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雑誌目次

雑誌文献

病院14巻6号

1956年06月発行

雑誌目次

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弔辞故上條秀介君の靈に捧ぐ

著者: 一見赳夫

ページ範囲:P.2 - P.2

 君は昭和医科大学々長及び附属病院々長として平常劇職におられたにも不拘夙に病院の経営管理に関し極めて熱心に研究せられ病院の向上発展のために不断の努力を傾倒され既に終戦以前より今日の東京病院協会の前身である東京都病院協同会及び東京都病院連合会等を設立して,当時戦禍の烈しい最中に東京に留まつて各病院の薬品又は給食材料等の維持に献身的活動を続けられ罹災者の救護に甚大な貢献をいたされた事は広く世人の認むるところでありました。
 君は共の後東京病院協会の設立発展に尽力されると同時に日本全国の各地方病院協会に呼びかけ昭和27年全国の病院連合体である現在の社団法人日本病院協会を設立する事に成功されたのであります。

病院創立の苦心—(警察病院の思い出)

著者: 坂口康藏

ページ範囲:P.3 - P.8

 私が病院の経営に関係する様になつたのは,大正12年関東大震災の際,日本赤十字社で罹災者救護のために東京市内の5ヵ所に臨時バラツク病院を作るからその内の1つである浅草本願寺の境内に建てるものを東大に依頼してきたので時の医学部長入江先生の命で大学と兼任で行つたのが始まりである。当時私は稲田内科の助教授をして居り幸い火災は免かれたが,その時の赤十字の方針としてはこの病院は罹災者救済を目的とし短期間の物であるから,医員も可及的罹災者を出して貰いたい。事務員,薬局員は本社で臨時に罹災者中より志望者を雇用し,看護婦は戦時に準じて予備で帰郷して居る者に召集令状を発して,これを付るとの事であつた。私はこの命令を受けた時,この編成では統制が容易でないと考え,私の補佐役として先生の医局の坂本君を副院長としてつけて頂きたいとお願いした所,今暑中休暇で広島に帰つて居るが間もなく帰つて来るから赤十字に話して副院長にしてやろうとの承諾を受けた。その他の医員は全部焼け出された人々であつた。予想通り内部的にも多少のごたごたがあつたが,そのほうの始末は大部分坂本君に依頼し,私は主として外部との交渉に専念した。僅か半ヵ年の病院経営であつたが私にも坂本君にも良い経験となつた。病院の経営にはその全員を喜んで一致協力せしむる事が大切であり,又至難な事でもあり,当初の人選には注意せねばならぬと云う事を感じた。

病院の経営管理と原価計算(2)

著者: 石原信吾

ページ範囲:P.11 - P.15

 われわれは前号で,先ず,病院の経営管理は極めて難しいこと,それは,病院が種々の理由で事業体として甚しく複雑な内容と機構を持つている為にこれを把握統制することが難しいということと,更にその上そうした病院に経済性乃至採算性の要請が加わつて一層難しさに拍車をかけているからであるということ,そして,そうした事態に対処する有力な武器として,厚価計算が現在大きくクローズアツプされるようになつて来たということを述べた。そして更に,管理用具としての原価計算の活用を考える為に必要な前提として,管理の目的物である病院の在り方と,その在り方に従つて病院にも直接管理及び間接管理の二面が存在するということを確めると共に,進んで,誰がその管理の直接の実施責任者であるかに従つて其処に全体管理と各部管理の二つの段階が考えられるということを見て来た。
 そこで本号では,それに続く問題として,それでは管理用具としての原価計算は,その機能乃至性能に従つて,そうした管理のどの面でどの様に活用されるべきであるかという問題から考察に入つて行くことにする。

ライ患者の軽快退所(2)

著者: 森幹郞

ページ範囲:P.17 - P.20

3.新しき前進のために
—ライ療養所分化,再編成への私案—
 当園への見学者を一通り案内し終ると,全然冗談だとしても「いい所ですね,いれてもらいたいくらいですよ」と言う人が案外多い。それほど今日のライ療養所は少く共外面的には整つて来た。今日の医療社会事業,もつと広く社会事業の全分野を見渡しても,最も恵まれた条件の下にあると言つていいだろう。過剰給与,保障過剰と言う人さえある。
 当園の例を見ると(昭和29年度中)患者1人1日当の賄費は105円25銭。之に医療費,被服費,燃料費,光熱水道料,日用品費を加えると1人1日当の経費は175円48銭である。勿論之は人件費を含んでいないから,人件費も入れれば相当の金額である。勿論病人だから一般健康人と比較すること自体誤りであるが,被生活保護家庭が1人1月3,000円前後であることを思えば,今日の日本にあつては過剰給与と言えるのかもしれない。

清毒,洗濯,仕上処理に伴う経費計算—(家政係の概況 2)

著者: 橋本正二

ページ範囲:P.43 - P.48

まえがき
 以前(昭和28年6月)にもわれわれは洗濯等の処理に伴う経費計算を実施したことがあつたが,今回は昭和30年11月—昭和31年1月の3ヵ月を対象として,以前と同様,綜合的に消毒,洗濯,仕上の各過程について経費計算を行うこととした。実際は今回も原価計算に欠くことのできない。事前的な準備期間を殆んど持たず,また満足な用意もせずにこの作業にはいる結果となつてしまつた。
 であるから,1部,推算にもとずくものを余儀なくせられたり(直接経費の場合),また,過程別の労務費の按分を1ヵ月の調査事実によつて全体的に算定するなど完全な計数に基づいて実施することができなかつた。

汽罐作業に関する考察

著者: 高橋操泰

ページ範囲:P.51 - P.58

 病院に於ける現場部門の一つであり,診療用の蒸気,調理関係に使用する蒸気,或いは冬季病室煖房などに用いる蒸気を発生させる原動力ともなる汽罐作業は,病院全体の組織から見れば,或いは陰の舞台であり,事務部門の様な,はなやかさは無いが,重要さに於ては共に等しいはずである。
 病院予算の幾割かを占める燃料費だけでも,近頃の経済状態ではかなり大きい金額を示すのである。そこでボイラーに使用する燃料費を,少しでも節減する方法はと問われると,大した名案もないのであり,陳腐ではあるが,やはり現場作業の従事者,燃料その他資材を購入する事務部門及び蒸気を使用する立場の人達との一体となつた,合理的な熱管理を図る以外に方途はない様である。

Doctors' Taperecord

著者:

ページ範囲:P.61 - P.62

1.病院用品の値段
 日本の病院経済は非常に苦しい。必要な用品は,なかなか買い整えられない位に,予算を切りつめられている。殊に看護用品のように,日常の必需品でも容易に買いかねる位に,病院は貧乏になつている。「事務所に請求しても買つてもらえない。無理解だ。」と看護婦は云う。そこで新規購入品に,買い入れ値段を書いた札をつけて,病棟に出してもらつたら,驚くべき反応を示した。「こんなに高価だとは知らなかつた。モー事務所の悪口は云いません。」と看護婦は誠に素直になつて,用品を大切に取扱うようになつた。
 然し,之れも余程注意していなければ,三日坊主に終る危険があるから,事務員も協力を怠つてはいけない。

研修所だより

著者: 岩佐

ページ範囲:P.63 - P.63

 新しい庁舎の管理運営上の色々な問題が残つていたので4月中は講習を休んでいましたが5月8日から今春第1回の短期講習会を開催することが出来ました。新しい建物の正式な開所式も未だ行つていませんが,まずまず具合よく講義を行うことが出来ました。最初から通算すると第60回研修会に当り対象は事務長で出席者は42名で公立病院関係が大多数でした。
 これより先4月23,24,25の3日間医師国家試験の口頭試間が全国数都市で行われましたが,東京地区の試験場として当研修所を提供しました。この間に所員一同は近県の病院2〜3を見学に行きました。即ち神奈川県の専売公社相模原病院,東芝林間病院,及び群馬県の太田市にある県立東毛療養所を見学しました。

あとがき

著者:

ページ範囲:P.66 - P.66

 第6回日本病院学会は初めて東京を離れ,大阪において開催されたが,予期以上の盛会を極め御同慶に堪えない。これ偏えに佐谷学会長を戴く大阪病院協会の各位による周到且熱意のこもつた企画と運営に基くものであるが,演題は例年の1倍半に及び,参会者は堂に溢れるという盛況振りは,わが国の病院管理学研究が如何に盛んになつて来たかを実証して余りあるものと云えよう。当日の演説内容及び学会の実況は本誌8月号において特集の予定である。
 戦後のわが国の特異な現象の一つとして,彼地此地に病院が雨後の筍の如く設立され,一種のブームを形成した感がある。病院を造るということは,たとえそれが小さなものであれなかなか大変な事業である。単に一つの建物を造るというだけでなく,一つの機能として完成せしめなければならないからである。○○ビル○○会館の設立とは同日に論じ得ない所以だ。いわんや病院研究の余り盛んでない時代に病院を一つ造るということは大変な難事業であり,時としては非常な冒険をさえ伴つたに違いない。今日尚隆々と栄えている古い病院で,創立当時余り一般に知られていない幾多のエピソードに飾られた病院が少くないことと思われるが,これを記録に止めておくことは大切なことと思われる。こうした意図から,本号では坂口先生を煩わして東京警察病院の創立当時を偲ぶこととしたのである。

「病院」 第14巻 総目次

ページ範囲:P. - P.

グラフ

自衛隊中央病院写真概説

ページ範囲:P.23 - P.41

 自衛隊中央病院は,自衛隊メデイカルセンターの一環として世田ヶ谷区三宿の地に衛生学校及び技術研究所(衛生班あり)と隣接して建設された。延約5,700坪(看護婦宿舎等の附属建物約650坪),ベツト数500,外来約200として設計され自衛隊員(部隊職員を含む)及びその家族の診療のほか,特に研究,教育の面も考慮されている。建物の外観は十字形となつており,すべての機能を必要に応じて出来るだけ集中,或いは分散化するように設計されている,地階は管理部門,一階より五階までの20の翼は病棟のほか,外来,手術,X線,物療,臨床検査,研究,事務,医官室に各1翼を使用し,中央部に中央材料室,歯科治療室,血液銀行,薬局,患者娯楽室,電話交換室等を配置している。病棟は42床を看護単位とした完全看護を行い,給食は地階調理室より直接各階配膳室及び患者食堂への分散配膳方式による完全給食を実施している。診療部門は第1部〜第6部に分れ,それぞれ専門分野を担当するが,医局も病棟も共通に使用している。職員の定員は616名であり,そのうち医師,歯科医師,薬剤師は合計118名,看護婦146名,その他356名である。去る3月22日から診療を開始した。以下主として施設の解説を試みることにする。

病院長プロフイル・33

最新装備病院を背負う小島憲院長

ページ範囲:P.42 - P.42

 世田ケ谷駒沢の旧練兵場あとの広大な敷地に忽然と6階建正十字形の超近代的建物があらわれた。これは,防衛庁が,近代医療と近代組織の最高水準の医療中核をねらつた中央病院である。本質的に防衛庁では,全医官の7割以上をG.P.的隊付勤務に用いねばならぬし,高級医官の大多数を管理的地位につけねばならぬ。これは若い医師にとつては,あまり魅力のあるものではない。そこで中央病院の医療的水準をあげて自衛隊の招牌的役目をさせねばならぬ事になつたのである。
 この意味に於て選任されたのが小島憲博士である。

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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