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雑誌目次

雑誌文献

生体の科学74巻3号

2023年06月発行

雑誌目次

特集 クロマチンによる転写制御機構の最前線

特集「クロマチンによる転写制御機構の最前線」によせて

著者: 木村宏

ページ範囲:P.192 - P.192

 生物個体を構成する細胞はほぼ同一の遺伝情報(DNA配列)を持っているにもかかわらず,細胞の種類によって性質は異なる。これは,細胞種によって発現する遺伝子が異なるからであり,遺伝子発現制御の解明は発生や分化のメカニズムの理解のみならず,神経活動や免疫応答などの高次生命現象の理解に必須である。そのため,遺伝子発現の出発点である転写の制御機構の解明は生命科学の中心とも言えるものであり,多くの研究が行われてきた。生化学や遺伝学により転写因子の同定と転写制御に働く遺伝子の同定が主流だった時代から,分子生物学による遺伝子クローニングと機能解析を経て,次世代シークエンサーを用いたゲノム科学による網羅的解析と生細胞イメージングなどの時空間動態解析が主流になってきた。また,分子レベルでの理解やシミュレーションや理論研究も展開されている。

 真核生物の転写の研究は,1980年代に開発された細胞核抽出液を用いたin vitro再構成系により大きく進展し,基本転写因子や遺伝子特異的な転写因子が多く同定された。また,レポーターアッセイにより細胞内でプロモーターとして働くDNA領域も同定され,転写因子の結合配列の重要性が明らかにされた。ただし,in vitro再構成系では鋳型として裸のDNAが用いられており,また,一過性のトランスフェクションでは必ずしも内在性の遺伝子と同じクロマチン構造をとるとは限らないことが問題であり,細胞内の転写制御の理解にはまだ遠い状態であった。

Ⅰ.分子レベル

転写伸長因子およびヒストンシャペロンFACTによるヌクレオソーム転写制御機構

著者: 畠澤卓 ,   鯨井智也 ,   胡桃坂仁志

ページ範囲:P.193 - P.198

 生物のゲノムDNAとして保存された遺伝情報は,RNAポリメラーゼによって読み取られることで発現し,その機能を果たす。真核生物において,転写の鋳型となるゲノムDNAはヌクレオソームを基本単位とするクロマチン構造を形成している1,2)。近年,RNAポリメラーゼⅡ(RNAPⅡ)とヌクレオソームから成る複合体の構造解析により,クロマチン構造における転写メカニズムの理解が飛躍的に進んだ。本稿では,筆者らの研究チームが明らかにしたRNAPⅡ-ヌクレオソーム複合体の立体構造群に基づいて,転写伸長因子やヒストンシャペロンに関する最新の知見を踏まえながらクロマチン転写について概説する。

メディエーター複合体による転写の新たな統合的制御

著者: 高橋秀尚

ページ範囲:P.199 - P.204

 メディエーター複合体は,RNAポリメラーゼⅡ(PolⅡ)による転写において必須の役割を果たす。当初,メディエーター複合体は転写因子の作用を下流の基本転写装置に伝達する役割を果たし,PolⅡの転写開始に重要な因子として発見された。ところが,様々な研究によって,メディエーター複合体は転写開始前のヒストン修飾や転写開始後の転写伸長や終結にも重要な役割を果たすことが明らかになった。更に,最近,筆者らの研究によってメディエーター複合体が核内構造体の構築にも関与する可能性が認められ,メディエーター複合体が核内の“場”において転写を統合的に制御する機構が明らかになってきた。

ヒストン翻訳後修飾と転写活性化

著者: 佐藤優子

ページ範囲:P.205 - P.210

 真核生物の細胞核内では,DNAはヒストン8量体に巻きついてヌクレオソームを形成し,更にヌクレオソームが連なった構造“クロマチン”として核内に収納されている。クロマチン構造は,長大なDNAを核内に収納する物理的な役割と,遺伝子発現やゲノム恒常性を制御する役割を持つ。クロマチン構造による遺伝子発現の制御には,ヒストンタンパク質の翻訳後修飾が重要な役割を果たしている(図1)。本稿では,転写活性化に関与しているヒストンの翻訳後修飾に注目し,その役割を考察する。

クロマチン基本構造体,ヌクレオソームのダイナミクスと安定性

著者: 河野秀俊

ページ範囲:P.211 - P.216

 真核生物のゲノムDNAは,タンパク質とDNAの複合体であるクロマチンの形で,細胞核内に収納されている。すべての細胞は,一部の例外を除いて同じDNA配列を保持しているが,細胞の種類によって発現している遺伝子が異なっている。どの遺伝子がオンになり,どれがオフになるかは,クロマチンの収納状態に大きく依存していることが明らかになりつつある。しかし,依然としてその収納状態を制御するしくみの解明には至っていない。

 クロマチンは,ヌクレオソームと呼ばれる基本構造体が数珠つなぎになったものである。クロマチンには,ヌクレオソームが非常に密になった状態(遺伝子不活化状態)と疎になった状態(遺伝子活性化状態)が存在している。精密なゲノム解析から,ヌクレオソームを構成するヒストンタンパク質には多くのバリアントが存在することがわかっている。また,ヒストンタンパク質は翻訳後修飾を受けて化学状態を変える1)。したがって,単にヌクレオソームといっても,多種多様なヌクレオソームが存在している。更に,翻訳後修飾をターゲットにして,リモデラーなど多くのタンパク質がヌクレオソームに結合する。その構造は,クライオ電子顕微鏡の出現により次々と明らかにされつつある。本稿では,そのような多様なヌクレオソームの安定性や運動の違いを紹介する。

Ⅱ.転写抑制のメカニズム

ヘテロクロマチン構造形成と転写抑制の分子機構

著者: 中山潤一

ページ範囲:P.217 - P.222

 真核生物のゲノムは,ヘテロクロマチンとユークロマチンに大別される。ヘテロクロマチンは,細胞周期を通じて常に凝縮したままの構造として,1928年に植物学者のEmil Heitzによって初めて報告された。その後,ショウジョウバエの斑入り位置効果(position effect variegation;PEV)の研究,様々なモデル生物を用いた遺伝学的,生化学的,細胞生物学的研究によって,ヘテロクロマチンの基本構造や重要な役割が明らかにされてきた。本稿では,これまでに明らかにされたヘテロクロマチンの分子機構について概説すると共に,最近のトピックについて紹介する。

ヘテロクロマチン形成におけるヒストン修飾の意義

著者: 福田渓 ,   眞貝洋一

ページ範囲:P.223 - P.228

 真核生物のDNAはヒストンタンパク質と結合してヌクレオソーム構造を形成し,多数のヌクレオソームが高次のクロマチン構造をとることで細胞核に収納されている。クロマチンは転写活性なユークロマチンと高度に凝縮した転写不活性なヘテロクロマチンに大別され,両者は空間的に分離して核内に配置する。ヘテロクロマチンは適切な遺伝子発現やゲノムの安定性を維持しており,相分離などの新たな領域の発展によりヘテロクロマチンの形成機構や性質の理解は急速に深まっている。本稿では,ヘテロクロマチンの形成に重要な役割を担うヒストン修飾であるH3K9メチル化によるヘテロクロマチンの形成機構と,転写抑制機構における現在の知見について紹介する。

Ⅲ.核内ドメインと転写

ノンコーディングRNAと転写制御

著者: ,   斉藤典子

ページ範囲:P.229 - P.233

 生体内には多くのノンコーディングRNA(ncRNA)が存在し,組織,分化,発生段階特異的に発現し,その異常はがんを含む疾患に関わるものが多い。また,細胞核内でクロマチンやエピジェネティクス制御因子と相互作用し,転写制御や核内構造体の形成に関わるものが多い。本稿では,これらとその機序を紹介する。

相分離モデルで理解する転写制御—核小体と転写コンデンセート

著者: 井手聖 ,   前島一博

ページ範囲:P.234 - P.239

概要 細胞核の中には,転写やスプライシングなど遺伝子発現プロセスと密接に関わる高次構造体が存在し,核内ドメインと言われている。最近,それらの多くが液-液相分離によって形成される“液滴”であることが提唱された。相分離は溶液が均一に混じらず,分子濃度が高い相と低い相の2つに分離する現象である。特定の分子を濃縮したり,他の分子を排除することで,生化学反応の時空間的な制御を可能とする。本稿では核内最大の液滴である核小体と遺伝子発現時における転写コンデンセートを通して,相分離が転写に果たす役割について概説する。

染色体上のRNAを介した液-液相分離が相同染色体の対合を促進する

著者: 平岡泰

ページ範囲:P.240 - P.244

 減数分裂において,相同染色体の対合は染色体の正確な分離を保証するために重要である。相同染色体の対合のしくみは,分裂酵母Schizosaccharomyces pombeでよく研究されている。分裂酵母の減数分裂の研究から,染色体上のRNAとタンパク質の複合体は液-液相分離を介して相同染色体をたぐり寄せ,対合を促進することが明らかになった。

Ⅳ.転写制御と生命現象

ダイレクトリプログラミングと転写制御

著者: 堀澤健一 ,   鈴木淳史

ページ範囲:P.245 - P.249

 本稿では,終末分化した体細胞から人為的な分化転換により,細胞の初期化を介さずに直接的に別の系譜の細胞を誘導する“ダイレクトリプログラミング”について,その背景で働く転写・クロマチン制御に関する最新知見を概説し,今後の研究を展望する。

初期胚における遺伝子発現・転写制御

著者: 阪野亜美 ,   伊藤蒼 ,   石内崇士

ページ範囲:P.250 - P.254

 細胞機能の獲得・維持に遺伝子発現の調節は欠かせない。受精直後に形成される受精卵は,たった1つの細胞から完全な個体を形成する能力である“全能性”を持つ例外的な細胞であるが,この受精卵の細胞特性はどのような遺伝子発現により支えられているのだろうか。これは,全能性の分子基盤とは何か? という疑問に直結する生物学的に重要な問いであり,“多能性”獲得の必要十分条件が明らかになった現在では,この全能性に関する問いに挑戦する研究が世界的な潮流となりつつある。

 アプローチのしかたは様々であるが,多能性幹細胞などの培養細胞を材料として,どのような操作を施せば受精卵特異的に発現する遺伝子が活性化されるかを探索するといったin vitroの実験をベースとする方法もあれば,in vivoの受精卵を用いて受精卵そのものの特性を根源的に解明し,得られた知見を基に全能性の分子基盤に迫るという方法もある。本稿では,このような研究の例を取り上げつつ受精卵・初期発生における遺伝子発現・転写制御について述べる。

Ⅴ.クロマチンと転写制御に関する新技術

クロマチン構造における転写制御の理解に向けた技術開発

著者: 原田哲仁 ,   富松航佑 ,   武千湄 ,   大川恭行

ページ範囲:P.255 - P.259

 ヒトのほぼすべての種類の細胞は同一のゲノムを持つ。この同一のゲノムを持つ異なる種類の細胞の特性と機能は,遺伝子が存在するクロマチン構造の転写における選択性により支配されている。したがって,転写はRNAポリメラーゼⅡによりゲノムDNAからRNAが合成されるプロセスという側面に加えて,異なるエピゲノム状態を判別し,適切な遺伝子発現を選択する過程と言える。近年の1細胞解析技術の高感度化,高深度化に伴い,細胞の型のみならず,細胞状態変化まで遺伝子発現の総体であるトランスクリプトームで区別可能になりつつある。一方で,これら細胞の状態変化が可塑的な範囲か,あるいは細胞型として不可逆的な変化を示したのかは判定が困難である。改めて,クロマチンレベルの遺伝子発現解析の重要性が高まっていると言えよう。本稿では,転写の場であるクロマチン構造変化と転写を測定する試みについて代表的な技術を紹介したい。

特定RNA分子/DNA領域のライブイメージング技術

著者: 大石裕晃 ,   落合博

ページ範囲:P.260 - P.265

 転写は,遺伝子からRNAが連続的に合成される転写活性化状態とほとんど合成されない不活性化状態を遷移する動的なプロセスである。この転写動態によって遺伝子発現量が調節されるが,細胞集団からRNAを抽出する解析手法や,固定細胞におけるRNA可視化法では転写動態制御機構の詳細に迫ることは困難である。本稿では,転写動態解析に利用可能な特定RNA分子およびゲノムDNA領域の生細胞イメージング技術を紹介する。

転写制御を可能にする人工細胞核の構築

著者: 原口徳子 ,   山縣一夫

ページ範囲:P.266 - P.270

 細胞核はDNAを内包し,その遺伝情報を転写することで生命活動を支える,生命活動のまさに“核”となる細胞小器官である。核膜は,二重膜構造と核膜孔複合体の存在によって,細胞質と隔離した空間をつくり出し,かつ必要なタンパク質を適時的に核内に取り込む機能がある。その機能によって,細胞核は,転写に必要な因子を適量・適時的に保持することにより,転写量を調節することが可能となる。このような空間を人工的につくり出すことができたら,転写制御を思うがまま自由自在にできるはずである。「転写可能な人工細胞核をつくる」という夢のような技術開発に向けて,その歴史的な背景と現在の進捗状況について概説する。

Ⅵ.転写の理解を目指した計算機・数理モデリング

初期胚におけるクロマチン運動を制御する物理的要因

著者: 木村暁 ,   市原沙也 ,   坂上貴洋

ページ範囲:P.271 - P.276

 クロマチンは細胞核内でダイナミックに運動している。この運動の度合いは,初期胚発生過程において大きく変化するなど,クロマチン構造をとるゲノムDNAからの転写を制御し得る新たな要因として注目される。クロマチンの運動が転写をどのように制御するかは未解明のフロンティアである。その解明のためにも,運動の定量化や,その運動の特徴を物理学的に理解することが重要となる。本稿では,生きた細胞内でクロマチン運動を定量化する方法や,線虫Caenorhabditis elegans初期胚発生に伴うクロマチン運動の物理学的理解について解説する。

解説

マクロファージに発現する嗅覚受容体と動脈硬化症

著者: 小檜山康司

ページ範囲:P.277 - P.283

 嗅覚は,匂いを知覚することで生存や繁殖,そして進化にも関与しており,極めて重要な五感の一つである。この匂いを感知するための中心的役割を担っているのが嗅覚受容体であり,ヒトでは約400種類,マウスでは1,000種類を超える嗅覚受容体を有し,1万種以上もの匂いを嗅ぎ分けることが可能とされている。嗅覚受容体は鼻腔内部の嗅上皮組織に存在する嗅神経細胞の繊毛を中心に発現しているため,鼻腔内に入ってきた匂い物質を感知することで,識別することができる。

 一方で,嗅覚受容体の発現は嗅神経細胞に限局しておらず,精子や皮膚,そして腸管など様々な組織に発現していることが報告されており,匂いの知覚以外にも役割があることが示唆されてきた。本稿では,血管マクロファージに発現する異所的嗅覚受容体の動脈硬化症における役割を中心に解説する。

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目次

ページ範囲:P.191 - P.191

財団だより

ページ範囲:P.276 - P.276

次号予告

ページ範囲:P.284 - P.284

あとがき

著者: 松田道行

ページ範囲:P.285 - P.285

 桜の花の季節は学問への期待に目を輝かせる新入生の季節ですが,シニアの研究者にとっても知識をアップデートする季節です。本特集の感想は「転写の研究はこんなところまで来ていたのか!」という驚きでした。次世代シークエンサー,クライオ電子顕微鏡,超解像ライブイメージングといった最新技術,それに加えて液-液相分離という新しい概念が導入され,クロマチンが密集していて手に負えない青い塊と思っていた核内での転写制御機構が生き生きとした姿で眼前に迫ってきます。著者の方々には歴史的経緯から最新の知見までを自らのデータを踏まえて紹介いただき,教科書にはない引き込まれる面白さでした。編集いただいた木村先生およびご寄稿いただいたみなさまに改めて御礼を申し上げます。また,マクロファージの嗅覚受容体という新しい研究分野を紹介いただいた小檜山先生にも感謝申し上げます。

 私事で恐縮ですが,4月は病理総論で炎症の授業をします(今年で最後です)。昔は,マクロファージ=貪食細胞,とのみ教えていればよかったのですが,次々に新しい機能が明らかにされ,うれしい悲鳴と言いたいところですが,正直なところ,破裂する直前の泡沫マクロファージのような状態です。

基本情報

生体の科学

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1883-5503

印刷版ISSN 0370-9531

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