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雑誌目次

雑誌文献

病院13巻6号

1955年12月発行

雑誌目次

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病院に於ける診断の中央化—診断病棟システムについて

著者: 守屋博

ページ範囲:P.2 - P.4

 病院の近代化は作業の中央化,専門化に始まつており,ある程度成果をおさめている。この原則は単なる機械的作業に止まるべきではなくて,医療活動の内もつとも頭脳的である診断にまで応用きれるべきではあるまいか。
 1人の患者の診療行為は常に1人の医師の一貫作業として行われる。外来に来た患者は1人の主治医によつて入院きせられ,診断をうけ,手術され,治療され又外来にかえされて全治すると云う経過をとるのである。

外来患者数の一分析—お盆と夏休み

著者: 今村栄一

ページ範囲:P.7 - P.10

外来患者数の動き
 患者数の統計はしばしば見受けられる。しかしながらその意味づけは簡単には行えないことは,実地にたずさわつている人なら誰でも気づいていることである。患者の来院,入院が疾病以外の条件に左右されることが少くない。その明らかな例は年末年始であろう。年末になると在院患者数が減少するのは,正月をひかえての心理的あるいは家庭的事情によることが多く,外来患者数の減少も年末年始の外来診療の休みが多いことが影響している。緊急の患者はそれでも来院するのではあるが,やはり年末にまとめて来て,正月には急に少くなる(「病院」7巻2号)。
 こうした事情は期間が長くなつたり,種々の要因が重なるとわかりにくくなる。患者統計をみるときにはその根柢となる条件を把握すべきであつて,単なる数値の比較では危険を伴うであろう。

O.T.(作業療法)について

著者: 長谷川峰子

ページ範囲:P.11 - P.13

 O.T.は,Occupational Therapyの略称で日本語に訳しますと心理作業療法と云う言葉が適当ではないかと考えます。
 米国に於けるO.T.は第一次世界大戦の時にヨーロツパ各地のアメリカ陸海軍病院で始められ戦後一時経済的事情や専門家の不足又一般の理解が乏しかつた為等から発展が遅れて居ましたが,第二次世界大戦と共に再び其の必要性が認められ現在では主として陸海軍病院,傷夷軍人病院,精神病院,結核療養所,肢体不自由者養成所,精神薄弱兒特種教育学校等に於いて盛んに利用きれています。

再び地方公立病院開設者の考える事ども

著者: 伊藤浜吉

ページ範囲:P.15 - P.19

まえがき
 「病院」第12巻第6号(昭和30年6月15日発行)に愚見の一端を発表したところ,その反響が意外に大きく,各地の病院から,多くの讃辞やら,批判やら,質疑に接した。これは,地方財政窮乏の折柄,地方公立病院の経営については,各方面で,色々な苦難と,悩みに直面せられている証拠であると信じ,一々愚見をなるべく詳細に回答したり,礼状を出したりしたが,手紙では,その意を十分に尽すことが出来ないので,その欠を補いたいと思い,再び執筆した次第である。

米国の医療社会事業を見て

著者: 山本武夫 ,   吉田文

ページ範囲:P.21 - P.24

 ここに掲載した厚生省保健所課の中尾技官のお話は,本年5月19日東京地区国立施設医療社会事業研究会に於ての講演の概略である。私たちの研究会は,できてまもないので一般にまだ知られていないとおもうが,毎月1回会合を催している。私たち会員だけのDiscussionで終ることもあるが,特に講師にきていただいて話をきくこともある。これまで講師をわずらわしたものは第3回研究会の土井正徳博士の「ケース・ワークに必要な精神衞生の智識」,第5回研究会の労働科学研究所員藤本武氏の「最低生活費の研究」,それとこんどの第6回研究会の中尾技官のお話とである。
 ここでついでに私たちの研究会を一寸紹介したい。医療社会事業は医学に比べれば,日本へ入つて来たのは比較にならないほどおそい。しかし,これは日本ばかりではない,この仕事自身がまだ歴史の浅い仕事で,その点からみれば,この仕事の日本への輸入は必ずしも遅れているとは言えないと思う。それにもかかわらず日本ではちつとも発展しないで,一部の人々にこの仕事が知られているに止まつて,日本の医療活動の上で重大な役割を果すというところへまだ行つていない。政府もこの仕事にまだ本腰になつてくれないし,この仕事の周辺のPersonnelも,この仕事の必要性をどれだけ認めてくれているか心細いと言おなければならない。その第一の原因は私たちsocial workerの質の問題だと思う。

医師收入の推移の研究

著者: 守屋博 ,   岩佐潔

ページ範囲:P.37 - P.40

緒言
 先に大学附属病院7施設において医局実態調査(註1)を行い在局年限の平均や医局から外部へ補任する場合の初任給の状況について考察を加えたのであるが,大学の医局を出てから後の収入状況の変化,特に開業医と勤務医師の収入の比率やインフレによる医師収入の影響等について検討する為某大学医学部の大正3年以降昭和18年までの卒業者300名について卒業より現在昭和30年に到るまでの経路と月収について調査を行うてみた。解答を得たものは120名であるが昭和3年の卒業者については特に38名と言う多数の解答を得たのでこの年次卒業老の調査結果を中心に医師収入の推移について考按を試みる。

病院経営の一考察

著者: 宮崎貞雄

ページ範囲:P.41 - P.44

企業形態として
 日本経済の脆弱性に胚胎した企業の衰徴か景気循環の一過程のための不振か被占領後アメリカ依存経済による為政者の失政の余波か,兎に角主たる経営の事業が収支の均衡を破つて赤字経営を続くる経堂困難の今日,独り病院経営のみが超然と赤字経営をほしいままにすることは許されない,という理由の下に診療単価(事業体特有の低単価で現行単価では独立採算制はできない)の値上げによる病院収入の増加を計り,主たる事業の再建の一翼を荷うべくであると強い要請をうける急迫した病院の現段階こなつたのであるが,然しながら診療単価の値上りは,主たる事業の従事職員の収入(間接収入)との因果関係もあつて,実施の運びにはならなかつた。
 一つの事業の附属施設としての病院経営であつてみれば,主たる事業の消長に伴い病院経営の伸縮がコントロールされる事は否定できない一つの事実である。資本主義社会の経済機構の中に育まれ発展してきた結果として,その企業経営が資本主義社会の経営機構の中に消長浮沈することを脱することはできない。

食養問題についての若干の考察

著者: 村上実

ページ範囲:P.45 - P.49

I.食養の在り方についての考察
 筆者は栄養士でもなければ,調理士でもない。日常食養業務に関係している,一事務員に過ぎないから,献立や食事内容について論ずる資格はない。ただ,食養事務室の一隅に座して,眼に触れ耳に聞くことどもの中から,問題点と思考される事柄を抽出して『岡目八目』的所見を述べて見たいと思うのである。
 古い時代の病院炊事は,いわゆる『板場さん』が中心となり,炊事婦を指揮して調理し,単に,三度三度の食事を患者に提供することを以て,能事了れりとする処の下宿屋か,寄宿舎式給食方式がとられて,別に不思議とされなかつたのである。このやり方は,今日から見れば『管理以前』の考え方に基くものであり,過渡的現象として,当然と言えば当然かも知れないが,患者にとつては,まことに迷惑至極なことであつたに違いない。尤も,その当時は完全看護は実施きれておらず,付添人をおくことも自由であつた上に,病院給食の喫食は必ずしも強制されるものではなかつたから,多くの場合,病院から提供きれるものは付添人に食わせ,患者の食事は付添人が自炊をして,本人の嗜好に応じたものを提供することによつて,一応満足していたのである。

病院史概説(20)

著者: 岩佐潔

ページ範囲:P.51 - P.59

XXI.組織化医療と病院
1)イギリスの社会保障制度
 高層大規模病院が続々と建設されているのが20世紀の特長でありその代表であるアメリカにおいても此等病院相互間のある種の連携が問題とされていることは既に述べたが,これを「多元的集中的結合方式」と呼ぶならばイギリスにおいては経営主体を統一して国家事業として病院運営を行う所の「一元的散在的結合方式」が実現した。これ等2方式はその発現形態を幾分異にしてはいるけれども国家的規範において医療網の完成を実現し国民全体に必要にして十分な綜合的医療を与え得る体制を確立しようとするその意企は同一であつて社会保障制度と関連した20世紀における1つの世界史的動向と見なければならない。
 イギリスに於ては社会保障制度の前駆的制度としてエリザベス女王の治世1601年に救貧法が制定され,一方にはギルドや友愛組合等の私的な相互扶助も可成り発達していた。1906年の総選挙では自由党が社会改革の計画を旗印にして大勝利を得た。この自由党と言うのはアスキスや,ロイド・ヂヨージにひきいられたもので労働者を代表する政党の最初の勝利であつた。1908年には救貧法とは本質的に異なる権利として要求し得る様な70才以上の老齢年金と学校における無料の医療サービスが始められた。1912年には同じくアスキス内閣の蔵相ロイド・ヂヨージによつて健康保険法と失業保険法が作られた。

Doctors' Taperecord

ページ範囲:P.61 - P.62

管理職と技術職
 最近ソ連や中共を視察して帰つた人達はしきりに彼の地における技術の尊重,技術者の優遇ということを唱え,目下来朝中の郭沫若氏も入国の第一声においてその事実を裏書した発言を行つている。一頃前のアメリカ帰りの人達も矢張り同様のことを云つていたことはまだ我我の記憶に新しいことであるし,ドイツにおける技術尊重の精神はドイツ科学の原動力をなすものとして,つとに周知のことであつて今更贅言を要しない。
 このようにみると,今日世界で隆々たる国或いは新興国家では特に科学技術の振興に力を注ぎ,技術者を優遇して第一級の人材をこの分野に送りこまんとしているようにうけとれる。

研修所だより

著者: 岩佐

ページ範囲:P.63 - P.63

 開設者対象の第56回研修会が終つたのは10月20日でありました。我が国病院にはGoverning Boardと言われる様な組織があまりなく,開設者と言う範疇が明瞭を欠いた点もあつて,従つて講義の焦点もぼやけ十分所期の成果をあげ得なかつた様でありました。開設者は本来病院を利用する一般社会人を代表して病院の大方針を決定するものであり,院長はその大方針に従つて実際の管理運営を行うものでありますが,人事権やその他色々の点で権限上の問題もあり開設者側に新しい病院のあり方を十分理解して頂くことは是非必要でありますので,我々としては今後共この種講習会を引続き行いたい気持でいます。或は講習会と言う形でなく懇談会哉は御意見拝聴会といつたものとしてでも,本当に実権を持つている開設者と我々との意志の疏通を計りたいと思つています。
 次いで第57回研修会は病院長を対象として11月10日から17日まで開催されました。国立東京第二病院をはじめ国立9施設,自衛隊病院2ヵ所の外主として公的病院から合計39名の出席者でありました。次第に研修所で話している様な体制が地方の病院でも広く実行され一般的な考え方も変つて来ているので,研修会に出席して来たがあまり目新らしいこともないと感じられた方もあつた様です。

グラフ

病院のフロント—慶応義塾大学医学部附属病院—国立東京第一病院—関東逓信病院—都立豊島病院—日赤某病院—社会保険中央病院—東京女子医科大学附属病院

ページ範囲:P.25 - P.35

 大学附属の綜合病院として本院は学術研究の最新の成果を取り入れた医療技術と設備とを合わせた診断,治療,手術を始め,短期入院による健康診断(通称人間ドツク),家族計画相談室など,各部門にわたつて特質をもたせている。ではこの様な病院の玄関は如何なる機能を果しているか,又現況はどうか,といつて,ここで両者の相関性を問題にすることはしばらくおき,一番身近な病院受付事務や薬局などに就いて,その大様を記して参考に供する。

病院長プロフイル・27

脊髄損傷の父岩原寅猪氏(国立箱根療養所長)

ページ範囲:P.36 - P.36

 世の中にはいろいろの不具があるが,最も悲惨なのは脊髄損傷である。下半身甚しきは全躯肢の麻痺,それに加えて膀胱,直腸,性器の麻痺という最大の不具が備わり,亦生命の危險さえ伴つている。この脊髄損傷の中特に重度のものばかりを収容している病院が箱根療養所であつて,日本ばかりでなく世界でも珍しい病院である。この病院の院長が岩原博士である。
 博士は,慶応医学部の整形外科の教授であり,戦争前後にそれぞれ脊髄外科の特別講演を整形外科学会で担当された脊髄外科の第一人者である。同時に脊髄損傷患者の最高の同情者であり保護者である。即ち脊髄損傷の日本最高の理解者である解だ。

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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