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雑誌目次

雑誌文献

病院10巻6号

1954年06月発行

雑誌目次

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医局解体

著者: 守屋博

ページ範囲:P.2 - P.4

 経済社会には法人と云うものがあつて,多数の人又は財産が個人と同じ様な経済活動をする事がある。医療に於てもそれに似た様な人格を認ねばならぬことがある。
 一人の医師が単身一人の患者に医療を行つていた様な原始医療に於ては,医師一患者関係は一番完全である。患者は常に,自分の信頼する医師を選ぶ事が出来る。所が医療が段々進歩してくると,色々と,複雑大型の機械を必要としてくる。又それらの機械を動かす為に多数の共同者を必要として来る。この様な大道具になつて来ると,一人の医師が診療出来る様な患者数で利用したのでは経済的につりあわぬから,多数の助手医を用意して,一人で診る何倍か何十倍かの患者をこなさねばならぬことになつて来る。この場合,これらの医師は,個人所有の設備を利用さしてもらうのだから所有者の意のままに動く医師である必要がある。つまり一人前の医師としての人格を認められぬ多数の医師がいると云うことになる。これ等の医師の診断治療についての責任は常に,一人の親方についているから,廻診と云う形で,監督命令されるのである。多数の未熟医師の共同作業を得られて,多数の患者の診療が行われるから,親方が一人で診療するのに比べて,医療原価の内医師労務費が廉くあがる。しかし,親方一人で,凡ての患者の主治医的責任が果せる時はよいが多数の医局員のいる時は,責任は分散されて,一週一度の親方の廻診では,主治医的能力は非常に稀薄になる。

病院PRについて(III)—(第3部)病院の外部PR

著者: 今村栄一

ページ範囲:P.5 - P.10

 前回は病院の職員に対する内部PRについて述べたが,今回は病院が外部社会に働きかける点について考えてみたい。病院とはどういうものか,どんなことをしているのか,病気になつたらどこの病院へ行つたらよいか等ということは一般公衆の知りたい事がらである。こうした一般公衆の要望から病院の外部PRが必要となつてくるのであるが,ここで問題になるのは,医療法における広告制限の条項である。これを無視して病院の外部PRを考えることはできない。それだけに外部PRについては割り切れない部分が残されるが,それは今後の研究に待つとして,まず広告とPRの関係から考を進めて行こうと思う。

病院の舞台裏裝置—熱・電気・水の供給・防火・清掃——眼でみる病院の設備とはたらき(4)——

著者: 橋本寬敏 ,   滝野賢一

ページ範囲:P.27 - P.45

熱,電気,水の供給
 病院の診療,看護,給食,その他の設備を働かせるエネルギーは,熱,電気によつて供給される。又人体と同様に病院の生理作用を維持するには豊富なる水の供給が必要である。如何に良い病院設備をもつていても,これらの供給が停止すれば病院の活動は直ちに停止する,それで熱,電気,水の供給をとどこうりなく十分にするのに必要な装置設備の管理には特別の注意を払わなければならない。

病院史概説(5)

著者: 岩佐潔

ページ範囲:P.47 - P.50

V.中世初期の病院
(1)ビザンチン帝国と病院
 前述の如く330年コンスタンチヌス帝が都をビザンチウムに遷しコンスタンチノープルと改称して以来その都は古きローマと相対して東方の中心地となつていたが,395年東西ローマが分裂し,476年には西ローマ帝国が滅亡するに及んで,ローマ帝国の伝統をつぐものはビザンチン帝国と言うことになつた。この国も分立以来久しく内憂外患に苦んでいたが前述大法典を編纂したユスチニアス帝が立つに及んでその黄金時代を現出した。これ以前にコンスタンチノーブル及びその附近に初期キリスト教病院が創設されていたことは既述の通りであるがこの皇帝が病院や孤兒院や養老院等色々な施設の名称を定めその区別を明にしたがコンスタンチノープルにある肢体不自由者のための病院を修復した。その他この都市にはいくつかの病院が出来ていた。それはFlorentcus ,Dexicrat-es, Eubulus, Etienneと言つた人々が創つたものであつた。
 キリスト教には元来僧俗の区別がなかつたが国家権力と結びついて勢力を拡げ教会組織が整備されるのにつれて専門の僧侶が発生しその内に司教,大司教,総大司教等の階級が現われた。

Dr. Hara's Recordtape

著者: 原素行

ページ範囲:P.53 - P.54

(17)病院のハウスキーパー病院   ハウスキーパーの本来の業務は,①病院の清潔保持と,②院内で使用中の総てのリネン類の管理,整理とを主眼とする。にも係らず,病院のハウスキーパーはリネン類を把握出来ずに困つた立場におかれているという悩みを聞かされたことがある。従来リネン類を婦長が握つていたり或は事務員が押えていた為めに,新しいポストについた人即ちハウスキーパーに之等を手渡すべきであるのにこれを肯んじないという話を聞いたことがある。此の頃のことは知らない。この意地悪は「権限を剥脱される」と考えて「分業の善さ」を知らないのが原因であつて,これは「理解のない人」という批判を受けることであろうが時には単なる感情が原因であつたりするらしい。兎も角,職務分掌を近代的観念で考えてほしいものだ。ハウスキーパーは時々職員録の飾り物的存在になつているらしいことを聞くのはこういうわけであろうか。
 ハウスキーパー不用の論があるという話も偶々耳に入ることがある。そして,これに事務員の一員らしい仕事をさせていると云う噂も聞かされる。だが,それはハウスキーパーとして折角雇つた人を使えない上司のことであつたとしても,何れ近い将来にはハウスキーパーが本来の職責のために大活動を要求される日が来ることであろう。云うまでもなく「社会保険の入院」には「完全寝具」のことが加わつて来たからである。完全寝具の実施のためには患者の1人1人のために沢山のネリン類の動きが必要である。

讀者の聲

著者: 鈴木芳彦

ページ範囲:P.57 - P.57

 炭砿病院はどこでもそうらしいが,病院というよりはむしろ外来診療所ともいうべきで,病院運営に当つてはとても病床を主としたやり方では間に合わないのである。何しろ毎日外来総数2000〜2500で主要坑口毎に小病院をたてるといつた今のやり方ではどうしても外来診療が主となり,本誌上で途べられているような理想的形態は何としてもとり得ない。午前中にどつとおしよせる外来患者,のべつに来る往診の依頼,いかように頭をはたらかせても病院に対する従業員の不平は絶えないのだ。この状態を改善する為1,2の方法を考えて実施してみたが割合成績がよいので御参考までに記してみることにする。
 1日に1病院で300〜400剤がしかも殆ど午前中に出るので狭い薬局の窓口はひしめき合う騒ぎ。病院管理講習会で薬局はホテルの如くカウンター式に開放すべきだと教えられたが,風通しのよい木造の建物では冬は従業員がふるえあがるばかりだから,薬局の窓ガラスを全部すりガラスから透明ガラスに変えてみた。待合室で待つている患者達も調剤の模様がよく見えるので待たされて気をもむ必要もなく,名前も呼ばれてもすぐ判るのでそれまでの混雑は嘘のように落付いた。東一での講習会の時の病院見学でも薬局内が待合室から一目で見えるような病院はあまりなかつたようだから之はささやかながら私の自慢の1つにしている。

研修所だより

著者: 岩佐

ページ範囲:P.59 - P.59

 病院建築講習会が3月23日から26日まで4日間開催されたことについては前回報告しましたが,受講者は80名を越え甚だ盛会でありました。建設省関係の方が本省を含めて25名その他地方の衛生部,土木部の技師のほか国有鉄道農協等各方面の関係者が集まりました。
 前半は一般病院管理学の総論を概説したわけですが後半は建築専門の講議でした。

文献紹介

ページ範囲:P.61 - P.61

(B)医療制度
10)中共医学の近況診断と治療42巻4号山口清治筆者元新京医科大学長,中共では科学は政治に服従するという立場で医道,人生観といつた根本が中共的信念に立ちその上に医学も成立している。それでその真剣さと頑張りが第一の長所となつている。衛生行政方面も次第に整いつつあつて大病院を始めとする公立診療所が各地に出来開業医は自然消滅に瀕している。予防方面でも努力しており,未完成であるが,今後発展の可能性が大きい。

日本病院協会だより

ページ範囲:P.62 - P.63

常務理事会報告
 2月20日日本,東京合同常務理事会を開催して諸報告の後,下記諸議案につき審議決定したので報告する。

病院関係人事消息

ページ範囲:P.63 - P.63

◇北村 義男氏(徳島大学教授)徳島大学医学部附属病院長飯田無二教授(産婦人科)が任期満了,勇退したので小児科教授北村義男氏が後任院長に就任。氏は昭和5年東大卒,栗山教授の下に研究後,徳島大教授となつた人である。
◇三矢 辰雄氏(名大教授)名大医学部附属病院長宇佐美鍵一氏は3月末日で任期満了のため後任院長を詮衡中のところ,今回皮泌科教授の氏が後任院長に決定。三矢氏は大正4年の名大出身で,分院長であつた。

病院学会東京地方会

外国の看護事情

著者: 大塚寛子 ,   小柳コト ,   佐々木ノブ ,   岩瀨恭子 ,   岩橋澄江

ページ範囲:P.11 - P.25

アメリカの看護学校
私が受けましたアメリカの看護教育について申上げます。
私は昭和25年にシカゴの看護婦学校に人学し,昨年卒業いたしました。米国の看護婦学校は,3年間の看護教育を受ける学校と,5年制で大学に附属し卒業後は学位をとれるコースとあります。その他に4年のコースもあるようです。私はその3年の看護教育を受けてまいつたわけです,いずれも卒業後はこちらの国家試験と同じように,それぞれの州で試験をうけ,それに合格したのちに登録してR.Nとなります。これはいずれの学校を出ましても同じ試験を受けます。私の学校は3年のコースですけれども,入学資格は高等学校卒業者を採ります。併し,大体どこでも看護学校に入る前に2年位はカレツヂにいつて基礎の勉強をするようにすすめられています。私のクラスでも半数以上はどこかの学校で入学前にいろいろ基礎教育を受けてきた人達でした。年令は18才から35才迄ですが,勿論学校によつていろいろ規則が違います。結婚した人が入学する学校もありますし,また3年の間に結婚して学校を続ける人もあります。私の学校は養成中は結婚してはいけないことになつていましたが,他の学校では大体3年の終り頃には結婚してもいいというような事情です。

病院長プロフイル・12

鉄の意志の人篠田甚吉氏(篠田病院長)

ページ範囲:P.46 - P.46

 個人病院といえば,一般に小児病院であり,主として院長の技術を中心に経営されているのが,普通であるが,山形市に本院を有する篠田病院は,本院分院を合せて953床,職員総数589名という大規膜のものであつて,これが総て婦人科医篠田甚吉氏が一代で創り上げたものである。
 このような,日本最大の個人病院が出来上つたのは,いろいろ時代の条件もあつたろうが,篠田甚吉氏の医業経営に対する炯眼と終始徹した氏の鉄の意志に全く帰するものであろう。

病院設備の研究

病院の家具—外来を主として

著者: 渡辺三喜男

ページ範囲:P.55 - P.56

まえがき 病院建築やその内部設計等に就ては既に色々書かれて来たが,家具の設計については余り書かれていない様である。茲では外来診察室の診察机,椅子,処置室の処置机,診察机,衝立,薬品棚,カルテ棚等を医療用家具と名付けた一定の目的を持つた家具であるから,家具屋の既成品では満足なものは得られないであろう。個人病院ならば個人の趣味に従つて,夫々工夫をこらしてよいであろう。その場合建築に附属した工事として,作り付け家具を設計すれば安価に出来上るし,空間も最大限に利用出来る。綜合病院外来では個人的な好みが出ない方がよいし,各科で共通に使用し得る型を作ることが,製作費の経済上有利である。
 私は此度神戸市立中央市民病院の新築に際し,外来医療用家具を設計し,又出来上つたものを実際に使用して見ると,思わぬ缺点にも気付く,又これはよかつたと思うこともあるので,此の経験が,病院の建築や改造を計画する方々の参考になると思う。

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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