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雑誌目次

雑誌文献

生体の科学66巻4号

2015年08月発行

雑誌目次

特集 新興・再興感染症と感染症対策

特集「新興・再興感染症と感染症対策」によせて

著者: 澤洋文

ページ範囲:P.286 - P.286

 世界保健機関(World Health Organization;WHO)から2014年5月に報告された資料によると(http://www.who.int/mediacentre/factsheets/fs310/en/),2012年に世界で死亡した総数は5,600万人で死因の第1位は虚血性心疾患(740万人)ですが,第4位が下気道呼吸器感染症(310万人),第6位がHIV/AIDS(150万人)と下痢性疾患(150万人)です。医療技術が進歩を遂げている現代でも,感染症はいまだに主要な死亡原因の一つです。更に,それのみならず感染症は高度に国際化された現代社会においては国境を越えた公衆衛生上の重要な問題として認識されています。1997年の香港で発生した高病原性鳥インフルエンザA(H5N1),2003年に中国から起こった重症急性呼吸器症候群(SARS),2009年にメキシコに端を発したパンデミックインフルエンザ(H1N1),2011年に中国で見つかった重症熱性血小板減少症候群(SFTS),2012年に中東で起こった中東呼吸器症候群(MERS),2013年の中国での鳥インフルエンザA(H7N9),そして2014年の西アフリカでのエボラ熱など枚挙に暇がありません。これらの感染症は新興・再興感染症と呼ばれ,国際社会はその対策に特別の関心を払っています。
 Stephen S. Morseは1995年の『Emerging Infectious Diseases』という雑誌の創刊号の「Factors in the Emergence of Infectious Diseases」という論文の中で,新興感染症(emerging disease)を「新規に出現した,もしくは以前から存在していたが,急速に罹患率や出現範囲を拡大した感染症」と定義しています。また,再興感染症(re-emerging disease)は「出現頻度が減少し制御されていたが,再度公衆衛生上の問題となった感染症」と考えられています。新興・再興感染症は,その疾病の犠牲となる症例の存在という直接的な影響だけでなく,経済影響や社会不安など間接的に国際社会全体に大きな影響を与えることも重要な問題となっています。CEDA(Committee for Economic Development of Australia)の報告によると,前述したエボラ熱については2014年から2015年の終わりまでに320億米ドル(3.8兆円)以上の資金が投入されることが試算され,2003年のSARSの際には約400億米ドル(4.7兆円)の経済的損失が生じたとされています。平成26年度のわが国の一般会計予算が約95.9兆円であることから,単一疾患の対処にわが国の一般会計予算の約5%を投じる必要性があったことになります。

A.ウイルス

重症熱性血小板減少症候群(SFTS)

著者: 森川茂

ページ範囲:P.287 - P.291

 重症熱性血小板減少症候群(severe fever with thrombocytopenia syndrome;SFTS)は,2009年に中国の河南省や湖北省などで原因不明の急性感染症として初めて流行が確認された新興ウイルス感染症である1)。SFTSは,高熱,消化器症状,血小板減少,リンパ球減少などの特徴的な症状を呈する(表1)。流行当初は,臨床症状などから顆粒球アナプラズマ症が疑われたが,ほとんどの患者でアナプラズマ感染が否定された。多くの症例でC反応性タンパク質(C-reactive protein;CRP)が上昇しないことからウイルス感染症が疑われ,2011年に中国予防医学中心のLi Dexin教授の研究チームによりブニヤウイルス科フレボウイルス属の新興ウイルスが同定され,SFTSウイルスと命名された1)。SFTSはマダニ媒介性の感染症である。その後,わが国や韓国でもSFTS患者が確認されている2-4)。わが国では「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」(感染症法)で四類感染症に指定されている。国内では西日本に集中して患者が発生し,これまでに100名以上の患者が確認されていて,その致死率は約30%と中国でのSFTS患者の致死率と比較して高い。これは,これまでのSFTSの報告症例が重症例を中心とした症例であることを示している。今後,軽症例も幅広く診断されることにより,わが国におけるSFTSの疫学をより詳細に明らかにしていく必要がある。SFTS患者には,マダニ刺咬の既往やマダニの刺し口が確認されない症例もあることから,その有無にかかわらず,臨床的にSFTSが疑われる患者には積極的に確定検査を行う必要がある。現在,国立感染症研究所ウイルス第一部および全国の地方衛生研究所において,RT-PCR法(reverse transcription polymerase chain reaction)によるSFTSウイルス遺伝子検査を実施する体制が整備されている。血清診断は国立感染症研究所で実施可能である。

ヒトスジシマカがウイルスを媒介する─デング熱,チクングニア熱

著者: 高崎智彦

ページ範囲:P.292 - P.295

 近年,ヒトスジシマカを媒介蚊として利用するウイルス感染症が世界的に流行を拡大している。それは,デング熱とチクングニア熱である。ヒトスジシマカは東南アジア原産の蚊であるが,ネッタイシマカよりも温帯地域に適応でき,乾燥に強い卵が世界的な物流の移動により生息域を拡大している。この二つのウイルス感染症の病態と臨床,ウイルス学的特徴,実験室診断,感染予防対策について概説する。

フィロウイルス感染症

著者: 梶原将大 ,   高田礼人

ページ範囲:P.296 - P.300

 エボラウイルスおよびマールブルグウイルスはフィロウイルス科に属し,ヒトを含む霊長類に急性の熱性疾患を引き起こす。フィロウイルス感染症(エボラウイルス病およびマールブルグ熱)の致死率は非常に高く,効果的な予防・治療法はいまだ確立されていない。2013年12月,ギニアで発生したエボラウイルス病は,西アフリカ諸国のみならず欧米でも感染者を出し,発生から1年以上経過した今も流行を続けている。この歴史的な大流行は,本来アフリカの風土病であったフィロウイルス感染症が,地球規模の公衆衛生上の脅威となり得ることを世界に知らしめた。本稿では,フィロウイルスについて概説すると共に,フィロウイルス感染症に対する予防・治療法,また,フィロウイルスの生態について概説する。

インフルエンザ─動物からヒトへ:新型ウイルス出現への備え

著者: 迫田義博

ページ範囲:P.301 - P.304

 インフルエンザはインフルエンザウイルスの感染によって起こるヒトと動物の呼吸器感染症である。ヒトにはA型,B型およびC型インフルエンザウイルスが,動物にはA型インフルエンザウイルスが主に感染する。インフルエンザウイルスの大きさは直径80-120nmで,電子顕微鏡を用いて観察することができる(図1)。A型インフルエンザウイルスは,その表面糖蛋白質のヘマグルチニン(hemagglutinin;HA)およびノイラミニダーゼ(neuraminidase;NA)の抗原性に基づき,H1からH16およびN1からN9の亜型に分類される1)。A型インフルエンザウイルスの自然宿主は野生のカモ類で,前述のすべての亜型のウイルスが分離される(図2)。ヒトでは現在,H1N1およびH3N2亜型のウイルスが流行している(図3)。
 インフルエンザは,急性の呼吸器疾病しか引き起こさず,感染後1週間程度で急速に症状は改善する。現在は迅速診断法や治療薬の普及に伴い,治療は容易である。しかし,ヒトの世界に新しい亜型のインフルエンザウイルスが定着すると,世界的流行(パンデミック)を引き起こすことになり,社会生活に影響を及ぼす。本稿ではヒトと動物のインフルエンザの概要を紹介すると共に,鳥インフルエンザウイルスのヒトへの感染例や新型インフルエンザウイルス出現の備えについて紹介したい。

狂犬病の現状とその制圧に向けた課題

著者: 伊藤直人 ,   杉山誠

ページ範囲:P.305 - P.308

 狂犬病は,動物による咬傷を介して伝播するウイルス性人獣共通感染症である。致死率がほぼ100%であることに加え,現在も確実な治療法が存在しないことから,最も恐ろしい感染症の一つと言える。一方,1885年にLouis Pasteurによって開発されて以来,狂犬病ワクチンが本病の予防に利用されている。残念ながら,この初めてのワクチンの開発からちょうど130年が経過した現在においても,狂犬病の世界的な制圧は達成されていない。本稿では,狂犬病とその現状を解説すると共に,本病の制圧に向けた課題について考えていきたい。

麻疹─近年の歩みとこれからの課題

著者: 竹田誠 ,   駒瀬勝啓

ページ範囲:P.309 - P.312

 麻疹は,高熱を伴う全身性の発疹を特徴とする急性ウイルス性感染症である。本稿では麻疹の病態,ワクチンの有効性,麻疹対策の国際的な取り組み,わが国の麻疹排除への歩み,海外からの麻疹の伝播について概説する。

B.リケッチア

日本紅斑熱─日本紅斑熱の現況とダニ媒介性疾患の初期対応

著者: 馬原文彦

ページ範囲:P.313 - P.317

 日本紅斑熱は,紅斑熱に属する病原リケッチアを保有するマダニ類により媒介される急性熱性発疹性感染症である。臨床的に本症は高熱,紅斑,マダニによる刺し口を3徴候とし,つつが虫病に類似するが,つつが虫病よりは重症化しやすく,早期診断と適切な抗菌薬の選択が必要である。熱性疾患に一般的に使用される抗菌薬のほとんどが無効であり,テトラサイクリン(tetracycline;TC)系抗菌薬が第一選択薬,重症例ではキノロン系抗菌薬との併用療法が推奨されている。治療が遅れると重症化することもあり,マダニ刺咬が確認できない場合でも原因不明の高熱と発疹がある場合には常に念頭に置くべき疾患である。
 近年,日本紅斑熱は発生数の増加,発生地域の拡大,重症例や死亡例の報告など注意が喚起されていた。2013年春には,重症熱性血小板減少症候群(severe fever with thrombocytopenia syndrome;SFTS)の症例がわが国にも存在することが報告された。新種のウイルスによる感染症で致死率も高く,マダニにより媒介されることからマダニ刺咬に対する更なる注意が喚起された。本稿ではマダニ媒介性リケッチア感染症である日本紅斑熱について概説し,ダニ媒介性疾患全体を捉えた臨床的初期対応について言及する。

つつが虫病─忘れてはいけない命を脅かす感染症

著者: 小川基彦 ,   佐藤正明

ページ範囲:P.318 - P.321

 つつが虫病は,ダニの一種ツツガムシによって媒介されるリケッチア症である。患者は,汚染地域の草むらなどで,リケッチアを保有する有毒ダニに吸着され感染する。かつては山形県,秋田県,新潟県などで夏季に河川敷で感染する風土病であったが(古典型),戦後各地で発生が報告され,現在では北海道など一部の地域を除いて全国で発生がみられるようになった(新型)。

C.細菌

わが国の食用動物由来耐性菌の現状とその対策

著者: 田村豊

ページ範囲:P.322 - P.326

 Flemingによりペニシリンが発見されて以来,抗菌薬はヒトの感染症の治療薬としてなくてはならないものとなっている。一方,抗菌薬は医学のみならず獣医学分野でも盛んに利用されており,特に安価で安全な畜産物の安定的な生産に大きく貢献している。しかし,抗菌薬が畜産分野で汎用されることに伴い,薬剤耐性菌が選択・増加したことも事実である。近年,食用動物に使用される抗菌薬により選択された耐性菌が,食物連鎖を介してヒトの健康に影響することが懸念され,その封じ込め対策を検討する多くの国際会議が開催されている1)。当初は,食用動物への抗菌薬の使用により出現した耐性菌がヒトの健康に影響する可能性は否定できないが,科学的な根拠は明らかでないとされてきた。しかし,最近開催された世界保健機関(World Health Organization;WHO),国際連合食糧農業機関(Food and Agriculture Organization;FAO),国際獣疫事務局(World Organisation for Animal Health;OIE)共催の国際会議では,菌種は限定され程度は不明ながら,食用動物に使用される抗菌薬によって耐性菌が選択・増加し,それがヒトに伝播してヒトの健康に影響する十分な証拠が蓄積されていると結論付けられた2)。したがって,国際機関では既に食用動物由来耐性菌のヒトに対するリスクは明らかであり,そのリスク低減のためのリスク管理の時代に突入している。このような国際的な動きを受け,わが国でも家畜衛生分野における薬剤耐性モニタリング制度の発足,動物用抗菌薬や抗菌性飼料添加物のヒトの健康への影響に対するリスク評価の実施,そのリスクを低減化するリスク管理対策の実施などの様々な対策が実施されている。そこで本稿では,食用動物由来耐性菌に対するわが国の対応状況を紹介する。また,合わせて食用動物由来耐性菌の検出状況を紹介し,抗菌薬の慎重使用(prudent use)の重要性を指摘したい。

肺炎─新興・再興感染症とその制御を中心に

著者: 伊藤亮太 ,   荒川宜親

ページ範囲:P.327 - P.334

 肺炎は,わが国の人口動態統計で長年にわたり死因別死亡率の第4位であったが,2011年に脳血管疾患を抜いて第3位に浮上し(図1),肺炎に対する診断,治療,更には予防の重要性が以前にも増して高まっている。肺炎は一般的に細菌やウイルスなどの病原体による肺実質の炎症性疾患を指すことが多いが,その種類や分類は多岐にわたる。代表的な分類として,①病変の部位による分類(肺胞性もしくは間質性),②原因による分類(細菌性,ウイルス性,真菌性,アレルギー性など)があり,また細菌性肺炎には,③発症の場による分類(市中肺炎community-aquired pneumonia;CAP,医療介護関連肺炎healthcare-associated pneumonia;HCAP,院内肺炎hospital-acquired pneumonia;HAP)が存在する。本稿では,新興・再興感染症に関連する肺炎も視野に入れ,それらの症状,診断法,治療法・予防法などについて概説する。

結核─終わらない脅威とその対策

著者: 鈴木定彦 ,   中島千絵

ページ範囲:P.335 - P.338

 結核は,結核菌(Mycobacterium tuberculosis)によって引き起こされる慢性感染症である。本菌が1982年にRobert Koch博士により紹介された後130年以上を経た現在でも,結核は数多くの患者と死亡者を出し,単独の病原体による感染症としては最も重要なものの一つと考えられている。本稿では,結核の現状とその対策について解説する。

D.原虫

アフリカトリパノソーマ症対策の現在,そして未来

著者: 菅沼啓輔 ,   井上昇

ページ範囲:P.339 - P.342

 元来,アフリカトリパノソーマ症はアフリカ大陸の限られた地域に存在していた風土病であったが,欧州列強がアフリカ大陸に進出し植民地化を推し進める中で,その流行地域が拡大した。アフリカトリパノソーマ症対策は植民地経営の重要事項であったため,いったんはアフリカトリパノソーマ症の撲滅に向かうかと思われた。しかし,第二次世界大戦後のアフリカ諸国の独立とそれに続く社会の混乱のため,再び新規症例が増加した。現在,アフリカトリパノソーマ症の根絶に向けて新しい診断・治療薬,そして予防法につながる研究が意欲的に行われている。本稿では,「アフリカトリパノソーマ症対策の現在,そして未来」と題して,特に診断法開発に関するわれわれの研究成果を紹介しながら概説する。

マラリア対策の現状と展望

著者: 河津信一郎 ,   田中健Q

ページ範囲:P.343 - P.346

 マラリアは蚊に媒介されるPlasmodium属の原虫が引き起こす寄生虫感染症であり,毎年約2億人が感染し,数十万人が犠牲となっている。主に熱帯地方に分布し,犠牲者の9割以上がサハラ以南の5歳以下の乳幼児である。その地域的広がりと患者数の多さから,世界保健機構はマラリアをAIDS,結核と並べて三大感染症として重大視し対策を進めている。

E.ベクター

国内における感染症媒介者としてのダニ類

著者: 藤田博己

ページ範囲:P.347 - P.351

 国内でヒトのダニ媒介性感染症にかかわるダニ類には,大きく動物寄生性のツツガムシ類とマダニ類が知られる。このほか,トゲダニ類媒介性で世界各地に発生しているリケッチア痘は国内では見つかっていない。寄生性ダニ類はヒトを刺咬して組織液や血液を摂取した際に各種の病原体を感染させ得る。ただし,ツツガムシとマダニには,ヒトを本来の宿主とする種類は存在しない。
 2015年4月現在までに国内に確認されたダニ媒介性感染症は13種類に及ぶ(表1)。このうちのほぼ半数は最近の10年間前後に見つかった新興感染症で,なかでも重症熱性血小板減少症候群(severe fever with thrombocytopenia syndrome;SFTS),ヒトアナプラズマ症および新興回帰熱は2013年に新たに加わったものである。

迫り来る蚊媒介性感染症

著者: 江下優樹 ,   ,   林田京子 ,   飛彈野真也 ,   神山長慶 ,   小林隆志

ページ範囲:P.352 - P.355

 デング熱,チクングニア熱,日本脳炎などは,蚊が媒介するウイルス性疾患である。病原体は,節足動物媒介性ウイルス(arthropod-borne virus;別名arbovirus)と総称される。わが国における日本脳炎患者数は激減しているが,媒介蚊とウイルスは国内には依然として存在している。感染拡大の条件が整えば再流行する可能性は今でもある。例えば,2014年8月に国内で勃発したデング熱患者の発生が挙げられる。
 わが国のような温帯地域での疾患の流行要因として,交通網の発達に伴って,ヒトや動物の移動が加速度的に早くなってきたことが一因として挙げられる。また,自然環境の異変によって,熱帯地の乾期と雨期の区別がつかなくなり,媒介蚊の生息域拡大につながっている。更に,ウイルスの変異により媒介蚊の病原体感受性が高くなり,温帯地域にも拡大して,患者数と流行国が増加している1)

F.感染症対策

防疫─感染症対策の歩み

著者: 山田壮一 ,   西條政幸

ページ範囲:P.356 - P.359

 感染症は,過去から現在に至るまで,たびたびアウトブレイクという形で人々の脅威となってきた。現代のグローバル化社会においては特に,感染症はその発生地域だけで流行するわけでなく,遠く離れた地域へも広がる場合がある。そうした感染症の国内への侵入を防ぎ,また,国内流行を阻止するための対策(いわゆる“防疫”)が感染症の予防や制御において重要である。本稿では,そうした感染症に対する防疫と,その歴史的背景を含めた国際的および日本国内における取り組みについて概説する。

BSL-4施設の役割と必要性

著者: 安田二朗

ページ範囲:P.360 - P.363

 2014年の西アフリカにおけるエボラウイルス病の大規模なアウトブレイクは,全世界に感染症の脅威を強烈に再認識させた。各国が感染症の侵入を防ぐための対策を策定し,国際連携下で現地での封じ込めが進められる中,治療薬,ワクチン,診断法にも注目が集まっている。実際に今回のアウトブレイクでは未承認のワクチンや治療薬の使用も一部で行われている。感染症対策やワクチン・治療薬の開発についての議論が進むにつれて,わが国で稼働していないBSL-4施設の必要性についても様々なところで言及され,積極的に議論されているが,残念ながらわが国ではBSL-4施設がどのような施設でこの施設がなぜ必要かという点については必ずしも正確に理解されていないのが現状である。本稿では,BSL-4施設とは何か? なぜ必要か? について,議論の基礎となる情報を提供したい。

感染症流行のリアルタイム予測

著者: 西浦博

ページ範囲:P.364 - P.367

 感染症流行のリアルタイム予測とは,流行が拡大している途中に未来の流行を捉える計算のことを指す。予測(prediction)は学問的にはシナリオ分析(projection)と定量的予測(forecasting)の二つに分類される1)。前者は,特定の仮定の下で未来に何が起こり得るのかを記述するものであり,対して,後者は未来に何が起こるのかを先取り計算することである2)。リアルタイム予測の対象は主に後者である。ただし,予測対象は様々である。時刻と共に増減する新規感染者数をグラフ化したものを流行曲線と呼ぶが,定量的予測の対象はそれに限らない。地理的な流行拡大や年齢別の感染リスクの予測,経済的な被害規模の推定なども予測対象である。また,“未来”の定義も様々である。数日先に興味があることもあれば,1年以上先の予測を期待されることもある。
 予測モデルには様々なものが挙げられるが,主に,感染症伝播のメカニズムを数学的に記述した数理モデル(機構的モデル)と,過去の流行パターンなどを利用して統計テクニックを駆使して定量的予測を施す統計モデルの二つに区別される。先端的研究の多くでは両者のいずれか一方に明確に分類できないものも多い。リアルタイム予測に関して言えば,感染症の予測よりも実績的に秀でているアプリケーション課題として天気予報が挙げられるが,それは統計学的な定量性に優れた機構モデルが統計モデルのように扱われて実施されている。また,ベイズ統計の技術の一部であるカルマンフィルターを利用する点では,既に社会実装されている天気予報と感染症の予測モデルは基本的な仕組みは同じである3)。最近では,天気予報に限らず,粒子フィルタリングなどベイズ統計の技術が飛躍的に発展し,新興・再興感染症のリアルタイム予測が実装されることが珍しくなくなった。技術革新の一端を紹介する。

連載講座 生命科学を拓く新しい実験動物モデル-4

アルツハイマー病の克服に向けた次世代型アルツハイマー病モデルマウスの開発

著者: 垣矢直雅 ,   斉藤貴志 ,   西道隆臣

ページ範囲:P.368 - P.374

 医療技術の進捗・栄養状態の改善などにより,世界的に平均寿命の延伸が続いている。結果として社会が急速に高齢化へと移行し,老齢で有病率が高まる病気への対策が必須である。わが国の社会保障費・医療介護費が増加していることから,一刻も早い対応が望まれる。なかでも,加齢で有病率が高まるアルツハイマー病(Alzheimer's disease;AD)の克服は,今後迎える更なる高齢化社会を見据えたうえでも重大課題である。
 これまで,先人たちは幾多の病気と対峙し,その多くを克服してきた歴史がある。そして,AD克服に向けても無数の試行がなされてきている。しかし,いまだ根本的な予防・治療法の確立に至っていない。その原因の一つに,適切なADモデルマウスが存在していないことが挙げられる。

生命科学を拓く新しい実験動物モデル-5

ゼブラフィッシュを用いたin vivo細胞生物学研究─血管研究を例に

著者: 福原茂朋 ,   若山勇紀 ,   柏田建 ,   安藤康史 ,   望月直樹

ページ範囲:P.375 - P.381

 全身に張り巡らされた血管は,組織や細胞に酸素や栄養を供給し,二酸化炭素や老廃物を回収する生命維持に必須のライフラインである。血管の主な構成細胞である内皮細胞は,胎生期に中胚葉細胞から発生し,脈管形成や血管新生といったプロセスを経て全身に血管ネットワークを形成する。これまで,血管形成過程における内皮細胞の機能やそれら機能を制御するシグナル伝達系は,主に二次元環境下の培養内皮細胞を用いた,細胞生物学および生化学的な実験により解析されてきた。しかし,血管形成は生体という三次元環境下で起こる現象であり,図1に示すように,培養皿上の内皮細胞と生体の血管形成過程の内皮細胞は全く異なった形態,挙動を示す。したがって,血管形成における内皮細胞の機能やそれら機能を制御するシグナル伝達系を明らかにするには,生体内の内皮細胞を解析,研究する必要がある。これを可能にするのは,下村脩博士による緑色蛍光タンパク質(green fluorescence protein;GFP)の発見を機に,飛躍的に進歩した蛍光イメージング技術である。蛍光イメージング技術の発展により,これまで生化学的にしか知ることのできなかった分子や細胞の機能情報を,生細胞で解析することが可能になってきた。われわれは,この蛍光イメージング技術をゼブラフィッシュに応用し,個体内の細胞を生きたまま観察・解析する“in vivo細胞生物学研究”を実践することで,内皮細胞が血管網を構築するメカニズムを研究している。本稿では,ゼブラフィッシュを用いたin vivo細胞生物学研究について,われわれの血管研究を例に紹介する。

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次号予告

ページ範囲:P.382 - P.383

あとがき

著者: 松田道行

ページ範囲:P.384 - P.384

 “今そこにある危機”,感染症を語るに最も適した言葉でしょう。アフリカのエボラ出血熱はようやく収まりつつありますが,隣国の韓国ではMERSコロナウイルスの封じ込めに躍起です。検疫(Quarantine)という単語はベネチアが海の支配者であったころ,40日間,船を港外に留め置いたことに由来するそうです。今は数時間で海外に行け,毎年1,000万人超の観光客が海外から来る時代,どんな感染症がいつわが国に来るかは予測不能です。東京とて今年もいつデングウイルス感染者が出るか油断はできません。デング出血熱は二度目の感染で発症するのですから,むしろ怖いのは今年でしょう。また,重症熱性血小板減少症候群(SFTS)を初めとするダニ媒介性感染症のほぼ半数は,ここ10年間に見つかってきた新興感染症です。健康的に見える森林浴に潜む危険を知らねばなりません。一方,30年以上も前に竣工しながら住民の反対で稼働することができない二つのバイオセーフティーレベル4施設は,国民の間でリスクをどのように分担すべきかという原発や米軍基地にも通ずる問題を提起しています。感染症の本を久々に読んだのですが,驚くほど研究が進んでいることを実感し,政策的な問題点も考えさせられ,知的好奇心を十分に満たしてくれる特集でした。私事になりますが,学生時代につつが虫病の研究で著明な福島市の大原綜合病院を見学させていただいたことがあります。日本紅斑熱を発見された馬原先生の病院にその標本が引き継がれ,そして研究が続けられていることを知り,地方の病院で地道に行われているわが国の医学研究の強さを再認識しました。

基本情報

生体の科学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1883-5503

印刷版ISSN 0370-9531

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