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雑誌目次

雑誌文献

病院12巻6号

1955年06月発行

雑誌目次

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沖繩の開放制(Open System)病院見聞記

著者: 牧野進

ページ範囲:P.2 - P.5

 本年1月14日から,2月末日までの間,琉球政府の招聘によつて,琉球の旧軍人の恩給診断のための慶応大学の植村教授を団長とする派遣医師団の一員として琉球(沖繩,宮古,八重山,名島)に滞在する事を得たので,その多忙な日程の余暇を割いて,同地の所謂開放制(Open System)の病院を見学するの機会を得た。
 もとより,一旅行者に過ぎず,十分な視察の機会を得ず,数々のdataを頂戴することが出来なかつたので,正鵠を得ない所もあるかと思うが,Open Systemに興味を持たれている方々の何等かの参考にもと思い,私自身の見聞した所をのべる次第である。

トラブル一歩手前の問題

著者: 千種峯藏

ページ範囲:P.7 - P.12

 終戦後,病院の関係者として,砂を噛む様な,名状し難い不愉快な思いをさせられたのは,所謂患者攻勢と呼ばれる病院のトラブルであつた。それも殆んど療養所に限られた形であつたから,正確には,療養所のトラブルと言うべきかも知れない。職員組合による行過ぎも,種々あつたことだから,病院のトラブルは,患者攻勢一点張りという訳ではなかつた。それでも,職員組合の場合は,立場を異にする要求の衝突であつて,合法活動を基盤とする行過ぎであつたから,筋のない話ではなかつた。ところが,患者攻勢となると,日夜為めによかれと思つてやつている筈の,当の患者から,診療や看護の拒否,医師や看護婦の排斥が持上るのだから,一寸肯き兼ねもするし,又,名状し難い気持にもなるわけである。
 私自身,事態を拾収すべき立場で扱つた,患者攻勢による療養所のトラブルは,いくつかあるが,その中で,紛争が半年以上に亘つたり,社会的反響が大きかつたりした為めに,有名になつたというだけでなしに,考えさせられる問題を,数多く包蔵しておる点でも,注目すべきものは,T療養所のトラブルであつた。これから,そのT療養所の諸問題を取上げて,考えて見ようというわけである。

病院管理者再論

著者: 村上実

ページ範囲:P.13 - P.18

1.まえがき
 筆者は嘗て(昭和28年5月号)本誌上に『病院管理者論』と題する小論を書いた。そこで述べた論旨を,今日に於ても訂正する必要を認めないのであるが,あのままでは,とり様によつては誤解を招く惧れがあることに気がついたことと,この問題に関連して,その後の『病院』誌の記事の中に,筆者と見解を異にする向の所論を目にとめたので,重ねて筆者の所見を明らかにして,諸先生,諸先輩の御批判を仰ぎたいと思うのである。
 『病院』9月号(昭和29年)誌上に都立広尾病院長原素行先生は,病院学会5月例会の報告記事の中で,給食部の格式の問題に関連して

会計余談

著者: 福岡寿三

ページ範囲:P.21 - P.24

舞台裏の仕事
 幕があくまでのあわただしいふんいき——行き交う人のさざめき,ものを引摺る音,金槌の音——見物人にとつてはおよそ退窟なひとときである。
 舞台裏の仕事が演劇構成上どんな役割をもつているか,演劇効果とどんな関係があるかなど,よほどの物好でない限り詮索する者はあるまい。

地方公立病院開設者の考える事ども

著者: 伊藤浜吉

ページ範囲:P.25 - P.27

序言
 病院の消長盛衰は,其の病院に職を奉ずる院長始め,全従業員の心構え,勤務振りに依つて,大なる影響を受ることは勿論であるが,開設者の理念と其の態度によることも亦見逃すことのできない重要な事実である。
 予算が小さい府県の予算に近い様な大都市は別として,小都市又は町村の公立病院の開設責任者は,如何なる理念のもとに経営すべきかにつき,愚見を述べて,大方の御批判を仰ぎたいと思つて此の稿を草した次第である。

病院史概説(15)

著者: 岩佐潔

ページ範囲:P.56 - P.60

XVI.アメリカ初期の病院
1)スペイン及びフランス植民地の病院
 コロンブス(Columbus 1454—1506)が西インド諸島を発見したのは1492年で彼はその後4回主として中部アメリカ地方を探検したのであるが新大陸を発見とたとは思わずインド乃至ジパングの附近と確信していた。コロンブスのアメリカ発見に数年遅れてイタリア人カボツト(Cabot)はイギリス王の命によつて北アメリカ東岸を探検し又ポルトガル人カプラルは南アメリカのブラジルに漂流して,そこをポルトガル領とした。1500年のことである。次いでイタリア人アメリゴ・ヴエスプツチ(Amerigo Vespucci)がブラジル地方を探検してその紀行を公にして大陸の地理を精しく述べたので以後この新大陸は彼の名にちなんでアメリカと呼ばれることになつた。しかしこのアメリカに最初に大いに勢力を延したのはスペインであつた。その植民地は南米から,メキシコの地に及んだ。この時代の医療施設は一時しのぎのものが多かつたが,アメリカ大陸における最初の病院はHernan Cortezがメキシコ市に1524年に建たものであつた。この病院は今に存続しているがスペインの征服者が建築のすばらしい知識を持つていたことを示すと共に病人に対する思いやりの記念となつている。1538年にはLimaに僧Francesco MolinaがHospital San Andresを造つた。

Doctors' Taperecord

ページ範囲:P.61 - P.61

院長のM-W性
 近頃は名士をつれて来て,男性中の女性率(W)女性中の男性率(M)を表わす事が流行している。院長と云う性格の内にClinial leader (C)とAdministrator(A)と云う完全に分離出来る二性格がある。今試みに都内の院長を爼上に乗せて分析して見るとどうなるであろうか。勿論これは全くの私案であるから,あるいは御不満の方もあるであろう。しかし,この率は,決して使用している時間に比例するものではない。管理的に時間を使えば使う程,実は管理のヂヤマをしている事があるからである。
高橋先生(東京逓信) C9 A1佐々先生(関東逓信) C10 A0塩沢先生(東京警察) C6 A4橋本先生(聖路加) C4 A6原先生(広尾) C1 A9神崎先生(武蔵野日赤) C2 A8坂口先生(国立第一) C8 A2美甘先生(東京大学) C10 A0

研修所だより

著者: 岩佐

ページ範囲:P.65 - P.65

 昭和30年度春の短期講習会は4月20日(水)から第1回が開始されました。これは研修会としては第51回目に当り事務長特に公立病院の事務長を主体として計画されました。受講者は全国各地からの42名で一般病院の他に精神病院,結核療養所,産科病院等もありました。講義内容は殆んど従前通りでありましたが「社会保険」の講師として始めて厚生省保険局の館林医療課長にお願いしました。以前はやはり同じ医療課長であつた五十嵐先生にお願いしており,保険医療の本質,その適正診療と言われている水準の意義等について詳しく正確な話を伺つていました。保険の問題はその点数や単価の問題を通じて直接病院の收入面に大きく響きますので,各受講者共熱心に傾聴し又質疑討論も大変盛んでありました。その後五十嵐課長が他課に転じてからは暫くの間医療課の課員にこの講義を依頼していたのでありますが,今回始めて館林新課長の講義を聞くことになつた訳です。五十嵐前課長の話も大変面白く有益であつたのですが,それは保険局の責任者の立場から保険医療の重要な担当者である病院管理者に自分達の立場を説明し理解と協力とをもとめると言つた種類のものでありました。所で館林課長の話は新しい観点から現行の医療保険の制度を眺めて色々の問題点をえぐり出しそれに対して忌憚ない批判を加える底のものでありましたので,又別の意味で大変興味深いものでありました。

病院給食

中央盛付配膳

著者: 国立世田谷病院

ページ範囲:P.29 - P.38

1.本制度の目的
 従来当病院で実施中であつた給食方式は調理品を調理場に於て配食罐に収め病棟毎に区分し,配膳室まで運搬してここで病棟看護婦,雑仕婦等で患者個人別に盛付し患者のもとに配食していた。この方法を具に観察するに作業人員を徒に要し長時間を浪費するのみで温食給与も不統一,不可能な状況にあるため,これを全般的に改善する手段の一として昨年1月20日より3日間従来の給食系態に副つて調理品が患者に配食せられ摂食するまでの所要時間,作業人員,食品の温度等を細部に亘り調査した。その結果,多数の作業人員を要しながら温食給与も意の如く行われていないので,中央配膳方式を採用することとし,調理後直ちに個人別に盛付配膳する計画を樹立し,これが実施に依り食事の衞生的取扱,温食の給与,盛付の技術的向上に依る患者の完全摂取,給食作業人員の削減等を図り,従来の病棟配膳室に於ける看護婦,雑仕婦等の作業人員は看護並びに清掃等の本務に従事する態勢とし,完全給食の質的向上,中央配膳による給食の合理化を達成することとした。

グラフ

国立身体障害者更生指導所—身体的低格能力の世界より作業能の社会えのかけ橋

著者: 稗田正虎

ページ範囲:P.41 - P.54

 現代医学の発達は,予防医学や治療医学の発達と平行して,医学の第3相として疾患,外傷又は先天性欠陥により低格能力者となつた人を,ベツトの上から職業までの全期間を通じ,患者に残つている全ての機能を利用し啓発して,自分で生活することと働くことが出来るよう治療し訓練する社会復帰医学を完成し,身体障害者の更生指導(REHABILI-TATION)として,世界各国は互に知識を交換しあい,各国の社会的経済的情勢に応じた進歩をとげつつある。

病院長ブロフイル・22

病院そのものの具象山中義一氏(県立岐阜病院長)

ページ範囲:P.55 - P.55

 岐阜市の郊外にある岐阜病院は1昨年,国から県へ移譲された病院である。正面に立つて眺めた病院の姿は,鄙びて古めかしく,旧陸軍病院そのままといつた感じ。
 ところが,中に入つて拝見すれば,病棟と炊事場は木造ながら,能率と清潔に焦点を合せた最新の施設であるし,目下建築中の手術棟はエアコンデイシヨニングの設備をもち,中央材料室を附設して一層現代的なものに仕上がることになつている。運営の面でも,看護の3交代制は勿論のこと医事の中央管理から薬剤・器械の中央配給機構まで,一切,現代の病院管理形式に則した経営が行われている。

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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