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雑誌目次

雑誌文献

病院14巻1号

1956年01月発行

雑誌目次

特集 Dr. MacEachern

日本の病院の皆様へ

著者:

ページ範囲:P.3 - P.3

Dr. MacEachernをWHO顧問として迎えるに当つて

ページ範囲:P.4 - P.5

 「すべての人民の健康は世界の平利と安全を達成する基礎である」という信念に立つて,国連の保健衞生の専門機関としてWHO (World Health Organizationが生れたのは1948年であつた。現在世界の主な国84ヵ国が加盟しているが,わが国も1951年以来加盟国の一員として今日に及んでいる。WHOが行つている事業にはいろいろあるが,そのうちに各国に対する援助指導事業という仕事がある。これは世界各国の現地を対象とする活動で,比較的未発達の国々に対し,その必要とする専門家を派遣して指導に当らせたり,奨学金制度によつて,各国の若い技術者に対し,海外研究の便を与えたり,専門家派遣に伴つて必要な器材,文献等の供給を行つているのである。
 わが国がWHO加盟後,WHOよりわが国がもつている公衆衞生関係施設及び機関を隣邦諸国,主として中国(台湾)の衞生技術者の研究及び再教育のために提供するよう呼掛けがあり,1952年以降毎年10名内外の中国人がWHOフエローとして,わが国へ派遺されて来るが,その反面わが国からも毎年10名内外のフエローが各先進国へ派遣きれる他,数名の専門家をWHO顧問として迎えているのである。

「ミシガン」湖畔の印象

著者: 吉田幸雄

ページ範囲:P.8 - P.9

 ミシガン湖から吹く風が肌寒くなつて来た1951年の11月のある朝,私はアメリカ病院協会へ向つて一心にペープメントの上を足を運ばせた—今日愈々「マツク」さんに会えるのだという喜びに胸をときめかせ乍ら—。あの古めかしい病院協会の玄関を入つてから,暗い入り込んだ通路を通つて「マツク」さんの事務室に,若い小柄の彼の秘書に連れられて入つた。そして「マツク」さんと面と向い,彼の目差しを受けたときは私の感激の極致だつた。
 既に写真では彼の容姿を知つてはいたが,現実に,彼のボリウムのある勢力的な肉体の威観,彼の信念に徹した而も思索的な容貌に向い合い,更に愈々彼の大きな手と私の小さな手が握合つた時には,彼の魂がグツト私の心をとらえたように私は身振いした。

マツクさんを語る

著者: 島內武文

ページ範囲:P.9 - P.10

 1948年頃私は国立第一病院で,部厚い洋書と取りくんでいた。これがマツクさんの本である。その医療に関する全く新らしい見方と,その豊富な内容に,こんな本があつたのかと感心して耽読したものであつた。これが私のマツクさんとの紙の上での初対面であつた。
 その年の末にいよいよ病院管理の研修が始まつた時,この本の内容とその頁数に比例した時間割がくまれて,当局を難なくよろこばしたものである。

マツクさんのこと

著者: 小西宏

ページ範囲:P.10 - P.11

 シカゴという所はアメリカ第2の大都会であり,日本で云えば大阪というアメリカの心臓部でもあるので単なる見物としてもスキツプできない所であるが,こと医学に関しては,アメリカ医師会の本部やアメリカ病院協会の所在地でもあり,決して見逃せない土地である。併し,若しマツクさん(Dr. MacEachernの愛称)がここにいなかつたとしたら,恐らく私はあれ程の期待に胸をふくらませて,この汚い風の強いまちを訪れたかどうかわからないと思う。短い滞米期間の約1/5に当る日数をここに割いたのも,偏えに彼の声咳に接するため,と云つて過言でない。彼を1898年に建てられたというまるでアメリカという国に似つかわしくない古ぼけたアメリカ病院協会の一室に,同行の中村事務官と2人で訪ねたのは,1952年も押しつまつた12月16日の朝であつた。前日に連絡しておいたので,8時にドアを叩くと既にマツクきんは出勤して待つていてくれた。机に向つて一所懸命何か書き物(Hospital organiza-tion and managementの改訂をしているとのことだつた)をしていたが鋭い眼でこちらをギヨロリとにらむとすぐ立つて来て,稍々猫背の高い背を屈める様にして右手をつき出した。そこで初対面の挨拶をしたのだが,その声の大きいのには一驚した。あとでわかつたことだが,彼は少し耳が遠い。それで電話をかけるにも部屋中に轟く様な大きな声を出す。

マツケークルン先生

著者: 落合勝一郎

ページ範囲:P.11 - P.12

 シカゴの秋は早足にやつて来て,9月も終り頃になるともう街路樹が色づき,ミシガン湖からは朝夕めつきり冷たい風が吹き上げて来ます。
 昨年の10月も間近い或る日,前もつて約束をしておいたので,ミシガン湖畔に程近いイースト・デイヴイジヨン大通りにある煉瓦造りの,古風なアメリカ病院協会の建物の一室にマツク先生をお訪ねしました。マツク先生との面会のスケジユールを作つてくれた顔見知りの若い秘書のミス・ソトスに案内されて,先生のオフイスに入りますと,6尺豊かな大がらの先生は,自らドアーの側まで歩いて来られ,初めての会見で少しばかり緊張して居た私に,大変親しげに握手をして色々と旅の疲れをねぎらつて呉れました。先生の印象は一言で云えば,非常に好感の持てる好々爺,老学者と云う感じと,もう一つ,仲々華手好みで活動的でもあり,年よりも,はるかに若々しいと云う感じです。

恩師Dr. Malcolm T. MacEachern

著者: 小林玄一 ,   落合

ページ範囲:P.13 - P.17

 私がマツク・エツク・ラン先生の名を初めて知つたのは確か1948年の頃かと思う。丁度その頃,私は鎌倉の友人の病院で,その管理に心を砕いていたので,先生の名声と米国に病院管理学と云う学問のある事を聞いて少なからず我が意を強ようしたものだつた。1950年病院管理研修所第二回長期講習を受くるに及び,先生の名著「病院組織と管理」にも初めて接し,亦米国病院管理学の内容をも伺い知る事が出来て,私は長年の宿願が叶つたかのように喜んだ事を覚えている。その後,友人の病院を去つて,鎌倉在住の詩人菊岡久利氏と,鎌倉市に所謂開放式カムユニテイ病院の設立を企画し,その際,一般市民と開業医諸兄の協讃と啓蒙とを兼ねて書いたパンフレツト「市民の病院」中には今読んでも決して正鵠を失していない程度の内容が書かれている迄に私はマツク・エツク・ラン先生方の思想の継承者となつていた。更に私が某米国医師の勧めと亦自分でも,その必要を痛感したので,同病院の設立計画を一時中止し,1951年の暮先生の下へ渡米留学するようになつて,先生と私とめ間には師弟の間柄と云う親密な関係が生ずるようになつた。そもそも当時の私の渡米の目的は上記のように病院設立の前に米国の病院の実際を見る必要を痛感し,米国の病院管理学なるものを目で見て勉強しようと云うに外ならなかつたが,それと同時に先生に会つて見たいと云う念願もかなりなものであつた。

マツク博士の印象

著者: 中村一成

ページ範囲:P.17 - P.18

 昭和27年の12月,酷寒のシカゴに空路,ボルチモアより乗り込んだ私と小西宏氏(病院管理研究所教務主任)は,マツク博士と会えるという期待で胸がふくらんでいた。「病院管理の研究」というテーマで,WHOのフエローとして,米国及び英国への出張を命ぜられてその10月の月末日本を発つたとき,我々二人にとつて,いろいろ視察したい目標があつたうちで,人物として会いたかつたのは,米国ではマツク博士,英国ではキヤプテン・ストーン氏であつた。
 マツク氏の名著"Hospital Organizationand Management"については,すでに昭和24年頃から医務局病院課の吉田技官(現在山形県衞生部長)らと目を通して知つていたが,この著者がどんな男か,是非話してみたいものだという気持は,この本を理鮮する程度の進むにつれて高まつていた。

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入院業務ことにその手続の考察

著者: 今村栄一

ページ範囲:P.21 - P.28

 入退院の業務は病院の患者扱いの良否を左右するものである。もちろん患者の扱いにおいては精神的要素は軽視すべきでなく,旅館に泊つた際に気持よく迎えられ,晴れやかに送り出されることが,旅館とそこに泊つた印象とを良くするように病院においても同じような心構えは大切である。そしてまた一方においては,患者の事務的処理を合理化し,能率化することは,病院経営に利するばかりでなく患者の利便にもなるのである。
 入退院の業務を改善し合理化することは病院管理における一課題である。最近各病院において,この方面への努力も活溌となつて来たことは喜ばしいことであり,参考とすべき点も少なくない。しかしながら多くの場合個々の病院の特殊性を背景としているためにその病院全体を理解しなければならない場合もあり,その中の長所を集めるとしても入退院の事務を標準化するには,なお幾多の検討を要するものと思われる。

藥局の適正業務に関する研究(第1報)—藥剤科業務内容の実態調査

著者: 正井英一 ,   尾原実 ,   中谷健治郞

ページ範囲:P.29 - P.37

目的
 藥剤科の業務については,従来屡々人員特に藥剤師の不足,事務量の過剰,設備の不足等が訴えられて来たが,これ等の基準となるものには"医療法の1日80剤に対し藥剤師1人""日本藥剤師協会:剤の基準""同:病院藥局藥剤師定員基準案"等あるのみで,病院によつては実状に即さない点も多々あり,仲々満足し得ない現況である。
 特に我々国立病院藥剤科の業務には他病院のそれと相違する点も多いので,国立病院藥剤科の業務を円滑に運営し適正に管理して行くには,先ず国立病院の実情に即した,実施の可能性ある基準が出来て,初めて互に正当な比較も出来又改善も出来るのである。

病院の前進を阻むもの

著者: 村上実

ページ範囲:P.57 - P.61

 わが国の総合病院は,大学病院,官公立病院を主として,その他のものも,大部分は公的機関の経営に属するものであることは周知の通りである。
 これを経営主体別に見れば,厚生省,文部省,大蔵省,郵政省,法務省,国鉄,専売公社,電々公社,都道府県,市町村,財団法人,公益法人,学校法人,社団法人,健保組合,国保組合,協同組合,職員共済組合,農協,済生会,企業会社等々である。之に依つて見れば総合病院というものは,大体に於て,公的機関の経営する病院と,企業会社経営の産業病院とに大別されるようである。勿論,この他に個人経営のもの,或は医療法に基く医療法人のものもあるにはあるが,それらは経営規模が極めて小さく,総合病院の範疇に入り難いものが大部分である。

Doctors' Taperecord

著者: ,  

ページ範囲:P.64 - P.65

新春お笑い
○精神病院  時には医師より患者の方がものを知つていることがある。或精神病院の外来で問診の際,以下の様なやりとりが女医と患者の間に行われた。
女医「少年と小人はどこが違いますか?」患者「大違いのことがあるでしようネー」女医(力ずけるようにほほえみ乍ら)「どんな? 例えば?」患者「そうですネ……小人が少女のことだつてあるでしよう?」

研修所だより

ページ範囲:P.67 - P.67

 明けましておめでとうございます。研修所も今年は第8年目を迎えることになります。この間に開催した講習会も短期研修会58回,長期研修科14回に及びその受講者総数も延べ,短期3210人,長期75人の多数に及んでいます。この中には医療監視員,総婦長,病院建築技士等も含まれていますがその大部分は院長及び事務長の方です。同じ方が再度来られたこともあり,同一施設から何人も来られたりしていますが,それにしても我が国の全地域に亘つて研修所の同窓生を持つことになりました。本年は当研修所としてもいろいろ発展が期待される年で,私共も従来の仕事に加えて新しい企画を多数考えていますので,全国各地の病院にあつて御活躍の皆様方に今後一層の御支援御協力をお願いする次第です。すでにたびたびこの研修所だよりでも御報告しましたように,これまでも各地で同窓会を兼ねた補修講座を開いております。昨年は北海道と富山で2度も開くことが出来ましたが,今年も引続き同様の同窓会を開きたいと思つています。なお同窓生の中に熱心な方がおられてこの種の不定期の補修講座だけでなく更に一歩すすめて組織的な同窓会を持ちたいとの希望があります。もし多数の御賛同が得られるのであれば私共も幹事役としてお世話させて頂き会報を出したり,いろいろ連絡をとつたりして我が国病院の一層の向上のために役立つような全国組織を作りたいと考えています。

グラフ

社会保険中央病院

著者: 小島博 ,   木村孝 ,   新井賢一

ページ範囲:P.39 - P.54

 社会保険中央病院は,全国保険病院のセンターとして昭和30年に完成された。ベツト数は300床,地上6階,地下1階で総呼数は約1,800坪,これに約320坪の高等看護学院が附属している。この病院は現在の一応完備した綜合病院が1床当り15〜20坪であるのに比べて,その約1/2〜1/3以下の1床当り6坪で出来ている。云わば現在の綜合病院のリミツトデザインである。
 この病院を使つて毎日仕事をしている吾々の立場からこの建築を見て,主に不備,不便な点を挙げて見よう。それが将来造られる病院に幾らかでも役に立てば幸いである。

病院長プロフイル・28

精神病患者と共に生きる菅修氏(県立芹香院長)

ページ範囲:P.55 - P.55

 横浜市の南方の丘陵地帯で丘に抱かれた芹ケ谷という好適の地に神奈川県立精神病院芹香院がある。表門から眺めると二階建の本館の右手の二階の窓が菅先生の院長室である。先生は芹香院の三代目の院長で昭和16年東京都立松沢病院から栄転して今日まで非常な努力を重ね困難を克服して芹香院の発展に力を注ぎ,土地の買収を重ねて敷地を拡張し,病棟の増新築ことに結核病棟の新設,近代的設備の完備した治療棟の新築,その他男女看護員の宿舎の新増築,職員公舎の増設,準看護学院の創立等を続々と完成し,今日の近代精神病院のモデルをつくり上げたのは先生の努力の結晶であり,先生の性格の発露でもある。
 先生は広島県の出身で北海道大学医学部を卒業するや直ちに上京して昭和2年東京都立松沢病院医員を拝命した。その当時は勿論青年医師であつたが,普通ならば相当年寄つてからでないと真の興味の湧かない問題に妙に興味を持ち出したのは若いとは云え年寄地味た優れたものを持つていたのが目立つた。先生の注目されたのは精神病者の処遇の改善の点であつて,先ず患者の作業療法の改善に目を注ぎその体制を整え内容の充実を計りついに作業療法の発展に大きな功績をのこした。又患者の生活状態の改善のため患者のリクリエーシヨンの必要性を主張し,医員と協力研究して今日の基礎を確立した。

読者の声

病院と入院患者家庭並にその関係者との連絡

著者: 後藤基彰

ページ範囲:P.63 - P.63

 入院患者の容態兼連絡書を,主治医と主任看護婦が共同でかいて,その患者の家族並関係者に,定期的に,送ることは,診療上好結果を生む。他方此手続によつて,主治医並主任看護婦が,入院患者の現況や予後につき,しめくくりを,定期的に繰返すことは,診療上プラスとなる。

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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