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雑誌目次

雑誌文献

病院10巻4号

1954年04月発行

雑誌目次

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病院はインターンを如何に取扱うべきか

著者: 柳壯一

ページ範囲:P.2 - P.3

 インターンの制度が行われるようになつてからすでにかなりの時日が経過している。それにも拘らずまだこのような事が論議されねばならないのは,インターンの制度に対する受入側の病院とインターン生との兩方がお互に本制度の意義と目的とを理解していない事にもよるが,また制度は立派でも,それを完全に目的通り遂行するいろいろの設備施設が,いつまでたつても完成しない状態にあるからである。
 近頃本制度に対しての批難はますます激しくなつて来て,学生側はその廃止を叫ぶし,医師側の一部にもこれに同調するものもあるが,静かにこれを観察すると,その目的が完遂せられるならば,この制度は存続すべきものである,という意見が一番多いようである。即ち改善説である。

医療機關特に病院の現状—最近の統計資料より

著者: 小澤龍

ページ範囲:P.5 - P.9

 全国の病院に関する簡単な資料は病院月報によつて毎月得られる。また毎年1回,一定の日を期して行う医療施設センサスによつて全国の病院,診療所の数,規模,従業員等の状況がかなり詳細に把握される。医師,歯科医師については医師歯科医師法による12月末日現在の申告により,その他の医療従業員の数は厚生省報告例によつて知ることが出来る。これらの資料のうちから病院経営に参考になりそうなものを選んで此処に紹介することとした。

完全給食—眼でみる病院の設備とはたらき(2)

著者: 橋本寬敏 ,   瀧野賢一

ページ範囲:P.11 - P.21

 食慾のない病人に栄養に富む食物を充分に与えることは並大抵のことではない。それで病院の給食は,ホテルのそれに比較して一層,工夫も手数もかかる。殊に特別の疾患に対する食餌療法としての特別食の調理は,医学に基いた科学的操作でなければならない。
 食事のすすまない患者に,うまく喰べさせるには食物が温いことが必須条件であつて,この為には特別の注意が必要である。

病院史概説(2)

著者: 岩佐潔

ページ範囲:P.23 - P.25

1.ギリシア以前並びにローマへの移行
(1)エジプトの医学と病院
 医療の起源については遠く太古に溯つて肉親に対する愛情や,病者,不具者に対する同情から次第に経験が積まれて知識が整理されてくることが想像きれるが,フランスのアリエーヂ(Ariege)でブグーエン(Begou'en)の息子3人によつて発見されたと言うクロ・マニヨン人(Cro-magnon)の洞窟絵には,神と人とのなかだちとして疾病の治療を行つたと言われるメジシン・マン(medi-cine man)と思われる人物が発見された。これは2万年以上も前のものと推定されているが,その後長い間神に近い立場にある僧侶や国王が医療に対するある程度の力を持つていると考えられていたことは,いずれの国においても見られる所である。
 エヂプトもその例外ではなかつた。ナイル河畔に人類最古の文明の一つが栄えたのは遠い昔であつて,前3000年頃にはメンフイス(memphis)を首都とする統一国家が出来たと規定され以後2500年間に30の王朝が交替した。これらはアジア的専制君主制の国家で君主を中心とする,官僚,神官軍人等の少数貴族と多数の貧民から出来ていた。中央政府の権力が衰えると地方の官僚は土着して王候となり,一種の封建制度が起つたが治水灌漑の必要上長く分裂状態にあることが出来ず,再び新王朝が樹立されると言う現象が繰返された。普通大きく古王国,中王国,新王国の三期にわけている。

病院PRについて(II)—第2部病院の内部PR

著者: 今村榮一

ページ範囲:P.27 - P.28

 病院のPR必要性については先に述べたところであるが,PRは内部に対するものと外部に対するものとの二つに分けて考えられる。一般には外部PRが重親され,又問題も多いのであるが,病院内部がうまくいかないでは外部との良好関係を得ることは望めない。「PRは外部から」と言われている如くまず職員を対象とすることが大切である。どうしたら職員が自ら進んで仕事をしてくれるかということである。病院の経営を安定させ又発展させるには職員全体の協力によることが極めて必要である。それには病院の仕事に意義を感じさせ,どうしたら良い病院になるか,どうしたらお互いに気持よく仕事ができるかということを知らせ,又感得させることが大切である。
 又病院の職員の言動は患者の大きい影響を与えるものである。治療効果にも影響することもあるう。掃除夫までが親切にしてくれると患者が心から病院を信頼するようにもなろう。その他病院職員は社会的には労働者としての立場をとるものであり,その人たちに病院を理解してもらうことは管理上有利なことであるのは言うまでもない。

病院事務管理(6)—事務能率とモジのはなし

著者: 三澤仁

ページ範囲:P.29 - P.31

 先月「嫡出子につき父母,嫡出でない子につき母が‥‥」という迷文をごひろうしたから,今月は事務上のコトバとモジの問題,それと関連させた事務能率の問題について,お話し申したいとおもいます。

農村のモデル病院—江別町立病院をみて

著者: 小西宏

ページ範囲:P.33 - P.35

 札幌から函館本線を北へ約30分,車窓の右手に欝蒼たる大森林が見えて来る。野幌(ノツポロ)原始林で天然記念物に指定されている。この原始林を含み,西流する石狩川に夕張・豊平等の支流が注ぐ沿岸一帯が江別町である。石狩平野中南部の交通の要衝を占め,東西4里14町,南北4里22町という大きな町で北海道なればこそと思わされる。人口は3万余。
 そもそも,江別町は明治初年屯田兵の入植に始まり,今日では製紙工場,火力発電所,窯業所(焼瓦製造)等の工場があり,石狩平野における商工業の中心でもある。将来は,大札幌市の衛星都市となるべき運命にあるのであろう。

「都道府県立病院のあり方について」懇談会

著者: 曾田長宗 ,   小沢龍 ,   橋本寿三男 ,   福島 ,   小西宏 ,   原素行 ,   小穴 ,   高橋 ,   敷波 ,   小川 ,   荒木 ,   多賀 ,   岡田 ,   尾口平吉

ページ範囲:P.36 - P.40

1.都道府県立病院の財政組織はいかにあるべきか
G 都道府県立病院はここ2,3年急速に整備されて200病院以上に達したが,その運営なり管理なりについては各都道府県まちまちでありますので,何か一つの基準なり基本方針なりによつて運営,管理がなされる必要があるのではないかということを感じされせられるので今日はこのことについて固苦しい立場でなく,私的の立場で結構ですが皆様から十分御意見を御洩し願つて,今後の参考にさせて戴きたい。

ノーベル平和賞に輝くシユワイツアとランバレーネ病院

著者: 高橋功

ページ範囲:P.41 - P.44

 アルベルト・シユワイツアは1875年に牧師の子として旧ドイツ領(現在はフランス領)のカイゼルスベルグに生れた。神の福音と伝える牧師の家に育つたシユワイツアは,無言のうちに自然に慈悲博愛の精神を自分の心に培つていた。そしてシユトラスブルグ大学で神学を修め,1897年に神学部を卒業し,聖ニコライ教会の牧師補となり,又シユトラブルグ大学の神学部講師に任ぜられた。大学在学中に哲学に興味をおぼえて,カントを研究し,1899年にはまづ哲学博士の学位を獲,翌1900年には神学博士の称号を得た。又,シユワイツアに幼少のころから教会でパイプオルガンを聞き,いつのまにか自分でもペダルをふんで,キーを叩くようになつた。ミユールハラゼンの高等学校に通学中にオイゲン・ミユンヒに就いて正式に音楽の勉強をはじめ,シユトラスブルグ大学卒業後はパリでシヤール・ヴイドールに師事し,主としてバツハの音楽を研究しました。そして30才の時シユワイツアは500頁にわたる大著「バツハ」を出版して注目されるようになつたし,又パリのバツハ協会の専属オルガニストとしてステージに立つて活躍した。
 音楽ではその頃まだ博士の学位を獲なかつたが,バツハ研究家として又オルガン演奏家として立派に一家を成していたのである。即ちシユワイツアは30才までに,学問と芸術をちやんと身につけていたのである。これは普通の人間が3人かかつても望めないほどの学識である。

Dr. Hara's Recordtape

著者: 原素行

ページ範囲:P.45 - P.46

(8)母親の育児教育
 褥婦が退院のときは,予め育児の方法を病院から教えられる筈である。母親学級という華々しい方法で同時に数人が教授をうけることもあろう。だが,私共は寧ろ個人教授の方がよいと考えている。即ち仁を見て法を説くやり方である。それは病院にもよりけりであろうが,私共の病院では褥婦の教養程度の相違が甚しい為めに起つた必要性からである。入院中に母親に新生児の取扱い方を実際に継続して練習させることは効果的であると思う。授乳をさせたり,体重を測定させたり,沐浴を行わせたり,等々之等の正確なる技術を身につけて帰宅させてみたいと考えたこともあつた。然し,此の考えは実行に到らずに壁にぶつかつてしまつた。この毎日毎日の練習は看護婦の人手不足にプラスになるようで,実は非常にマイナスになると云う。それはよき指導者の人数を揃えねばならないからである。但し小規模の産科病室ならば,やつてやれないことはあるまい。但し母親任かせにすることはいけない。兎も角,実力ある看護婦が必要だ。
 このような事情の下では,退院した母親の育児を実際に指導することが出来たら,非常によかろうと思われるが,訪問看謹婦を置けない病院では到底不可能なことであろ。この悩みの最中に,東京都渋谷保健所から提案があつて「うちの保健婦に家庭訪問をさせてやろう」ということになつた。この試みは丁度満2ヵ年2カ月になる。

研修所だより

著者: 岩佐

ページ範囲:P.51 - P.51

 2月25日長期の研修科が無事に終了して,本年度の講習会はあと建築技師関係のものを残すだけとなつた。その病院建築講習会の時間割は下記の通りである。
 3月25日病院管理総論(守屋)病院組織(守屋)
診療補助機関及び外来(小西)

病院管理文献(4)—病院管理研修所編

ページ範囲:P.52 - P.52

(B)医療制度
6)医政問題 臨床と研究 第3巻11号太田 清一
 これは九州地区で昭和28年9月20日に開催された日本医師会補助教育講習会において講演されたものである。筆者は旧本医師会常任理事で日本医師会としての社会医療に対する意見を表明している。

日本病院協会だより

著者: 上條秀介

ページ範囲:P.53 - P.54

理事会,会費制度確立,協会強化拡充委員会報告
 1月20日委員会を同22日理事会を各々開催し,委員会結論の報告及び次の事項等に関し協議決定した。但し社会保険対策は今後の課題として,各地方協会及び関係団体の充分審議された意見を綜合の上根本策を樹立して今後の運動方針を決定する事とした。

アメリカ便り

著しく発達している心臓外科

著者: 寺崎平

ページ範囲:P.4 - P.4

 フイラデルフイアのハンナマン病院,ベーリークリニツクに11月末から通つて居ります。
 最初の3週間程心臓のカラテリゼーシヨンをやり女のテクニツシヤンが3人居り,毎日2〜3人検査します。機具が完備しているので,日本でやつているのに比べて遙かに楽ですが,それでもどうしても成功せぬ場合もあります。この機械は一寸高くて3千弗です。先般ブラジルの原生省(?)の医者が来て買つて帰つたそうです。

病院長プロフイル・11

温情にして格勤の士内田三千太郞氏(東京都立豊島病院長)

ページ範囲:P.22 - P.22

 少し古い人なら誰でも知つていることであるが,相対性県理をアインシユタイン博士が発表した時の世間の驚きは,原爆の発見にも比すべき感動を全世界に与えたものである。博士は日本にも来られ,熱狂的な歓迎を受けられたが,共頃ア博士と瓜二つの青年医学徒が黙々として研究にいそしんでいた。外ならぬ内田三千太郎先生で直ちに和製アインシユタインの偉名が奉られたのである
 内田先生は体躯,容貌(特に頭髪)ばかりでなく真摯な研究態度が如何にもアインシユタイン博士を連想するに足るものであつた。新潟医大の前身たる医専の第一回卒業生で,直ちに細菌術生学教室に入つて宮路教授に師事され,続いて北里研究所,熊本のリデル女史の癩研究室,警視庁細菌検査所と転ずるうち鼡癩の動物移植の研究を完成され,其後慶応の内科で臨床を学ばれたのである。

讀者の聲

【その1】療養所の再編成を急げ—戦後の結核治療法の進展に即応して

著者: 富田重雄

ページ範囲:P.47 - P.48

 現在,結核の療養施設といえば,一つの組織の中に伝染病院的な性格とサナトリウム的な性格及びアフタケア的性格等さまざまの目的を内包しているものが多いが,私は一応これ等を分解して,地方別にそれぞれの目的をもつ療養施設に編成替する必要があると考える。
 即ち,① 結核病院,② サナトリウム,③ アフタケアの3つの目的毎に分類し,この3者が有機的に連携を保ち得るよう,それぞれ両編成し,今後の療養施設の新設も亦,全てこの見地から計劃され推進されねばならない。

【その2】三井厚生病院患者給食

著者: 斎藤嘉子

ページ範囲:P.48 - P.48

 「栄養士が十人」と言うと例外なく驚かれるでしよう。栄養士が庖丁を持つて調理に当るという驚きばかりでなく,調理に当る人全体が十人の栄養士と二,三の雑役婦だけであると言う事がより大きな驚きであるらしいのです。
 更に当病院患者給食のもう一つの特色は食養部の給食対象を患者のみに限つている事で,之は言う迄もなく患者の食費が職員添附え流用される事を避ける為であります。又患者の食餌は特別の技術と細心の注意を要するものでありますからここに所謂「集団給食」とは違つた特殊な組織と運営方法が必要になつた訳であります。

インターンの頁

改善方策の一部裏付けなる29年度の予算案きまる

ページ範囲:P.49 - P.50

 インターン制度についての論議のさかんな折柄,昭和29年度の予算編成期にあたつて,厚生当局が計画するインターン制度の改善に必要な予算要求額が,果して大蔵当局の認めるところとなるか否かについては極めて注目されるところであつた。本制度についての予算案は1月15日の大蔵省の最終決定案によつて一先づ終止符をうち,ここにおいて今後のインターン制度についての見透しがつくに至つた。
 本予算案決定に至るまでの折衝の経過は難行を極めたものであり,一時はまたく悲観的な観測がなされたものであつた。即ち,29年度予算はいわゆる「一兆円の緊縮予算」と銘打たれる通り,当初においては社会保障費の削減を飴めとして現状維推さえ困難なものが多く,厚生省予算が前年度に比し157億も削られるといつた状況であつたため.インターン制度改善のような新規要求事項は全然とりあげられず,まつたく危機到来の感があつた。厚生当局もこれに対し猛烈な復活要求を行い,ようやく最終査定において別記のような線にまでこぎつけたわけである。

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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