機化学は天然有機化合物研究にルーツを持ち,植物ホルモンのジベレリン(gibberellin)や,ナトリウムチャネル研究に不可欠のツールとして用いられたフグ毒テトロドトキシン(tetrodotoxin),プロテインキナーゼ阻害剤スタウロスポリン(staurosporine),抗がん剤のほか,微小管脱重合阻害剤として生化学実験にも使用されるタキソール(taxol)など,生命科学研究に重要な地位を占める化合物が数多く発見されてきた(図1)。しかし,多くの生理活性天然物の探索は,培養細胞に対する毒性試験など,細胞レベル,個体レベルでの挙動という反応の観察が容易なアッセイ系を用いて行われるため,その標的分子や作用機構が不明な場合が多い。このように,これまで探索されてきた天然有機化合物の多くは,大きなポテンシャルを持つものの,生命科学研究に使用するには標的分子の解明が不可欠な状況にある。

化合物の標的タンパク質を検出するための技術

著者: 叶直樹

ページ範囲:P.156 - P.162

 生物活性を有する有機化合物は,生体に存在する何らかの分子と相互作用することで生物活性を発現する。化合物が相互作用する相手となる生体内標的は,DNAやRNAなどの核酸や糖鎖などの高分子から,脂質や金属イオンなどの小さな分子・イオンに至るまで多種多様であるが,その中でもタンパク質は生物活性化合物の標的分子として重要な一群を占めている。一口にタンパク質と言っても,レセプターやトランスポーターから酵素,細胞骨格タンパク質など多岐にわたるが,これらのタンパク質に特異的に結合して機能を亢進・阻害する多くの化合物が疾病治療薬として臨床で用いられていることからも,標的分子としてのタンパク質の重要性は明らかである。
 本稿では,生物活性化合物の標的探索・同定法の現状を概説した後,生物活性化合物と標的タンパク質の直接的結合を検出するための技術・手法に焦点を絞って解説する。特に後半で紹介する技術や手法の開発はわれわれを含めた日本人研究者が大きく貢献しているため,その成果を中心に紹介する。

D.トピックス:細胞内温度計

蛍光性ポリマー温度センサー

著者: 岡部弘基

ページ範囲:P.163 - P.168

 細胞内部は,細胞小器官を含むあらゆる空間が高度に区画化された複雑な構造をとっており,その中で生体分子は不均一に分布して機能している。この各微小空間における温度,圧力や疎水場などといった物理量は,生体分子の状態や活性に強く影響する。このような細胞内の局所的な環境因子は,生体分子の状態や動態に大きな影響を与えることにより,各々の生体分子間の相互作用を制御している可能性がある。このため,細胞の機能を深く理解するためには,細胞内での生体分子の振る舞いやそれを支配する物理的因子の解明が不可欠である。
 細胞内の微小空間内の分子に最も強い影響を与える環境因子は温度である。温度はあらゆる化学反応を支配する物理量であり,生体分子の動態や活性に与える影響の大きさは言うまでもない。また,温度と生物のかかわりは生物学の古典的テーマである1)。しかし,細胞内の局所空間における温度や,それと細胞機能の関連についてはこれまで一切不明であった。この原因は,細胞内部の温度計測技術がなかったためである。従来の温度測定法であるサーモグラフィや熱電対では細胞内部での測定に不向きであるうえに,極微小空間である細胞内では機能できない。

蛍光タンパク質サーモセンサーによる細胞内温度変化の可視化

著者: 清中茂樹 ,   坂口怜子

ページ範囲:P.169 - P.174

 内温性動物(恒温動物)には,外気温の変化によらず体内温度を一定に保つ機構が備わっている。この機構を維持するためには,外環境に応じて体内の熱産生を制御する分子機構が必須であり,その分子機構解明は生体恒常性の理解において不可欠である。生体内の熱産生に関しては,褐色脂肪細胞におけるミトコンドリアからの熱産生など,異なる複数の機構が提唱されている。しかし,従来は酸素消費など他の間接的な測定方法で熱産生が評価されており,直接的に細胞内温度を計測できる方法論の開発が急務とされていた。また,細胞内で産生された熱は周囲に速やかに拡散されてしまうため,熱産生機構の解明においては,熱産生が起こるその場(細胞内局所)の温度を計測する必要があると考えられてきた。

連載講座 生命科学を拓く新しい実験動物モデル-2

フェレットを用いた高等哺乳動物の脳神経医学研究

著者: 河崎洋志

ページ範囲:P.175 - P.180

 進化の過程で高等哺乳動物,その中でも特にヒトは脳を発達させ高次脳機能を獲得してきた。この著しく発達したヒトの脳神経系の理解は,脳神経医学研究の究極の目標の一つと言えるであろう。しかし,分子遺伝学的な研究に現在多く用いられているマウスの脳はヒトの脳ほどには発達しておらず,様々な重要な脳神経構築がマウスでは欠落していることから,マウスからどこまでヒトの脳を理解できるのかというマウスを用いた脳研究の限界も指摘されている。
 そこで近年,霊長類や食肉類などの高等哺乳動物を用いた脳神経医学研究が注目され始めている。その理由として,①霊長類や食肉類などの高等哺乳動物の脳には,マウスの脳にみられない発達した脳神経構築が存在していること,②霊長類や食肉類などの脳神経系に対する遺伝子操作技術が開発され,分子遺伝学的な研究が可能となってきたことが重要である。例えば,ヒトを含む霊長類や食肉類の大脳皮質の表面に存在する脳回(脳表面のしわ;gyrus)がマウスには存在しないことから,脳回の形成機構や脳回異常を来す疾患の病態解明にはマウスでは限界がある。後述のように,脳回以外にもOSVZ(outer subventricular zone),眼優位性カラムなど多様な脳神経構築が高等哺乳動物で特徴的に発達しているが,その解析は遅れている。これらの脳神経構築の機能的重要性や形成メカニズム,進化過程,更には疾患病態などを霊長類や食肉類を用いて研究することにより,ヒトの脳の理解につながることが期待されている。

解説

中枢神経系組織における血管パターニング制御機構

著者: 久保田義顕

ページ範囲:P.181 - P.186

 哺乳類の生体内には一部の無血管組織(角膜や軟骨など)を除いて,全身くまなく血管網が張り巡らされている。また,その血管のパターニング,発生のメカニズムは臓器によってそれぞれ特徴があり,多くの場合,その臓器の主たる構成細胞により規定される。大脳の血管網は,胎生初期にまず脳の表面(脳軟膜)に二次元的に血管網が張り巡らされ,この間,脳の内部(脳実質)に血管は進入せず,脳実質はいわゆる無血管組織として発達する(図1A, B)。胎生約10日目になって,初めて脳軟膜の血管ネットワークから脳実質方向への垂直方向の枝分かれが生じ,その枝分かれによってできた穿通血管が脳実質内の特定の層で新たな血管叢を形成する。この一連のプロセスにより,多層から成る三次元的な脳の血管ネットワークができあがる(図1C)。大脳の血管網はこのように段階的なステップを経て形成されるが,この過程を反映して,出生後もなお,脳軟膜血管網に比して脳実質の血管網の密度はまばらである(図1D, E)。中枢神経系の血管形成のメカニズムを解析するうえで,ここ数年,世界的に脚光を浴びているのが発生期マウス網膜血管のシステムである1)。網膜は眼球の構成要素の一つであり,網膜の神経細胞から発する視神経は発生上大脳白質の一部であり,網膜は視覚受容に特化した中枢神経系の一部であるとされる。網膜で受容された視覚情報(光情報)は神経信号(電気信号)に変換され,視神経を通して中枢方向に伝達され,大脳後頭葉で映像として処理される。この網膜における血管ネットワークの発生は胎生期には起こらず,出生直後に始まり,大脳のそれと類似した段階的なステップを経て形成される。網膜血管網は,まず網膜の最内側の表面に沿って放射状に成長し,生後約1週間で浅血管叢(superficial vascular plexus)を完成させる。網膜本体への血管の進入は生後2週目以降に起こり,深部血管叢(deep vascular plexus),続いて中間血管叢(intermediate vascular plexus)が順次形成され,成体にみられる計3層の血管網が構築される。この大脳の血管発生と類似した,かつ単純化された血管形成のパターンは,中枢神経系の血管発生を研究するうえでツールとして好都合ではあるが,なぜそのようなパターンをとるかについては明らかではない。本稿では,あらゆる血管の成長に必須の因子として知られる血管内皮細胞成長因子(vascular endothelial growth factor;VEGF)の発現・タンパク質分布の制御を基盤とする,網膜の段階的血管形成の細胞・分子メカニズムについて,当研究室の最新の成果を踏まえて概説する。

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次号予告/財団だより

ページ範囲:P.187 - P.187

あとがき

著者: 松田道行

ページ範囲:P.188 - P.188

 生命科学は,本来“Descriptive Science”であると思います。しかし,一線の研究者にとって“Descriptive”という単語は,今や論文の重要性を否定する編集者からの単語として忌まわしい印象すらあります。生命科学をこのDescriptive Scienceから脱皮させた推進力は,生化学,分子生物学,遺伝学的手法による分子作動原理の解明でしょう。本号で久保田氏が紹介された研究は,“なぜ網膜には血管が少ないか”という生物学の疑問に答えるにあたり,分子生物学・遺伝学的研究手法がいかにパワフルかを如実に示しています。一方,生命科学研究をさらに加速するためには,生きた細胞・組織で特定の分子を観察・操作する技術が必須です。ケミカルバイオロジーは,このような時代のニーズに伴って発展しつつある学問分野ですが,生命科学者にとって決して身近な存在ではありません。本特集で紹介されているツールは,「お,これは使える。あ,これもいける。」と生命科学者にはおもちゃの玉手箱のように思えます。来年は,細胞生物学会とケミカルバイオロジー学会の合同年会も開催されます。日本人は異分野融合が苦手だとよく言われますが,この特集を契機に生命科学者と化学者の共同研究がどんどん始まることを祈っています。なお,本号には新たな実験動物特集第2弾としてフェレットが紹介されています。脳科学は“生物学最後のフロンティア”と呼ばれて久しいですが,フェレットやマーモセットなどの新たな実験動物がどのようなブレークスルーをもたらしてくれるのか,期待に胸が膨らみます。

基本情報

生体の科学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1883-5503

印刷版ISSN 0370-9531

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