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雑誌目次

雑誌文献

病院10巻2号

1954年02月発行

雑誌目次

座談会

大学病院の在り方

著者: 小西宏 ,   三沢敬義 ,   橋本寛敏 ,   中山栄之助 ,   七条小次郞 ,   小林秀彌 ,   尾村偉久

ページ範囲:P.2 - P.19

 小西 今日は,「大学病院の在り方」というようなテーマでいろいろお話を伺いたいと思います。戦後,病院管理という立場からいろいろな病院の在り方,それに経営の仕方というものを検討していますと,どうも結局のところは医者を初め凡ゆる医療従業員の教育機関である医学校の附屬病院の問題に帰着するように思うのです。そういう教育病院即ち,いわゆる大学病院の在り方について前々から一度話し合い,検討したいと思つていたのですが,なかなか機会を得なかつたのです。数年前から文部省においては大学病院の在り方に関心をもたれて,大学病院改善委員会というのをお作りになつて,其当時大学病院の院長をされていた先生方を委員として非常に熱心に検討を続けて今日までこられました,その結果,一つはこの大学病院それ自体の在り方について非常な関心をもたれ今後大学病院を増改築される場合,或は何等かの災害のために,再建築するという場合に非常に参考となるデータが得られ,或は在り方それ自体の本質的な理解が深まつてきたということでした。また一面において,大学病院でそういう囲気が出てきたということが一般病院に刺戟となり,病院管理の面に非常な関心を喚起してきたという点で大な影響があつたと思うのです。

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病院の予算管理—予算の自動的作製法

著者: 守屋博

ページ範囲:P.21 - P.24

 病院管理学自身が終戦後生れた若い学問であるのに,その内の経営,殊に経理に関してはもつともおくれている部門である。その原因は種々あるであろうが病院の性格,規模の多様性,によるものの外にやはり,戦前は医療費に余裕があつたと考えられるのである。
 9時の汽車に乗るのに6時頃から駅に行つておれば,10分,20分をあらそう必要はない。しかし時間の余裕のない人が9時ぎりぎりに行こうとするのには,途中の電車の時間や,待合の時間を正確に計らねばならない。少しでも間違つて9時を遅れては何んにもならぬからである。

病院の火災

著者: 神崎三益

ページ範囲:P.25 - P.29

1.はしがき
 年々多額の資材を烏有に帰し,さなくも貧弱な国力を益々低下させている火災に対しては全国民ひとしく重大な関心を持つている。
 中でも,病院が其使命の上から,特に防火に意を注いでいるのは当然だ。

結核安靜時間に関する一つの提唱

著者: 深津要

ページ範囲:P.31 - P.34

 結核の療養日課の中には安静時間が必らず定められていることは衆知されている。そしてその時には臥床して絶対安静をするように厳格に要求される,これは結核療養の三大原則の一つである安静ということが依然重視されているからである。
 又初めて結核療養所を訪れて安静時間中の病室をみる者は,その不気味な程の静寂さのためにまるで森の奥深くふみ入つたように感ずる。そして又一面ではかくも真摯な努力を患者が払わなくてはならないとは,全く何というつらい事であろうとも思うことが多い,しかし療養所に勤務している者は,いつしかそうした感じではなくして,安静時間は当然行うべき単なる一つの日課である,とぐらいにしか感じなくなりがちである。

組織的サービス機関としての社会事業部

著者: 菊地武明 ,   松尾友重

ページ範囲:P.39 - P.44

 今日病院が社会的に正しい意義と役割を果すためには少くともその経営の上で医療社会事業部の設置が考慮せられねばならない時期に来ている。それも時代的な背景と社会的な要請と更には医療社会事業の認識の徹底とによつて初めて可能になる事であると思う。医療社会事業とは如何なるものであるかを知るためには理論や本質的なものの理解がともなわなければならぬことは云うまでもない。然し何よりも実際に行われている仕事を具体的に知ることがより必要であり,容易な道でもあろうと思う。従つてこの企画が一地域に止まるならばその企図された所期の目的を達することは出来ないのである。関西はまず日赤大阪病院より始めることにした。この稿を担当された菊地氏は,日赤社会事業部主任である。

Dr. Hara's Recordtape

著者: 原素行

ページ範囲:P.45 - P.47

(3)時を稼ぐ必要
 昭和22年春と云えば今から6年半も昔のこと,医長会議に出した議題は結核性疾患の患者を一つの病棟に集めて見たいと云うことであつた。外科も,泌尿器科も,整形外科もというわけで,勿論内科の場合も例外でなしに。この時は看護婦の実力が低くて,全科の患者を扱えまいから仕事にならない反対だということで私の敗北になつた。しかし反対理由のうちに表面に出なかつたが患者を方々の病棟に分散入院となつてに手数で困るということは隠せない意見でもあつたらしい。之れが表面に出なかつた事は自他共に天の助けであつたと云える。その後結核の病床が増加した時,"この病院は綜合病院であるのに何故肺結核だけの病床を増すか"という事になつた。そして外科の結核病床もほしいと云う機運になつて来た。その間僅かに1〜2年,時代のせいか,私は却つて非常に悦しい事だと思つた。私の計画は,後日に賛成され,しかし何故早く実施しないのかと,私の方が却つてせき立てられる破目になつた。うれしい悲鳴である。外科患者で肺結核兼症は結核外科病棟へ,整形外科で肺結核兼症の小児患者は小児結核病棟の一室へというように肺結核兼症の入院をも拒絶しないようになつて来た。産婦人科の場合も亦同様である。このようにして私は気の長い男になりつつある。

研修所だより

著者: 岩佐

ページ範囲:P.48 - P.48

 昭和28年最後の講習会は12月10日から各地の医療監視員を集めて開催されました。出席者は29名で内19名は都道府県庁の吏員で残り10名は保健所の係官でした。
 医療監視員の制度は戦後国民医療法が改正されて医療法が出来た時に病院診療所の構造設備の改善サービス内容の向上等を目的として作られたものでありますから,医療法施行規則第41条にも定めてある通り,医療監視員たるものは病院診療所の管理について相当の知識を有するものでなければなりません。それで昭和25年7月より当研修所において,毎年2回づつ医療監視員を対象とする研修会を開催しているわけです。

病院管理文献(3)—病院管理研修所編

著者: 岩佐

ページ範囲:P.49 - P.50

病院管理教科書
①Hospital Organization and management by Malcolm T. MacEachern
Physicians' Record Co. Chicago First Edition 1935, Second Edition 1947
 Associate Director, American College of Surgeons and Director of Hospital Activities Associate Professor, Northwestern University Medical School and Professor of Hospital Administration and Director of Program in Hospital Administration, Northwestern Uni-versity.

病院関係人事消息

ページ範囲:P.51 - P.51

◇粟山 重信氏(国立東京第一病院副院長)遠城寺宗徳氏(九大病院長)と共に医師試験審議会委員に併任,実地修練部兼国家試験部委員に指名さる。
◇柳壮一氏 (国立相模原病院長)医師試験審議会委員に併任,実地修練部会長に選任さる。

日本病院協会だより

ページ範囲:P.54 - P.55

入院料是正について
 標記については,さきに報告したが,実施期日及び内容等が次の通り明確になつたので報告する。尚,厚生大臣の決裁も過日完了したとのこと不日告示されることであろう。

あとがき

著者: 小西

ページ範囲:P.56 - P.56

 昭和29年の夜明けと共に,新年度予算を廻る各省と大蔵省との間の接渉が俄然活気を呈し始めた。1兆円以内とい5緊縮財政の線が再確認されて以来,バターか大砲かの論争は頓に表面化し社会保障の問題が日々の新聞の紙面を賑わす。理屈の上では兎もあれ現実に生活保護法の適用が引きしめられるとなると,その皺が病院に寄せられるであろうことは目に見えているので,病院も安閑としてはいられないことになる。併し幸い世論がものを云つて大蔵省案が直つたことは,先ずもつて御同慶の至りであつた。併しこれで安心するのはまだ早い。かかる風潮はこれ位のことでおさまるものとは考えられないし,再軍備せずと折ある毎に言明している現政府の下に於てすらこの態たらくであるから,愈々本格的に再軍備の線が打出された暁のことは想像に難くない。
 今日我が国の医療の実態は,医療の理想形態には程遠く,而も昔と異りゆとりのない今日の医業経済の実態からして,稍もすると病院に赤字は当然だ,という諦めに以た考え方が出ない訳ではない。併し,医業も矢張り事業であるからには赤字を原則とした経営は健全とは云えない。それなら,分に応じた医療内容を伴う経営形態をとるも止むを得ないということになる訳であるが,併し,上述の諦めに便乗した経営上の非能率,不合理を訂す努力も惜しんではならぬと思われるのである。

病院長プロフイル・9

武蔵野の雄神崎三益氏(武蔵野日赤病院長)

著者: 武藤多作

ページ範囲:P.30 - P.30

 戦後赤十字病院が真裸体にされて,世間の荒波の中に放り出された時兎に角赤十字としての持ち味を真向うに振りかざして,淘々たる組合の赤化運動に立ち向い,赤十字病院としての行方を迷わせなかつたのは,彼神崎三益の大きな功績だつた。だから昭和24年,丹精こめて仕立て上げた秋田日赤を後進に譲つて,武蔵野のド真中に進出して来た彼には,一つの立派なイデオロギーがあつたに違いない。世間に対して云わんとする処少くとも赤十字病院は斯くあるべきだと云うことを,そのままに白紙の上に達筆に書いたのが,彼の武蔵野赤十字病院である。
 元来赤十字と云う処は,全く金のない処で白い羽根募金の如きも,殆んど一文も病院経営には流れて来ないのが事実である。

現地報告

国立所澤病院

著者: 荒垣恒夫

ページ範囲:P.35 - P.37

はしがき
 私は国立医療機関の末席を汚す所沢病院の院長として,微力ではあるが,家族僅か96名,建坪たつた1234坪の小きい病院をお預りしているが抑も所沢は埼玉県の南方に位し,東京都と境を接する人口4万5千の小都市で,今を時めく衆議院議長堤康次郎氏の主宰する西武鉄道新宿線と池袋線の交叉点に当り,所沢駅を起点としてバスの運行織るが如く,又元所沢陸軍飛行場跡に米軍の第43部隊が駐留する関係上,可なり殷賑を極めている。しかし病院の位置が浦和街道に沿う静かな畑の中にあるため,その立地条件は御他聞に洩れず頗る惡い。それにも拘らず当院の発展に努力を続けて来た最大の理由は,当地区に綜合病院らしい施設が一つもないことと収容力を増強確保することの二点にあつた。然らば之にどう対処して来たか,即ち次の通りである

讀者の聲

病院経営合理化における反省とこれからの課題

著者: 橋本正二

ページ範囲:P.38 - P.38

 戦後,病院経営管理の合理化はさかんに分析,検討されてきた,雑誌「病院」をはじめ病院管理研修所が中心となつて,この方面の指導者の間で種々,検討され,厚生省でもかなり実践的に病院改善の方針をたて,統計的考察をも試みており,すでに数年を経過したのであるが果してどの様に経営の合理化は前進したであろうか。
 病院経営管理合理化のそれは,わが国の生産的企業形態が行つてきた産業合理化運動と実質的に一致する風潮であつて,医療行為の経営形態である病院管理においても幾多の同一課題を含んでいるものである。唯,わが国の医療制度発達の過程に蓄積された後進的な多くの欠陥や,払拭し難い封建性と,複雑煩鎖な特殊性を内包する病院の経営を合理化し,科学化することは極めて困難なことであることはいうまでもない。長期間のたゆまざる努力と最大の勇気をもつてこれに当らねばなされることがらではない。それどころか,ともすれば当の問題の所在点をすら見失うおそれがあるのである。ところが近頃経営合理化といろ耳なれたこの言葉に何かひとつの行詰りを感じ,あせればあせるほど,この状態のまま固定してしまいそうな危険を感じるのは,ひとり筆者のみであろうか。

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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