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雑誌目次

雑誌文献

病院11巻6号

1954年12月発行

雑誌目次

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フイリツピン及び台湾を見て—WHO地域委員会參列記

著者: 曾田長宗

ページ範囲:P.2 - P.6

1.WHOの第5回西太平洋地域委員会
 本年9月の10日から16日まで1週間に亘つてWHO世界保健機関の第5回西太平洋地域委員会がフイリツピンのマニラに開催され,私と厚生省弘報連絡課長の斎田氏とが,日本代表としてこれに出席致して参りました。今日のように世界各国間の交通,貿易等も盛んになり,文化の交流も繁くなつて来ると,一国内の国民の健康を保持,増進することも,一国の努力だけでは足らず,各国が力をあわせ,知識や技術を交換し合つて行かなければ,その目的を達成し得ないようになりました。WHOはこのような目的で生れた国際協力の機関でありまして,毎年World Health Ass-enbly世界保健総会という会議を開いて年々の事業計画を立て,予算を決定しているのであります。
 WHOはこのような事業を円滑に実施するため,世界各国をアフリカ,アメリカ,欧羅巴,東地中海,東南アジア,西太平洋の6地域にわけ,地域毎に委員会を作つて総会にかける地域内の事業計画や予算の原案を作り近接各国の連絡,協調を密にするよう努めているのであります。

開業医論

著者: 守屋博

ページ範囲:P.7 - P.11

 我国の医療は,従来より公的病院及び私的病院,診療所の二本立で行われていた。最近そのウエイトが漸次,公的機関にうつりつつありとはいえ,尚その50%は私的機関で行われている実情からして,この私的機関の分析を行わずして,医療の現状及び将来を論ずる事は出来ぬ。
 私的医療機関とは何であるか,先ず定義から決めてかからねばならぬ,事業界に於ける私企業と同一の性格を有するものである。即ち,事業の結果利潤が出れば個人の収入となり,損失があれば個人の負担になるものを云うのである。

病院に於ける医療社会事業の本質—実態調査の結果の檢討

著者: 石原信吾

ページ範囲:P.13 - P.19

1.現在の発展段階
 どのような業務でもその草創期に於ては,或る程度の混沌と低迷の存することはまぬがれ得ない。そこでは,関係者が如何に開拓者の意気込と熱意とを以て努力するとしても,業務の本質の把握とか,正しい進展方向の発見とかいう点に於て,暫くは模索と低徊の時期を脱し得ないのが普通である。そうした事態が克服されてはじめて,当該業務は第二の発展期に入り得ることになる。
 我が国の病院に於ける医療社会事業の現状は,今回の実態調査の結果より見ても,正しく,未だそうした草創の昏迷期にあるものと考えられる。即ち,前稿までに指摘して来た通り,そこには(1)本業務の普及度は著しく低く,而もその分布が極端に偏在している。(2)病院の診療機構上に於て,本業務の占める位置乃至機能が必ずしも明確にきれてはいない。その為に,特に不可欠とされる医師との業務上の連絡協調関係は極めて低調である。(3)実施している業務内容に於て,経済乃至経済関係の問題の占める割合が非常に大きく,一般社会事業との関係或は限界が明かではない。

大学病院研究會中間報告

ページ範囲:P.31 - P.39

大学病院組織運営に関する要項案
1.大学病院の目的使命
 大学病院は,医学部の一部で,臨床医学の教育研究機関として学生の教育並びに研究の場を提供し,その発展向上を図る責務をもつとともに完全な総合的診療機関たるべき使命をもつている。

病院管理の徹底—眼でみる病院の設備とはたらき(10)

著者: 橋本寛敏 ,   滝野賢一

ページ範囲:P.41 - P.51

 小さい病院は管理し易いが,病院の規模が増大するにつれて管理が徹底し難くなるので,管理者はそうならないように常に特別の注意を払わなければならない。

欧州各国の社会保險制度

著者: 大村潤四郞

ページ範囲:P.53 - P.63

 主として私は社会保険の医療契約を勉張に行つたのであります。大体イギリスに2ヵ月半,ドイツに1ヵ月と少し,後は北欧のスエーデン,ノールウエー,デンマーク,フランス等1週間ずつ位,矢張り社会保険医療契約のことを調べてきました。
 そこで先ず最初にイギリスでございますが,これはもう皆様方も色々の本や何かで概略の制度を御存知であると思います。実は私も行きます前に少し本で勉強てし参りましたので大体どういう制度であるかということは承知しておつたのでありますが,こちらで本で読んだのではどうしても理解出来ない所が沢山あつたのであります。行つて実際に見ますと,その解らない所が非常によく解つたような気がいたします。

病院史概説(9)

著者: 岩佐潔

ページ範囲:P.65 - P.68

XI.中世期の大学
1)大学の起り
 中世におげる医学の担い手が主として,キリスト教の牧師であつてその医学が教父医学として特長づけられていたことについては既に述べた所であるが,中世知識の源泉として大学もまた重要な役割を果している。もともと中世における教育は神学を中心として教会によつて支配されており大学の起源については宗教的なものと世俗的なものがあるが詳細は不明な点が多い。しかし11〜12世紀の社会的変動,都市の発展に供つて学生組合を中心とした様な大学がヨーロツパ各地に出来てきた。14〜15世紀には当時の世界を支配する三大精神は法王庁と皇帝と大学であると言われる程その力は大きなものになつた。
 中世は封建的割拠の時代であつたが,一面には統一的世界主義傾向の強い時代でもあつて新知識を求める学徒は郷国や人種に煩わされることなく各地を自由に巡歴した。その結果法律ならポロニア,神学と哲学はパリー,医学はサレルノとそれぞれ世界的教育の中心が出来た。

Dr. Shimanouchi's Recordtape

著者: 島内武文

ページ範囲:P.69 - P.70

 レコードテープもあまりむつかしいという批評もあるので,ガラリとおもむきをかえてみた。この方が勝手なこともいえるかわり,その場かぎりのことも多いのは仕方がない。
 医師の診療   医師には認識と実踐の二つの能力が必要だ。第一は冷厳な科学者としてあくまで真理を追求する熱意と,鋭い認識力であり,第二は患者というものを,精神的,肉体的且社会的なものとして総合的に診療をする倫理性と,実行力である。

研修所だより

ページ範囲:P.75 - P.75

 9月6日から4日間の第一回医事係講習会がすんで9月16日から23目まで予定通り医療監視員の講習会が開かれました。これは例年通り医療監視の採点基準について厚省医務課の高橋技官が詳細に説明しその前後に一般的な関係法規の説明と病院管理の総論的講義とを行いました。医療監視の制度も終戦まもなく病院の建物も破損して汚れており,食糧事情も悪くて,なかなか清潔に保つことも出来ない様な時代から始められすでに数年になります。その間一般経済状態が安定し社会が落着いて病院に対する関心もたかまり全国各地の病院が見違える程清潔にもなり立派な新しい病院も出来て来ました。こおした事態に対して医療監視の制度が果した役割も決して少くなかつたと思います。ただ今日同じ様なやり方を相も変らず続けていることの可否については既に前にもふれた所で問題があると思います。今回の講習会では採点の実地演習はこれをやめ,必要な設備や器具の具体的内容について知識を深めることに主眼をおいた病院見学を行いました。
 次いで9月28日から10月5日まで総婦長の講習会を開催しました。北は青森南は宮崎から名集りました。なお北海道の札幌鉄道病院から本講習会に参加しようとして上京中であつた総婦長広島きくいさんは洞爺丸で遭難したと聞き及んでいますがここに哀悼の意を表しておきます。

あとがき

著者:

ページ範囲:P.76 - P.76

 今年ももう余すところいくばくもなくなつた。年の暮が近ずくと誰しも過ぎ来し方をふり返るのが常であるが,指折数えるまでもなく今年は国の内外をとわずセンセーシヨナルな或いエポツクメーキングな事件が余りにも多過ぎたと感ずるのは,独り編集者のみであろうか。水爆事件は,新聞雑誌等がよくやる十大事件などで必ずや首位を占めるテーマであろうが,その舞台に我が国が選ばたれということは,広島,長崎以来重ね重ね余りにも悲痛な廻り合せであつた。洞爺丸,相模湖の水難事件は今日尚我々の記憶に生々しい。飜つて我が医界の現状は医薬分業を廻つて沸き立つている。来年は終戦後丁度10年目になるが,この辺で年貢納めをして,清新な気分で新しい一歩を踏み出したいものである。
 前号では,今春ジユネーヴで開催されたWHO総会記事を代表として,出席された与謝野都衞生局長に紹介して頂いたが,今回はこの秋マニラで開催された西太平洋地域委員会の紹介を厚生省の曾田医務局長にお願いすることとした。これにより今日我が国で問題になつていることが,矢張り他の国々でも多かれ少かれ考えられている,ということが分る。予防医学と治療医学は区別されるべきではないということが云われてもう大分になるが,後進国の多い西太平洋地域では今日尚一番大きな問題であつたらしい。衞生行政という現実の場に立つと担当機関の在り方が及ぼす影響が最も大きい。

座談会

大学病院の在り方

著者: 橋本寬敏 ,   橋本壽三男 ,   小林秀彌 ,   小西宏 ,   守屋博 ,   尾村偉久

ページ範囲:P.21 - P.30

大学病院研究会
 守屋 この前本誌で大学病院の在り方ということを取上げたのですが,当時から研究されていた大学病院の研究会ですね,文部省で主宰されている"大学病院研究会"が6月に中間報告を出したのです。之について今日は具体的に皆様の御批判を受けたい。御承知の通り大学病院研究会の成立ちについては,終戦後司令部の方かち大学病院の在り方について少し研究して見たらという指示があつたのと,当時大蔵省あたりと予算折衝する都合上病院というものが決まらなければならない事もあるし,更に方々の戦災その他老朽建物を改築するというような点について,文部省としても如何なる形の病院が良いか,という事について一つの線を出そう。更に大学病院は一般病院と比べて非常に経費がかかる。無論研究その他教育の仕事をやつているから経費のかかるのも結構だけれども,もう少し科学的に分析しようじやないか。斯ういうような要求が偶々一致しまして,それで全国の国立の大学病院,国立を除いた全国の医科大学の学長,医学部長,病院長,こういう方々がお集りになり,更に建築家とか,病院管理者とか,或は厚生省その他の識者が集まつて研究したのですが,之が大体2年近い日を経て,茲に中間報告が出た。これは将来の病院管理及び大学教育という上から言つて,茲で一つのマイル・ストーンになるのではないか,という風に考えられるのです。

病院長プロフイル・18

病院協会連続会長上条秀介氏(昭和医科大学学長)

ページ範囲:P.52 - P.52

 病院長列伝中,初回以来連続三選の病院協会長上条秀介氏に御登場願わぬ手はないだろう。上条秀介と云う名を聞けば昭和医大創設者として,北里,吉岡級の大御所を想像するであろうが,小がらで猪首の若々しい精力的な実業家タイプの本人に出会つて,何となく戸まどわぬ人は少いであろう。それと云うのが,氏が学校を開設したのは,30前の年代であるからである。氏はその性格が示す如く,定型的な信州人である。東京帝国大学を卒業後三浦内科に籍をおいて,他の同僚が悠々と基礎廻りをやつている間に,手廻しよく2年間で博士論文を物にしたのである。その最年少博士はそのまま医局で教授コースを,コツコツたどるかと云えばさにあらず,岡田名誉教授をかついでサツサと一学校を開いたのである。当時慶応を始めとして,慈恵,日医大は全国の医専が大学昇格ブームで一挙大学になり,手軽な医者のあとが絶えた時代であるが,社会はやはり医専出を要求したのである。三越,松屋が必要である如く,東横,西武デパートの要求があつたのである。そこをねらつたのが氏の穴師としての名をなしたユエンである。少し先輩であるが,日医大,帝国女医専の創設者,額田豊氏は東大としては稀しい名企業家の双壁である。
 氏の経営方針は,あくまで合理主義であり実質主義である。医学コース入学希望者はいつの世でも無限である。一方大学の医局には,万年講師・万年助手がウヂヤウヂヤいる。

讀者の声

病院経営合理化の一面について

著者: 山本猛

ページ範囲:P.71 - P.9001

1.計数管理の確立
 従来の我国病院に於ては,官庁会計的な成行管理乃至は盲目管理と云つても過言でない程管理の面に於て一般企業に劣つていたわけである。これは一般企業の如く收益性をモツトーとするのとは異り,病院の性格に基因するのであろうが医療行為が国民経済の上に大きな比重を占むるに至つた今日に於て,病院のみがひとり合理化の列車にとりのこされていることは,当事者のみならず国民全体の悲劇と云わねばならない。
 医療行為は個々の医師によつて行われるのであり,個個の独立開業医の集りが病院であると解訳できないわけではないが,(従来はそうであるかの如く見えないでもなかつた)一つの綜合病院と云う独立意志をもつた有機的構成体としてみた場合個々の医者は独立意志によつて診療行為を営むと共に,綜合病院たる有機体の一オルガンとして機能するところに個々の開業医のもち得ざる一種の暖廉の如き価値増加を来たし,近代的綜合病院の良き特異性を生みだすことになる。換言すれば,個々の医師は個人としての光を放つと共に,更に組織体の一分子として機能するときには,光は二乗三乗となるわけである。反面この組織体が充分統制されないとすれば,綜合病院としての機能を失うだけでなく,個人開業医にも劣る逆結果を招くことは言をまたないことである。

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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