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雑誌目次

雑誌文献

病院13巻4号

1955年10月発行

雑誌目次

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中央配膳制度による温食給食

著者: 阿部英作

ページ範囲:P.2 - P.7

 病院給食即ち団体給食の最大の隘路は,個々の嗜好の最大公約数を何処まで堀り下げ得るか,又この事によつて摂食量の平均値の増加と,制約される給食費の範囲内で,最大の栄養価を確保,維持せしめ得るか,と云う点にあると考える。
 この隘路打開のため当所では次の事を実施して,漸次成果が挙りつつあるので,ここでその一部を報告し,諸賢の御批判を賜りたい次第である。

豊岡病院設計覚書

著者: 山根正次郞

ページ範囲:P.9 - P.14

まえがき
 おおさか9時50分発出雲大社行急行いづも号に乗ると,およそ3時間40分で「とよおか」に着く。その次に有名な名勝「玄武洞」をはさんで,古くからの温泉地「きのさき」がある。この豊岡市の東方に巾の宏い円山川がのろのろと流れているが,駅からバスの通るひろい道路を東に進みこの川にぶつかつたところ,眺めの良い堤防に接して公立豊岡病院がある。私がこの街に初めて足をふみ入れた時,何となく曾て来たことがある土地の様な身近かな気がしてならなかつた。私は京都で生れ育つたのだが,それほどここは京都の感じによく似ている。と云つて寺や神社が多いという訳でもないのだが街の家なみ,民家のただずまい,小さな物売りの店の品物のならべ方とか,その前に小腰をかがめているおばさんなどと云つた様な事までがある沈滞さをもつて京都の勾いを感じさせるのである。此は京都人でない人が京都と豊岡とを比べてみてもおそらくはわからないと思われるような目に見えない底の方からにじみ出てくる肌ざわりとも云えよう。そんな事で私は豊岡の町に初めから非常な親近感を持つ事が出来た。
 豊岡病院は大へん古い歴史を持つていて,創立されたのが明治4年と云われ,現在の建物は木造二階建で敷地約6800坪,病床280床,建築延面積約2200坪の規模をもつている。

病院管理のやり方の一指針(1)

著者: 厚生省国立病院課 ,   尾村偉久

ページ範囲:P.17 - P.21

 経営体は,合理的な,確立された組織を必要とする。組織は,適当な管理の階層によつて構成され,各階層の責任者の部下は,有効に統卒できる範囲の数でなければならない。責任は明確に定めなければならないし,責任に相当する権限を伴つていなければならない。また職務は明確に割当てられなければならない。作業は,標準化され,成文化されることが必要で,その運用には充分の注意が必要である。組織の円滑な運用によつて始めて経営体はその目的を充分に達成することができるであろう。

病院外來部組織とサービスの改善(1)

著者: 金子敏輔

ページ範囲:P.23 - P.29

まえがき
 病院のサービスの基準とか,また最低的サービスはどうあるべきかという問題に現在病院管理経営の立場から相当関心が寄せられている。この問題は国民の医療水準向上のため重視され医療の標準化と国際標準の接近をめざして必然とり上げなければならないから,いままで不明瞭であつたこの分野に注目が払われ第5回病院学会に於ても現代日本の病院サービスの基準といつた研究宿題が報告された所以である。これは社会保険制度の今日入院料とか医療費の計算にも誠に意義が深いのである。serviceという言葉は意味が深くて訳せない広い味と含みをもつているので単に病院医療というより病院といつた複雑な経営の場所には,そのままサービスといつた方が適切でそれほど病院のサービスは巾の広いものである。
 さて病院のサービスを大きく分類すれば,入院部門と外来部門である。従つて外来組織とサービスは病院管理の重要な部門である。従来入院部門に関しては相当関心が持たれたようであるが,外来部門は病院の取入源の大なるものであるにかかわらず,必ずしも注目されていたとはいえない。その在り方はなんだか一つの型にはまつてこれでよいといつた具合で長年に亘りあまり,進歩を見せず,ただマンネリズムが続いているようである。一方現代の綜合病院は最新の医療設備と技術を応用して綜合的診断治療へとサービス面の改善をはかる傾向を示している。

病院診療圏と入院動機に関する研究(第2報)—東京都内の病院5施設における病院の機能差とその診療圏に関する考察

著者: 守屋博 ,   岩佐潔

ページ範囲:P.45 - P.48

緒言
 先に国立東京第一病院(以下東一と称す)において入院患者の入院経路と動機に関する調査研究を行い,その結果と診療圏との関連について考察を加えたのであります註1)が,それに引続いて東京都内にあるそれぞれ性格の異つた病院4施設を撰びこれ等に対して東一で施行したと同じ調査を行い,その結果について比較検討を行つてみました。本研究も昭和29年度厚生科学研究費による「病院の診療圏に関する研究」の一部として行われたもので,なおこの結果については第5回日本病院学会においてその要旨を発表しました。本調査を施行して下さつた各病院の院長先生並びに関係各位に対して厚く謝意を表します。

ライ患者の收容(2)

著者: 森幹郞

ページ範囲:P.49 - P.54

(8)15才以下の子女との同居の看無
 入所前在宅中15才以下の子女と同居していた者は13人,未回答者中にも7人いる。合計34人中20人である。又,親兄弟に患者のある者は34人中12人である。家族のことなど祕密にしたがるものだがら実数はもつと上廻るであろう(第9表)。神経型,斑紋型は殆んど感染力を持たないが,感染力の大きい結節型が20人中半数を占めていることは,留守家族,わけても子女の健康管理の必要を痛感せしめられる。
 28年度に都道府県が検診した人員は92,114人だが,その都道府県別は第10表のごとく,相当新患者が発見せられている。

大学病院の建設計画展望(5)—岡山大学附属病院の卷

著者: 小林秀彌

ページ範囲:P.57 - P.59

 本年5月号以来北海道大学をはじめとして,東京大学・名古屋大学・京都大学と,夫々各大学の附属病院の将来建設計画を御披露して参りましたが,今月は今少し西に移つて岡山大学附属病院の将来計画について述べて見たいと思います。
 岡山大学の附属病院は千葉大学や長崎大学と同様に旧制単科大学の医学部としては比較的に鉄筋の建物を沢山持つている方で,夫々5階又は4階建のビルを第一,第二外科,小兒科,産婦人科,耳鼻科と5棟も持ち,其他に炊事場や精神科に生化学教室,医学部図書館等も鉄筋化されていました。この様な状態の所で戦災を受けて木造建物の大部分を焼失し戦後内科,皮膚科,藥局,其他を応急復旧で建てましたが充分なものとは云い難く,不足勝ちであつた事は申す迄もありません。

Doctors' Taperecord

ページ範囲:P.65 - P.65

社会の要請と医師の養成
 最近の新聞で,文部省は駅弁大学を職業専門学校という形で再出発させる,という案が報じられた。終戦後の学制改革で,地方々々の伝統もあり特色もあつた各種専門学校が一様に大学になつたために,従来の地方色や特色が失われ,二流,三流の所謂駅弁大学をやたらに造る結果となつてしまつたことは,いろいろな意味で惜しまれてもいるし,又それが近年の大学入学難の大きな原因の一つに数えられてもいる。文部省がこの様な再建策を考えるのも,その案の是非は別として気持はよく分る。医育機関も従来の医専が大学に昇格して,やはり従来の医専が医専なりにもつていた特色が失われ,二流,三流の医大の数をふやした,という感がないでもない。医師の教育水準が向上したのは結構だが,入学資格も卒業後の資格も全く同じということになれば,有名学校や一流学校に集中するのは人情であろう。
 学校の特色と云つてもそのフアクターはいろいろある。従来は実際家の養成ということに眼をおいた学校があつて,それはそれで社会にアツピールするものをもつていた。職業教育は大学本来の目的ではないと云つても,医学校の主な目的は医師の養成に他ならない。それならば,できるだけ社会の要請に合う様な医師を大学は養成して社会に供給すべきであろう。我が国の大学は医師の養成方針をたてるに当つてその様な配慮を果しているのであろうか。

研修所だより

著者: 岩佐

ページ範囲:P.67 - P.68

 9月15日より始まつた第54回病院管理研修会は22日に終了しました。これは事務長を対象としたものであつた関係上,受講希望者も甚だ多く定員の数倍がありましたが,そのうち全国から53名出席願いました。国立病院の庶務課長5名を含めて公立病院の事務長が主体でした。講義内容として新しいものは原講師の事務長論で,従来院長対象の講習では橋本寛敏先生が院長論を行つておられましたが,これに対応するものです。ただ院長の場合は一義的にその在り方を論ずることが出来るのに対して,事務長の場合は院長の在り方に従つて2次的に規定されて来る所により複雑な要素がある様に思われます。
 従来毎日の講義は9時に始まり4時に終了していましたが,4時では早すぎるとの声もありましたので,内容を増して5時までとしました。所が今回の感想録ではやはり5時まで,講義が詰められていて労働過重だと言う意見が可成り見られました。その一対策として石原所員の医療社会事業は希望者だけの課外講義としてみましたが,大部分の方が出席して特に変つたこともなかつた様です。

グラフ

外来診療のうごき—国立京都病院外來診療棟

著者: 安冨徹 ,   岩脇明夫

ページ範囲:P.31 - P.43

 国立京都病院の外来診療棟は昭和30年1月に竣工した。敷地の関係上三層となつている。患者はゆるいスロープを登つて二層目の玄関に入り,診療をすませれば地階から帰るようになつている。
 二層目(一階と呼んでいる)には受付,薬局などのおきまりのもののほかに新しい試みとして中央注射室がある。診察室は内科,外科,整形外科,産婦人科があり,その他に外来手術室,癌相談室,臨床検査分室,保健指導部などがある。三層目(二階と呼んでいる)には,眼科,耳鼻科,聴力検査室,小児科,皮泌科,歯科があり,玄関のホールの上が,医長室,医員室,図書室となつている。地階は血液銀行,製剤室,高血圧センターの診察室が主で,中央病歴室,歯科技工室,倉庫などを附属している。

病院長プロフイル・26

精神病院管理への深い造詣関根真一氏(国立武蔵療養所長)

ページ範囲:P.44 - P.44

 東京都の北多摩郡小平町,青々女とした武蔵野平野の一角に,赤松と雑木の林で囲まれた10万坪の大病院,これが国立武蔵療養所である。関根真一氏はここの院長であり,温顔の中に活気の溢れたその風貌は,この大病院の院長としてまことにうつてつけである。昨年還暦のお祝があつたとのことであるが,一寸信じられない色艶のよさである。
 博士は埼玉県の生れで,四高を経て東北大医学部を大正12年卒業した。学生中一時入隊して,卒業後2年目には,陸軍歩兵少尉殿の肩書をもらつた。それかあらぬか,どこか今でも軍隊気質のところがあり,規律を重んじ,平素は温厚であるが,一旦言いだしたら時に挺でも動かぬところがある。

読者の声

吾が病院の從業員教育とそのデモンストレーシヨン

著者: 高木直二

ページ範囲:P.61 - P.62

私の考え方
 私は折にふれて病院従業員教育の一端にとも考えて,従業員組合機関誌に勤務についての一般論を投稿して向上と反省の糧としたのであるが期待した程効果はあがらない。病院の従業員を分析すれば資格を必要とする医師,歯科医師,薬剤師,X線技師,助産婦,看護婦,栄養士,調理士,ボイラーマン(一級,二級),運転手あり,交換手あり,将来国家試験の機運の熟している臨牀病理検査技術員あり,事務員(純事務,医療事務),労務員(工作,雑務,清掃),洗濯員,炊事員,裁縫婦,看護助手(雑用のみやる)等さまざまな人的要素が混在している。社会も近代病院に対して益々公共性を要求しているので,従業員も強い自覚をもたねばならない。職員が変動する毎にそのブロツクの先任者は自分の仕事を多少共犠牲にして教えるのが従来のやり方であつた。形の上で穴をうめたのであるが職員として服務上遺憾な点があつて対内的に時には対外的にトラブルを起す原因ともなる。数年前私が得た経験を基にして病院管理と云う雑文を発表し,これに関係ある給食部従業員の在り方と題して簡単な手引を書いてみた。次で私が病院の職員のサービス集を書いて組合機関誌に出し,それを適当な機会にデモンストレーシヨンすることを約束したのである(昭和29年12月)。サービス集は次の通りである。
(1)病院勤務者は常に奉仕の精神を忘れずに。

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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