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雑誌目次

雑誌文献

生体の科学68巻3号

2017年06月発行

雑誌目次

特集 核内イベントの時空間制御

特集「核内イベントの時空間制御」によせて

著者: 秋光信佳 ,   和田洋一郎

ページ範囲:P.188 - P.188

 東日本大震災から6年目を迎えて,被災自治体の一部で避難解除に伴い帰還が開始されている。今日まで続けられた除染作業によって,居住エリアにおける1年間の空間放射線量は一定の目安である1mSvを下回っていることから,今後帰還する住民の健康を守るためには,低線量の放射線を,長時間被曝することによる生物的影響を明らかにする必要がある。従来DNAの二重らせんを切断するような,高線量放射線による生物学的影響の分子生物学的研究によってDNAの修復メカニズムの解明などの成果をもたらしているが,現在までに低線量被曝の生物学影響は十分解明されていない。
 一方で,近年の技術的進展によって従来にない感度で生命現象を解析する手法が急速に進展し,大量に取得されたデータには,数理科学による網羅的な解析手法が加わることによって生体の科学が大きく転換している。特に,染色体という記録メディアから,遺伝情報というコンテンツを取り出すしくみにおいては,より微細な現象が,より網羅的に解析されて,従来観察することができなかった新たなメカニズムが明らかになりつつある。

Ⅰ.ゲノム解析

遺伝子座特異的クロマチン免疫沈降法による特定ゲノム領域結合分子の同定とゲノム高次構造解析

著者: 藤井穂高 ,   藤田敏次

ページ範囲:P.189 - P.193

 転写やエピジェネティック制御をはじめとするゲノム機能の発現調節機構の解明は,生命科学における主要な課題の一つである。そのためには,解析対象ゲノム領域に結合している分子を同定する技術が欠かせない。また,近年,ゲノム領域間の相互作用が,ゲノム機能発現調節に重要な役割を果たしていることが示唆されている。このようなゲノム高次構造の解析においては,相互作用しているゲノム領域を同定する技術が必須である。本稿では,特定ゲノム領域に結合している分子(タンパク質,RNA,他のゲノム領域など)を同定するために,筆者らが開発した遺伝子座特異的クロマチン免疫沈降法(遺伝子座特異的ChIP法)の原理とその応用について概説する。

Hi-Cによるゲノム高次構造解析

著者: 堤修一

ページ範囲:P.194 - P.198

 高等生物において,長大なゲノムはパッキングされて核内に収納されている。近年,分子生物学と次世代シークエンサーを利用したHi-Cと呼ばれる手法によって,ゲノム高次構造が解析されるようになった。ゲノム情報は一次元であるが,その一定の区間はドメインと呼ばれるブロックごとに三次元では近接に位置することがわかってきた。このドメイン構造は遺伝子発現に深く関連している。本稿では,Hi-Cと関連手法の特徴とその応用について紹介する。

エピゲノム解析─ヒストン修飾データの取得と意味

著者: 木村宏

ページ範囲:P.199 - P.203

 ヒストンは,DNAと強く結合し,クロマチンの基本単位であるヌクレオソームを形成する。そのため,特定のゲノム領域上のヒストンの翻訳後修飾が遺伝子発現の促進や抑制などの制御に働く。したがって,解析対象となる細胞中におけるゲノム上のヒストン修飾の局在を明らかにすることで,個々の遺伝子やエンハンサーの状態を知ることができる。特に,ヒストンH3のN末端領域の翻訳後修飾は遺伝子発現制御と高い相関がある。一般に,活発に転写される遺伝子の転写開始領域にはH3の4番目のリジン残基のトリメチル化(H3K4me3)と27番目のリジン残基のアセチル化(H3K27ac)が,エンハンサー領域には4番目のリジン残基のモノメチル化(H3K4me1)とH3K27acが,それぞれ存在する。転写されている遺伝子領域にはH3の36番目のトリメチル化(H3K36me3),転写が抑制されたヘテロクロマチン領域には9番目のトリメチル化(H3K9me3)や27番目のトリメチル化(H3K27me3)が濃縮されている。ゲノムワイドのヒストン修飾局在は,クロマチン免疫沈降と大規模塩基配列解析(ChIP-seq)により解析される。大規模プロジェクトや国際コンソーシアムなどにより,近年多くの細胞種でヒストン修飾エピゲノム情報が得られている。これらの情報は,発生や分化に伴う遺伝子発現制御機構や病態変化の要因を知るうえで非常に有用であると考えられる。

エピゲノム解析最前線─ChIP-seq解析法の現在と未来

著者: 中戸隆一郎

ページ範囲:P.204 - P.208

 次世代シークエンサー(以下シークエンサーと表記)は断片化されたDNA配列の塩基配列情報を高速に読み取る装置である。このシークエンサーに様々なDNA配列を与えることで,種々のゲノム情報(ゲノム多様性,遺伝子発現量,ヒストン修飾,DNAメチル化,立体的相互作用部位など)が獲得可能であり,これらの技術を用いたゲノム・エピゲノム解析研究は今後ますます増加していくと予想される。
 一方で,そのようにして取得された大量のシークエンスデータを解析し,生物学的に意味のある知見を得るまでには数多くの解析手順を踏む必要があり,実験の対象や目的によりバリエーションも実に様々である。本稿では,筆者の専門であるChIP-seq法(タンパク質のゲノム結合部位を網羅的に収集する手法)を題材に,シークエンサーから得られたデータがどのように解析されるのかについて実際のツールを紹介しながら概説し,ChIP-seq解析手法の現状と今後について展望したい。

ゲノムインプリンティング─核内におけるインプリント遺伝子の発現動態

著者: 片岡美喜 ,   久郷裕之

ページ範囲:P.209 - P.214

 ゲノムインプリンティングとは,父方または母方の対立遺伝子が識別され,異なる発現様式を示す現象であり,脊椎動物では哺乳類のみでみられる。インプリント遺伝子は,細胞増殖や分化,個体発生,代謝,高次行動などにおいて重要な役割を果たしており,先天性疾患以外にもがんや糖尿病,精神疾患に関与していることが報告されてきた1)。本稿では,主に長鎖非コードRNA(long non-cording RNA;lncRNA)タイプのインプリント遺伝子について,核内におけるユニークな発現制御機構を最新の筆者らの知見を交えて紹介する。

Ⅱ.トランスクリプトーム解析,転写後制御

クロマチンを制御するノンコーディングRNA

著者: 山本達郎 ,   中尾光善 ,   斉藤典子

ページ範囲:P.215 - P.219

 ヒトゲノムにおいて,タンパク質をコードしている領域は全体のわずか2%に満たない一方で,約80%の領域が転写されている。ゲノムのあらゆる場所からしみわたるように転写される,タンパク質をコードしないRNAの数は膨大で,ノンコーディングRNAと呼ばれ,時期,組織特異的に発現し,発生や分化,疾患に深くかかわるものが多い。本稿では,主にクロマチン制御に働く核内長鎖ノンコーディングRNAについて概説する。

核内構造と核局在長鎖ノンコーディングRNA

著者: 水谷玲菜

ページ範囲:P.220 - P.224

 細胞核内では,転写やRNAのスプライシングといった様々な遺伝子発現制御が行われている。細胞核内は高度に組織化されていることが知られており,各染色体を構成するゲノムDNAは“染色体テリトリー”と呼ばれる固有の核内領域に局在化している。更に,染色体テリトリーの間には,RNAやタンパク質で形成される核内構造体という膜を持たない構造体(核ボディーなどとも呼ばれる)が存在する(図1)。核内構造体は転写やプロセシングに関与する複合体の生合成の場,あるいは染色体と相互作用することで効率的に遺伝子発現を制御する場になると考えられている。また,核内構造体は発生,分化,細胞周期,ストレス存在下など,細胞の状態の変化に伴い出現,消失,変化することが知られ,細胞の状態に応じてダイナミックに変化する。核内構造体の挙動や機能を理解することは,細胞状態の変化に伴う遺伝子発現制御機構を理解するうえでも非常に重要であると言える。
 これら構造体の構成因子として,長鎖ノンコーディングRNAが近年注目されている。ノンコーディングRNAとはタンパク質をコードしないRNA群の総称であり,micro RNAに代表される低分子ノンコーディングRNAと200塩基長以上の長鎖ノンコーディングRNAに大別される。本稿では,核内構造体のなかでも長鎖ノンコーディングRNAを構成因子として有するものに着目し,核内構造体を介した遺伝子発現制御機構と長鎖ノンコーディングRNAの役割を中心に紹介したい。

FANTOMプロジェクト─国際共同研究を通じたRNA網羅的解析

著者: 吉田惠美子 ,   川路英哉 ,  

ページ範囲:P.225 - P.228

 生体に存在する分子を網羅的に調べる“オミックス”のなかで,RNAの総体を調べるトランスクリプトーム解析は,世代を超えて伝えられた遺伝情報が細胞の中で情報伝達分子(メッセンジャーRNA),あるいは機能性分子(機能性RNA)として写し取られた結果を研究対象とするものであり,ゲノムの各領域に関する機能や細胞の多様性を理解する基盤となるものである。2000年に理化学研究所の主導により立ち上げられた国際共同研究コンソーシアム「FANTOM(Functional Annotation of the Mammalian Genome)」は,そのトランスクリプトームを中心に様々な成果を挙げてきた(図)。本稿ではその成果を軌跡と共に紹介する。

Ⅲ.生化学的アプローチ

パイオニア転写因子によるクロマチン構造変換

著者: 小山昌子 ,   胡桃坂仁志

ページ範囲:P.229 - P.232

 パイオニア転写因子は,クロマチン構造の中に存在する標的塩基配列に結合し,標的遺伝子の転写を調節できる特殊な転写因子群として定義されている。本稿では,パイオニア転写因子として初期に定義されたFOXA1を中心に,その経緯と作用機序について概説する。

転写反応の生化学

著者: 山口雄輝

ページ範囲:P.233 - P.236

 真核転写の機構研究は,1970年代以降の生化学的解析によって牽引されてきた。本稿では歴史を振り返りながら,これまでに開発されてきた様々なin vitro転写系を紹介していきたい。

Ⅳ.イメージング解析

3D-FISH法の新たな展開─マウス初期胚への応用

著者: 田辺秀之 ,   中家雅隆 ,   三谷匡

ページ範囲:P.237 - P.242

 FISH(fluorescence in situ hybridization)法は,目的とするDNA/RNAプローブを蛍光色素により検出可能な標識を行い,観察試料上に分子雑種を形成させて可視化する技術である1,2)。観察試料として,組織から細胞核,染色体,クロマチン線維に至るまで,様々なスケールの標本が対象とされる。一般にFISH法では,スライドグラス上に二次元展開した染色体標本を対象とするが,本稿では,三次元レベルの細胞核を対象とした3D-FISH法について解説する。また,DNAプローブとして,特定の遺伝子領域を含むBAC-DNAおよび染色体全体をプローブとした染色体ペインティングプローブがよく用いられており,それらを組み合わせた霊長類やニワトリ細胞,マウス初期胚での解析例を紹介する。

核内RNAのバイオイメージング

著者: 山田俊理

ページ範囲:P.243 - P.246

 核内におけるRNAがかかわる事象(転写やプロセッシングなど)は古くから研究がなされており,関与する因子や基本的な分子メカニズムについては生化学的に明らかにされていることが多い。しかしながら,生きた細胞内において,転写やプロセッシング,細胞質への輸送といった現象を実際に観察すると,従来提案されたモデルでは説明がつかず,複雑な制御を受けていることが見えてきた。この遺伝子発現制御の素過程の観察を可能にする技術がRNAの蛍光標識技術である。本稿では,RNAを蛍光標識する技術を前半で紹介し,その応用例を後半で解説する。

高次クロマチン構造のライブイメージング

著者: 落合博

ページ範囲:P.247 - P.250

 ゲノムDNAは細胞種特異的に高次に折りたたまれ,細胞核内に格納されている。近年の特定ゲノム領域の生細胞イメージング技術の発展により,高次クロマチン構造の動態を捉えることが可能となってきた。本稿では,ゲノム編集で利用されているCRISPR-Casシステムを利用した高次クロマチン構造のライブイメージング技術について概説する。

Ⅴ.数理的アプローチ

数理的解析─転写の熱力学と情報処理

著者: 井原茂男

ページ範囲:P.251 - P.255

 生きていることは,熱的な非平衡状態を保つことである。では生命過程の基本プロセス,特に,転写における核内イベントなど,生体高分子の熱的状態,熱的揺らぎのなかでの情報処理とその制御はどのように行われているのであろうか?
 Landauer1)やBennett2)らの“Information is Physical”という標語に要約されるように,情報処理の熱力学的な意味も明らかにされつつある。生命過程を初期に情報の観点から解析してきた人は,量子暗号や量子計算,人工知能の開拓者でもあった。最近流行りの人工知能,ニューラルネットワークの提唱者として著名なHopfieldは,1970年代に生体高分子の合成作用の物理過程について研究し3),その生命科学と物理の学際的で先駆的な寄与に対し,Diracメダルが贈られた。最近,確率過程と熱力学的な観点から,ポリメラーゼのキネティクスへのアプローチが注目されている4,5)。そこで本稿では,最近の真核生物の転写研究を踏まえ,既に本誌でご紹介した執筆者のこれまでの研究6,7)も俯瞰しつつ,確率過程の観点から転写の熱力学と情報処理を議論してみたい。

Ⅵ.感染と核内構造ダイナミクス

インフルエンザウイルスと核内構造

著者: 黒木崇央 ,   川口敦史

ページ範囲:P.256 - P.260

 ウイルスのゲノムは短く,コードされる遺伝情報もわずかである。そのため,ウイルスは宿主の生理機能を略取する必要があり,ウイルス粒子の宿主細胞への吸着から子孫粒子の放出まで,すべての段階で細胞由来の因子(宿主因子)を利用する。本稿では,細胞核の機能・構造をインフルエンザウイルスが略取する分子機構と,それによって引き起こされる細胞のストレス応答について紹介する。

ボルナウイルスと核内構造

著者: 平井悠哉 ,   朝長啓造

ページ範囲:P.261 - P.265

 ウイルスは宿主細胞を利用して自身の増殖を行う感染性の粒子であり,感染細胞においてゲノムの複製を行う際には,しばしばそのウイルスに特異的な細胞内構造体を形成する。ボルナウイルスは宿主細胞の核で転写・複製を行うRNAウイルスの一種であり,核内に特異的な構造体を形成する。本稿では,ボルナウイルスが核内に形成する構造体の構造の詳細,および宿主因子との相互作用を概説する。

解説

培養細胞の品質管理と標準化

著者: 中村幸夫

ページ範囲:P.266 - P.272

 研究材料の品質管理と標準化は,それを用いた研究結果の再現性を担保する意味においてきわめて重要である。生命科学研究分野で使用される研究材料は,実験動物,細胞生物学的材料,分子生物学的材料など広範に存在する。そのなかで,細胞材料を用いた実験はin vivo実験の入口であり,様々な研究分野において汎用されている。特に,培養細胞は広く多くの研究者が共有して使用できる研究材料として,生命科学研究において必須のアイテムとなっている。
 実験動物を用いた研究においては,個体間誤差が大きな問題となる。それがゆえに,遺伝的なバックグラウンドを均一にした近交系動物を使用することが標準的となっている。しかし,近交系動物を使用してさえいれば個体間誤差を無視できるわけではない。どのような環境でどのように飼育されるかで,実験結果は大きく異なってしまうことが多い。それは細胞材料を用いた実験においても同じであり,どのような環境でどのように培養されるかで,実験結果は大きく異なってしまう。すなわち,実験動物を用いた研究であれ,培養細胞を用いた研究であれ,もとになる研究材料(マウス,細胞など)の品質管理と標準化のみならず,その使用方法に関する標準化も伴わなければ,実験の総体としての再現性が担保できないこととなる。

DNAバーコードおよびゲノム編集を用いた細胞系譜の一斉追跡技術

著者: 石黒宗 ,   森秀人 ,   谷内江望

ページ範囲:P.273 - P.281

 動物の発生は受精卵からスタートし,細胞ニッチの形成と細胞間コミュニケーションを繰り返し,様々な器官を発達させながら進行する。ヒトにおいては,数十兆個もの細胞から成る複雑な個体が形成される。哺乳動物の発生も,受精卵から胎盤胞程度までの段階は,細胞分裂を顕微鏡下で観察することができるが,比較的長い時間スケールで全身を形成する細胞分裂について,そのすべてを十分な解像度で追跡する技術はこれまでに実現されていない。現代生命科学において,個体や組織を形成する不均質な細胞集団の分化過程とその系譜の全容は,依然として不明瞭である。本稿では,細胞系譜を一斉追跡するための第一線の技術群,特に最近のDNAバーコードおよびゲノム編集を用いた技術による進展について解説し,その将来的な展開を議論する。

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次号予告

ページ範囲:P.203 - P.203

財団だより

ページ範囲:P.281 - P.281

あとがき

著者: 栗原裕基

ページ範囲:P.282 - P.282

 かつて東西冷戦の終焉とともに平和へ向かうかと思われた世界は,その後多くの民族問題や宗教対立などによって益々混迷を極めています。地球上の局所的な出来事が世界の各地に影響を及ぼし,それぞれが絡み合って複雑な情勢を作り出していることも現代の特徴と言えるでしょう。今回の特集では転写をはじめとする核内イベントのダイナミクスがテーマになっていますが,個別の遺伝子領域内に留まらず,染色体上で離れた領域が,相互作用しながら遺伝子発現の動態がダイナミックに変化していく様子は,地球上で起きていることとどこか似ているように思えてなりません。生命のすばらしさは,細胞内の遺伝子制御,さらには細胞間の相互作用による個体発生など,多様で複雑な様相を呈しながらも予定調和的に精緻な秩序を作り出すところにあります。ウイルスや細菌などの感染でさえも,時には死をもたらす厄介な存在でありながらも,進化の長い目で見ると,生物に新しい機能と秩序を加えてより高等な生物へと進化する原動力ともなってきました。カオスに向かうかに見えるこれからの国際社会にも,一個の細胞核と同様に,より高度な秩序と平和が生まれることを願いたいものです。
 最後に,ゲストエディターの労をお執りいただいた秋光信佳先生,和田洋一郎先生,ご多忙の中執筆していただいた著者の皆様に感謝申し上げます。

基本情報

生体の科学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1883-5503

印刷版ISSN 0370-9531

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