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雑誌目次

雑誌文献

病院11巻1号

1954年07月発行

雑誌目次

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結核療養所の昔と今

著者: 正木不如丘

ページ範囲:P.2 - P.4

 こういう題で何か書けという編集者からの御註文なので,捕われぬ気持で思いのままに書く。「昔と今」といつてもプレーメルが結核療養所を世界ではじめて創設してから百年にもなるので,そんな大昔の事にはふれず,わたくしが富士見の療養所にこもつて以来の三十年間のうつりかわりを主として書くことにする。

院長と病院勤務医師との診療業務上の関係—法的考察を中心として

著者: 石原信吾

ページ範囲:P.5 - P.13

1.まえがき
 院長は病院に於ける管理の最高資任者である。その限りに於て院長が必ず医師でなければならぬという論理的必然性はない。現に,アメリカ等に於ては,院長は必ずしも医師たることを要せず,又実際上医師以外の者が院長になつている場合も少くないという。こうした場合に於ては,院長と病院勤務医師との関係は,それが管理面にのみ限定せられる為に,比較的容易且つ明確に規制し得られるのであろう。然し乍ら,我が国に於ては,医療法(第10条)によつて,病院管理者は必ず医師(病院が歯科医業をなす場合は歯科医師)でなければならぬことが定められている。医療法のこの規定が如何なる理論的根拠にもとずくものであるかということは,興味ある一つの研究課題であるが,何れにせよ,其処には,院長とは病院の管理面での責任者であると同時に,診療面でも責任者であるのだという考え方が介在しているように思われる。そして我が国に於ける従来の考え方では,寧ろ前者よりも専ら後者にのみ重点が置かれ,それ故に,院長になるには先ず何よりも医師としての優れた能力の持主である事が要求せられて,その管理能力については殆んど問題にされなかつたというのが実情であるように思われる。

文書整理の合理化—近代的な病院の條件

著者: 一條勝夫

ページ範囲:P.14 - P.16

 先日ある病院の事務部で使用中の帳票類を集めてみたところ,287種に及んだ。小は名刺大から大は新聞2頁大まで,縦長あり正方形ありで,様式紙質ともに様々である。この外,法定の簿冊があり,各医局では夫々個有のメデイカルレコードを備えているのであるからその複雑多様さは話にならない。ところが,ここにいう文書とはこのような帳票ばかりでない。往復書簡,報告通達の写のように直接事務に関係するものからカタログ,パンフレツト,統計表,図表等所謂資料にいたるまでおよそ文字のかかれた紙片は大小を問わず一切である。
 今までの整理のしかた   この複雑きわまる文書が,今までどんな風に整理されて来たかというと,どうも日本では合理的な整理保管について無関心であつたようである。文書事務の最も大切な官庁においても文書はいたつて虐待きれて来た。

診療設備の中央化(その一)—眼でみる病院の設備とはたらき(5)

著者: 橋本寬敏 ,   滝野賢一

ページ範囲:P.17 - P.31

まえがき
わが国の病院は,独逸の臨床医学が分化専門化して長足の進歩を遂げた時代にそれを新らしい型式として採り入れて発達したのであるから,専門科が各々分立し,妍を競つて今日に至つたので,病院の診療設備も内科,外科,産婦人科,小見科その他の専門科が別々に自分の設備をもつて,それを自分だけが自由に用いるように成つて居る
 しかし過去半世紀の間に時勢は大きく変遷して今日は分化した専門科が協力して綜合の力を発揮する一つの有機体を形成して働くのを原則とする時代となつた。それで病院の建物も各科が分立しないで,一つの大きい建物の内にすべての専門科が入つて相互の協力を便にするのを原則とする。そうなれば,給水,暖房,配電なども一元化するのは勿論のこと,診療設備も各科共通のものは成るべく一ケ所に集めて,同じ設備を各科が利用するように成る。これは設備と人員の重複を避け,経済的の無駄をはぶくことを重視する計画である。医学の進歩は日増,高価な設備を要求するので,極力重複を避けなければならない。診療設備の中央化は各科の診療活動の自由を或る程度,束縛するので各専門科の医療職員の側には,不平があり得る。しかし病院経営の責任をもつ管理者の側から観れば,ここの制度は経済的の無駄をはぶき,また協力診療を促進する制度であるからこれは是非とも実現させなければならない。診療に関与する職員すべてがこの制度の意義をよく理解すればこれを実現することは決して困難ではない。

昭和28年度(昭.28.4〜12)国立病院経営の実績について

著者: 高木圭二郞

ページ範囲:P.33 - P.43

I.まえがき
 昭和28年4月から12月に至る9ヵ月間の国立病院の業績の一部をとりまとめたので,その概要を総括的に報告したいと思う。
 ここに集録されている諸数値は,昭和28年12月末現左の74施設(本院72分院2)について算出されたものである。

蚊と蝿のいない病院—國立東京第二病院

ページ範囲:P.45 - P.54

 昭和28年5月に厚生省から蚊,蝿のいない病院のテストケースとして環境衛生対策を実施して見るよう命令があつた。然しこの様な計画的な事業を直に実施するには先ず次の様な根本的な事柄が実施の意欲をにぶらした。
 1.夏季に蚊や蜻蛉が居るのは日本の風土と云うものが,どういうものだとの常識が,そうした宿命的に存在するものをなくすることは容易な事であるまいとの通俗的な感じ。

Dr. Hara's Recordtape

著者: 原素行

ページ範囲:P.55 - P.56

(14)習慣のこと   もう20年も昔のことであるがこんな話を雑誌で読んだことがある。「汽車の食堂で外人が親子丼を食べていた。あまりに不思議なので親子丼がお好きですかと質ねてみましたら特に好きではないと云う。だが日本のコツクさんは毎日飯べているお飯物の方が洋食よりも上手に作れるでしようというのであつた」
 私共が学校を卒業し一応紳士らしい姿になろうと背広服を着たのは大正の中期である。その頃洋服を誂えてもなかなか身体によく合つたのが出来なくて着心地が悪くて閉口したものだ。この頃の洋服屋ならばどんな洋服屋でも実用的な洋服を仕立ててくれる。昔は洋服屋では主人公位が洋服であつても職人は和服に角帯それに下駄ばきと云うのであつたが,当節は猫も杓子も職人も皆洋服,自然と洋服が板について来たのだと思う。

研修所だより

著者: 小西

ページ範囲:P.59 - P.59

 病院管理研修所が発足したりは昭和24年6月1日でしたから既に満5年を経過した訳で近く創立5周年記念日を迎えようとしています。占領中に生れた諸制度や諸機関が世間の厳しい批判をうけその帰趨が注目されている今日,同じ占領行政の落し子である当研修所がその様な苦しい破目にも立たされないで,毎回の研修会には依然として受講申込があとを絶たないというのは,発足当時夢寝にも予測しなかつたところです。これは畢竟病院を廻る今日の社会情勢がかくあらしめたといえるかとも思いますが,我が国病院関係者の病院改革に対する熱意が当研修所を今日迄ももりたてて来て頂いたことを忘れてはならないと思つています。病院管理はまだ年の若い学問であり,医学以上に広い基盤の上にうちたてられねばならないものであるので我が国に於てはまだ「学」としての体系は勿論確立されておらないが せめて方法論という程度だけでも何かしつかりしたものを打建てたい,というのが私共関係者の念願であり 当面の努力でもあります。
 当研修会に出席された方はこの5年間に短期2,576名,長期137名を数えます。これらの多くの同志の方々が全国津々浦々の病院にいられて共に我が国の病院の改革に日夜邁進していられることは何よりの強味と思つています。本年度の第2回研修会は5月7日より14日迄病院長を対象として開催しました。申込が定員の約2倍近くに達したので,前回の事務長の例に倣い比較的大きな公的病院を選びました。

あとがき

著者:

ページ範囲:P.60 - P.60

 雑誌「病院」も誕生以来満5年を閲することになる。感慨無量である。今は微笑を以てふりかえることの出来る話題であるのだが,この雑誌の創刊当時には「どうせ 号雑誌だろう」「3号ぐらいで原稿が無くなるんじやないか」というような危惧があつた。外部からもそのような声を聞いたが編集委員会でも確たる自信があつたわけではなかつた。未開地にふりおろす鋤はこのようななかから次第に開墾地を切りひらいて,今日のようなひとりだちの段階まで到達し得たのである。
 「病院」は,厚生省の病院管理研修所とスタートを一にし,歩調を同じうして成長して来た。雑誌「病院」の進歩は,とりもなおさず,我国病院管理の歩みである。大学に「病院管理」の講座が設けられるようになり,およそ近代病院のあり方としてひとときも病院管理を頭からはなすことが出来なくなつたのには,口はばつたい言い方かもしれないが,「病院」誌の果した歴史的使命が大きく役立つているように思う。

病院長プロフイル・13

岡山モデル病院の立役者日下連氏(国立岡山病院長)

ページ範囲:P.32 - P.32

 今でこそ完全看護と云つても驚かないが当時長い伝統と,固いローシユーのある日本の病院で,そんなアメリカさんの云う様な事が出来るかと云う考えが圧倒的であつた。それを田舎の街で,しかも国立病院の切りつめた予算と定員でやつて見せてくれたのが岡山病院であつた。
 岡山病院は,英進駐軍から返還されたばかりで若干の近代設備はもつていたとはいえ,何分基礎はどこにでもある,明治建の師団病院なので,ミス・カールソンが赴任して,米式運営の為の指令に対しては,相当の摩擦があつたにちがいない。それをとにかく3ヵ月の間に一通り,注文通り,仕上げて,全国から見学者引きも切らぬと云う実績をあげ,しかも未だに,その改革者の名のついた型の看護帽を使つて,親しまれているのは,一に氏の政治的手腕によるものである。

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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