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雑誌目次

雑誌文献

病院1巻3号

1949年09月発行

雑誌目次

近代社會における病院

著者: 小澤龍

ページ範囲:P.3 - P.4

 近代文明は分業による協同が個人の同一の能力の協力よりも,幾何級数的に強力であることを教えて來た。医療の分野でも同様に分業化し,古くは全く一医師の力のみで診療が行われたものが,現在では数十種類の専門家の協力によって診療能力を向上して來た。

 病院という医療機關は,その医療の能力を結集させた機關である。この機關に備わる分業的な高度の診療施設は,そこに働くいろいろの分業的な専門家の手によつて,高度の医療能力を発揮することが出來る。即ち病院というものは,最高の能力を発揮しうる医療機關である。

病院管理の諸問題

著者: 尾村偉久

ページ範囲:P.5 - P.6

 病院管理の理想的形態については第一号以來各著者から逐次紹介されているので我國の多くの病院が,一日も早くそういう状態になることを切にこい願つているのであるが,こゝでは現在ある我國の病院が運営上当面している諸問題について気のついた点を述べてみたい。但し著者の關係している施設の対象から見て,主として官,公立には通じることと思うが私的のものには大した参考にならないかもしれない。

病院と管理(その3)

著者: 吉田幸雄

ページ範囲:P.7 - P.12

目次

11 病院の活動はその組織が決定する。

12 病院の組織は如何につくるべきか。

 Ⅰ 科学的且つ適正な診療を目的として組織をつくること。

 Ⅱ 円滑に能率よく,病院各部の仕事がはこぶように組織されること。

 Ⅲ 患者奉仕を第一義として組織すること。

 Ⅳ 民主的な組織であること。

 Ⅴ 出來る限り病院の従属的な目的を滿足しうる如く組織すること。

病院管理學校について

著者: 島内武文

ページ範囲:P.13 - P.14

病院管理 人間は時と処を問わず,其の及ぶ限りの手段を用いて,病気や老衰を逃れようと努めてきた。ところがその手段が科学的となり,設備技術等も複雑専門化してくるに伴い,医療の主役は漸次個人医師の手より病院という組織体に移ってきた。

 即ち従來医師の行ってきた患者の受付・診察・檢査・治療・調剤・事務・慈善等の機能,竝びに患者の家族の役目であった運搬・衣食住・看護等の機能が,病院に於えは夫々分化・専門化・共同化・中央化等をうけて,その診療・看護・調剤・医療社会事業・給食・被服・営繕・運搬・清掃・人事・労務・医事・補給・教育等の機能として用意されて來た。

トイスラー記念禮拜

著者: 橋本寛敏

ページ範囲:P.15 - P.17

本稿は昭和24年8月10日聖路加國際病院トイスラー記念禮拜における院長あいさつである。

一粒の麥(病院管理研修所便り)

著者: 島内武文

ページ範囲:P.17 - P.17

 病院管理研修所は既に本誌第1号に紹介された樣に,去る昭和24年6月1日に各方面の期待の下に発足し,早速第一回の研修科(長期研修)を6〜7月の2箇月に互つて行った。

 今回は準備等の都合もあって,受講生は次の國立大病院よりの人人13名であった。

結核療養所管理の問題(1)

著者: 春木秀次郎

ページ範囲:P.18 - P.24

第一章 療養所の位置及敷地
Ⅰ,気候的要素

 療養所運動Sanatorium Movementの搖籃期には,高原,山地,海岸等の気候が,特殊な治療的作用を有するものであると云う意見が一般に行われて居た。

 米國のサナトリアム療法の偉大な開拓者であるツルードー氏の療養所が気候の極めて寒冷なサラナック・レークに在り同療養所に於ける勝れた指導による治療效果を療養中に印象的であつた「寒さ」と結びつけて「寒さ」が治療の重要な因子であるかの如く考える者も生じた。

病院の顔,受付,中央化

著者: 守屋博

ページ範囲:P.26 - P.30

 古來,名医は其の玄關に氣を配つて,威容に腐心したものでありますが,本当は威あつて猛からずと云ふのがよいので患者にとつて何となく親しみ易いと云ふのが好ましいのであります。

 又患者の便利と云ふ事も重大な問題でありまして,一寸部屋の配置によって,大變便利になる事も不便になる事もあります。間取りについては,院長が一番よく知つている事でありますから,建築屋にまかさないで自分で充分檢討して見る必要があります。

醫療社會化の中心問題—生活保障としての醫療(その3)

著者: 千種峯藏

ページ範囲:P.31 - P.35

 「医師は診療室を訪れる患者,往診を求める患者を診療しておればそれでいゝのではないか。」若しもこういう考が許されるならば,医療はまことに安泰な業務だと言えるであろう。しかし,この考の根底を洗つて見ると,医療に対する医師の自己本位性と,目前の患者だけを見て社会に於ける患者を見ないという医療の社会性無視とを見逃すわけにはゆかないであろう。

 目前の一本の樹木が連山をも蔽いかくすように,身近な対象の爲めに,より大きな対象や,より多くの対象を見失うことは,世の中に数多く例のあることである。診療室を訪れる患者の少くないのを見て,患者は皆それぞれに然るベく医療を受けているであろうと解釈して,自分の行つている医療そのものの社会的意義について,別に深く意を用いないという医師が今尚おあるのではあるまいか。

病院食改善への苦心

著者: 長井盛至

ページ範囲:P.36 - P.40

 「病院のめしは食べられないもの」ということが,世間一般の通り言葉になっているように,食養生の上から患者並に家族には並並ならぬ迷惑をかけていることは,誠に遺憾に堪えない。病院側もこれを決していいこととは思つていないが,どうにも仕方がない位にしか考えていないのは,治療上重大な責任問題と言はねばならない。

 このことは最近の物價高や品不足に基固して起つたことでないことからみても,病院当局は,これに対しては既に慢性になりきつて,特別の考慮が拂はれていないのではなかろうか,或は病院の最高責任者である院長は,医師として,治療上の一切は可及的科学的に,而しその最高水準を目ざして懸命の努力を拂いつつあるも,ひとり食事に關しては,兎角通俗めいているために,科学者の惑心外にあるが如くに,誤解せるためではなかろうか。孰れにしても病院食があれ程悪評を受け,日日疾病治療上大いなる手ぬかりをなしつつあることに気がつかず,その改善に特別の努力を示さないことは,特に反省を要する点である.

夢物語・センター・ホスピタル参觀記

著者: 久松榮一郎

ページ範囲:P.41 - P.44

遊覧バス

 アスファルトのたんたんとした道を,空色鮮かな遊覽バスは快く走る。楓の街路樹は緑がはえる。四階,五階と揃つた町並は,様々な壁の色の工夫で互にその美しさを競っている。バスガールは名調子で語る。

 「これから御案内致しますのは中央病院でござゐます。中央病院は縣会議事堂,教育会館,物産館,綜合運動場と竝んで,わたしたちの最誇りといたすものであります。中央病院は当N地方五縣のセンター・ホスピタルでござゐます。当地方300万住民中の不幸な病める人達のメッカであります。又いつ病むとも限らないわたし達の,病へのとりで,ともいってよいでありませう。今から5年前にABCD5縣の連合保健医療協議会が開催されましたとき,当N市に中央病院の設置が決議せられました,その後5縣の医療委員会の活動と国家の援助によりまして,2年前に完成されましたものであります。敷地面積一万余坪,鉄筋コンクリート五階建,総坪数約一万坪,病床5百をようしてゐます。御承知のように,有名な腦神経科のB博士のように,各科にはそれぞれその道の專門家がゐられて,不幸な病人を救っていることは,申すまでもありません」

醫療法施行に關する病院分類要領

著者: 厚生省医務局

ページ範囲:P.45 - P.48

醫療法施行に關する病院分類要領

(昭和24年8月11日厚生省発表)

(一)趣旨

 医療法の実施に伴い病院の内容を充実せしめ医療の適正化をはかるため,一定の基準により病院を分類し順次上級の分類に逹せしめるよう指導する。

病院統計解説(1)

著者: 瀬木三雄

ページ範囲:P.49 - P.49

 1,病院管理者は毎月1日から末日迄の病院の主要な事実をとりまとめて所定の様式により翌月5日までに所轄の保健所長に報告し,保健所長はそれをとりまとめて翌月10日までに知事に報告し,知事はこれを翌月20日迄に厚生大臣に報告することになっている。実際にはこの報告は厚生省統計調査部に集りここで集計し毎月の病院統計が作成されている。ここで作成される統計は府縣別になっているが,全國的数字のうち主要なものをここに摘記し読者の参考に供する次第である。

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HOSPITALということば

著者:

ページ範囲:P.2 - P.2

 HOSPITALということばは,日本では單に病院と訳して日本の病院と同一観念で扱つている。然し一度辞書を引いて見るとHOSPITALということばは單に日本の病院という観念のみではないことを知るものである。手近にコンサイスを引いて見る。hos'pi−tal('hospitl),n.病院;救育所,救貧院,となつている。ついでに,南江堂の袖珍独和辞典をのぞくと, hospital,〔中〕養育院,(慈善)病院と,なつている。即ち英独共に日本の病院という訳のみでは不完全であるということである。ということは,元來HOSPITALというものが日本の樣に唯治療をするところではないからであろう。Chambersの辞書では次の樣に解釋している。Hospital, a building for the reception and treatment of the old the sick and hurt,&c., or for the support and education of the young.

病院人事消息

ページ範囲:P.6 - P.6

◇金森虎男氏

 東京大学医学部歯科学教授の氏は庄司院長勇退の薦めその後任に互選され二十代目の東大医院長となる。福井縣人,大正五年東大卒,昭和九年四月東京医歯専門校から東大教授に轄任,本年六十歳。

私達の病院

著者:

ページ範囲:P.12 - P.12

 東京に住んでいて,都立病院の前を通っても一寸私達の病院という感じはおこらない。かつて地方の町に住んでいたときも,市立病院があったが,やはり私達の病院という感じはおこらなかつた,まして私立病院ともなれば,丁度そこらにある店と同様にしか感じを受けない。ところが医院になると,かゝりつけの先生の家は,親類のやうなつながりを覺えるものである。

醫學の進歩に件う治療形態の變化

著者:

ページ範囲:P.25 - P.25

 醫學は日に月に進歩する。特に最近世界大戰前後に於ける治療医学の躍進は全く眼をみはらしむるに足るもので,新しく発見せられた療法は旧來の治療の形式を著しく變改し,そのために病院に於ける治療形態にも大きな變化があり,外來患者の選択にも,おのずから以前とは違った角度から心を用いなければならず,病院管理上新たなる關心を呼び起すに至つた問題が少なくない。

 以下思いつくまゝにかゝる題材をひろつてみよう。

看護婦さんの見た病院管理の改善すべき事項

ページ範囲:P.42 - P.43

○付添人を廃止し看護婦を三交替制として早く看護婦に看護をやらせる樣に方針を立てゝ欲しい

○看護婦の向上再教育はありがたいが病院の経費の少い爲まだまだ実行出來ない点がある。豫算をもう少しどうにかすることは出來ないかと思う。

編集後記

著者: 吉田幸雄

ページ範囲:P.50 - P.50

 二号の編集がやつと終つて,本印刷に廻されておつた去る7月27日,久松先生と小生とで, GHQのJohnson大佐を訪れた。創刊号が出來次第早々お見せして喜んで頂きたいと思つておつたが,いざとなると仲々氣が引けて一日一日と延びてしまつたが遂に決心して参上したものである。おそるおそる苦心の創刑号を大佐の机上に呈出すると先ず大佐は注意深く興味を持って眺められたが,最初「大變きれいな雜誌である。」と申され,次いで内容の題目の説明を求められた。心配しいしいページをめくりながら表題と筆者の名前を申上げて行くと,一つ一つうなづかれておられたが,最後に「大變よい構想である。」とほめられた。「早速Americaの關係方面に紹介したい。大いに今後努力するように。」といわれた。大佐のもとを辞して司令部から出ると,ホットした。早速前の丸ビルの地下室の食堂え飛込んで,久松先生と二人で大祝宴?を開いて前途を祝し合った。この雑誌も愈々國際場裡に出ることになった。独りよがりではならない。本当のものと取組まねばならぬと思うと緊張させられる。然し良いものを作るには矢張りこの眞剣さが必要であろう。読者の皆様と一緒に勉強させて項く。

 偖愈々三号を世の中え途り出すことが出來た。赤坊も三つにでもなれば,一人歩きをする。「病院」もそろそろ雑誌らしい体裁が整つて來なければならない筈である。然し内容は先生方の御熱筆で光彩陸離たるものであるが,編集の未熟が目立つ。御許しを乞う。

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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