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雑誌目次

雑誌文献

病院11巻2号

1954年08月発行

雑誌目次

特集 第四回日本病院学会

東学会長挨拶

ページ範囲:P.2 - P.2

これから第四回学会を開きます。昨年の総会に於きまして,私が会長として皆様に御推挙頂いたのでありますが,其の節大変大きな口をきいたにも拘らず,何等この一年間十分な仕事も致しません,又本日学会が始まります前にも,大変不行届でこんなに時間が遅れて誠に申訳ありません。然し学会は会長だけで出来るのでなくて,会員諸君の演説内容の元になります,平素の御努力の結果が,この学会を左右することでありますので,これからゆつくり拝聴出来る訳であります。皆様と共に大変期待しておる訳であります。之で開会の辞と致します。(拍手)

武藤院長の宿題報告を聞いて

著者: 林塩

ページ範囲:P.10 - P.13

 私は皆様看護婦諸氏の御意見を未だ伺いませんでしたので,或はこれは私の意見になるかも知れません。それから又日頃こういう問題は協会の方でも大変に興味を持つておるばかりでなく,これは協会自体の問題であるようにも考えますので,いろいろ取まとめて申して見たいと思います。
 この病院協会の学会で看護婦の結婚問題ひいて通勤問題に関連する訳でございますが,そういう問題を病院協会の先生方が.これは男の方でございますが,看護婦の味方に成つてお取上げになつた事を感謝する次第でございます。勿論病院管理上どういう影響があるかという事,個人の看護婦を人間としてどうしても結婚させた方がよいのではないかという事でなく,其の後に来る問題,どうしてうまくこれを使うか,ということから結婚問題が取上げられたように考えます。いずれに致しましても,結婚問題が真剣に論じられることは,私共看護婦と致しまして,非常に感謝に堪えない事だと思います。

武藤松江日赤院長・林看護協會長に

著者: 東陽一

ページ範囲:P.13 - P.13

 武藤先生にはお忙しい所を非常に難しい問題を宿題としてお願いしまして,全国多数の病院から詳細な報告を得られ,これを鋭敏な御頭脳でうまく編集され,有りのままを卒直におきかせ頂きました。その結論として武藤博士のお考えもはいつておりますが,その根拠を為すものは全国の病院の有りのままの姿であろうと思います。本年の宿題になつておりますけれども,今直ちに之が結論を言う訳でございませんが,世の中が変るにつれまして,この間題も刻々と変つて参ると思います。若しも日本がアメリカのようになりましたならば,結婚問題を考えるのには,何等問題ないのだという事になるかも知れませんけれども,現在の状態に於きましては矢張問題になつておる。勿論病院協会或は病院学会の結論として之を申上げる訳でありませんが,我々会員は只今の武藤博士のお説から非常に大きなヒントを頂いた気が致します。尚又看護婦協会の方の林先生からも縷々としてお説を拝聴いたしました、只看護婦の結婚問題だけでなく,病院並びに医員の頭の持ち方というような事にまで御指摘頂きまして,大変目が醒めたような気が致します。

一般講演抄録

著者: 石原信吾 ,   片山弘 ,   真銅参太郞 ,   片山みち ,   片山よう ,   小田恭子 ,   須賀幼子 ,   長谷川昭子 ,   植木敦子 ,   赤星一郞 ,   栗本淸次 ,   滝野賢一 ,   原素行 ,   石井智恵子 ,   吉田幸雄 ,   守屋博 ,   小川健比子 ,   佐藤愛子 ,   村田三千彦 ,   佐川誠一 ,   中島 ,   武藤多作 ,   安河内五郎 ,   一条勝夫 ,   島內武文 ,   尾口平吉 ,   小野養之助 ,   神崎三益 ,   井手一郞 ,   金子敏輔 ,   中村俊雄 ,   佐々木のぶ ,   石戸谷ちゑ ,   清水寛 ,   長岐佐武郎 ,   河合五郎 ,   西村生和 ,   片山信 ,   福原公明 ,   片山一彦 ,   奥川よし子 ,   菅原かね ,   金田重雄 ,   菱田雅子 ,   小川信一 ,   高須泰彦 ,   松田進勇 ,   菊地真一郎 ,   橋本寛敏

ページ範囲:P.14 - P.26

1.我国病院に於ける医療社会事業の現況について
 医療社会事業は,終戦後特に大きく取上げられ,病院の医療体制にとつて一つの新しい課題になつているが,この仕事の,病院に対するその後の普及状況並びにその実施内容の実態については,現在必ずしも明かにされてはいない。そこで,こうした点を明かにする為に,厚生省所管の一般病院及び結核病院の全部とその他の100床乃至200床以上の病院の,両者合せて約680の病院について実態調査を行つてみた。調査方法が不完全であつた為得られた数字は充分正確に現況を表わすものとは言い得ないが,大体の動向がうかがえると思うので,一応その結果を報告する。
 先づ,専任ウワーカーを置いている病院数は81という結果が得られたが,その殆んどが公益法人立の病院及び厚生省所管の病院である。この分布の際立つた偏在状態は何に起因するか。私はそれを,この仕事の本質に対する理解の偏りに求めたい。次に病院規模別にその実施率を見ると,病院規模が大きくなるに従つてその率の上昇が見られるという当然の結果が得られた。500床以上の病院について見ればその20%強が実施している。然しこれを全病院について見れば,その実施率はわずかに2%に過ぎない。

病院学会印象記

著者: 橋本寿三男

ページ範囲:P.27 - P.30

 梅雨らしい雨の降る土曜日,傘をさしレインコートを着て赤門をくぐる。「日本病院学会」の貼紙も雨にぬれている。医学部の1号館200名ばかり収容できる階段教室にはもう5分の入り,開始を待つている。
 8時45分,予定より稍々遅れて東会長の挨拶,学会で耐えられた堂々たる態度。しかし,学会はまさに処女の如く始まつた。

【宿題報告】

看護婦の通勤制の批判殊にその結婚問題について

著者: 武藤多作

ページ範囲:P.3 - P.8

緒言
 戦後看護婦の養成規準が変動されたため,その絶対数が著しく減少し,病院経営上重大な危機を招いたと同時に,新憲法による女性解放の風潮から,院外居住が増加し,病院の自衞をも脅かすに至つた。殊に結婚による通勤者の問題は,一種の社会問題として取り上げられて,その増加と共に病院経営者を著しく悩ましている。我々はこうした難問を解決するため,従来あらゆる方策を講じて来たが,未だ適格な結論に達していないので,この際これ等の点について検討を加えて,対策を樹立する材料と致し度いと思う。
 本研究の材料は全国病院中,主として100床以上のもの500に紹介し,372病院の回答を得たものに拠つた。この際回答を寄せられた病院看護科の方々に感謝の意を表する。

【追加発表】

アメリカに於ける既婚看護婦の現状

著者: 金子敏輔

ページ範囲:P.8 - P.9

 アメリカに於ける国勢調査(14才及び以上の女性)から見ると現在人口では既婚婦人人口が未婚婦人人口より多い。しかしアメリカ看護協会刊行1953年度看護婦実情によると全看護婦を全婦人人口と比較すると両者の結婚率は殆んど同じである。すなわち全人口結婚率は63.8%,それに対し全免許登録看護婦の結婚率は62.1%である。
 国勢調査では全国職業婦人の結婚率は46.4%である。これと同じような率がアメリカ看護協会現職の登録看護婦に於ても示されている。もつともこれは厳密には比較されない,というのは国勢調査では主人のない既婚者も含まれている。

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診療設備め中央化(その二)—眼でみる病院の設備とはたらき(6)

著者: 橋本寬敏 ,   滝野賢一

ページ範囲:P.33 - P.51

3.中央試験場
 外科手術の中央化と同様に臨床診断検査も中央化することが設備の重複を避け,検査能率をあげるのに役立つ。各専門科の検査には極めて特殊なものがあり,それは中央化できないが,共通の検査はみな中央化した方が便利である。中央化された試験室には,それぞれの検査をする専任の技術員が居るのであるが,各科で患者を実際に診療して居る医員が絶対に検査をしないのではない。必要があればいつでも自分が来て検査をすべきである。検査はなるべく多くの患者について行い,診断の基礎とするのであるが,患者の診療に多忙な医員は自分で,すべてを検査する時と力の余裕がない。それだから中央試験室にまかせるのである。また近年,検査方法が進歩して,可なり複雑なものもあるので,その試験にすべての臨床医が熟達することは到底望み得ない。結局,検査に馴れて居る人にまかせなければならないことになる。
 検査を徹底的に行うには高価な設備と熟練した技術者が必要であるが,それを各科別々に設備するのは極めて不経済である。中央化することによつてこの無駄がはぶかれる。

病院史概説(4)

著者: 岩佐潔

ページ範囲:P.53 - P.56

IV.初期キリスト教病院
1)ローマ文化とキリスト教の意義
 ローマ人は自らすぐれた思想や芸術を生まなかつた。ローマの精神文化を代表するヴアージルの詩,キケロの思想,セネカの哲学などもギリシア人に及ばず,むしろこれを模倣したものであると言われているガレノスの医学もまた同様であつた。すなわち彼等はヘレニズムを通じて受取つたギリシア文化を既成品としてそのまま継承したのであつた。なぜならローマ人の社会は元来ギリシアと同様に都市国家的な奴隷制の社会であつたので同質の土壌の上に成長したギリシア文化は,ヘレニズムを通過して若干異質物を混じたとはいえ殆んどそのままローマ人の要求に合したのであつた。
 従つてローマの最大の文化史的意義はそれ以前のあらゆる古代文明をギリシア文化を中心として自己のうちに包括しそれを広い領土に普及させまた後世に伝えた点にある。この意味でローマこそヨーロツパ文明の基礎を作つたものであるが,それに対してはキリスト教会が大きな役割をつとめている。それのみならずキリスト教は直接病院の発達を助け,看護の性格を特長づけ,中世を通じ更に近世に到るまで我々の主題としている問題に多くの影響を与えている。

国立結核療養所の統計から

著者: 加倉井駿一

ページ範囲:P.57 - P.60

まえがき
 厚生省が昭和28年に行つた「結核の実態調査」の結果219万の要入院患者があることが推定せられたが,現在これら入院している患者がどのような傾向にあるかということを,国立結核療養所の統計に現れた面から述べてみたい。以下述べる数字は昭和28年会計年度の中,12月までの数字であるが1年の大体の傾向を示すものとしてよいであろう。

Dr. Hara's Recordtape

著者: 原素行

ページ範囲:P.61 - P.62

(18)日本の病院古事記   或る時,入院患者の1人がこの病院の組織が気に入つたと云う。
 医師と看護婦との業務分担のことであつて,このような分業によらねば能率の増進を期待することは出来ないという見方からであつた この患者の夫人は毎日見舞にやつて来ては,看護婦が実によく働きますネと云つてくれたり,よく頭を働かせて,非常に親切にしてくれますと云つては感謝してくれた。同室に入院した新しい患者が看護婦は直接に患者を看護するものではないと心得て,自宅から家族を呼び寄せようとしたら「ここでは看護婦が患者の世話をチヤーンとしてくれますから,下手に家人を呼んだりしない方がよい」と説教してくれたり,ここの看護婦は謝礼みたいなものを受取りませんから,それはお止めなさいとか,一々私の耳に入つて来る言動に気を良くしていた。

研修所だより

ページ範囲:P.63 - P.63

 春期の短期研修会を引続いて3回行つた後,半月余を経て6月15日より1ヵ月の長期研修科が開催されました。出席者は12名で医師6名に事務6名の半々,定床730,583と言う国立築柴病院や国立大阪病院をはじめとして48床の私立病院,20床の赤十字病院に到るまで色々の施設から集つている上,医師も精神科,外科,内科,産婦人科,泌尿科と専門科をことにし,事務の方も用度係,会計係,統計係,庶務係とその仕事を異にするものが多く,この点かえつて面白いクラスになるのではないかと思われまず。
 参考までに講義予定時間割を下に記載します。

あとがき

著者:

ページ範囲:P.64 - P.64

 暖冬異変に次いで冷たい夏がやつて来てなかなか本格的の梅雨あけにならない,この異常梅雨は水爆のもたらした気象異変だという説があるが,独り我が国のみならず世界的な現象だというから文字通り肌寒い思いがする。自然界,人間界ともに多事な年ではある。
 ××××さて,恒例により本号は学会号として,去月19日東大医学部講堂で開催された第4回病院学会総会記事をもつて編集した。武藤多作氏の宿題報告を始め大部分の一般演説については学会直前乃至当日既に原稿を入手することができたので本号の編集を割合円滑に進めることができた。関係者各位の御協力に厚く謝意を表したい。宿題報告及びこれに対する追加発言は全丈を集録し,一般演題は抄録をもつて夫に替えたが,追加討論も及ぶ限り集録しておいたので,学会に出席されなかつた向は本誌により何卒当日の盛会ぶりを偲んで頂きたい。橋本氏の微に入り細をうがつた見聞記が当日の会場の雰囲気をまのあたり再現させてくれる。スタートして僅か4年目の若い学会ではあるが,300の会衆が早朝から黄昏まで新聞紙を尻に敷き乍ら演説や討論に耳を傾け真摯な態度で終始したということは,ざらにある学会の姿ではない。外観のみならず内容の進歩も年毎に格段の発展を示している。個々の演題には極めて貴重な資料が尠くなかつた。本号にはスペースの関係でそれらを一々掲載する訳にはいかなかつたが,できるなら何らかの方法で記録に残したいと思う。

病院長プロフイル・14

病院管理のVeteran篠崎哲四郞氏(国立大村病院長)

ページ範囲:P.52 - P.52

 長崎県大村市を御存じなくても,渡洋爆撃の航空基地だつた大村といえば,ハハーと思い当る人は多いだろう,そこの旧海軍病院は今の国立大村病院の前身である。其の昔,西洋医学発祥の地とはいえ,日本の涯の国立病院長が今日の日本医界に大きな睨みを利かしているのは何故だろうか。
京城帝大教授として第三内科を主宰し,中枢神経,特に間脳の研究で世界的であることは学者としての博士の一面だが,他面病院管理について京城帝大医学部附属病院長として敏腕をふるい,又京城府立府民病院,平康高地療養所の創設に参画してそれぞれの初代院長,初代所長として施設の基礎を築きあげ,終戦後は九州にあつて国立大村病院長の外に一時は国立川棚病院長,国立長崎病院長,国立福岡療養所長其の他の療養所長を兼ねるとゆう,ちよつと想像も及ぼない多忙な病院運営を終戦直後の困難な時代にあつてまことに鮮かに切り廻した。博士が国立大村病院の拡充発展に力を惜しまないのはもとより当然のことだが,氏の目指す所は一国立病院についてではない,日本の医療機関を国際的水準に持つて行きたいとゆう念願である。戦後の日本の現状にあつて国際的とゆう言葉はいささか空想的な響があるが,その説く所をよく聞くものは論拠の資料が正確豊富であり,理路整然,而も熱情のこもつた話術によつて何時しか同感し賛同せざるを得なくなる。

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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