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雑誌目次

雑誌文献

病院12巻1号

1955年01月発行

雑誌目次

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ベツト生活の一日

著者: 千種峯藏

ページ範囲:P.2 - P.7

 私が某病院の結核病棟に入院した当時は,静かに自用を弁ずることが出来たし,読み物には別に制限がなかつたし,それに,かなり見舞客があつたので,退屈を感ずるようなことはなかつた。私には,元来,自分の周囲の何かに首を突つこんで,それにささる性質があるので,過去に於ても,退屈の経験はあまりなかつたように思われる。それに,療養生活は,外見はノツペラボーな生活のようであるに反して,その実際は時間的に関所が多くて,1日の生活は,他働的に,歯車のように規則正しく回転させられるので,読書の許されない人はいざ知らず,又,長期間療養を続けた後のことはいざ知らず,入院当時の私には,療養生活は,退屈とは,凡そ縁遠いものに思われたのである。
 ところが,見舞客の中で,「退屈でしよう」と言われる人は少くなかつた。それで,この挨拶は実は私には,一寸異様にすら響いたのである。しかし,そういう挨拶に度々接しているうちに,私は,これは,療養生活というものの実態,即ち,ベツト生活の日々というものが,一般に,わかつていない為めだろうから,この入院を機会に,自分で,1日のベツト生活の記録をつくつてみようということを考えついたのである。

精神科患者の社会生活歴と精神病院勤務のソーシヤル・ワーカー

著者: 半沢智惠子

ページ範囲:P.9 - P.15

 この秋に厚生省主催で「精神衞生週間」が催され,精神衞生に関する弘報活動が行われることは洵に喜ばしいことである。我が国の精神病床数対人口の比率は,欧米諸国に比較すると極端に少なく,米国の約1/10であると謂われている。この理由としては,我が国の精神医学及び精神病対策の歴史が浅い為,この方面の認識が一般にゆきわたらないことも挙げられよう。それゆえ毎年繰返される精神衛生週間は本当に重要なことで,精神衞生の知識の普及のみならず,精神衞生対策伸展のよすがとなることも希望するものである。
 精神病対策の最前線に立つ者といえば,先ず精神科医と看護者が挙げられる。看護者は看護人と看護婦とがあり,この方々は錠のかかつた病棟内に主として勤務され,一身の危険を省られず,専門的な技術である精神科看護及び身の廻りの世話に献身して居られる。私は未だあまり知られていないソーシヤル・ワーカーの任務に就て述べたいと思う。何故ならソーシヤル・ワーカーも精神病対策の上に重要な役割を持つ者であるから。

病院に於ける自家給水設備の得失に就て

著者: 武藏野赤十字病院電気部

ページ範囲:P.16 - P.20

 病院の使用水に対する経費は経営上看過出来ない相当の率を占むる事は,当事者の均しく認むる処である。蓋し水の使用量の多寡は一面其の病院の衛生観念のバロメーターとも考えられ,従つて其の量は相当量に達するからである。之が水源を自家穿鑿によるか,市水に寄かは勿論慎重なる検討を要する点であるが,当病院に於ける穿鑿施設の実績と調査の結果に基き結論的に自家穿鑿の有利なる事を次の諸点につき主張するものである。
1.経済的に有利なること。
2.水質優良にして市水に於ける如き藥処理による臭味等なきこと。3.冬暖夏冷の井水の特徴は使用者に爽快の気分を与え,寒冷時には加熱量の軽減となり酷暑季には冷房的な効果を齎す。

病院の外来患者診療—眼でみる病院の設備とはたらき(11)

著者: 橋本寛敏 ,   滝野賢一

ページ範囲:P.21 - P.42

まえがき
 病院の本業は入院患者を診療するにあるが,どこの病院でも相当数の外来患者が診療を求めて来院し,小売商店よりもデパートに客が集まるのと同じような現象が見られる。個人開業医は重症で自分の手におえない患者は病院に送り込まなければならないが,歩いて通える患者が病院に蝟集するのに対して反感を懐き,大病院は外来診療をやめよと極言するものさえある。
 しかし近代医学の進歩が病院外来を繁昌させる結果となつたことを理解すべきである。合理的な医療に必要な診療設備が整つて居ることが病院の魅力である。これは個人開業医では到底望み得ないことであつて,近年の医術の進歩がますますこの差異を著しくした。それで米国などでも以前は大病院には救急患者を取扱う外来部はあつても,一般の外来診療部のない病院があり,又それがあつてもあまり繁昌しなかつたが,近年は日本と同じように外来患者が増す一方であつて,外来診療部を増設,新設する病院もある。大病院の外来は長く待たせることと,人情味が足りないのが個人の診療所に較べて劣る点であるが,それにも拘らず,大病院の外来が繁昌するのは人情主義よりも合理主義に傾く現代人の心理の反映であつて,まことに興味深い。

日本の病院勤務の皆様へ—病院病理学者の在り方

著者: ,   竹内正

ページ範囲:P.44 - P.44

 糖尿病の腎臓の変化(所謂Kimmelstiel-Wilson氏病)を記載したPaul Kimmelstiel氏は1933年迄Hamburg大学の病理学教室のOberarztであつたがBostonのMallory Instituteに移りRi-chmond (Virginia)の医科大学の助教授を経て,1940年以来Charlotte Memorial Hospital (Cha-rlotte, North Carolina)のPathologistとして勤務して居られます。私が一年間同氏の下にResi-dentとして居りました関係上,病院の中の病理学者の在り方について,日本の病理学者及病院勤務の臨床の方々に対してメツセーヂをお願い致しました。以下その全文及訳であります。

文書整理の合理化(3)—フアインリングシステム(2)

著者: 一條勝夫

ページ範囲:P.45 - P.52

1.フアイルの仕方
 前回では準備条件を一通りのべたので,いよいよフアイルの実際について具体的に説明しよう。
 a.まずあらゆる文書をあつめ,必要のもの不必要のものをより分ける。この際絶対必要のものだけを残し,必要性のうすいものはどしどし廃棄する。

病院史概説(10)

著者: 岩佐潔

ページ範囲:P.55 - P.59

XI.近世初期の病院
1)ルネツサンスと病院
 西ローマ帝国の滅亡が古代と中世の境界とするならば,東ローマ帝国の滅亡はこれまた古い時代の沒落の1つの象徴にほかならない。オスマントルコ族が,このローマ帝国の伝統の直接の継承者を以て任じていた東ローマ帝国の首府コンスタンチノープルを,陥落させたのは1453年で,そのころ西方諸国においてはすでに中世的なものが各方面で徐々に崩壊しつつあつた。それはまずイタリアを中心とする南欧に起つた中世的な神中心の思想に対する,人間中心の精神文芸の運動として発現してきた。それは現世における自由な生命の悦びを謳歌する人間「我」の自覚であつて,我々はそれをルネツサンス(Renaissance)と呼んでいる。我々はすでに英国のSt Bartholorhew'sHospitalにおいても,フランスのHôtel-Pieuにおいても,又イタリアの病院についても,ルネツサンス以後即ち近世に入つてからの事項に幾分触れたのであるが,今改めてルネツサンスの影響を考えて見よう。
 ルネツソサンスの運動は全ヨーロツパの,更には世界史的の問題であるけれども,それが最初に発現し又最も典型的に爛熟したのはイタリアの地であつたので,我々もまたもう一度イタリアの病院について,その影響を眺めることとしよう。

中央檢査室の作業量についての集計

著者: 小酒井望 ,   広明竹雄 ,   中里武江

ページ範囲:P.61 - P.65

 臨床検査室の作業量に関する統計は,日本ではまだ全然見られない。中央検査室として独立していない検査室では,その作業量を集計する事が出来ないからである。病院に於ける検査室が如何程の設備と人員を必要とするかは,病院の大きさ,診療の内容によつてきまる訳である。然し検査室の設備と人員についての規準は一つもない。嘗て臨床病理学会が病院の大きさによる日常検査の範囲と,それに要する人員の規準を提出したが,これは大凡こんな程度であろうと云う感じから割り出したもので,これと云つて確たる根拠があつての事ではない。
 新しく綜合病院を作る場合,必ず検査室は作られる。然し検査室の作業人員の数については兎角過少評価される傾向があるのではなかろうか。病院の管理に関与する医師達は極く少数の人員しか割り当てない。足りない処は医師が自分で検査すればよいと考える人もあると聞く,大学病院の様に医師の過剰な所ならば兎も角,一般病院では医師は診療に追われて一々検査などして居られない。従つて少数の作業員で間に合う程度の検査しかしなくなる。例えば2人の技術員しか居ない検査室で,次第に検査量が増えたからと云うので更に2人技術員を増したとする。こんな場合今迄2人で行つて居た検査が4人に分配されるから,作業の量は半分になるかと云えば決してそうではない。間もなく4人でも足りない様になるであろう。

Dr. Shimanouchig's Recordtape

著者: 島内武文

ページ範囲:P.67 - P.70

東西の谷間
 日本は今東西の谷間に入つている。何れがよいか何れがわるいというのではなく,地理的歴史的の諸要因の関連に由来するのであつて,簡単にはいきそうもない。朝鮮の38度線や,仏印の17度線は,その著しいものであろう。外交政治の谷間は文化の谷間でもある。
 しかしこのような事は何も今始まつたことではない。今日ほどのことになつても,歴史始まつて以来,社会に夫々の規模と時代に於て,その環境との間に谷間をもち,時代的な変革との間にズレがあつたのである。そして夫々の社会の人々は,その慣習や制度をこれ等に適応させ克服消化してきたものである。

病院長プロフイル・19

仕事熱心な精力家藤森眞治氏(姫路市藤森病院長)

ページ範囲:P.43 - P.43

 日本病院協会副会長の藤森真治氏は同時に日本医療法人協会々長も兼ねている。その他要職には沢山就いているが,兎に角前参議院議員で厚生委員長をやつて居た事は周知の事実である。
 彼は明治24年兵庫県の生れで,その関係で岡山医専を卒業し,現在北里研究所副所長の寄生虫学で有名な長野寛治氏とは中学からずつと同級生の親友である。その後ベルン大学を終えて専攻は耳鼻咽喉科である。学問的に考えても彼の論文が現在尚内外国の一流論文に引用文献として屡々出ているのを見ると,筆者は専門外で分らないが相当立派なものに違いないと思うし.学会の役員もしている事からしても学問に就いては相当熱心な学問的な人物である様である。参議院議員在任中も金曜日の夜行で帰郷して直ぐ病院に出勤し働いて日曜日の夜行で上京して真直ぐ国会へと,殆んど毎週六箇年間やつて来たという事は,彼が精力家であると共に仕事に熱心である事が伺われる。

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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