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雑誌目次

雑誌文献

病院16巻10号

1957年10月発行

雑誌目次

グラフ

リスボンの国際病院連盟会に出席して

ページ範囲:P.623 - P.626

エアシュート—国立京都病院

ページ範囲:P.669 - P.671

国立京都病院は昭和24年より外来カルテの中央制度を実施している.カルテは診療各科を通し番号により整理して一元的事務処理をしている.当初の外来診療棟においては1人のメッセンジヤーが診療各科へカルテを運んでいたが,昭和30年2月三階建の広大な(986坪)外来診療棟が新築せられ,勢い増員が必要となつた.しかし人員配置は意の如くならず,ここに「エアシユート」なるものが実現してカルテ等を自在に輸送し,診療事務能率向上に目ざましい業績を挙げている.この「エアシユート」は総工費495万円で,10カ所の診療各科に通じている.又これは他の病院にもあります

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GenevaからLisbonまで

著者: 橋本寛敏

ページ範囲:P.629 - P.634

 欧洲の最高峰モン・ブランをすれすれに飛んで,ジエネバに着陸したのが5月6日夕方であつたが,翌日から世界保健機構(World Health Organization)の第十回世界保健大会(Tenth Health Assembly)が開かれた。世界78カ国の代表が出席した今度の大会のハイライトは「公衆衛生計画に於ける病院の役割」(The Role of the Hospital in the Public Health Programme)と題する技術討議会(Technical Discussion)であつた。技術討議といつたのは,各国代表が保健に関する政治的の会議ではなくて,保健の根本問題について学術的討議研究するという意味である。それでこの会議に加わる人々は各国の代表者という「かみしも」は脱いで,全然非公式,個人の学徒として討議しようという趣旨であつた。
 この会はWHOの幹部によつて早くから企画,準備され,本年1月10日発表されたDr.James H.Mackintosh (前ロンドン大学公衆衛生教授)の解説が,各国代表が本国を出発する前に配布されていたので,代表者は皆討議の本筋を心得て居た。この会の総議長はオースタラリアのDr.A. J.Metcalfeであつたが,5月10日の開会総会で以上の趣旨を概説し,筋書にとらわれないで,自由に討議してくれと念を押した。

病院救急部と交通事故傷害

著者: 原素行

ページ範囲:P.639 - P.648

まえがき
1.病院救急部の性格
 病院救急部は病院が公共機能を発揮するために必要なる諸機関の一つとして,重要視されていることは云うまでもない。救急業務と社会との関係を,都市問題の観点から考察すれば,病院救急部は特殊なる性格を帯びているように思われる。
 元来病院は社会機構の搏動と共に,またその呼吸と共に,生き,且つ生長して来たため,その各種機能に対する比重には変遷があつたとしても,社会との関係は固い絆で結ばれて現在に至つた。社会の近代化と,学問の実践上の進歩は,この頃病院自身をして,近代病院思想乃至近代病院医療の思想を打ち建てる方向に向わせている。病院救急部の性格としてここに少しく云いたいことは,このような基本的問題から離れて,単にこれを都市行政当局の深い認識の下に運用されねばならぬという要望についてである。即ち,救急部が病院長の管理下にあることは当然なことではあるが,この運営上の責任を全く病院に委せて,都市当局がこの責任の一端を負つていないことの可否を再検討したい。端的にいうと,救急患者の医療は診療報酬による請負制のような見方になつているらしい。ここにこの業務に対する認識不足となり,この施設を完備する救急病院が非常に少く,近代社会の問題として考えさせられることになる。これを都市の責任として再認識することを望んで止まない。殊に交通事故傷害の増加は,必ずや近い将来都市の責任問題となることを予言しておきたい。

病院の物品管理

著者: 落合勝一郎

ページ範囲:P.675 - P.681

 病院は一般に設備とか,薬品,衛生材料等の医療品の外,燃料,給食材料,消耗品等,所謂"物"についての取扱いが大ざつぱであると云う定評がある。これはつまり病院には"物"の無駄が非常に多いと云うことである。"物"を買入れ,使用し,そして保管する事務が頗る軽く取扱われ過ぎて,物品管理は科学的に全く研究されていない。物品管理は病院管理の取り残された宿題であり,又病院経営のアナでもある。"金"は非常に厳しく取扱われるが,"物"は"金"の変形であり,即ち云い換えると,"物は"金"で購入された,"金"と同じ価値のものであるにも拘わらず,その扱いは慎重でない。貸借対照表の上では病院が持つ現金予金も"物"も共に資産の部に表示される。これは"物"の減耗は即ち"金"の減耗と同じ意味であり,病院の資産がそれだけ失われた事を意味する。そこで,仮令,診療,その他の収入が順調であつても,物品管理が完全に行われないとざるから洩れる水の様なもので,物品管理は病院経済に直結する深刻な問題であることは銘記されなければならない。
 物品管理を業務面から分けて見ると,次の四つに分類出来る。

某結核療養所36年間の患者取扱の変遷

著者: 佐藤裕

ページ範囲:P.682 - P.689

緒言
 鎌倉市額田保養院は大正9年11月1日に開院され昭和31年10月末で満36年をむかえた。毎年11月1日より翌年10月31日迄を1病院年度とし,退院患者病歴から36年間における患者取扱いの変遷を観察した。

外来のあり方と設計条件の考察

著者: 今村栄一

ページ範囲:P.690 - P.696

 わが国の病院における外来のあり方は特異的なものがある。病院はいわば外来中心的な働きをしてきた。しかし戦後病院のあり方が反省され,入院機能が病院本来のものであるということになり,その方面の研究と改善に努力がはらわれてきた。
 しかしながら欧米の病院においては,逆に外来について再検討が行われ,病院の外来部が新しい発展を始めようとしており,またわが国においても,外来のあり方に多くの問題が提示されて来ている。そして外来建築に当つては,同じような議論がくりかえされている。それらは短時日において解決されるものではないが,2〜3の問題を中心として,簡単な整理を試みたいと思う。

研修所だより

著者: 石原

ページ範囲:P.697 - P.698

 暫く御無沙汰しました。爽秋を迎え,ますます御元気に御活躍のことと思います。
 扨,今年は夏期三カ月間講習会を空けて,少しゆつくり研究その他に打ち込みたいという当初のもくろみでしたが,結局何だ彼だと所用に追われるうちに,何時の間にかその期間を過ごして仕舞いました。

あとがき

著者: 吉田幸雄

ページ範囲:P.699 - P.699

 先月号で予告しましたように,今月号から編集を新にするよう計画致しましたが,全般的にいうと表紙の型式が変つたことと,内容の頁数が増加しただけに終つてしまつて,定価値上げに伴う飛躍構想はまだ実現出来ておりません。内容の改善にはもう少し,時間の余裕をお貸し願いたいと思います。不悪。
 本号の巻頭に,橋本会長の国際会議出席と英国視察の紀行文を載せることができました。橋本先生の御報告の様に,世界的に病院の使命が進展して来ました。わが国でも,有識の院長,医長先生はお気付きになつて既にこの方面の仕事に着手されておられますが,治療と予防の一体化したものが病院機能であるという常識が確立するまでには病院人は勿論,公衆衛生関係者の理解を進めて行く時間が要ると思います。然し,世界的に方向づけられたことは,当然この方面への前進の速度が早められることでしよう。また,Regionolizationについては,厚生省が数年前から,医療機関整備計画として,思想を打出してをりますが,建設にのみ力を入れて来たきらいがあり,地域の病院問の有機的連繋については,殆ど手がつけられていません。これは寧ろ病院協会が,自立的に,各病院間の協力を問題として取上げて行くことが,日本のような経営主体がまちまちである老大国(?では,実施し易いのではないでしようか。

宿題報告

病院事務の合理化

著者: 神崎三益

ページ範囲:P.637 - P.637

総括
 我国医療の根幹である病院医療に与えられた命題は,最新,最上の医学,医術と最良のサービスとを以て国民に完全な医療を与える事であり,進んでは疾病を未然に防止する予防医学的活動と患者の幸福を守る社会医学的活動をなすことである。
 その目的達成には積極的にこれに要する経費を社会に要求すると同時に与えられた経費を最も効率的に活用しなくてはならない。

座談会

病院のトツプマネジメントと事務長

著者: 青木虎十男 ,   落合勝一郎 ,   河野到 ,   坂田忠春 ,   城一男 ,   守屋博 ,   吉田幸雄

ページ範囲:P.651 - P.667

 編集 病院という雑誌が,今年から病院協会の機関誌になりまして,従来よりさらに飛躍しようという段階に入つてまいりました。ちようど研修所の研修の機会をとらえまして,地方で事務長の御経験を持つておられる方の御意見を聞こうじやないかということになり,きようは院長先生に対する問題もかなりでるのじやないかということを期待しております。どうぞよろしくお願いいたします。
 吉田 それでは,病院の編集をやつておりますので,慣例に従いまして司会をやらして頂きます。いま長谷川さんの云われたように,事務長さんを中心にした座談会というのは今までありませんで,これは守屋先生の御発案ですけれども,是非一遍やろうじやないかという話に編集会議でなりまして,ちようど関西方面の事務長さんのお集りのときでもありますので,いい機会だと思いまして,関東側を代表して聖路加の落合事務長さんに出て頂くことにして事務長さんを中心にしてお話合いしたいということになりました。一応,この座談会の標題は,病院のトツプマネージメントと事務長,こういうことにいたしております。主として院長先生との関係,それから他の組織との関係,こういうような問題を一つ中心にお話合いを願いたいと思います。

病院長プロフイル・48

国立国府台病院長 黒沢良臣先生

ページ範囲:P.672 - P.672

 明治40年と云えば今から丁度50年前,其の頃生れた人達は現在各地の病院で油の乗り切つた活躍をしい居る訳だが,其の明治40年に大学卒業,其後呉秀三教授の医局,松沢病院,熊本医大等に歴任された半世紀に亘る精神神経専門家としての生活は其の侭我国精神医学会の生きた歴史を物語る最長老の存在である。事実日本精神医学会の黎明期たる榊,呉教授時代から精神病院ブームの今日に至る迄,色々のエピソードを秘めた先生の想い出話を聞いて居ると,過去の姿が如実に眼前に浮び上つて来る思いがする。何とか此等の話を記録して置いて日本精神医学発展史の貴重な資料に残したいものと切望される。殊に日本の精神病専門家には妙に親子代々専攻して居るという人が多い様に思われ,先生の話にも現役の人達の先代,先々代等の逸話等も窺われて甚だ興味深い。
 国立国府台病院長に就任されたのは昭和25年,大学同期の国立病院長としては他に,加藤仙台,塩谷高崎,早野豊橋の諸氏がある。西野東二院長に次ぐ元老組として国立病院に鼎の重みを加えられて居る。併し定員や予算其他雑多の法令でガンジガラメに縛られた国立病院の運営は中々容易なものでなく,殊に完全看護に端を発した先年の労組との間のトラブルには一時可成り悩まされた様であつたが,現在は病院も一路発展の途を辿り,病棟の新築整備も緒に就き,悠々運営に当つて居られる。

基本情報

病院

出版社:株式会社医学書院

電子版ISSN 1882-1383

印刷版ISSN 0385-2377

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