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雑誌目次

雑誌文献

病院14巻2号

1956年02月発行

雑誌目次

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マツク先生の急逝をいたむ

ページ範囲:P.3 - P.3

 マツクカーン先生は2月3日脳出血で突然長逝された。今夏WHO顧問として先生を迎え,先生宿願の日本訪問を実現せしめると同時に,近年急速に伸びたわが国の病院の実情を親しく見て頂こうと,楽しみにしていたわれわれにとつては,この訃報は文字通り青天の霹靂であつた。本誌では前号において先生歓迎の特集をした直後だけにその驚きと悲しみは深い。併し先生の病院に対する深い愛情と,70余年の生涯を捧げられた偉大な功績は永くわれわれの胸に生きるであろう。
 謹んで先生の御瞑福を祈る次第である。

新医療費体系に基く健康保険及び船員保険の新点数表について

著者: 厚生省

ページ範囲:P.4 - P.6

1.新点数表作成の経緯
 厚生省は,昨年9月新医療費体系を発表したが,この体系は,昭和26年1月の臨時診療報酬調査会の答申の趣旨に沿つて,医師,歯科医師及び薬剤師の専門的技術に対する報酬を物の対価と切離して評価するという原則と,国民の医療費負担に変化を来させないという原則とを考慮して,昭和27年に実施した医業経済調査及び医業経済精密調査の結果に基いて作成した新しい診療報酬体系であり,これに対しては,国会及び関係団体から各種の貴重な意見が寄せられた。
 この体系は,本年1月から医薬分業と同時に実施する予定になつていたが,昨年12月第20回国会において,医薬分業の関係法律が改正され,その実施が明年4月まで延期されたので,これに伴つてこの体系も明年4月から実施することとなつた。

病院における病類別患者統計作成方法に関する研究(1)

著者: 三神芳彦

ページ範囲:P.21 - P.26

緒言
 病院における外来又は入院患者についての病類別患者統計は,病院において作成されるべき各種統計のうちでも,最も基本的のものでなければならないのであるが,現在大学病院においてこの種の統計が作成発表されている例は,各国を通じて殆んどみられない。この最大の理由の1つとして患者統計作成に必要な各種の規約が,未だ整備されていないことがあげられる。こんにち,死亡統計の作成に関しては,相当完備した国際規約ができており,国際的,地理的に比較可能な統計が作成発表されているが,疾病統計には未だみるべきものの少いのも,同じ理由による。
 病類別患者統計作成に必要な規約が整備されるためには,規約の作成を必要とする問題の種類と所在を,まず考究する要がある。筆者はこの点を究明するため,東北大学医学部附属病院における外来及び入院患者を材料とし,これによつて病類別統計の作成を試み,統計作成上直面する諸問題の所在を明らかにし,これらに対して一応の提案を試みることにした。この提案は,これらの問題の觧決に論拠の資料を与えるためのものであり,必ずしも理想の觧決案を提出したものでないことは勿論である。

社会保障の一般的概念(1)—社会保障と公的扶助

著者: 一条勝夫

ページ範囲:P.27 - P.32

1.社会保障の意味
 「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」。これは日本国憲法第25条に成文化された国民の生存権である。こうした規定にまつまでもなく,人間が人間らしい生活を享受するのは,近代社会に生きるあらゆる人間の当然の権利であり,基本的な人権として成員相互が尊重し擁護しなければならぬのは勿論である。
 しかし乍ら,現実の社会生活においては,人間的な生活はおろか,動物的な生存さえ脅されている人達が甚だ多い。昭和25年国勢調査によれば,独立の家庭生活ができない「非住宅」に住む者は45.5万世帯もあり,88.7万世帯が6畳未満の狭苦しい住居に住む。一方,勤労者の11%以上が月額12,000円以下(昭28.11)の零細所得者であり,昭和30年3月末には84万の完全失業者が存在ずる。こうした断片的な統計からも推測できるように,われわれの生活は,享有するにも又,擁護するにしても,あまりにもあわれな現状であつて,他人の援助はおろか,自活の資を得るさえやつとの事である。このような中にあつて,就労できない老人,不具者,寡婦,孤児などの人々が貧窮のどん底にあえぎ,絶望的な生活を送つているのは当然である。しかも現に元気で働いている者さえ,老令,病気,災害,失業等の不断の脅威になやまされているのである。

病院管理上無駄や赤字をなくするには

著者: 大門繁雄

ページ範囲:P.49 - P.52

 病院の経営は,人的,物的に無駄があつてはならないし,又どこ迄も共同体で各部分が,一致してこそ,その業蹟があげられる事は,論を俟たない所であります。処でこの無駄である,ないの線をどう求めるかと云う事は,非常にむつかしい問題だと思います。
 病院は,その組織,機構,地域,規模の大小等が多種多様であり,その上患者の有無にかかわらず,あらゆる設備を要し甲の病院で無駄であつても,乙の病院では無駄でない等の場合があり,これを一律に論ずる訳にも行かないと思います。然し乍ら病院を管理する以上,その羅針盤のない経営は無軌道で危険であります。依つてどんな形態の病院でも一応その標準となる目標が必要となつてまいります。それではその無駄でない目標をどう求めるかと云う事になりますが,先ず自己病院自体の力,とでも申しましようか,活動能力とも申しましようか,その実体数を把握して収容患者数や,収支予定額を検討し,その線から出発して無駄でない方向へ進まなくては,ならないと思います。私はこの方向の求め方を狭義と広義とに分けて考えて見たいと存じます。狭い意義の無駄は,電灯,水道,瓦斯の節約とか,有利に物を調弁するとか,材料を再生して利用するとか,所謂消費節約方面の無駄で,枚挙に遑がないと思います。

ライ患者の結婚(1)

著者: 森幹郎

ページ範囲:P.53 - P.61

序言
 ライ療養所内に於て療養者同志が互いに結婚して療養生活をしている,と言つたら,驚く人がいるかもしれないが,併し,珍しい事でもない。半永久的に隔離収容せられねばならなかつた今日までのライ療養所に於ては,むしろ,当然のことのようにさえ思われていたようである。ということは,ライ不治ということの裏返し的表現でもあつたのだが……。
 明治中葉日本のライ患者救済のことに当つた外国のキリスト教宣教師たちは,患者同志の結婚を許さなかつたようである。その理由は患者同志の結婚を不浄,不潔視していたからであろうと思われる。又,キリスト教に於ては一般に避妊,堕胎を神の前に罪悪としているから,結婚の結果生れ出ずる子の処置に困つて,結婚そのものをも禁じていたのかもしれない。リイ女史が群馬県草津温泉のライ患者救済のことに手を染めた動機も,生活のために結婚を強いられている若き女子患者の姿に憐みの情を催したからである,と言われている。その頃のライ病院は男子舎,女子舎の区別がきわめてきびしく,これを破つた者は放逐せられたこともあつたようである。併し性慾は人間の基本的な本能であり,自ら欲してならいざ知らず,他律的に結婚を禁じられるということは,少数の選ばれた者以外には,不自然きわまりないことである。このような不自然を強要しつつ,患者を平静に収容しておくことは殆んど不可能でさえあつた。道徳の素乱,秩序の崩壊はむしろ何人にも容易に想像される所であろう。

Doctors' Taperecord

ページ範囲:P.65 - P.67

「タイムリー」
 世の中の行為には,それぞれに絶対的の価値を評価出来る場合もあるが,むしろその時期,その時々の環境,客観条件によつて,価値に雲泥め差がある方が多い。ベースボールのタイムリー・ヒツトは,名のとおり,誰にでもわかることである。今医療界のみならず世を挙げて関心のもとにある新医療費体系,医薬分業,社会保険の赤字の三つについてもよくこのことが当てはまる様に思う。むしろ最もマイナスのタイムリーにかち合つた感じである。医師の技術料と医薬等の材料費を分離することについて大方の反対は少ない。又特別な例外の場合を除いて医師は医療技術を,調剤は薬剤師がということも永年の懸案で,正しく解決すべき問題であることも理解されてきている。一方日本の経済状態の下で,社会保険の経済を,正当に軌道にのせるべき必要性についても,誰しも考えているところである。ところが,この何れをとつても大改革である問題を,時を同じくして,一挙に解決しようというところに,ものごとを相互に混乱させ,互に悪く影響を与えている感じである。タイムリーとは,一挙にやるだけが能ではない。逐次因が果をなして,好影響を与えてゆく様に順序を選ぶことが最も大切なタイムリーというべきであろう。少くともこの三つの事柄を一定の間隔を置いて,タイムリーに処理して行けば,事情は一変するのではないか。

座談会

病院開設者を囲んで

著者: 小笠原京太夫 ,   尾村偉久 ,   川瀨泰久 ,   小西宏 ,   新保正夫 ,   田村長太郞 ,   早川亮祐 ,   守屋博 ,   原素行

ページ範囲:P.9 - P.19

 小西  今日は1週間の研修が終つて,お疲れのところ特にお集まり頂きまして有難うございました。"病院"という雑誌は我国における病院管理の唯一の専門雑誌でございます。従来は開設者側の御意見というものがあまり誌上に表われていないのでたまたま今度開設者を対象とした初めての講習会にお出頂いたチャンスを掴えまして色々御意見を伺いたい。こういう趣旨で今日の座談会を設けたわけであります。
 そこで最初に5人の方からそれぞれの病院の性格について先ず伺いたいと思います。今度の講習会で最初に医務局長から,病院と社会とのつながりということを強調されたわけですが,それぞれの立場で社会とのつながり,それによつて病院のあり方が違うと思う。病院の立場から社会とのつながりということでお話を伺いたい。或いは病院の設立目的ということでも結構です。

グラフ

九州厚生年金病院

著者: 北岡直登 ,   增野豊

ページ範囲:P.35 - P.46

 九州厚生年金病院は,東京,大阪両厚生年金病院に後れること3年,昭和29年3月着工,昨30年3月開院,今年3月看護婦宿舎の完成により,400床収容可能となる。全体の完成は31会計年度であつて,未だ機械器具等に不備の面が多いが,"病院"の御要望により,現況を御紹介することにした。
 建物の設計は東京,大阪と同じ山田守建築士によるもので,為に数々類似点もあるが,更に改良工夫が加えられたことは当然である。とは言え前二者に比し予算上の縮減があつたために割愛を余儀なくさせられた点も見られる。然し又反面,出来るたけ無駄を省きスペースを最大限に活用する苦心が払われた結果,能率的なよくまとまつた病院となつたことは此の病院の長所と言えよう。内に容する設備の種類は,三者略同様であり乍ら,1床当の建坪は,前二者が約15坪であるのに比し僅かに9坪に過ぎないことは,如何にコンデンスされて造られたかを示すもので,此の種の病院としては,恐らくリミツトではなかろうか。今日既に外来部門は,患者500をさばくに狭さを感じているが,止むを得ない結果であろう。但し伝えられるいわゆる新医療費体系に切換えられてからどうなるか,興味ある課題である。

病院長プロフイル・29

フューマニズムの殿堂を築いた田代英太郞氏(済生会・福岡病院長)

ページ範囲:P.47 - P.47

 煌々たる眼光,角ばつた顔,これを応召歴の長い外科医だ,と言つたら,人はなるほどと肯くであろうが,患者第一主義をモツトーとするフューマニズムの実践者で,彈力と温かみを備えた病院の管理者であると言つても,人は一寸受取り兼ねるかも知れない。それが彼の第一印象だ。
 程遠からぬ距離に,大学病院があるにかかわらず,知事はじめ県庁の職員が,皆法人立の一小病院に診療を求めるということ,100ベツトそこそこという病院の規模で,毎日700名以上の外来患者を扱つているということそして,退院患者の中には,病院をふり返つて拝んでから帰る人があるということ,こねは皆,彼の病院の特異さを物語るものである。

読者の声

「ベツトより見たる病院の種々相」を讀んで

著者: 山田芳一

ページ範囲:P.63 - P.64

 本誌5月号のベツトから見た病院の種々相なる千種先生の短文を読んで,筆者に捧げたいと思う。この短文は先生の云われる様に確に病院の虚を衝いて居る。而もこれは先生の入院されて居た病院だけのことではなく他の多くの病院の運営について共通の死角を衝いて居る処に意義がある。この短文を読んで私もそうであつた様に「痛い」とは思つても不思議と反感は起つて来なかつたのである。丁度それは腫物にメスを入れられた感じである。看護室の「火気取締り責任者」「このサービスはどう思う」については多少異議なしとしない迄も,サバサバした気持であり又慈父に叱られた気持である。とりわけ病院紀念日の夕食については全く同感である。私達の療養所でもこの短文を読んだ時は17時に夕食を配膳されて居た。
 これは官庁と名のつく病院に公務員と云う人事院規則に依つて勤務時間を規制された職員に依つて運営されて居る私の知る範囲の殆どすべての病院はこの病院と同じケースをとつて居るのである。私の痛く胸を衝かれたのは「健康回復と其の増進を看板とする病院が食欲と無屯着な供膳を行つて居る」と指摘されたことにある。病院は医療を行う処であり看護も給食も又其の他の業務もこれに結集しなければならないのであつて,給食部門も例外ではあり得ないのである。私の勤務する療養所では所謂完全給食を実施して居り,献立は一週間前に病床に配られA食とB食の二種類の献立の中から自分の好きな食事を選ぶことが出来るのである。

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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