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病院長プロフイル・8
国手院長西野忠次郞氏(国立東京第二病院長)
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ページ範囲:P.42 - P.42
文献購入ページに移動 昔から医師の大家に対して,国手という称語がよく使われる。しかし真の意味での国手と称するに相応わしい条件の揃つた人は,少ないのではないだろうか。その意味で国立東京第二病院長の西野忠次郎氏は,何人もが納得する,現代に於ける数指を以て数えられる,国手の1人,むしろその最高の候補者たり得る人とも言えよう。
明治36年東大医科出身後50年間にわたる脳脊髄疾患をはじめとする内科学者内科臨牀医としての研究と学識経験は,現に日本内科学会の最長老者の1人であり,又北里,北島兩博士と共に,慶大医学部を創設して,終戦に到るまでの30余年間医育機関の最高責任の地位を履んできた医育界の先輩であつて,現に同大学の名譽教授であり,又30年来内閣恩給局顧門医として,傷病と保障との関連を医学的立場より打ち立てて来た先達である。更に病院長としては,40年間にわたつて,県立,大学病院,国立,とそれぞれの形態の病院長として経営に任じて来て,おそらくその長期の多角的経験というものは,他に類が少ないものと思われる。
明治36年東大医科出身後50年間にわたる脳脊髄疾患をはじめとする内科学者内科臨牀医としての研究と学識経験は,現に日本内科学会の最長老者の1人であり,又北里,北島兩博士と共に,慶大医学部を創設して,終戦に到るまでの30余年間医育機関の最高責任の地位を履んできた医育界の先輩であつて,現に同大学の名譽教授であり,又30年来内閣恩給局顧門医として,傷病と保障との関連を医学的立場より打ち立てて来た先達である。更に病院長としては,40年間にわたつて,県立,大学病院,国立,とそれぞれの形態の病院長として経営に任じて来て,おそらくその長期の多角的経験というものは,他に類が少ないものと思われる。
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